望まれた世界

遠藤世作

望まれた世界

 ここは極楽や天国と呼ばれる、死後の世界。そこで1人の男の魂が、この世界を司る神へと熱心に祈りを捧げていた。しかしその内容は、何と面妖なことか。


 「かしこみかしこみ、神様仏様、もしくは閻魔様でも構いません。あるいはそれ以外のの何とか様。あぁどうかお願いします、私を地獄へ落としてください」

 

 彼の願いは何と、地獄へ行くことだったのだ。これを聞いて面食らったのが、この世界の神その人。何せここは極楽、天の国。人の子のニーズを理解できていないと噂が広まれば、自身の威光に傷がついてしまう。

 これは早急に対処しなければならない問題だと、神は急いで男の前に降り立ち、対して男の方は、願いが通じたと手放しで喜ぶのだった。


 「これ、そこの魂。何故、地獄に落ちたいと思うのか。あそこは罪を為した魂の世界。そこにあるのは苦しみだけぞ。それよりも楽しみや喜びに溢れるこちらの世界の方が断然良いではないか」

 「それが、ならぬのです」

 「それは何故じゃ」

 「実は、我が妻が地獄にいるのです。彼女は最愛の人で、共に天国へ参ろうと誓った仲でして、それなのに私だけこちら側にいるというのは心苦しい。彼女と共にいられないのなら、ここは私にとって地獄も同然なのです」

 「むぅ、わけは分かった。しかしだな、このワシの力を持ってしても、地獄に落ちたものを天国へと引っ張り上げることはできん。かといって、お主を無理やり地獄行きにするというのも出来ぬ。天国と地獄は微妙なバランスで成り立っていて、一つの魂が片方に寄っただけでも、世界が崩壊しかねんのだ」

 「そんな!では私は、二度と妻に会えぬのですか」


 嘆く魂の姿は、神からしても苦悩のもとであった。全ての魂が救われるべきこの世界で、こんなイレギュラーはあってはならない。

 そこで神は思い出したように、懐に手を入れた。

 

 「そうじゃ、お主にこれを授けよう」


 そういって差し出した神の手のひらには小さなカプセルのようなものが乗っていて、男は魂ながらもそこに目を凝らしたあと、ふしぎそうに尋ねた。


 「なんですか、これは?」

 「うむ。これはな、地獄に行ける薬じゃ」

 「なんと!なぜ早く出してくれなかったのですか」

 「それはこの薬が危険を伴っているからじゃ。さっきも言ったように本来は、魂が天国と地獄を行き来してはならぬ。世界が滅ぶからの。この薬は、その世界に影響が出るまでの僅かな猶予を作ってくれる。しかし時間を一秒でも過ぎれば、世界の均衡を保つために薬は作用する。

 つまり時間を過ぎて二つの世界の均衡が保たれてなければ──それを保つために魂の存在そのものを無かったことにしてしまう。お主の魂を現世からも天国からも地獄からも、消し去ってしまうのじゃ」

 「なるほど、よくわかりました。ですがやはり、私は妻に会いたい。この薬は、ありがたく使わせていただきます」

 「あい分かった。ならばワシが地獄の入り口まで送ってやろう。薬の効果が切れるサインは己の色じゃ。赤くなり始めたら、もう長くは無いと思え」

 「わかりました」


 こうして神に連れられて、男の魂は地獄の入り口へと立った。そこは大きな穴が空いていて、そこへ落ちていけば地獄へ辿り着くということだった。


 「では、行ってまいります」

 「うむ、気をつけてな」


 男は薬を飲み込んで、勢いよく穴へと飛び込んだ。深い深い穴のなか、落ちているうちに上も下もわからなくなって、しばらくすると、いつのまにか蒸し暑い釜底に入っていることに気がついた。

 周りでは罪人の魂が蠢いていて、どうやら自分もそれらと一緒に煮込まれているようだ。折り重なった魂の山を抜け出すのは容易なことでは無かったが、それでも妻に会いたい一心で亡者たちをかきわけて、ついに釜から這い出ると、釜をかき混ぜていた鬼へと声をかける。


 「すみません、私は天国から来たのですが」

 「なに、天国から!?確かに、罪人ではないようだ。よし、釜から出ろ。こら、そこのお前は罪人だろう。出るなよ、俺の目はごまかせんぞ。……よし出たな。出たら近場の鬼に話しかけて事情を説明してみろ。すまんが俺は、釜番で手が離せんからな」

 「はあ、ありがとうございます」


 鬼というのはひどく恐ろしいものかと思ったが、それはどうやら地獄の魂にだけであるらしい。釜から出て、言われたとおりに歩いていた別の鬼に話しかけると、この鬼もこれまた至極丁寧な対応をしてくれた。

 

 「なるほど、そういった事情でこちらに。しかし魂は何千万、何億万とございますから、奥方様を見つけるには地獄の神に一度聞いてみるのがよいかと」

 「では、その地獄の神様はどちらにおられますか」

 「ちょうどいま、そちらの方へ向かうところでございましたから、一緒に参りましょう。ここからそう遠くは無いところでございます」


 鬼と一緒に歩く中、男は地獄の光景をしかと見た。針の山に血の池、賽の河原。何とも悍ましい世界だろうか。勇んできたはいいが、こんな所からはさっさとおさらばしたくなってくる。


 「凄い場所ですね、何とも不気味で、グロテスク。針山に血の池、まさしく現世で見た絵と同じ……」


 たまらず、鬼に話しかけてしまう。すると、鬼は笑ってこう返した。


 「ほほう、あなたにはそう見えているのですね」

 「あなたには、ということは本当はそうではないのですか?」

 「ええ、地獄というのは結局ですね、人に苦痛を与える場所でなければなりませんから、その人にとって1番恐ろしい光景が見えるようになっているのですよ。例えばですけれど、もし痛みが快楽につながる異常者がいるとして、そいつが針山に送られたと想像してみなさい。そいつは針に刺されるたびに喜んで、それじゃ全く罰にならないわけですよ。そんなことになってしまっては地獄の威厳に関わるのです。ですから、それぞれに合った地獄が、それぞれに合った形をかたどってここに現れる、ということなのです」

 「となると、ここにあるものは幻想や幻覚の類いなのですか」

 「そうとも言えるかも知れませんが、ここにいるみなさんはすでに身体を持たない魂。まぼろしの痛みも惨たらしさも、ここではイコールとして現実の痛みになるのです。幻想や幻覚という言葉は現世の、身体をもった者達の間でしか使えない言葉なのです」


 鬼の話に、男はこれまでにないほどゾッとした。自分の魂から作られる、逃げようのない最大限の苦痛の世界。それが地獄の本質なのだ。

 男は一刻も早く妻に会いたくなった。彼女の苦しみを肩代わりしてあげたくなった。はたして彼女は、どこにいるのだろう。


 「着きました。ここが地獄の神がいる場所です」

 

 その場所には山かと思えるほどのとても大きな机があり、そこには険しい顔をした、山よりももっと大きな男が座っていた。それはおおよそ、男が思い描く閻魔大王の姿と変わりない姿としてうつった。


 「お仕事中すみません、お尋ねしたいことがあります」

 「うん?おや、あなたは天国から来たという方ですね。向こうの神から話は伺っています」

 「では、私の妻の居場所は……」

 「少々お待ちを」


 閻魔大王は手元の辞書のような紙束をペラペラとめくり、その内のひとページで手を止めて言った。


 「あなたの奥様は……衆合地獄にいるようですな」

 「そ、それはどのような地獄なのです」

 「その、言いづらいのですが……不貞行為を行なった者の地獄ですな」

 「不貞!まさか、妻が!何かの間違いだ!」

 「いえ、間違いはありえません。人の魂は嘘をつけず、我々はそれで判断しておりますから。どうします?会わずに帰りますか?」

 

 悩んだ挙句、男は答えた。


 「いいえ、会わせてください。不貞をしていたとしても、私は彼女を愛しました。だからせめて、彼女がどうして不貞を働いてしまったのか、その理由を聞いておきたい」

 「分かりました。では衆合地獄まで鬼に案内させます。おい!こちらの方をこの場所まで案内してやれ!」

 「はっ、分かりました」


 到着した場所に、男の妻はいた。彼女の魂は度重なる責苦を受けて悲鳴をこだまさせ喉を枯らし、自身の血で喉を潤して、また悲鳴をあげていたのだった。

 目も当てられない光景に、男は叫ぶ。


 「お前!何でこんなことに!」

 「そ、その声は……あなた……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 「いいんだ、もういいんだよ。不貞の理由を聞こうと思ったが、もうお前は充分に罰を受けていた。これ以上、どうしてお前を苦しめられようか」

 「あなた……」


 このやり取りに、鬼は面白くない顔をした。

 

 「困りますね、勝手に罪人を許してもらっては。……それはそうと、あなた何だか、赤くなっていませんか?」

 「おやいけない。そろそろ時間か。そうだ、なあお前、天国へ行かないか?」

 「それは行けたら行きたいけど……」

 「そうですよ!何をおっしゃいますか!そもそも、魂が天国と地獄を行き来することはですね」

 「知っているよ、魂のバランスを崩して世界の崩壊を招くのだろう?だがね、考えても見てくれ。私がここに残り、彼女が天国へと行けば魂が向こうとこっちで入れ替わるだけなのだから数は変わらず、バランスはそのままだ。

 しかし、私がここにいて彼女も地獄にいるとなると、私の魂は消滅し、結果として天国から魂が一個減ることになって、そちらの方が世界が崩壊するのではないかね」

 「……弱りましたね、こんな事例は初めてですよ。ですがいいのですか?地獄の仕打ちはきついですよ?」

 「いいさ、愛する妻のためなら」

 「ダメよあなた、そんなこと!」

 

 鬼は男の心意気を認め、叫ぶ妻の魂を引きずって天国へと送った。

 男は妻のいた地獄へと入り、その無限の責苦を代わりに受け続ける。しかし苦痛に歪む彼の顔には時折、満足気な表情が浮かぶのだった。



 ──天国の神は薬を飲み込んでぐっすりと眠り夢を見る、男の魂を尻目にぼやく。


 「まったく、善人ではあるが困った男だ。居もしない妻を信じ込んで、それを運命的に救い、その身を捧げることを夢見ておるとは。自己犠牲の精神もここまでくると狂人と変わらぬわい。しかしここは天の国、全ての幻想は叶えられなくてはならん。望まれた幻想こそが、この世界の真実なのだから。

 そうなるとワシも天の国も、人の願望から生まれた産物であるかもしれんな。いや、もしかすればそれは現世すらも同じく……ほっほっほ……」

 

 天の神はそう笑って、その場を後にした。

 その場所では誰もが夢を見ている。その場所とは天国、あるいは地獄。そしてあるいは──。

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望まれた世界 遠藤世作 @yuttari-nottari-mattari

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