第5話

 前線本部はしっちゃかめっちゃか。

 アリの巣をひっくり返したかのような騒ぎとは、このことだろう。

 県警から射殺不可の指示が出たためだ。

 報道管制が解かれれば、メディア各社のヘリや中継陣が殺到する。

 そうなれば、ますます犯人の人権尊重に重きを置かないといけなくなる。

 事件の長期化も視野に入れて、各担当の警察官たちは、対応に追われていた。

 

 「静岡県警特別犯罪対策係、係長の太箸です。

  現時刻より、この事件は我々の管轄となります」


 駐車場中央に置かれた大きな白いテント。

 窓もなく、外部と遮断されたこの場所に太箸は入ると、ぎろりと鋭い眼で中を見回す。

 そして、警察手帳を見せながら開口一発、指揮権をこちらのものとしたのだった。

 既に上から指示が飛んでいたことではあったが、背筋を伸ばし、堂々としていながらも、厭味ったらしくない口調と緊張感に引き締まった太箸の表情に、テント内にいた誰しもが、彼をリーダーとして受け入れた。


 「浜北署捜査課の大迫です」

 「愛知県警薬物対策課の津国です」


 内部には数人の捜査員がいたが、その中にいた2人の男が、太箸に近づき挨拶を交わす。

 大迫と名乗った刑事が、机に広げた地図をもとに、話し始めた。

  

 「事件の概要は、既に機捜から上がってると思いますので、割愛します。

  現在もマル被は住宅内に籠城中。 今のところ要求は一切なし。

  狙撃犯も待機済みです。

  突入部隊は、赤い丸で囲った、この地点に配置済みで、突入の際東西南北、4方向から警察官が住宅に向かい、犯人を制圧することになっています」

 「被害は?」

 「接近を試みたPCパトカーが被弾していますが、人的被害は今のところ」

 「もう一度確認しますが、あの家には籠城している犯人、仁科ひとりだけで、ほかに人質はいないんですね?」


 今度は津国と名乗った刑事が、答える。


 「間違いないと思います。

  ヤツの家に何人かの女性が出入りしてはいましたが、家宅捜索前には、誰も出入りしていないのを、ウチの部下が確認しています」

 「オンナ?」

 「ええ。 彼あの家に、自分の愛人を連れ込んでいたんですよ。

  行動確認コウカク中に、分かってるだけで3人。 それぞれ浜松や名古屋在住の若い女性で、彼女たちも薬物を使ってるかどうか、愛知県警の方で現在確認中です。

  仁科を逮捕して、そこから芋づる式に捕まえる予定だったんですけどね……」

 「そうですか」


 愛人女性。

 今起きている籠城には、関係ない話だろう。

 “本題”である薬物疑惑に関しては、逮捕してから愛知県警にやらせればいい。

 

 そのためにも、トゥー・フェイスの狙撃は絶対不可欠。

 犯人を生かして、彼らに渡さなければ意味がない。

 

 太箸が腕時計を見ると、彼女と別れて既に5分が経過していた。

 狙撃可能ポイントである老人ホームか、専門学校周辺に出ているなら、もうすぐ現場の警察官から連絡が来るはずだ。


 「大迫刑事。 私からの合図があるまで、一切動かないよう、現場の警察官に徹底させてください。

  相手は複数の銃を所持しているとのことですし、誰も、棺桶の中で出世したくはないでしょう。

  愛知県警の皆様も、よろしく頼みますね。

  私は現場が見えるところに、移動しますので、何かあれば無線を飛ばしてください」


 そう言い軽く頭を下げて、テントを出ようとした太箸だったが――。


 「その塩梅は、どうやったら分かるんだ?」


 叫んだ津国に対し、彼は顔だけで振り向いて、含み笑いで、こう答えた。 


 「デカの勘、ってやつですよ」


 太箸が外へと出たのを見ると、津国は大きく息を吐いて、緊張をほぐした。


 「流石、影の県警本部長と呼ばれるだけあるぜ。

  あの雰囲気と気迫、俺たち刑事すらも圧倒してくる。

  厭味ったらしくなく、脅しもしてこない、あの口調が特に……」

 「津国警部も、太箸警視の事をご存じなんですか?」

 

 聞いてきた大迫に、彼は背広のポケットに両腕を突っ込みながら言った。


 「知ってるも何も、俺たちみたいに部署の長やってる連中で、あの男を知らなかったら、ただのお飾りだよ。

  続発する凶悪犯罪に対処するため、各捜査課や管轄の垣根を超え、独自の権限で凶悪犯罪を捜査するセクション、特別犯罪対策係。 通称“トクハン”。

  静岡県警のトクハン係長である太箸は、他県警のトクハンともつながってるだけじゃなく、警察上層部にも顔が利く程の交友関係を持っているそうだ。

  どんな事件にも、令状や上からの指示を待たずに介入できる上に、関わった事件全てを解決に導いている。 誤認逮捕など傷になる経歴も一切ナシ。

  故に、影の県警本部長。 愛知県警でも、相当の有名人だよ」


 すると大迫。


 「しかしですよ。 バカスカ撃ってくる犯人を前にして、全員待機しろだなんて悠長すぎませんか?」 

 「そこなんだよなぁ。 太箸警視は何を考えてるのか……。

  噂じゃあ、彼は事件解決のために、レギュレイターを雇っているなんて言われている。

  警察が裏社会の人間を頼り、賄賂や司法取引を条件に事件を解決させようとした例は多々あるが、その全てで警官も、雇ったレギュレイターも後に逮捕され罰せられている。

  もし、彼がそんなことをして今の地位を保っているのなら、警察史上に残る大問題になりかねないし、今の今まで捕まっていないのも、相当なタヌキと見ていいね。

  なんせ証拠がないんだから」


 したり顔で語る津国だったが、大迫は冷静に返す。


 「私も聞いたことがありますよ。

  でもそれは、他の県警でもこっそりしているって言われてる、口出し厳禁のタブーじゃないですか」

 「まあ、そうなんだけどね。

  この浜松には、トゥー・フェイスとかいう、名うてのレギュレイターがいるそうだから―― っと、無駄話している暇はないな。

  大迫刑事、愛知県警も突入部隊と同じく前線で待機する。 現場にそう伝えてくれ」

 「了解しました」


 短いようで、刑事たちには長すぎた無駄話を切り上げ、2人はそれぞれ自分の仕事に戻っていく。

 その間に、当の太箸はテントを出るとスマートフォンを耳に当て、自分たちの部下に指示を飛ばしていたのだ。


 「こちら帽子屋。全てのウサギに告ぐ。

  アリスが迷い込んだ。お茶を沸かし、宴の準備をされたし。

  繰り返す。アリスが迷い込んだ。お茶を沸かし、宴の準備をされたし」


 誰にも気づかれない、秘密のメッセージ。

 これですぐに、無線がピーピー鳴り響く。

 トゥー・フェイスが、狙撃体勢に入ったことを知らせる入電が。


 そのはず、なのだが――

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