第6話


 「遅い……遅すぎる!」


 太箸警視は、捜査拠点の置かれたサンストリート浜北の駐車場で、腕時計を見ながらイラつきを隠しきれずにいた。

 トゥー・フェイスが連絡を絶って、もう10分が経つ。

 人質事件ではスピードが大事であることは、彼女も分かっているはずなのに、だ。


 彼女自身どころか、部下からもトゥー・フェイスを見かけたという報告は無い。


 「何をそんなに、時間かけてるんだっ!」


 しかも、狙撃ポイントは限られている。

 静岡県警の狙撃部隊が展開している周辺からの狙撃以外、可能なポイントはないはず。


 その時だ。

 

 「ウサギより帽子屋。 お茶が沸いた! 繰り返す、お茶が沸いた!」


 右耳に差し込んだイヤホンマイクから聞こえた、若い男の声に踵を返すと、太箸はパトカーに乗り込み、ご丁寧にドアを閉めて、無線に手を伸ばした。

 チャンネルを切り替えると、はやる気持ちを抑えて口を開く。 


 「太箸だ」

 『樽井です。 トゥー・フェイスを発見しました』

 「どこだ?」

 『上水ポンプ場の屋上にいます』


 部下である樽井刑事からの報告。

 それを聞いた途端、太箸の思考は一気に混乱を極める。

 なぜなら、その場所は――


 「バカか、あいつは!

  そのポンプ場からは、送電鉄塔が邪魔になって、バルコニーにいる犯人を狙撃するなんて不可能だ!」

 『しかし警視、彼女はもう、狙撃体勢を取ってますよ。

  あの華奢な腕で、スナイパーライフルを支えるなんて……』


 樽井の感嘆を含んだ報告に、太箸はハッと気づかされた。

 もしかすると。

 ひらめきにも近い自分の推理を確認するため、彼は再度、部下に聞く。


 「おい! もう一度聞くが、彼女はライフルを、どう構えているんだ?」

 『どうって……こう、仁王立ちになって、両腕でライフルを構えていますけど。

  警視、なぜそんなことを聞くんです?』


 樽井刑事の問いに、太箸はポツリ。


 「固定観念だよ」

 『は?』

 「ポンプ場からの狙撃は、送電線の鉄塔が障害になって不可能。

  だがそれは、狙撃手が成人男性で、ウデもごくごく平凡であった場合の話だ。

  柊、いや、トゥー・フェイスは背も低く華奢な女の子。 おまけに、我々以上に狙撃の場数を踏んでる、裏社会の人間だ。

  彼女の狙撃姿勢なら、鉄塔の隙間からターゲットを狙えるのかもしれない!」


 まさか。

 そう、彼が漏らすよりも早く、太箸は無線を切ると電光石火、チャンネルを再び通常のそれに切り替えた。

 トゥー・フェイスが言っていた「見れば分かる突入のタイミング」が今!


 「太箸から各員に次ぐ。 マル被との距離を詰めながら、住宅へ接近する。

  狙撃班は現状待機。 隙があれば、一気呵成に突入するぞ!!」


 ■


 実のところ、太箸警視の推理は完全に当たっていた。

 上水ポンプ場屋上。

 建物の一番高い場所で、トゥー・フェイスは背筋をピンと伸ばし、均等に開いた両脚を踏みしめ、スコープで標的の姿をにらみつけていた。

 まだ冷たい風になびくブレザーとスカート。 この2つで風向きを捉えながら。

 左肩に重くのしかかる床尾バット・プレート、そして銃全体を支える左腕。

 8.1キロというPSG-1の重さを感じないほど、涼しい顔をして、彼女は今、引き金に指をかけるタイミングを待っている。


 彼女の身長は158㎝。

 赤と白に塗り分けられた、三角形の集合体ともいえる鉄塔の隙間から、充分余裕に立てこもり現場のバルコニーを覗ける高さであった。

 いや、それでも狙えるポイントは、僅か一か所。

 今、トゥー・フェイスが立っている場所以外にない。

 針の穴に糸を通すがごとく、この場所から狙撃し、なおかつ、犯人は殺してはいけない。

 チャンスは一度きり。 失敗は絶対に許されない。


 「!?」


 彼女の視界の外で動きが。

 その状況を、恐ろしく研ぎ澄ませた耳で拾い上げ、視線を一瞬、スコープから外す。

 ディーゼル車の排気音!

 見ると、警察の狙撃犯がいる老人ホームの影から、マイクロバスが一台、ゆっくりと家の方へ向けて進み始めた。


 「ようやく私を見つけてくれたのね。 流石よ、警視サン」


 嬉しさにも似た不敵な笑みを浮かべて、トゥー・フェイスはまた、スコープに視線を戻した。

 全神経を集中させて。

 ――来た!

 バルコニーから人影が現れたのだ。

 それまで、誰も出てこなかった家の窓から唐突に、だ。

 写真で見た男、立てこもり犯のルイに間違いない。

 染め上げた短い金髪を光らせ、タンクトップにジーパンという出で立ちの彼は、骸骨のタトゥーが彫られた右腕に銃をぶら下げ、鬼のような形相で何かを叫んでいた。

 

 「おい! それ以上近寄るな! ぶっ殺すぞ!」


 口の動きと、警察の車が近づいている状況から、おそらくこう言ってるのではないかと、即座に読み取った。

 ならば、もうすぐ動くヤツはずだ。

 表情を見る限り、クスリはやっていない。 錯乱することはないだろう。


 危惧している全てを取り払い、あとは“どこを撃つか”という問題だけが残った。

 一番デカい、そして重要な問題だ。

 

 「……ふぅ…っ」


 硬直させた全身から息を抜き、遂にトリガーへ細い人差し指をかけたトゥー・フェイス!

 スコープの中で、ルイはバルコニーから乗り出し、相変わらず何かを叫んでいる。

 右腕には、オートマチック拳銃を握りしめたまま。

 奴の我慢が限界を超えた時、そこが展開点!

 まだだ……まだか……っ!

 

 「!!」


 ついに、その時が来た。

 バルコニーの柵から少し離れたルイは、目をぎらつかせて、銃を迫りくる覆面パトカーに向けたのだ。

 一直線に伸びた右腕―― そして!!


 ダァーン―――!


 瞬きする間もなく、とは、この事だろう。

 彼女以外、今何が起きたのか分かるまい。

 銃声がこだますると同時、ルイは銃を手放し、その場にうずくまった。

 血が溢れる右手首を抑えながら。

 彼が握っていた銃は、そのままバルコニーから落下し、玉砂利の敷かれた軒下に着地。


 「クリア」

 

 彼が死んでいないこと、もう銃を撃てないことを確認すると、トゥー・フェイスはライフルを下ろし、ポンプ場を後にした。

 朝日を受けて輝く、空薬きょうを拾うことも、もちろん忘れずに。


 各方向に待機していた警官隊が、ルイの隠れ家に突入するまで、そんなに時間はかからなかった。

 犯人以外の死者、負傷者ゼロ。

 こうして事件は、あっさりと解決したのである。

 

 

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