第7話
「狙撃した!?」
太箸警視がパトカーで電話を受ける背後で、封鎖された国道を救急車がサイレンをかき鳴らしながら走り去っていく。
事件現場から離れていく車は、これだけ。
おそらく犯人を載せているのだろう。
首を伸ばして振り返り、見送りながら樽井刑事からの報告を聞いた。
『はい。 我々の注文通り、生きたままの狙撃です。
警察官に被害は出ていません』
「で、犯人はどうだ?」
『出血多量ですが、意識もあり、命に別状はありません。
先ほど、搬送されていきました。
愛知県警の報告通り、人質もいませんでしたよ』
「しかし、どうやって……」
救急車が遠ざかり、首を戻しながら今度はハンドルにもたれかかる太箸。
『どうやら仁科ルイは、右手の伸筋をライフル弾で切られ、あまりの痛みで、その場に倒れたようです』
「伸筋だと!?」
『ええ。 救急隊員によると、弾丸は手首よりやや上の辺りを貫通していました。
手の中央あたりは、指を動かす伸筋が集中している場所だそうです。
トゥー・フェイスはそこを、動脈を傷つけないよう撃ち抜き、再起不能にした……というわけです』
にわかには信じがたい狙撃。 だが――
『相変わらず、舌巻きまくりの神業ですよ。
仮に銃があったとしても、再び握るのは不可能ですから』
「いや、それだけじゃない」
『は?』
太箸は、彼女が仕掛けたもう一つの“配慮”に気づいた。
「奴は……トゥー・フェイスは、銃が暴発しないよう計算に入れて、トリガーを引いたんだ。
奴の銃は粗悪品。 手を貫通したライフル弾が、弾倉にあるタマを暴発させた場合、犯人が死亡する可能性すらあったからな。
それに、あのバルコニーは腹から下はコンクリートで隠れている。
犯人に反撃の機会を与えずに、なおかつ生きたまま逮捕するには、その僅かな部分を撃ち抜くしかなかったというわけだ。
しかも、奴はそれを、間に送電鉄塔が立ち、風向きが変化する恐れのある環境でやってのけた」
『なんてこった……いったい、あの女は何者なんですか?』
恐れの混じった感嘆とともに、樽井は太箸に聞く。
「コードネーム: トゥー・フェイス。
年齢、国籍、本名不明。
日本の裏社会で、最強の腕を持つと言われている仕事人だよ。
今はそれしか口にできない。 なんせあの女は――」
その時。
プープープーと、2人の会話に電子音が紛れ込む。
「すまない、キャッチが入った。
君はそのまま、愛知県警と共に、現場検証に立ち会ってくれ。
私もすぐに向かう」
『了解しました』
樽井との通話を追え、画面を再度タップ。
相手はもう、分かっている。
「トゥー・フェイスか」
若い女性の声は、先ほどバスの中で交わしたのと、全く変わらない声色で言い放った。
『依頼は完了したわ。 ライフルはポンプ場の中に隠してあるから』
「確認した。 流石だ、トゥー・フェイス。
約束通り、君の経歴をクリーンにしておこう」
『どうも。
ついでに申し訳ないけど、浜北駅まで送ってくれるかしら?
今なら、22分発の電車に、ギリ間に合いそうだから』
「直接学校まで送る方が、早くないか?」
すると、彼女は電話の向こうでフッと笑い、こう言った。
『向こうの世界に、この顔を晒すような真似はしたくないの。
トゥー・フェイスにとって、女子校生 柊彩美は、安らかに一日を過ごせる唯一の姿。
だから、もう一つの顔は絶対に守り抜きたいのよ。 どんなに回りくどいことをしても』
その言葉の意味が分かっていた彼は、そのままトゥー・フェイスの要望にこたえる。
「分かった。
部下に連絡して、車を回す。
それに乗って、駅に向かうといい」
『ありがとうございます。
では、これよりアタシは、トゥー・フェイスから柊彩美へと戻りますので』
ああ、それから と前置きし、トゥー・フェイス―― こと、彩美は太箸へ付け加えた。
『くどいようですが、報酬、お忘れなく』
「無論だ。 もう切るぞ」
『それでは』
電話を切り替え、部下の一人にポンプ場へ彼女を迎えに行くよう言った太箸は、そのままスーツの懐からリトルシガーを取り出して火をつけた。
マシェルリ・プリムラ。 彼のお気に入りである。
口にくゆらせた煙を吐き出すと、車内にバニラの甘い香りが広がっていく。
緊張状態からの、一瞬的な開放。
「トゥー・フェイス……柊彩美。
2つの顔を持つ可憐で冷酷な少女、か。
全く。 時代ってやつは、とんでもないバケモノを生み出したぜ」
シガーをまた口へ運び、一服。
これから大変になると思われる、事件の跡片付けの現実逃避をしながらも。
「まあ、今は明日ある少女の青春に、一時の安泰を」
しかし、彩美も太箸も、否、この時誰もが思わなかっただろう。
この事件が"fin《おわり》"ではなく"
トゥー・フェイス ~柊 彩美の災厄!! 学園×裏社会生活~ 卯月響介 @JUNA
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