神眷族の旦那さまはいつも不機嫌

ことは りこ

神託




 それはあとひと月と少しほどで一年も終わろうとしている晩秋の頃のことだった。



「おお、ちょうどよかった!ここに居たのか、瑚春こはる



 瑚春の父であり『瓊岐にぎクニ』の長でもある弥彦が母屋に入り、母親に裁縫を教わっている娘を見て嬉しそうに言った。



「聞け、瑚春。 吉兆だ。めでたい神託だぞ!」



「神託? おばば様が龍神さまの声でも聞いたのですか?」



 瑚春の母、透子が弥彦に訊いた。



「ああ、そうじゃ。実に三年ぶりにな」



「あのときは地方で戦が起こったり、病が流行ったり、良い年ではなかったですよね。幸い、おばば様と父神様に護られて、厄災がこの地までは及びませんでしたが」



「何を聞いておるのだ透子。吉兆と言ったではないか! 瑚春の嫁入りが決まったのじゃ」



「まあ! 本当ですか、あなた。いつですの? お相手はどこのどなた? ああ、なんて喜ばしい報せでしょう!よかったわねぇ、瑚春」



 透子は感極まったように涙ぐむ。



「……よ、嫁入り……。そんな………あまりにも突然ではありませんか父様……」



 縫取りの手を休め、茫然とする娘に弥彦は言った。



「何が突然なものか。おばば様の話では出雲で縁結びが取り決められていたそうだ。暮れに近づき、おまえの縁も今年は無しかと思っていたが、神議を得て父神様のお許しが伝えられたそうじゃ。とにかく良かったではないか。めでたいことじゃ! こういう事は早いに越したことはないからな」



 だからって!


 だって私、まだ十七才になったばかりだよ!


 恋もしたことないのに、嫁ぐなんて!



「ねえ、あなた。早く嫁ぎ先を教えてくださいませ」



 母親が目を輝かせて父に訊く様子に、瑚春の顔は益々仏頂面になった。



「瑚春の縁談相手はな、東の地『真陽代まひしろの郷』に連なる『八千穂大山』の大山主であられる珂月かげつ様だ」



〈大山主〉とは郷の大山の清浄を保つため邪気の淀みを祓い、山護りを務める者を云う。


 大山には高天原や冥府へ繋がる路が交わるとされる【さかい】と呼ばれる聖域があるのだ。



「御年二十六才。名高く由緒ある『闇御津羽神くらみつはのかみ一族』の血を継ぐお方だ」



「く、闇御津羽ッ………! 大山主とは。それは良いご縁を結んでもらいましたわねぇ。輿入れはいつでしょう、おばば様はなんと?」



「年明け前、年内が良いだろうと言っていた」



「あらまあ!もうふた月もないではありませんか。どうしましょう、急がないと」



 そわそわし出す妻を見て、弥彦は声をあげて笑った。




「何を急ぐのだ、支度など後からいくらでも届けられるだろ、それよりも祝祭の準備などが先じゃ」



 ───ダンっ!



 浮かれる両親を前に、瑚春は強く卓を叩いて立ち上がった。



「どうしたの、瑚春?」



 母ののんびりとした声に、瑚春の苛立ちは更に高まる。



「私は嫁になど行きたくありません!」



 父様も母様もひどい!



 神託を受けたおばば様も!



 そしてその神託を授けた父神さまも!



「みんな勝手よ!」



「おい、こら!瑚春、待ちなさい!」



 父の声を背中に受けながら、瑚春は振り向くこともせず、自室へ走った。



 ♢♢♢



 部屋に戻った瑚春は急に走り出してしまった苦しさから寝台へ倒れるように横になった。



 産まれつき病弱な瑚春は走ることなどは制限されている。



 なのについ、走ってしまった。



 あの場に居続けることに我慢できなかった。



 しかし突然のことに心臓はひどく驚き、苦しい発作を起こしそうだった。



 なんとか落ち着かせようと、瑚春は目を閉じ、鼓動がゆっくりになるのをじっと待った。



 肩の力を抜きながら、胸の痛みが起こらなかったことにホッとする。



 息苦しさはまだ多少あるが。



 涙は出てこなかった。



 いつかは。



 こんな日がくるとは思っていた。



 いずれは、誰かの元へ嫁がなくてはならないのだと。



 それが自分の想う相手でなくても。



 幼い頃から、それを覚悟するようにと言われ、常にそれを意識して生活をしてきた。



 里の子たちと遊んでも、特別に想う男子おのこがいてはいけないのだと。


 そう言われ続けたおかげで、恋もしたことがない。



 たとえ好きな人ができても、水杜みずもり一族の血を引く娘は、自分が望む男の元へ嫁ぐことはできないのだ。



 一族に産まれた娘の縁談は、全て父神さまと呼ばれ、高天原に住む龍神が決めていた。


 なぜなら一族は特殊な血筋を引いていて、祖先は高天原から地上に降りた水の女神といわれ、母神様とも呼ばれていた。


 そのせいか一族の者は皆、水を操る力があった。


 特に女性はその異能が強く、龍まで喚ぶことができるという言い伝えまである。


 一族が父神と呼んで敬う龍神のことだ。


 けれどそれは大昔、水杜の血筋が今よりもまだ薄れていなかった頃の話だ。


 高天原の神々がもっと身近に存在していた時代にまで遡らなければならない。


 その頃に比べたら、山間の小さな郷、瓊岐の地を治めているとはいえ今はもう一族の女性の力を以ってしても、水の気配を探り雨を降らせることくらいしか出来なくなった。


 けれどたとえそれだけでも穀物が豊かに実るので、瓊岐の民にはとても感謝されていた。



 ただ一人『おばば様』と呼ばれ親しまれている瑚春の祖母、カナデだけは誰よりも強い神技を使う異能を持ち、郷を囲う山脈の大山主山護りでもあり、龍神の声を聞く力があった。



(───でもなぜ私が選ばれたのだろう)



 嫁入り前の娘なら一族にはまだ従姉妹たちもいるのだ。



 私の異能力は低くて雨さえ上手く降らせないのに。


 しかも相手は闇御津羽くらみつはの一族。



 遥か昔、火の神の血から産まれたと伝えのある神の末裔。



 由緒正しい直系だ。



 噂ではとても荒々しい性格で、戦を好む眷族だと聞いている。



 一族は数年前から東方の地一帯を統治しつつあるのだということ、そして火を自在に操ることで戦に勝利してきたのだとも囁かれていた。



 火技を使うなんて。



 とても恐ろしいと瑚春は思った。


 自分が水の性質だからだろうか。


 すでに他郷へ嫁いでいる四人の姉たちは皆、縁談が神託であっても幸せに暮らしているし、水技を使える水杜一族との縁談は他郷にとっても価値があり、花嫁は大切にされると聞くけれど。


 末娘の瑚春は気持ちが塞ぐばかりだった。




 そして三日後。



 闇御津羽の使者から年の瀬の大晦日までに、真陽代の大山、八千穂山へ輿入れするようにとの報せがきた。



 元旦に行う『若水迎えの儀』に間に合わせるためらしい。



『若水』とは、元旦に初めて汲む水のことをいう。



 若水は一年の邪気を払い、厄除けになるといわれているとても縁起の良い水のことだ。



 この若水を湧泉などへ汲みに行くことを『若水迎え』といい、若水迎えに行くときは、水神のためにお米や餅を用意し、湧き水の場所にお供えする。


 大山主でもある山護りにとってはとても大切な仕事でもあり、水杜の一族には昔から馴染みのある行事だった。


 弥彦はすぐに承諾の返事を送った。


 そして瑚春の輿入れは一年最後の月に入ってからの七日目と決まり、瑚春が実家で過ごせる日数は十日余りとなった。



 嫁入りが決まってから屋敷の中はもちろん、瑚春の心も落ち着かない日々となった。



 あれから、神託の件で文句の一つも言ってやろうと、カナデの屋敷を訪ねたのだが、近くの里で産気づいた妊婦が大変な難産らしいということで、カナデは呼ばれて行ったきり。


 ようやく会えたのは輿入れの三日前だった。



 嫁には行きたくないと言う瑚春に、大山主のカナデは呆れたような顔で言った。



「何を言うかと思えば。おまえはまだそんなふくれっ面でいたのか」



「だっておばば様、私はまだ十七になったばかりで」



「歳など関係ない」



「でも私、水を上手く扱えません。それに………」



 輿入れ当日まで珂月本人と会うことはできないと報せがきた。



 忙しいから、が理由だ。



 一度も顔を見せない者のところへ嫁ぐことが瑚春はとても嫌だった。



(行きたくない………)



「瑚春」


 じっとうつむいたままの孫娘にカナデは優しい声で語った。


「水の技はそんなに心配することでもない。珂月様はわしと同じ山護りじゃ。大山の主たる者は水にも通じていないと務まらぬが、どうやら珂月様は火の技以外にも水の力も得ているらしい。嫁いでからゆっくり夫に教えてもらえばよい。それに女子おなごは技より子を産むことのが大事じゃ」



「そ、それだって………。走れないような弱い身体では自信がありません」



「体調のことは無理をせずに気をつけて過ごしていれば大丈夫じゃ。幼い頃に比べたら随分丈夫になったものだぞ。それに、わしも幼い頃はおまえのように身体が弱かったのじゃ」



「えッ。おばば様が?」



 齢、七十を過ぎてはいるが、カナデの外見はかなり若く見え、動きも機敏だ。


 いつもはつらつとしている雰囲気からは、とても幼少に病弱だったとは思えない。



「身体がしっかりしないのは異能の力に馴染んでいないせいもある。おまえはわしに似て他の者より時間がかかる体質なのだろう」



「本当に?おばば様と似てるなら、私も今よりもっと水技を上手く使えるようになる?」



 カナデは頷き、そして言った。



「不安になるのは判る。しかしな、こうして一族の父なる龍神さまがおまえを気にかけ選んでくれたことは誇りだ。きっと幸せになれるはずだよ」



 カナデは瑚春の頭を優しく撫でた。



「いいかい、瑚春。水技のことで不安になるよりも、その日そのときに与えられたことを、いつも精一杯行えばいいんだ。焦らずゆっくりとな。そして龍神の娘という誇りを忘れずに、大地を潤す水のように生きろ」



「おばば様………」



 瑚春の目に涙が溢れた。



 自分はか弱く、何もできない者だと思っていた。



 それでも、こんな私でも、与えてもらえる何かがあるのなら。



 頑張ってみようと、瑚春は思った。



 気付けばもう、子供のように駄々をこねることなども、いつからかできなくなっていたのだ。


 この縁談も、嫌だからという理由で逃れられるものではない。



(……私、もう小さな子供じゃないんだ)



 そう思うと少し悲しく、そしてなんだか寂しく感じた。





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