【第三章 帰郷】 第12話 王座の木
昔の帝国が建てた役所から西に数里のところに、
かつて、玄都のそばには、
王宮を挟んで東側には、何代も玄都に住んできた人々や、旧帝国末期の移住者たちが住んでいた。
王宮の構造は旧帝国の役所と大差ない。つまり、地方長官の建物程度の規模だ。仕事はできても人が住むには十分ではない。
そのため、王となった
「どうも気が進まないな」
馬車の隣の席で、楊淵季が顔をしかめた。玄都が小さな国として独立して以来、楊淵季は王の仕事をしている。これまでの規則で人々の暮らしに合わないものを改めたり、東西の人々の生活習慣に合わせて、公の場での礼儀作法を緩めたりしてきた。
帝国時代は、毛先が見えないように結い上げていた髪も、
私は、というと、相変わらず帝国風に髪を
考えてみると、私たちの姿は、ちょうど
「
突っかかるように淵季が言って、私の
「いや、考え事をしていただけだ。おまえのことじゃないよ。しかし、ここまで来て気が進まないとは、おまえにしては思い切りが悪いな」
「ばかいえ。不敬の
「しかし、おまえ以外の者が王になるわけにもいかないだろう」
「わかっている。わかっているが。……性に合わない」
淵季は腕を大きく動かし、袖をばさりと鳴らした。
同じ衣を、私も着ている。
「確かに、ちょっと慣れないな」
私も袖を鳴らした。着心地はいいのだが、光をまとうというのは帝国では経験のないことだ。この衣を用意したのは
何でも、心に病むところがあれば衣が黒くなるそうだ。
そうなる理屈はわからないが、かつて
「ところで、陸洋は聞いているか。何虎敬が用意してくれるという王座は、木でできているそうだ」
淵季が体を倒すようにして、私に顔を近づけた。
「木製か。石でできているより座り心地はよさそうだな」
「
「そんな木は聞いたことがないが」
私は顔をしかめた。幼い木を縄などで固定して、一定の形に育てる方法は聞いたことがある。椅子の形も、あるいはできるのかもしれない。だが、人が座りやすい形に、勝手に育つ木などあるものだろうか。
「まさか、何虎敬殿は私たちに木の股に座れというのではないだろうな」
「わからん。毎朝、座るために木登りしなければならないのはごめんだ」
淵季は座席の背にもたれ、ゆるく首を振った。心底あきれている風で、何虎敬に任せるんじゃなかった、いや、
私も同じ気持ちだった。なだめる気にならないまま馬車に揺られていると、御者をしている
「王宮が見えてきやした。どこに車を停めたらいいですかね?」
私は馬車の窓を開き、何虎敬に教えられた通りの場所を告げた。
前方には、形だけは旧帝国の役所そっくりの建物があった。ただ、白い壁に白い瓦屋根という見かけは、仙人国じみていた。
「着くぞ、淵季。支度をしろ」
私は窓から頭を引っ込め、座席に置いてあった絹の袋を確かめる。透明な石の塊でできた
同じように袋の中身を確認した淵季が、大きなため息をついた。
「ああ、どうしようもないな。陸洋、何虎敬の用意した玉座の木にでも座ってくるか」
そう言うと、淵季は身を屈め、気乗りしない様子で馬車を降りた。
馬車は王宮の前の車寄せに停められている。私たちはそのまま王宮に入るが、程適は馬車を車庫に動かさなければならない。ちらりと見ると、程適が気づいてにやりと笑った。
「生木の椅子の座り心地、あとで教えてくだせえ」
「もちろん。おまえも王宮の車庫の具合を教えてくれ」
私たちは視線を交わし、程適は馬車を進め、私は淵季のあとを追った。
王宮の間取りは、ほぼ旧帝国の役所のままだった。淵季は迷うことなく、建物の中央にある堂へと向かう。廊下からいったん庭に下り、堂の階段を上ると、すでに何虎敬が待ち構えていた。
白髪交じりの髪を頭の高い位置で結った彼は、少年時代、
とたん、淵季に小突かれた。
「これはこれは」
何虎敬が口を大きくたわめて笑む。私は少年時代から抱いていた、
この何虎敬が用意したのだと思うと、急に王座の木のことが心配になった。
「では、王座を見せていただこうか」
淵季は私の様子に気づいているのかいないのか、さっそく堂に入ろうとする。何虎敬が人払いをした。なぜ、そのような必要があるのかと不審に思ったが、淵季が中に入る気なのだから仕方ない。
窓が大きいせいか、堂内は
それに、帝国の堂内と違って、やけにうすら甘い匂いが満ちている。
光がいちばん降り注ぐところは三段高くなっていて、椅子が二つ、置かれていた。
「あれが、王座ですよ」
何虎敬は私たちの腰を、王座のほうに押した。
淵季がむっとした顔になり、歩を早めて王座に近づくと、くるりと体を反転し、すとんと座った。
王座の背後には木があって、緑の葉を広げている。そのため、淵季の顔や衣にも、緑を帯びた光がうっすらと降りてくる。全身がそんなふうだから、まるで木に住まう妖のようにも感じられる。
淵季は不機嫌そのもの、という顔で、隣の椅子に手を当てた。
「おい、陸洋。俺だけ座らせているんじゃないぞ」
私もあの木の妖みたいな姿になるのか、と思いつつ、覚悟を決める。
楊淵季と共にあると決めたのだから、もうこれはしかたのないことだ。
膝ほどの高さがある段を、一段、二段と上る。王座を間近でみると、滑らかな樹皮でできているのがわかった。背後にあると思われた木は、王座と一体になっているらしい。
うまく作ったな、と思いながら、私は腰掛けた。
とたん、腰を浮かしそうになる。
冷たいと思っていた座が、温かかった。背にもたれて耳をつけると、中で水が流れる音がしている。
王座の背は上に伸びる木々と一体だった。不意に木が
「どうやら、正真正銘、生きた木でできているらしいな」
淵季は腕の長さにぴったり合った肘掛けに手をやり、何でもない、というように言う。いかにも王座慣れしている。少年時代の一時期、彼は王だった。あのとき、私は側に控えて立っていただけだ。とても王座などというものに冷静に座れる立場ではない。しかも、生きている木でできているとは。
「お二人とも、どうです。快適な王座でしょう」
何虎敬は段の下から私たちを見上げ、胡散臭い笑みを浮かべている。
彼は手を組み、礼をしてみせるが、一瞬だけだった。すぐに腰に手を当てて姿勢を緩め、話し始める。
「王座の木は、前から
なぜか、何虎敬はにやにやしている。私は嫌な予感がしてきた。
「なぜ、この王座が使われてきたかというと、王の政治によって木が生長するからです。今、お座りいただいている椅子は、座面が柔らかいでしょう? 王が悪政に走れば、もっと柔らかくなります。王の体は沈み込み、背もたれも首や肩を包むようになり、王の心地よいように変化していきます。聞きたくないことがあれば、木が耳を
嫌な予感は確信に変わった。
つまり、これは、政治を誤った王を飲み込んでしまう木である。
「おや、どうしましたか、欧陸洋様。今立ち上がらなければ、飲み込まれそうだとかいうのではありますまいね? そうであれば、早々に去られるがよいかと存じます。我が
楊淵季が玄都の王となる条件として、友人の私も同じ王として立たせることを求めた。
私は応じた。
何虎敬に歓迎されなくても、それが私のありようだ。
横を向くと、淵季も心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫」
私は一言告げる。
王座がどうであれ、淵季がここから逃げることはできない。少年時代、彼が王になったときと同じだ。
それならば、私も逃げない。
「……少年時代もそうであったが、強情なお人だ」
何虎敬はそう言って、また、軽く礼をして堂を出ていった。
私たちは椅子に体を預け、深く呼吸する。生きた木でできた椅子は、大きく膨らむ肺を受けとめるでもなく、ただ、私の体を支えて天井へと立ち上がっている。
私は、強情、と言われたことが気まずくなり、体を揺らした。王座の木は、座る人に合わせるという。ならば、これも、私の強情さに合わせたものなのか。
「おい、陸洋」
私は呼ばれて、顔を上げた。
淵季は前を向いたまま、座り心地が悪そうに体を動かした。
「何虎敬のやつ、嘘をついたな」
「何だって? これは、確かに生きている木でできているようだが」
「座面が柔らかいと言ったな」
私は、はっとして楊淵季を見つめた。心の奥がむずむずするのをおさえて、彼の言葉を待つ。
すると、楊淵季は言ったのだ。
「なんだよ、この固い椅子は」
私は
玄都の元年正月。二人の王が治めるこの国は、南北と東を森に、西を山に囲まれた地に建てられた。王座の木は、建国以来、柔らかくはなることはなく、人を食らうことができずに枯れた。
国は、その後も続いている。
〈「幻怪夜話」おわり〉
幻怪夜話~残業すると怪異に出会う欧陸洋の話~ 江東うゆう @etou-uyu
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