終章「冴えない結末と後日譚」
「そういえば、桂くんは?」
「出かけてるよ」
城咲栄華と雨月桂の家。
そこにはハルガと純がいた。
「どこへ行ったんだい」
「さあね、気分屋だから、桂は」
それはとても親しげで温かい表情だった。
「……そんな顔をする人なんだな、あなたは。意外だね」
「そう?」
「風の噂では、僕はあなたのことを、誰よりも冷徹で、誰よりも非情な戦士だというふうに聞いていた。それがそんな母親みたいな穏やかな顔をするとはね」
「母親っていうよりは姉って言った方が正しいのかな。……まあ、外――というか、仕事中はね」
彼女は少し困ったような顔をして笑う。随分と取っつきやすい女性だな、と純は思った。物腰が柔らかくて、感じが良い。
純はあまりこういった感じの人間にあったことがなかった。類は友を呼ぶというのだろうか。自分の周りには何故か個性の強い人間ばかりが集まるのだ。
だから、なんというか――こういう手合いは少し苦手だ。
「とりあえず、じゃああなたと僕の話を統合しよう」
「うん、お願い」
「今回の件で雨月桂という〝鬼のなりそこない〟がやったことは、つまりは、二人の人間への恩返しだった。そう――僕とあなたへの」
純はこれまでハルガと話したことをまとめる。
「あなたと桂くんは元々、【治安隊】の寮で二人で暮らしていた。しかし、あなたが【篝火】を壊滅させるという任務を言い渡されたことにより、二人は、偶然にも以前住んでいたというこの町に帰ってくることになった。そこがまず、全ての始まりだった」
「そう。ちなみに、私たちがここへ帰ってきたのは、【篝火】の拠点を割り出すためだね」
「――すると、引っ越しが済んだ頃、桂くんが働くと言い出したわけだ。あなたは日がな【篝火】の拠点探しに明け暮れて大いに疲れていたが、それを喜んだ。しかし、よもやその働き先が僕が率いる集団――【悪の此岸】だとは思っていなかった」
「うん。桂がまさかよりにもよって【悪の此岸】を選ぶとは思ってなかったよ。私の仕事に関わってくるなんて思っていなかったし、この辺なら【騎士団】っていう万年人手不足の集団もあるしね」
「【治安隊】は元々【悪の此岸】に目を付けていた。【篝火】と敵対関係にあるという情報を掴んでいたからだ。【王君】の遣いが直々に僕の所へ来て、話し合いをしたこともあった。『【篝火】の拠点を知っているか』という問いに、僕は知っているにも拘らずノーと答えた。しかし、あの大男はその嘘を見破っていたんだろうね。そして、あろうことか、彼――雨月蝉は雨月桂の父親だった。あの時、嫌でも名を聞き出しておくべきだったよ。名前も名乗らない野蛮人だと思ってたが、思えばあの時点で、彼は桂くんに何らかの頼み事をしていたのかも知れないな。例えば――『集団【悪の此岸】に潜入して秋島純から【篝火】の情報を引き出せ』とか、ね。もしかすると『出来れば、彼らに【治安隊】の邪魔をしないよう手配しろ』なんてことも言われていたのかもしれない。そこまで具体的であったかは桂くん本人に確認しなきゃ分からないけど、とにかく、普段世話になっているあなたに報いるためにも、桂くんはその依頼を引き受けた」
「そして、潜入した【悪の此岸】であなたに出会ってしまった」
「そういうことだ。日野悠という偶然持っていたツテを利用して潜り込んだ【悪の此岸】で、彼は僕と再会してしまった。……いや、再会した、というのはおかしいだろうね。その時点では彼は、僕が五年前に出会った少女と同一人物だとは思いもしなかったろうから。しかし、彼は一緒に僕と時間を過ごす中でそれに気付いてしまった。おそらく、『ゴスロリ衣装の殺人鬼』の話をしてしまったのが致命的だったんだろう。何故ならあれは、他でもない彼自身だったのだから。……しかし、何だってあの日、彼はあんな服を着ていたのだろうね。僕もついあの〝鬼〟のことを少女だと勘違いしてしまっていた。たしかに今思えば彼は一人称に『僕』を用いていたが――ちなみに、それが今日日、僕が自分のことを『僕』という由縁にもなってもいるが――しかし、あんなサマになりすぎたのを、まさか男の子だとは誰も思うまい」
「あの服ね、私が作ったんだよ。似合ってたでしょ」
「……なるほど、あれはあなたの趣味か。衝撃の事実を聞かされたな。……続きだ。彼は【悪の此岸】で過ごす中で僕が誰であるかを認識した。そして、五年前のことを思い出して、あのお人好しはあろうことか、僕――
「そうだね。不器用さは桂の素敵な所の一つだよ。ちなみに、私としては、それはあなたのお陰でもあったと思うけどね。あなたがわざと【篝火】に捕まっていなければ、桂は多分、その『一つの妥協』っていうのをしていなかった」
「さて、その点についてはどうだかね。僕が彼を【悪の此岸】から追放した時点では、僕は彼があの『ゴスロリ衣装の殺人鬼』と同一人物だとは思ってもみなかった。それら以外の点についてはある程度の察しみたいなものはついていたが、それでも、彼が【地獄】まで僕を助けに来るとはまず思っていなかったよ。彼にそこまでのモチベーションを期待していなかった。だから、それは少なくとも作為的なものではなかったさ」
「ふうん、そうだったんだ」
「ともあれ、こんなところかな、事の顛末は」
純は木製の椅子の背もたれに体重を預ける。
「全く……彼は何だって一人でそんなことをやってのけようとしてしまうんだろうな。僕に事情を話してくれれば、ある程度の協力はしてやれたかもしれないのに」
「でも、秋島さんは絶対に【篝火】に行ってたでしょ」
「なかなか的確な指摘だね。でも、どうだろうな。もしかすると少し前の僕は彼の言うことならどんなことでも聞いてやりたい気分だったりしたかもしれないぜ」
「すっごい分かる。母性をくすぐるよね」
ツッコミ待ちだったので、純は少し肩透かしを食らう。本当に実感をもって、しかも満更でもなさそうに言うので、思わず呆れてしまった。
「……桂が何でも一人でやろうとしちゃうのは、桂がそういう人間だからだよ。他人を信用していないってわけじゃないんだけどね……何ていうか、心が独りぼっちなの」
それは、奇しくも純自身が桂にしたのと同じ指摘だった。
「だから、あの子はね、誰にも知らないところで他人の役に立ってる。いつの間にか、誰よりもたくさんの傷を背負ってる」
「ただの自己満足だな」
「……私の弟分をあまり侮辱しないでくれる?」
それまでと変わらない口調なのに、突然肌を刺すような圧力のようなものが放たれたのを純は感じた。こんな可愛らしい見た目なのに、随分と凄味が利いている。しかし、あえて純は何食わぬ顔でこう返す。
「侮辱? 僕がいつ彼を貶めるようなことを言った。自己満足――大いに結構じゃないか。自分に正直であることは彼の美徳だよ。自分のためにしか生きられないことが悪だというなら、僕はその悪を盛大な罵倒と心からの敬意をもって愛そうじゃないか」
「……そっか。それが【悪の此岸】って組織のスタンスだったもんね」
「そういうことだ」
純は、人差し指を立てる。
「ところで、一つ訊きたいのだけれど」
「なあに?」
「あなたにとって桂くんは弟分とのことだけど、実際のところ彼をどう思ってるんだい。どれだけ親しい間柄とは言っても、血の繋がっていない男女が同居までするというのは普通抵抗があってしかるべきだよ。男の方が男の方だから、現状で既成事実なんてものもありはしないんだろうが――君はその……そういうことが起こってしまった時にそれを良しと出来るのかな」
「出来るよ」
何の躊躇いもなく、ハルガは答えた。
「桂がそれを求めるなら、ね」
「……求められなかった場合は」
「私は何もしない」
それもまた、間髪入れない返答だった。
「恋愛感情……ではないのか」
「どうだろうね。ただ、私はどんな時でもどんな場所でも――どんなものよりもどんな誰よりも、桂のことを大切に思ってる。もしも、彼が幸せになるための未来に私という人間が必要ないのであれば、私は黙って彼の元から姿を消す」
「……例えば、彼から死ねと言われたら、君は死ぬのか」
「それが彼のためになるのであればね。そうでないならしないよ」
「思ってたよりも歪んだ関係だね」
「私の命は桂にもらった命だから」
小首を傾けながらにっこりと笑ってハルガは言った。
確か日野悠も同じようなことを言っていた。彼女の場合は、以前、危ないところを助けてもらったとのことだったが、そういう話だろうか。
「……つまりは忠誠とかそんなところか。あなたの雨月桂に対する感情は」
「うーん、似てるけど、ちょっと違う気もするかな」
「違う? どんなふうに?」
「説明するのは難しいよ。そうだなあ、多分――」
するとハルガはおもむろに純の方へと近づいてくる。
「え、君、何を――」
そして、そのまま純の額にキスをした。
純は唐突すぎる出来事に身動きが取れなかった。
ハルガの柔らかい唇が、ゆっくりと離れていく。
「こんな感じ――かな」
「……こんな感じって」
「忠誠っていう言葉よりは、少しだけあったかいでしょ?」
「……城咲栄華――見た目に似合わず結構大胆だな」
「えへへ」
彼女はいたずらっぽく笑った。
同性ながら、さすがにドキドキしてしまう。
額に指をやるが、そこにはまだ生々しい感触が残っていた。
「桂は簡単には渡さないから」
笑ったまま、ハルガはきっぱりとそう言った。
その言葉はつまり秋島純にとって彼女が決して無視できない存在だということを示していた。
「なんだそれは……それじゃまるで僕が雨月桂に並々ならぬ特別な感情を抱いているかのような……」
「ふふ」
ハルガは笑うだけだった。
「……やれやれ」
本当に、やりにくい相手だ――そう思って、純は一つため息を吐くのだった。
その時、玄関の方から扉の開く音が聞こえた。
「あ、帰ってきたね」
「……」
純は椅子から立ち上がる。
「悪いけど彼、借りるぜ」
「うん。どうぞお好きに」
「……お邪魔したな」
ハルガの視線に茶化すような何かを感じながらも、それを無視して、純は玄関に向かった。
そこには桂がいた。彼は純の姿を捉えて目を丸くした。
「あれ? 秋島、なんでここにいるんだ」
「うるさい。いいから行くぞ」
「は? どこへだよ。今帰ってきたばかりだぞ」
「【悪の此岸】のアジトだ」
Φ
いつもの部屋。この仕事場に対して、そんな認識が桂にも芽生え始めている。
「――秋島、お前、城咲と何話してたんだよ」
キッチンの方から彼は純に話しかけた。
「女と女の秘密だ」
「何だそれ」
「君の方こそどこ行ってたんだい。何か用事でも?」
「俺か? 俺は……えっと、その……」
「何だい。言うのを躊躇うようなことをしてたのかい」
「……いや、それが俺にもよく分からないんだよな」
「は? 何だそれ」
「何だか何かをしようとして出かけたはずなんだけど、思い出せないままふらふら歩いてそのまま帰ってきた」
「……君、大丈夫か。疲れてるんじゃないか」
「そうなのかな……」
桂はトレイに二つコーヒーカップを乗せてキッチンから出た。
「そういえば、桂くん。なんだかんだで訊く機会を逃し続けていたんだけれど」
「何だ?」
「君の【異能】って結局なんなんだ」
「……ああ」
まるで一瞬で空間を転移したような現象を起こす桂の【異能】。それを初めて純の前で使ったのは、一番最初の邂逅の時だった。
彼は天井を仰いで、少し考えるようにすると、純に言う。
「じゃあ、秋島、目を瞑ってくれ」
「? うん」
純は言われたとおりにする。目を閉じると、桂がこちらに近づいてくる気配を感じた。
「目を開けろ」
目を開けると、当然、桂が先ほどよりも近い位置にいた。
「……これがどうしたんだい」
「どうしたもなにも、こういうことだ」
「?」
首を傾げる純だったが、程なくして、何かに思い至ったような顔をする。
「……ああ、何だそういうことか」
「分かったか」
「随分ショボい【異能】だな」
「まあ、言われ慣れてるよ」
「〝瞬き〟か」
「そういうこと」
桂はそう言いながらトレイをテーブルに置いた。
桂の【異能】――それは『相手に瞬きをさせる』というものなのである。
「本来、戦いの中で、瞬きをするのはタブーだ。特に決定的な瞬間にそれをすることなんてありえない。攻撃の瞬間にすれば相手に避けられかねないし、逆に、回避の瞬間にすれば相手の攻撃を避けきれないだろう。そして、俺の【異能】はそんな〝失態〟を相手に起こさせることが出来る」
「なるほど。しかも〝瞬き〟なんていうものは人が無意識にする反射行動だから、敵にも能力の正体が悟られにくいというわけだね。――とにかく、君は瞬きを相手にさせ、その目を瞑っている間に自分が高速で移動することで、あたかも瞬時に移動したかのように見せていた。地味だが、実用的な【異能】だ。もし、相手にタネがバレたところで、大抵の奴は苦戦を強いられるだろうな」
「ただ、まあそれでもどうしようもない弱点もあるけどな」
「何だい?」
「俺は普段ハルガに稽古をつけてもらってるんだけど」
「そうなのか」
〝鬼〟としてではない方の戦い方は、つまりは彼女から教わったということか。
「一回【異能】アリで手合せしようって話になったんだ。それで――」
「それで?」
「
「…………」
それは能力の弱点というより、単に相手が悪すぎただけではないだろうか。
「まあ、ともあれ、やっと君の【異能】を知れたよ」
純は満足したような顔をする。
「じゃあ、お返しに、僕の【異能】であるところの〝不死〟についても教えてあげるとしよう」
「〝不死〟? それがお前の能力なのか? 言葉としては〝再生〟と似たようなニュアンスを感じるけど」
「覚えてないかい? 【死神】と君が初めて戦った日、僕は【再生】が一度死んでしまえばもう意味がないと言っただろう?」
「そういえば……」
「つまり、〝再生〟と〝不死〟の能力は違う」
「じゃあ、〝再生〟の強化版ってことか?」
「それも違う。〝再生〟の延長上にある能力であるならば、僕が【死神】との戦いで負傷した時、その場で傷が回復したはずだった。〝再生〟関連の【異能】の目的は『傷を瞬時に元通りにする』ってところにあるからね。でも、〝不死〟の【異能】は〝再生〟とは根本的に目的が異なる。その目的は文字通り『死なない』ということだ。この二つの違いは似ているようで大きい。〝不死〟は、必ずしも『傷を癒す』ということに主眼を置かないから、それが致命的なものでない限りは基本的に瞬時に傷が治癒するということはないんだ。ただそれでも時間さえかければ、例えば眼球を傷付けられたような元通りにならない負傷でも治すことは出来るよ。――しかし、やはり速度として〝再生〟には劣るね。〝再生〟は治癒だ治癒だとは言っているが、起こっている現象としては〝時間の逆行〟だ。だから、免疫反応とか、そういう物理的な速度を無視した回復が出来る。一方で〝不死〟はそういう物理的な治癒力を化学反応を促進するという形で高めているだけ。だから、『傷を癒す』ための能力としての差は歴然なんだ。けど、まあ治癒スキルなんていうのはあくまで〝不死〟の【異能】の付加価値に過ぎないんだが」
「付加価値? じゃあ、〝不死〟の本分っていうか、そういうのは何なんだよ」
「各人の【異能】の発現の仕方というのは、その人間の中にある何らかの強烈なイメージに由来する、というのは聞いたことはあるかい? あの【死神】だってそうだった。彼は相貌失認症という障害を持っていたが、その所為で彼には生の実感というものがなかった。そして、それが彼の〝自殺ができない〟という【異能】の由来になっている。生きていないのならば、死ぬこともできない。だから、彼はその【異能】に目覚めたんだ」
「相貌失認症?」
「人の顔が認識出来ないっていう病気のことさ」
「そんな障害を持ってたのか、あいつは」
「可哀想と思うかい?」
「……分からない」
「そうかい。君らしい答えだ」
「……馬鹿にしてるのか」
「そんなことはないさ。分からないものを分からないものとして割り切ることは、結構難しい」
「――で、イメージが【異能】に関わるとして、それがお前の〝不死〟とどう関係があるんだ」
「僕は昔、実の妹を食べたんだ」
「な――」
秋島純はどこか憂いを帯びた目をしていた。
「〝不死〟の【異能】の本分は言った通り『死なない』ことさ。しかし、もし肉体を失うようなレベルの負傷を――治癒力を高めたところで何の意味もないような負傷をした場合、どうなるか」
「魂だけが彷徨う、みたいな話か?」
「君は人の命と魂ってものを同一視するタイプの人間なのだね。まあ、それについて議論を始めてはキリがないから止めておこう。君のその質問に答えると、半分正解で半分ハズレといったところだ。君の言葉に則っていうなら――魂だけになっても、彷徨うことはない。自分の身体の代わりになるものを探し、それに乗り換えを行う」
「つまり?」
「僕は他人を食ってその身体を自分のものとして生き返ることができる」
桂が息を飲むのが分かった。
「治癒力とは違うが、これもまた物理的な反応さ。他人に乗り移って、その存在の身体構成を自分用に書き換える。これが僕の〝不死〟の【異能】の本懐だ」
「少し――いや、かなり出鱈目な【異能】だな」
「そうだね。ただ、出鱈目だからといって都合のいい能力というわけではない。例えば、先日、君を置いて僕が一人で【篝火】との戦いに挑んだ理由がまさにそうだ。あの日、あの男の【異能】を受けて僕は身体を失ったが、もしあの場に間違っても君が駆けつけてしまっていたら、僕は君の方を食っていたかもしれない」
「……ぞっとしない話だな。――ともかく【異能】は自分の心を反映するってことなんだな。だとしたら……」
「何か思ったことがあるのかい?」
「五年前、俺がこの【異能】に目覚めたのは、『他人に見られたくなかったから』なんだろうな」
「〝鬼〟としての自分をか」
「……そうだな」
桂は遠い目をしていた。
「桂くん、君は優しすぎるよね」
「……茶化してんのか」
「まあ、半分ね」
純は即答した。
「…………」
桂は純を責めるように睨め付ける。いわゆるジト目というやつだった。
「ちなみに、残りの半分は」
「嘆きだ」
「……余計なお世話だ」
純はやれやれといったふうに肩を竦めた。
「君はあれかい。人間に媚びでも売っていやがるのかい? 謙遜って奴なのかい?」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味さ。君は自分が人間ってものに存在として劣っていると思い込みたいだけなんだ」
「…………」
「僕は前にも言っただろう――君は人を殺してもいい人間だって。あれはね、君が人間と対等な存在としてあるという意味さ。ただ『蹂躙』するのではない、君はちゃんと人を人として尊重し『殺す』という行為認識で殺すことが出来る。〝鬼〟が人間の上位にある存在なのか下位にある存在なのかなんて興味はないし、君が〝鬼〟なのか人間なのかなんてことも僕は知ったこっちゃないけどね――君は少なくとも、ただの俗物だよ。『私は火とならざる存在として人を裁いているのだ』とか世迷言を言い出したら、僕が君をぶん殴ってやる」
「……かもしれないけど、だからって、考え方ですぐに生き方までは変えられないさ」
「かもしれないのは、かもしれないんだね」
「お前と過ごしてて、何となくだけど、そういうのが分かるようになってきたよ」
「ふうん」
純はコーヒーを一口飲むと、首を少し傾けて桂に訊いた。
「桂くん、以前、君が僕を風呂場で抱きしめてくれたのは、君が優しい人だからかい?」
「……いや」
桂は否定する。
「もし、俺がお前に向けているものがただの思いやりって奴だったなら、お前から【篝火】のアジトの場所を聞き出した時点で、最初の計画通りそれを城咲に伝えてたさ。その方がきっとお前も傷付かないで済んだはずだ」
「じゃあ、君はどうしてわざわざ僕を傷付けるような選択をしたんだい」
「何でって言われると俺にもよく分からないんだけどな。でも、何て言うか、一緒に過ごす内にお前に目的を果たさせてやりたくなったんだよ。風呂場の件では、案外お前がただの女の子なんだなってことにも気付いたけど、それで守ってあげたいなんて思わなくて、むしろ、その健気さみたいなものをもっと見ていたいと思ったんだ。だから、これはただのわがままなのかもしれない」
「他人にわがままを言ってもらうってのはそう悪くない気分だし、それに君は確かに僕を守ってくれたよ」
純は言う。
「その話を聞いて、ようやく、ユウの言ってたことが心から理解できたような気がする」
「日野が何か言ってたのか?」
「――君は優しいと言うより、ただの『阿呆』だな」
「……まあ否定は出来ないけど、何の謂れがあってこんな憂き目に遭ってるんだろうな俺は」
「『何の謂れがあって』だって? はは、分かってないな。君はまだ、先日自分がやってしまったことの重大さにも気付いていないようだ」
純は鼻を鳴らす。
「確かに、あれは冴えない結末ではあっただろう。最善ではないむしろ劣悪だといっていいような結果だった――しかし、これはこれ以上ないハッピーエンドだ。並大抵の人間には残念ながら、そして殊更に完璧な人間には到底実現せなかったであろう――収束だ」
「いや、でも、秋島……俺は実際そこまで大したことは――」
「そう、君のやったことは大したことのないこと」
純は桂を遮るように言う。
「大したことのない――誰にも出来なかっただろうことだ」
「…………」
「やっとだよ。君のおかげで、やっと終わった」
純は肩の荷が下りたかのように、そう言った。
「僕は、やっとあの男を倒すことが出来た」
「……何か思うところはないのかよ」
「ははっ。君、おかしなことを言うねえ。僕は秋島純だぜ? 変わり者集団【悪の此岸】を束ねる総長であり、【道化】という名前を世間から与えられるような伊達でかつ酔狂な人間だぜ? そんな僕がたかだか父親を一人失った程度のことで感傷に浸るなんてことがあると思うのかい」
「――思うぞ。悪いか」
桂はきっぱりとそう言った。
「…………」
純はやれやれ、と嘆息した。
「なあ、桂くん」
「何だよ」
そして、彼女は言った。
「――泣いても、いいか」
「うん」
桂は静かに答えた。
それと同時に、純は肩を震わせて、近くに立つ桂の胸元へ飛び込んだ。やがて、ぽたり、ぽたりと床に散らばった書類の上に水滴が落ちる。桂は彼女にそっと手を回して、彼の妹にそうするようにその頭を撫でた。
「……勘違いするなよ」
純は下を向いたまま言った。
「……これは……あの男を失った悲しみなんかじゃ決してない――たった一人の父親を失ったから、僕は泣くんだ」
「うん」
嗚咽混じりに言う純に、桂はただ穏やかな顔で頷く。
「――なあ秋島」
「何だよ」
「俺まだ【悪の此岸】にいていいかな」
「いいに決まってんだろ馬鹿っ」
純は怒ったように、そう言ったのだった。
レーゲンデトル~なりそこないの鬼と笑う道化~ 山田奇え(やまだ きえ) @kie_yamada
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