第2話
「厳かって漢字あるじゃん」
「おごそ……厳しいって漢字の?」
「それ。厳かって漢字、厳かに見えるじゃん」
「は? ……まぁ? そうかも?」
サチは眉だけ動かしスマホから顔を上げさえもしない。
まじで友情に対する厳かさってヤツがかけらもねーなコイツ。つーか幼馴染との会話ほっぽりだして何してやがんだよテメー。いつでも出来るもちもち系のパズルゲームだったりしたら許さねーぞ。オメーの人生を詰む詰むしてやろうか。
「私はちょっとわかるかも……。ちょっとかしこまってる感じ、あります」
犬吠ちゃんは少し悩みながらも肯定して、
「ん〜? よくわかんないなぁ〜」
カナデはゆるーく笑いながら否定した。
全員から同意は得られなかったが、これは予想の範囲内。各人が反応してくれたことに満足した私は、腕を組み、顎を引いて、極めて厳かにうなずいた。
「それで、私の記憶って他の人から厳かに見えると思う?」
「「「……」」」
おや? 三者三様のリアクションを見せてくれていた皆さんでしたが、そろって何の話? って顔してますね。教室の皆さんもなんか少し静かじゃないです? あれれ? どうしちゃったのかな?
ちょっとさっきの言葉を脳内再生してみるね? あっ、ヤダ! 私ったら全然言葉が足りてないじゃない!
も〜。バカバカ、あんなに喋る手順を脳内シミュレーションしたのに、これじゃあ台無しだよぉ〜。
でも、みんなの心を一つにするなんて、コトバの力ってすごいね!
言ってる場合じゃねぇんですわ。
サチがようやく顔を上げたかと思ったら、またやったよコイツと言わんばかりに目を細めた。やめろよ、悲しくなるだろ。
私もこの感じはあかんわって直感があったよ。思ったより皆がこっち見てたからな。緊張して、必要以上に短くしなきゃって焦っちゃった。
三人以上に注目されると、自動でビブラートがかかる機能が実装済みだから、声も震えてたし。
しかし、私は表情筋と声帯が比較的死んでるらしいので、音の揺れは付き合いの長いサチくらいにしかわからないらしい。
友情確認モスキート音。ひみつ道具感があるね、映画ドラとかのひみつ道具応募してみようかな。のび太も友情がなにか形として見えないと不安なんだよぉ、って泣きつくかもしれないし。
「……私としてはぁ、やっぱぁ、ジャーマンシェパードかなぁ」
「それってさぁ。実用性ってか、役に立つかみたいな観点も兼ねてるだろ? パートナーってぇのはそういうのじゃねーとおもうんだよ」
結局、サチとカナデはさっさと元の終末パートナードック問題の議論に戻ってしまった。
ちょっと損切り早くない? 友達のトークスキルに投資していこうって熱い思いはないわけ? 将来的にドッカンドッカン周りを笑わせるようになった私を、後方師匠顔でウンウンってするようなWin-Winの関係を目指さないの? 付き合いの長いサチはともかく、カナデも私の奇行はスルー安定って思ってない? 危機感がすごいんだけど。
「はぁ……?」
そんななか、犬吠ちゃんだけ私の話に怪訝そうながらも相槌を打ってくれた。人間が出来過ぎててすごい。私が犬吠ちゃんの立場なら、気まずくてわざと見逃しちゃうね。共感性羞恥ってやつ?
犬吠ちゃんは聞く姿勢っていう、コミュニケーションで最大の礼儀を尽くしてくれた。
私もそれに答えるべく、ポケットからスマホを取りだして、お気に入りに残してあったおじさんの顔を動画をタップする。
「記憶がデータ化できるって。昨日これで見て」
シュッとした感じで、清潔感があるけどちょっと胡散臭いというか、結構ハデ目ですけど何でお金稼いでるんです? って人が恐ろしげな表情をしていて、その上に字幕が書かれたサムネイル。
【人の脳がデータ化!? 恐怖の影響5選】。
「あぁー。私も見ましたよこれ」
こういう動画じゃないですけどと言いつつも犬吠ちゃんは頷いた。海外のニュースを自動で翻訳して要約するアプリを使っていてそれで読んだらしい。カッケェもの使ってやがるな。
もともとこういう話、興味があんまり無いところから下心で調べたから、いろいろ付け焼き刃もいいトコなんだよね。調べ方とかさ。
下心っていうのは、マニアな趣味を持つ相手から話題を引き出すためには、興味を見せつつ相手より知識のないところを見せるといいらしいってなんかで見たから。私は詳しいんだから。……上司とかオジサン向けって書いてあった気がするけど。
「それで、このニュースが一体」
「厳かという漢字は厳かに見える。ということは、厳かなデータは厳かに見えるはず」
「厳かなデータ……?」
「私の記憶がデータ化されたとき、厳かに見えてほしい……リスペクトされたい……」
「こわい。波瑠。ホントに何の話してるんですか?」
あっ、犬吠ちゃんガチ目で引いてるなこれ。ちょっと見切り発車過ぎたか? 犬吠ちゃんがそっと距離取り始めたらどうしよう。友達少ない上に、サチが学校来ないから二人組作る機会とかでは犬吠ちゃんが組んでくれるときが多いのに。体育とかでおもむろに二の腕掴んで楽しんだりできないじゃん。あっ、ダメ、泣きそうになってきた。
それに、本当の意図が見抜かれないかと、さっきからずっと恐怖と緊張で手が刺さるように痛い。
「なんか私の好きそーな話してる?」
不意にカナデがするするっと入り込んできた。どうやらサチに通話の呼び出しがかかったらしい。
思わず歓喜のあまり、飛び上がりそうになったのをこらえた。そう! あなたが食いつくのを待ってたんですよ!
なんかサチが通話先と揉めてるし長くなりそう! えぇ? 明日東京っすか? とか揉めながら教室の外へと出ていった。最高! 通話の向こうの人への感謝の気持が止まらない。
「ずるいですよ。絶対
犬吠ちゃんが小さい声で恨みがましくつぶやいた。おいそこ、聞こえてるんですよ! 陰口は影でやってください! 隠す気が無いのは伝わるので許しますけど! 逆にちょっと親しみ感じちゃうので不思議!
「ハルの謎トーク始まったなぁ〜。って思って様子見てたらぁ、なんかあちゃー、って動画出してきたからどうしようかなぁ。メンドーだなぁ〜。って犬ちゃんに任せちゃった。ごめんね?」
カナデはカーディガンの袖で口元を隠して、楽しそうにふにゃふにゃと笑った。好きな話題なのに食いついてこねーなと思ったら、泳がされてたのかよ。
「厳かなデータかぁ」カナデは伸ばした人差し指を唇に当てた。「処理するデータにそういう感情を持つプログラムができたら面白いよねぇ……。人間がみても、0と1の並びでしか無いと思うけどぉ」
そこまで喋ったところで、カナデの視線が左上の宙にを見るように動いた。なにか思いついたときや、考え込んだときのクセだ。規則性が〜、プロットして〜などと、かすかなつぶやきだけが聞こえる。
カナデは普段はゆるふわコミュ力ギャルのくせに、ふっと周りのすべてをシャットダウンするスイッチが入る瞬間があって、わたしはそれがたまらない。
「……ま、なんにしろハルが心配する必要ないよぉ」
いたずらっぽく、カナデはニヤニヤとしながらそれにと続けた。
「ハルの記憶がまっしろでやわやわでツルンってしててもずっと友達でいてあげるよ?」
「人の頭を杏仁豆腐みたいに言うな」
「あはぁ〜。いいねぇ杏仁豆腐〜。こないだ遊びに行ったときに食べたヤツ、マジで美味しかったよねぇ〜」
犬吠ちゃんがウンウンとうなずいている。えっ、一応文脈としては人の脳みその話なんですけど?
そういえば犬吠ちゃん、杏仁豆腐食べるの初めてとか言ってたな。最近は杏仁豆腐を食べざるものは人にあらずくらいの勢いだけど、ちょっと前までだいぶマイナーだったらしいからしょうがないのかも。お母さんもまさか杏仁豆腐がこんなに流行るとはねって、永遠に言ってるし。
「でもどうしたのハルぅ。……なんというか、らしくないよねぇ」
「情報の勉強用に動画漁ってたら、流れてきて」
「……あぁ〜。そっかぁ。データの保存形式とか冗長性の確保手段とか試験範囲だもんねぇ」
ちょっとまっててと言いながら、カナデがスマホを素早く操作する。私のスマホから連続で通知音がして、メッセージアプリのグループへの通知が表示された。
「今回のテストに丁度いい動画とかを送ったよ。……さっきのハルが見てた動画をアップしてる人ねぇ、ぜんっぜん根拠のない事も言う人だから参考にしないでねぇ」
「……わかった。ありがと」
「わぁ。助かります。私もおさらいをしたくて、
いえいえー。と軽い調子で手をヒラヒラとさせたカナデだったが、口調は割と強めだったので、少しひやりとした。
っぶねー。なんかギリギリ地雷かわしたっぽくない? これで、もう少し興味を引きたいからって強めに出てたら死んでたなこれ。あのチャンネルブロックしとこ。
「でもね? あの動画はともかく、話題の元になった技術はしっかり検証されてるし、すっごく夢があるからぁ、興味持ってくれるのは嬉しいなぁ。それに……」
カナデはそこまで喋って少し言いよどんだ。わずかに泳ぐ目線。言葉が続かないままで数瞬。犬吠ちゃんが不思議そうに口を開いた。
「それに……。どうしたんです?」
「……いや〜。ちょっと私早口だなぁ〜って」
うわー、そうなるのめっちゃわかる〜!! 私もさっき自分の発言に後悔したばかり〜。っていうかカナデもそういうの気にするんだね?
「変なこと言うね。カナデ」私はシンパシーのあまり、口元がにやけてしまった。必死にこらえようとするが収まらず、思わず笑いが出てしまう。「脳みそが杏仁豆腐のやつが友達でもいいって言ってたのに。そんな事気にしてんの」
「そうですよ。私も、あなたがこういう時に話を切り上げちゃうの、気になっていました。」
犬吠ちゃんがカナデに癒やしスマイルを向けた後、私にもほほえみを向けてきた。
「それに奏楓の好きなもの、私達も詳しくなりたいですね?」
どことなく、犬吠ちゃんの正統派清楚スマイルからグッジョブ的な意図を感じる。
なんか展開だけ見ると、私が余裕見せて促したみたいになっとるねこれ。実際はわかる〜ってニヤニヤしてただけなんだけど。実際はただきしょいやつだとバレたくないので私は厳かにうなずいた。厳かなうなずきはすべてを解決する。
「……そぉ?」
カナデは照れたようにうつむきながら少し口元を緩ませ、じゃあ喋っちゃおうかなぁと前置きした後、楽しそうに口を開いた。
「とにかくね! この技術はすごいの。人の記憶がデジタルデータとして保持できるってことはぁ、記憶を1と0だけで再現できるってことだからぁ」
カナデが流れるような動作で、スマホのインカメラをこちらに向ける。
「記憶をデジタルとして書き込めるってことは読み出せる技術もセットになるってことだし。例えばハルの必殺技だって」
おもむろに流れ始める親の説教より聞いた軽快な音楽。
いや、嘘です。ピアス開けたときとかめっちゃ揉めたし、昨日も親父の高いコーヒーゼリーを私が食ったとかでモメたんだったわ。すまねぇ親父。口では言えねぇけど悪いとは思ってるんだ。そういうの、口に出すもんじゃねぇだろ……?
とかなんとか、頭では親父に謝罪していた私だったが、体はすでに動いていた。というかもう条件反射に近い。パブロフドッグってやつだ。
音に合わせて上半身だけの振り付けをした後、立ち上がり、音に合わせて振り付けをいくつか組み合わせる。カナデと犬吠ちゃんからウェ〜イみたいな煽りが入ったので、合わせて振りのリズムを少し早める。サビにかかるところで大きな動きを入れて、動画撮影終了の音に合わせてダンスを締めた。
もぉ〜。ちょっとやめてよねぇ〜。私って音を浴びるとさぁ〜体が勝手に踊りだすんだからぁ〜。
「踊ってるときはかっこいいんですけどねぇ」
「ねぇ〜。口を開けばわけわからんことしかいわないからさぁ〜」
「それ突然のフリで踊りきった友達にかけるべき言葉?」
カナデは後でアルバムアプリに動画あげとくねぇと言ってスマホをしまった。
「こういうのだって動画として見るだけじゃなくて、記録者の感情を追体験できるって言われてるんだよ。この間、ハルに教えてもらってみんなでダンスの動画用に練習したじゃん?」
あれおもしろかったねぇ。教えたのは簡単なステップとゆる目のアイドルっぽい振り付けだけだけど。カナデはふつーに踊れたし、サチが想像よりリズム感なかったし、犬吠ちゃんは運動神経めっちゃ良くてキレキレなんだけど、顔が真顔だったのが最高だった。
「みんなで年取っておばあちゃんになってから集まって、若いときのダンスの追体験とか出来たら面白いよねぇ。タイムカプセルにデータ入れたりしてさぁ」
「はぁ〜。未来って感じですねぇ」
「そぉー。ほんとに未来なの。……はぁー。語ったら喉かわいちゃった」
私を見ながら、カナデは机の上に置かれたカフェオレを手に取った。中の液体がちゃぷりと音を立てる。
そのままカナデは首を傾げて甘えたような声を出した。
「私もこれ好き。ちょっと飲んでい?」
死にました。普段間延びした口調なのに「良い?」って言わないのがぶっ刺さった。可愛さは省略に宿る。
っていうかこのクオリティ、やってんな? 鏡の前で録音しつつおねだりの練習してるでしょ? そうじゃないと説明つかないよ? 頭脳を活かしてロジックで可愛さ積み立てやがって。はー、私はカナデにおねだり吹き込まれるスマホになりたい。
「いいよ」
「やった」
カナデは可愛らしく喜ぶと、そのままストローを咥えた。薄茶色が勢い良く登ってストローを染め、口に届く。
こくり、こくりと喉がゆれて、カフェオレに混じってカナデの中にわたしだったものが入っていく。
口からストローを離した瞬間にストローとカナデの口が少し糸を引く。白く透り少し粘るそれは、天から垂らされる蜘蛛の糸のようにみえた。
糸が切れる。カナデによって切り離された糸。たどり着けなかったわたしは、あいまいなカフェオレの中に堕ちていく。
自分の妄想にゾワゾワとした嫌悪感を覚えた。こんなわたしの妄想を、デジタルで表現しようと思ったらどういう並びになるのだろう。
わたしの中で時折あふれ出る気持ちの悪い澱みたいなものを、0と1で表現してそれを読み取られたとして、たぶんカナデも皆も何も思わない。
彼女自身がそう言っていた。デジタル化されたそれは、ただの無機質な数字の羅列だ。そうなってほしい、と思った。心で収めておくのが辛いから、たまらなく知ってほしいのだけれど、感じられるのは背筋が震えるほど怖い。
「ふぅ」ストローから口を話したカナデは、呑み口を眺めたままつぶやいた。
「でもね。このまま技術が進んで、私達の世界もデジタル化で表現されたらって考えると、ちょっと怖いなって思うときもあるんだぁ」
不安げに語るカナデは、顔を伏せ気味にして目をカフェオレから話さない。真剣な口調に私は少し驚いた。私は与太話としてネタにしていたが、彼女は恐れを感じるほどに、現実として捉えている。
「たとえば、このカフェオレがまだある世界を1000で表現できるとして……ぱくり」
「いや、もう一口飲むんかい」
返されると思ったカフェオレを、自然にもう一度咥えるものだから、思わずツッコミが出てしまった。えっ、あっ、そういうこと? もしかして、世界への不安とかじゃなくて、友達のカフェオレもう一口行くか迷ってた?
こくり、こくりと喉が揺れて、カナデの中に……このくだり、さっきもやったからもう良いよね。あっ、でも、切なげな文章のアレだけやらせて。背筋が震えるほど……っていうやつ。あれ、わりと私の生成した文章の中でもお気に入り。
寒いなら上着着たほうが良いよとか思ったやつ、ヒンズースクワット50回な。今すぐやれ。
皆さんは、流石に二回めはビジュアルも欲しいと思うので、ショートカットでメンズピアスを左耳に3つほどつけた、アイシャドウ濃いめのダウナー高校生がポツリという感じで想像してくださいね。それが私(の美化された姿)です。いいですか? 行きますよ? っていうかコッチのほうがテキスト長くなってますね? まぁいいです。
感じられるのは、せす――
じゅるるるる。
――ふいに、カナデの持ったカフェオレから、
カナデは満足したように机の上にカフェオレを置いた。私はそれを掴んで軽くふる。
「それでぇ、ハルがカフェオレを飲みきった世界を1001としまぁす」
「飲みきったんかい」
躊躇はねぇんか⁉しまぁす! じゃねぇんだわ。あと飲みきったのは私じゃないし、さらりと犯罪の隠蔽が行われている! お近くに高校生名探偵はいらっしゃいませんか⁉居ませんね⁉私が前話の67行目で出禁にしたんでした! 私が自分で名探偵やります! 飲みきった犯人はこの中にいますしカナデさんあなたです! 。
「ごめんね?」
「……いいけど」
良いわけねぇだろ。コッチは喉乾いてんだよ。共通の話題持ちたくて特攻したのに、お前が私を泳がすから、地雷踏んだかなって緊張しまくって口の中カッサカサだよ。
「でもこの変化と記憶はデジタルになると数値が変わるだけ。過去も未来もすべて数値の変化で表現されるの。でも、それって、
「……さぁ?」
「えぇ? なんでぇ? 突然塩〜!」
「カフェオレ飲みきったのはカナデ。改ざんしてくるから、絶対許さねぇって気持ちになった」
カナデは口を開き唖然としたような表情に変わり、助けを求めるように犬吠ちゃんに目線だけ向けた。
「……」犬吠ちゃんは笑みをたたえたまま、口を開かない。
「……ご〜め〜ん〜!! ちょっと調子乗っちゃってさぁ〜!」
カナデは援軍がないと判断したのか、すぐさまとばかりに立ち上がり、私の横にしゃがみ込んだ。上目遣いで乞うように私の二の腕を掴む。
「べんしょーするからぁ! ね? ね? 許して? あっ、一緒にカフェオレ買いに行こ?」
「あぁ? ひとりでいってこいや。1分な」私は目線を向けず、電子マネーのアプリを立ち上げて、カナデのアカウントに150円ほど振り込む。振り込みが完了したところで、教室の出口を顎でさした。「あとカフェオレじゃなくて、お茶にして」
カナデはひーん。と泣き真似をしながら立ち上がった。
「奏楓」
そこに犬吠ちゃんがあなたは一人ではありませんよ? とでもいいそうな慈愛に満ち声をかけた。
「犬吠ちゃんも一緒に行ってくれるの……?」
「私も紅茶お願いします。無糖の、午後のじゃない方」
「あっ、搾取されただけだった……」
容赦のない追加オーダーに肩を落としつつ、制限時間に間に合わすべく教室を走り去っていくカナデを見送りながら、私は例えにでてきたキーボードを叩いて世界を生成し続けるおさるさんのことを考えた。
世の中のすべてが数値になると言うなら、わたしのおもいを、迷いもなく、余計な言葉で埋める必要もなく、たださらけだせる世界が作られることもあるのかもしれない。その考えはわずかの間、ちょっとした救いに感じられたが、わたしはすぐにこんな事を考えても意味がないなと、諦観で包んで捨ててしまうことにする。
「なんかカナデが泣き真似しながら出てったけど」
カナデと入れ替わりでサチが帰ってきて、何だあれと振り返る。私はグループチャットを開きながら答えた。
「サチ、なんか飲みたいものある?」
「ん? ココア。なに、おごってくれんの?」
「まぁ。この間、貸してもらった分。『ココアも買ってきて』と……」
なんでカナデパシられてんの? と不思議そうにしつつ、サチは定位置と言わんばかりに腰掛けようとして、机上に残されたサラダと教室の時計を見比べた。
「昼、半分過ぎたぞ? お前さっさと飯食ってノートでも見返したほうがいいんじゃねぇの?」
「……いいこと言うじゃん」
確かに次は英語のテストだし、英単語の見直しくらいざっとしておくべきかもしれない。急いでサラダを食べてしまうべく、ビニールを漁る。そして必要なものがないことに気づく。
「あっ、フォーク……」
レジのお姉さんの入れ忘れだ。たりぃー。たまにサラダなんぞ食べようとするとこれだよ。 どうしようかなと考え始めたところで、犬吠ちゃんが左目をパチリとウインクをした。
「フォーク、ありますよ? たまたま多くもらっちゃって」
「すげぇ、犬吠ちゃん」
そんなに長い関係じゃないけれど、これはたまたまではないというのはわかる。犬吠ちゃんはまるで未来予知してきたみたいに助けてくれるときがある。私はそういう状態の彼女を脳内で神吠ちゃんとよんでいる。
ウインクするのは神吠ちゃんモードに入るときの所作? シグネチャームーブ? だ。ウインクとかカワイイ。ぎゅってしたい。たまにする。たまにね? たまに。2日に一回くらい?
「波瑠。赤点回避してくださいね?」フォークを差し出しながら犬吠ちゃんはわたしに微笑んだ。
「なに?」
「私、テストが終わったらみんなと気兼ねなく美味しいもの食べに行きたいですし」
脳にガツンと効かせたもの、食べさせてくれるんでしょう? と冗談めかす犬吠ちゃん。私は近隣グルメマスターとして極めて厳かにうなずき、フォークを受け取った。……あれ? そのくだり、口に出したんだっけ? まぁいいか。
厳かって漢字を脳内で書きすぎてゲシュタルト崩壊してきた。私はAIもおんなじデータばっかり読まされたら、ゲシュタルト崩壊するのかなと思いながら、少し乾きはじめたサラダにフォークをさした。
キスの法則 @high_ladder
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