第6話 出会い 

 エメスタラの街は大きな川沿いにあって、町中に巡らされた水路のためか、家々の屋根が艶のある緑色の瓦のためか、はたまた町の西側にそびえる山の木々の青さのためか、「緑の宝石」と呼ばれている町だ。

 アスバを旅立ってから三日、馬車に揺られて最初に到着したその町で、リコリスは周囲の景色に見とれていた。水と言えば井戸で汲むものだった彼女にとって、そこらじゅうで水がきらきらと日の光を反射している光景は、それだけで心躍るものだったのだ。

 しかしレンの方は、市で売られている物の中から扱いやすい武器はないかと探すのに必死で、町の様子を楽しむ余裕はなかった。小さな工作用のナイフくらいしか護身に使えるものを持たないリコリスに、何かもっと有効な手立てはないかと、この三日の旅の間、ずっと考えていたのだ。


 なにしろ、リコリスの姿は目立つのだ。

 全身黒づくめで背の高いレンは、その鋭い視線も相まって別の意味で人目を引いているが、リコリスはその比ではない。

 この大陸では金や黒、それに茶色の髪は珍しくないのだが、両親が異国人同士だったというリコリスの香色の髪は、さらさらと美しく光を反射して、その透き通るこれまた珍しい菫色の瞳も相まって、人込みの中でもかなり視線を集めている。

 まだ十歳と幼い上に、威圧的な風貌のレンが隣にいるので、気安く声を掛けてくる者はいないが、うっかり側を離れた日には人攫いにでも遭いかねないと、レンは気が気ではなかった。


「おっと!」

「あっ、ごめんなさい!」

「すみません」

 それぞれによそ見をしながら歩いているレンとリコリスは、何度も人にぶつかっては謝るのを繰り返している。なにしろ水が豊富で人が集まる街である上に、その景色の美しさを目にするためにやってくる旅人も多い場所だ。その中でも各地から物が集まる市の中心ともなれば、二人が今まで見たこともないほどの人の多さだ。


「リコ、しっかり手を握っててね」

「うん、お母さんもだよ」

 視線は市のあちこちを彷徨っているが、二人ともはぐれたら大変だという事だけは理解していた。自然、握りあっている互いの手に力がこもる。

 通りの向こうからひときわ大きな声がしたのは、その時だった。


「なんだと、もういっぺん言ってみな、坊主!」

「ああ、何度でも言ってやるさ。そいつの価値はその半分の値のはずさ、あんたのそれはぼったくりにもほどがあるよ」

「ふざけるな、霧の民風情が! 外の事なんぞろくに知りもしないんだろう」

 あまりの大声に、周囲の人々が足を止めてそちらを窺っていた。

 その中心に立っていたのは、衣料品を商っているらしい店の店主と、深い緑色をしたマントで全身を覆った、やや小柄な二人組だった。


「お母さん、霧の民ってなに?」

 耳ざとく気になる一言をとらえたリコリスは、レンを見上げてそう訊ねた。

 しかしレンは、マントの二人組に視線を向けたまま振り向かず、首を横に振った。

「あまり口に出していいような言葉じゃないよ。意味は後で教えるから」

 そう言ってリコリスの手を少し強く握ると、リコリスは「分かった」と言う代わりに握り返した。

 そのままその場を離れようとしたが、人込みはいつの間にか綺麗に輪になって、件の二人組を取り囲む形になっていたため、引き返すに引き返せなかった。


「外の事ねぇ。その織物、カルンの特産品だって言ってたね。けどあそこの織物は昔からもっと分厚くて、繊維が固い。こんな摘まんだだけで薄くなるような生地で、あの寒い冬を越せるはずがないさ」

「なんだと!? これは正真正銘、カルンで仕入れた防寒着だぞ! 苦労してあの山を越えて買い付けて来たんだ、俺が嘘をついてるってのか!?」

 人々の視線の中心では、二人組のうち小柄な方が喧嘩腰で店主とやりあっていた。しかしもう一人、隣に立っているやや背が高い方は、そのマントの裾を引いて「師匠、やめましょうよ」と小声で諫めていた。


 しかし小柄な方は、まるで聞く耳を持たない様子だった。先ほど「霧の民風情」と罵られたことで頭に来ているのだろう、自分より頭一つ分は背の高い店主にひるむどころか、煽るように顎を上げた。

「はぁ、だったらあんた、おおかた騙されたんじゃない? どっちにしたって、商品の価値が自分で見極められないようなら、店を出すには向いてなかったんじゃないの」

「な、なに、なんだと……!?」

「師匠、ダメですって! もう帰りましょう、ほら」

 ついに背の高い方、声からして青年と思しき方が、小柄な方の腕を思い切り引っ張って店の前から引き離した。

 しかしたいそうプライドを傷つけられたであろう、怒りに顔を真っ赤にした店主は、突然腕を伸ばしてその襟首をつかんだ。


「リコ、ここにいて。動かないで」

 レンは咄嗟にリコの手を離すと、三人の方へ駆け寄った。

 襟首をつかまれて持ち上げられ、被っていたフードが緩んだことで、小柄な方の顔があらわになる。するりと青みを帯びた黒髪がこぼれ、爛々とした緑の瞳が日に光る。

 その顔に向けて突き出された拳を、レンはすんでのところで手首を掴んで止めた。

「やめな、女の子相手に暴力に訴えるんじゃない!」

 レンは鋭くそう叫ぶと、小柄な少女の胸ぐらをつかんでいる店主の手首を叩いてほどかせ、さっと背後に庇った。


 寸の間、辺りに沈黙が流れた。

 店主はフードの中から出て来たまだ若い少女の顔を唖然として見ていたし、レンに庇われた少女も、何が起きたのかすぐには掴めなかったようで、しばしぼうっとレンの背を見上げていた。その少女のマントを掴んでいた青年も、これまた突然の闖入者に驚いているようで、おろおろと三人の顔を交互に見ていた。

 その場を遠巻きに見ながらヤジを飛ばしてい人々も、一様にしんと静かになっていた。


「あっはははは!」

 最初に我に返ったのは、レンが助けた少女だった。

「悪かったよ、それは防寒着と呼ぶには質の良くないものだけど、風を防げる部屋の中でなら十分に暖を取れる上着だよ。あんたにそれを売ったやつは、その辺の違いを汲み取れなかっただけだろうさ」

 そう言って少女は、財布を取り出すと店の棚に近づき、襟と袖に繊細な刺繍が施されている長袖のチュニックを手に取った。

「これを買わせてもらうから、それで勘弁してくれる?」

 そう言って少女に服を差し出されると、ぽかんとしていた店主もようやく我に返り、慌てた様子で銀貨を受け取った。

「ま、まいど……」

「本当にすみません、うちの師匠がご無礼を申し上げました」

 少女の隣にすばやく並んだ青年は、師匠と呼んだ少女の頭を押さえて下げさせると、深々と頭を下げた。

 店主は少しばつの悪そうな顔になりながらも、

「分かったから、もう帰ってくれ」

 と手を振って三人を店の前から追いやった。


 ようやく人垣がほどけ、市の喧騒が戻ってきた。

 少女と青年、それにレンの三人はなんとなく顔を見合わせた。

「すみません、本当に助かりました」

「巻き込んで悪かったね、お姉さん」

 緑のマントの二人はほぼ同時にそう言って、レンに頭を下げた。言ってからお互いに顔を見合わせ、ふふ、と少しおかしそうに笑った。

「いや、無事でよかったよ。でもあれは言いすぎだね。交渉のためならともかく、怒らせるためにやりあうのは敵を作るだけだよ」

 そう諫めるレンに、二人は素直に頷いた。


 と、そこでレンはついついと袖を引かれて振り向いた。いつの間に来ていたのか、リコリスが心配そうな顔でレンを見上げていた。

「お母さん、危ないことしちゃだめだよ」

 そう一言言って、レンの手をぎゅっと握りしめるリコリスに、レンはしまったという顔になった。

「ごめん、手を離すなって言ったのは私の方だったのに」


 少女が殴られると思った瞬間、咄嗟に我を忘れていたのはレンも同じだった。

 今は安心してリコリスを一人で歩かせられる場所にはいないのだ。だというのに、その事をしばしの間忘れて、体が動いてしまっていた。

「ごめん、本当にごめんね、今度からちゃんと気を付けるから」

 小さなリコリスの体に腕を回して、強く抱きしめる。そんなレンの様子に、少し困惑した様子ながらも、リコリスは「もういいよ」とレンの背中をポンポンと叩いた。

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