【第三章 帰郷】 第12話 王座の木

 昔の帝国が建てた役所から西に数里のところに、げんの王宮がつくられた。

 かつて、玄都のそばには、迂峨過都うおことという仙人の国があった。国が滅びてからは、仙人国の人々は玄都の西側に住んでいた。王宮は、その地区に隣接している。

 王宮を挟んで東側には、何代も玄都に住んできた人々や、旧帝国末期の移住者たちが住んでいた。

 王宮の構造は旧帝国の役所と大差ない。つまり、地方長官の建物程度の規模だ。仕事はできても人が住むには十分ではない。

 そのため、王となったようえんも私も、相変わらず玄都の東側にある屋敷に住んでいる。


「どうも気が進まないな」


 馬車の隣の席で、楊淵季が顔をしかめた。玄都が小さな国として独立して以来、楊淵季は王の仕事をしている。これまでの規則で人々の暮らしに合わないものを改めたり、東西の人々の生活習慣に合わせて、公の場での礼儀作法を緩めたりしてきた。

 帝国時代は、毛先が見えないように結い上げていた髪も、迂峨過都うおこと風に下ろす者が多くなった。楊淵季も、耳から上の髪だけを後ろで束ね、あとは下ろしている。

 私は、というと、相変わらず帝国風に髪をまげにしている。

 考えてみると、私たちの姿は、ちょうど迂峨過都うおことと旧帝国の、両方の代表のようになっている。


微笑びしょうされるようなことは言っていないはずだぞ、欧陸洋おうりくよう


 突っかかるように淵季が言って、私のそでをつかんだ。衣の繊維が、馬車の窓から入るわずかな光を弾く。そのため、彼のつかんだ少し上のところだけ、虹色の輝きを宿した。


「いや、考え事をしていただけだ。おまえのことじゃないよ。しかし、ここまで来て気が進まないとは、おまえにしては思い切りが悪いな」

「ばかいえ。不敬のかたまりみたいな俺が王だと? 居心地が悪いに決まっているだろう」

「しかし、おまえ以外の者が王になるわけにもいかないだろう」

「わかっている。わかっているが。……性に合わない」


 淵季は腕を大きく動かし、袖をばさりと鳴らした。一見いっけん白く見える衣は、光の加減で虹色になる。上衣も袴子こしも同じ布でできているから、外に出ると光が歩いているようにも見えた。

 同じ衣を、私も着ている。


「確かに、ちょっと慣れないな」


 私も袖を鳴らした。着心地はいいのだが、光をまとうというのは帝国では経験のないことだ。この衣を用意したのは迂峨過都うおことの医師であった何虎敬かこけいだ。衣に使われた布は、かつて迂峨過都うおことの研究施設であった洞の出身の者たちの力作だという。

 何でも、心に病むところがあれば衣が黒くなるそうだ。

 そうなる理屈はわからないが、かつて迂峨過都うおことはそういうものにあふれていた。


「ところで、陸洋は聞いているか。何虎敬が用意してくれるという王座は、木でできているそうだ」


 淵季が体を倒すようにして、私に顔を近づけた。


「木製か。石でできているより座り心地はよさそうだな」

呑気のんきなこと言うな。ただの木であるものか。生きている木だそうだ。勝手に椅子の形に育つ木だってさ」

「そんな木は聞いたことがないが」


 私は顔をしかめた。幼い木を縄などで固定して、一定の形に育てる方法は聞いたことがある。椅子の形も、あるいはできるのかもしれない。だが、人が座りやすい形に、勝手に育つ木などあるものだろうか。


「まさか、何虎敬殿は私たちに木の股に座れというのではないだろうな」

「わからん。毎朝、座るために木登りしなければならないのはごめんだ」


 淵季は座席の背にもたれ、ゆるく首を振った。心底あきれている風で、何虎敬に任せるんじゃなかった、いや、迂峨過都うおことでの人望を考えるとあいつしかいないのだが、とぶつぶつ文句を言い始める。

 私も同じ気持ちだった。なだめる気にならないまま馬車に揺られていると、御者をしている程適ていてきの声がした。


「王宮が見えてきやした。どこに車を停めたらいいですかね?」


 私は馬車の窓を開き、何虎敬に教えられた通りの場所を告げた。

 前方には、形だけは旧帝国の役所そっくりの建物があった。ただ、白い壁に白い瓦屋根という見かけは、仙人国じみていた。


「着くぞ、淵季。支度をしろ」


 私は窓から頭を引っ込め、座席に置いてあった絹の袋を確かめる。透明な石の塊でできた印璽いんじと、墨がなくても文字が書けるという筆が入っている。

 同じように袋の中身を確認した淵季が、大きなため息をついた。


「ああ、どうしようもないな。陸洋、何虎敬の用意した玉座の木にでも座ってくるか」


 そう言うと、淵季は身を屈め、気乗りしない様子で馬車を降りた。


 馬車は王宮の前の車寄せに停められている。私たちはそのまま王宮に入るが、程適は馬車を車庫に動かさなければならない。ちらりと見ると、程適が気づいてにやりと笑った。


「生木の椅子の座り心地、あとで教えてくだせえ」


 悪戯いたずらっぽい言い方だ。車内の話が聞こえていたようだ、と、私は苦笑する。


「もちろん。おまえも王宮の車庫の具合を教えてくれ」


 私たちは視線を交わし、程適は馬車を進め、私は淵季のあとを追った。

 

 王宮の間取りは、ほぼ旧帝国の役所のままだった。淵季は迷うことなく、建物の中央にある堂へと向かう。廊下からいったん庭に下り、堂の階段を上ると、すでに何虎敬が待ち構えていた。

 白髪交じりの髪を頭の高い位置で結った彼は、少年時代、迂峨過都うおことで出会ったときのことを思い出させる。私は苦い気持ちを胸の奥に押しやりながら、軽く頭をさげた。

 とたん、淵季に小突かれた。


「これはこれは」


 何虎敬が口を大きくたわめて笑む。私は少年時代から抱いていた、胡散臭うさんくさいという印象を新たにした。

 この何虎敬が用意したのだと思うと、急に王座の木のことが心配になった。


「では、王座を見せていただこうか」


 淵季は私の様子に気づいているのかいないのか、さっそく堂に入ろうとする。何虎敬が人払いをした。なぜ、そのような必要があるのかと不審に思ったが、淵季が中に入る気なのだから仕方ない。

 窓が大きいせいか、堂内は蝋燭ろうそくもつけていないのに明るい。上を見ると、天井の一部が玻璃はりで作られていて、日光が降り注いでいた。

 それに、帝国の堂内と違って、やけにうすら甘い匂いが満ちている。

 光がいちばん降り注ぐところは三段高くなっていて、椅子が二つ、置かれていた。


「あれが、王座ですよ」


 何虎敬は私たちの腰を、王座のほうに押した。

 淵季がむっとした顔になり、歩を早めて王座に近づくと、くるりと体を反転し、すとんと座った。

 王座の背後には木があって、緑の葉を広げている。そのため、淵季の顔や衣にも、緑を帯びた光がうっすらと降りてくる。全身がそんなふうだから、まるで木に住まう妖のようにも感じられる。

 淵季は不機嫌そのもの、という顔で、隣の椅子に手を当てた。


「おい、陸洋。俺だけ座らせているんじゃないぞ」


 私もあの木の妖みたいな姿になるのか、と思いつつ、覚悟を決める。

 楊淵季と共にあると決めたのだから、もうこれはしかたのないことだ。

 膝ほどの高さがある段を、一段、二段と上る。王座を間近でみると、滑らかな樹皮でできているのがわかった。背後にあると思われた木は、王座と一体になっているらしい。

 うまく作ったな、と思いながら、私は腰掛けた。

 とたん、腰を浮かしそうになる。

 冷たいと思っていた座が、温かかった。背にもたれて耳をつけると、中で水が流れる音がしている。

 王座の背は上に伸びる木々と一体だった。不意に木がきしんだかと思うと、座面は大柄な私を支えるべく、横に少し広がった。肘掛けも私の腕の長さに合わせて育っている。


「どうやら、正真正銘、生きた木でできているらしいな」


 淵季は腕の長さにぴったり合った肘掛けに手をやり、何でもない、というように言う。いかにも王座慣れしている。少年時代の一時期、彼は王だった。あのとき、私は側に控えて立っていただけだ。とても王座などというものに冷静に座れる立場ではない。しかも、生きている木でできているとは。


「お二人とも、どうです。快適な王座でしょう」


 何虎敬は段の下から私たちを見上げ、胡散臭い笑みを浮かべている。

 彼は手を組み、礼をしてみせるが、一瞬だけだった。すぐに腰に手を当てて姿勢を緩め、話し始める。


「王座の木は、前から迂峨過都うおことで大事に育てられてきたものです。滅びる前の二代は、この木で作った王座をお使いにならなかったが、それ以前は王宮の象徴ともなるべき椅子でした」


 なぜか、何虎敬はにやにやしている。私は嫌な予感がしてきた。


「なぜ、この王座が使われてきたかというと、王の政治によって木が生長するからです。今、お座りいただいている椅子は、座面が柔らかいでしょう? 王が悪政に走れば、もっと柔らかくなります。王の体は沈み込み、背もたれも首や肩を包むようになり、王の心地よいように変化していきます。聞きたくないことがあれば、木が耳をふさぐでしょう。見たくない者があれば、目隠しをしてくれるのです」


 嫌な予感は確信に変わった。

 つまり、これは、政治を誤った王を飲み込んでしまう木である。


「おや、どうしましたか、欧陸洋様。今立ち上がらなければ、飲み込まれそうだとかいうのではありますまいね? そうであれば、早々に去られるがよいかと存じます。我が故郷ふるさと迂峨過都うおことでも、過去に二人の王が同時に立ったことはありません。あなた様がいなくなっても、楊淵季様、いや、せいげん真人しんじんさえいらっしゃったら」


 にらみたくなるが、やめておく。逃げ出したくても逃げるわけにはいかなかった。淵季を一人置いていくわけにはいかない。

 楊淵季が玄都の王となる条件として、友人の私も同じ王として立たせることを求めた。

 私は応じた。

 何虎敬に歓迎されなくても、それが私のありようだ。


 横を向くと、淵季も心配そうにこちらを見ていた。


「大丈夫」


 私は一言告げる。

 王座がどうであれ、淵季がここから逃げることはできない。少年時代、彼が王になったときと同じだ。

 それならば、私も逃げない。


「……少年時代もそうであったが、強情なお人だ」


 何虎敬はそう言って、また、軽く礼をして堂を出ていった。

 私たちは椅子に体を預け、深く呼吸する。生きた木でできた椅子は、大きく膨らむ肺を受けとめるでもなく、ただ、私の体を支えて天井へと立ち上がっている。

 私は、強情、と言われたことが気まずくなり、体を揺らした。王座の木は、座る人に合わせるという。ならば、これも、私の強情さに合わせたものなのか。


「おい、陸洋」


 私は呼ばれて、顔を上げた。

 淵季は前を向いたまま、座り心地が悪そうに体を動かした。


「何虎敬のやつ、嘘をついたな」

「何だって? これは、確かに生きている木でできているようだが」

「座面が柔らかいと言ったな」


 私は、はっとして楊淵季を見つめた。心の奥がむずむずするのをおさえて、彼の言葉を待つ。

 すると、楊淵季は言ったのだ。


「なんだよ、この固い椅子は」


 私はこらえきれずふきだし、淵季も私を見て笑った。


 玄都の元年正月。二人の王が治めるこの国は、南北と東を森に、西を山に囲まれた地に建てられた。王座の木は、建国以来、柔らかくはなることはなく、人を食らうことができずに枯れた。

 国は、その後も続いている。


     〈「幻怪夜話」おわり〉

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幻怪夜話~残業すると怪異に出会う欧陸洋の話~ 江東うゆう @etou-uyu

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