背徳を浴びる鳥のうた

夢月七海

背徳を浴びる鳥のうた


 カッコウという鳥の性質を知った時、まるで私みたいだと思った。

 私と母は実の親子だ。でも、母の大切なものを押し退けて、今の自分がここに座っている。そんな感覚が、ずっと抜けない。


 母は、とある地方の町に生まれた。学校に上がる前から、自分の両親を凌ぐ魔力を持っていたため、周囲から期待されていたという。

 本格的に魔法を学び始めると、大量の魔力が必要な魔法をあっさり使えたりするのはもちろん、二つの呪文を組み合わせて新しい魔法を生み出す才能も発揮して、先生方をあっと言わせた。


 「我が校始まって以来の神童」……そんな言葉とともに、地元の学校を卒業した母は、城下町の一流魔法学校に進学した。地元で一番の天才が、城下町に出てみたら並みの実力だった、というのはよくある話だが、母は全国から集まった魔法使いを押し退け、首席で卒業した……それも、過去最高の成績で。

 そんな母なので、卒業後はうちに来てほしいという声があちこちから掛かっていた。その中の一つ、世界で一番の魔法研究所への所属が決定したところで、母の人生は最大の展開期を迎える。


 それは妊娠だった。相手は、大学時代から付き合っていた同級生だったが、結婚は拒否したという。

 しかし母は、研究所への就職を蹴って、故郷に帰ってきた。親戚一同は非常に驚き、むしろ白い目で見ていたというが、そんな中で、一人の女の子を産んだ。それが、私だ。


 あのトードリィ・ウォルフラムの娘、ということで、私、リゴ・ウォルフラムにも、母と同等、いやそれ以上の魔法の才能を求められた。しかし、出生病院で測った魔力量は、平均程度だった。

 期待した親戚たちはがっかりしたが、もしかしたら別の才能があるのかもしれないと、諦めなかった。母に薦めて、小学校よりも先に、魔法を学べる特別な幼稚園に通わせた。


 最初に受けた魔法の授業は、僅かな風を起こして、蝋燭の火を消すという、基礎的なものだった。次々と成功させる同級生に囲まれて、私は焦っていた。何度呪文を唱えても、何度杖を振っても、風が一切生まれないのだ。

 たった五文字の呪文を言うだけなのに、舌がもつれてしまう。慌てると、余計に早口になって、呪文が不明瞭になる。真後ろで推移を見守っていた先生が、重苦しい溜息をついた。


 あの瞬間の絶望は、今も胸の中心で渦巻いている。別に、魔法が使えない人の方が、世界には多いのに、こんなこともできないなんてと言われているかのようだった。あなたは、お母さんの子供じゃない、そんな烙印を押されてしまったに等しい。

 それでも、私はその幼稚園に通い続けた。学費も安くなかったのに、きっと母の意地だったのだろう。同級生と先生たちの冷たい視線に晒されながら、ぼそぼそと呪文を唱えても、何も起きないという無意味な授業を受けていた。


 魔法学校の初等部に進学しても、状況はさほど変わらない。私は、そんな現実から逃げるように、小説を読むようになっていた。魔法を駆使して強敵を倒す物語の主人公に、自分もこんなだったらと想像していた。

 ある日、二百年ほど前に出版された冒険小説を読んでいると、呪文の前に何か古めかしい一文が付与されているのが気になった。母に尋ねてみると、それは「詠唱」と呼ばれる儀式だと教えてもらえた。


 呪文の前に詠唱をすることで、周囲の精霊たちから力をもらい、魔法を強化する。自分の魔力の出力方法を指定する呪文とは別に、そんな魔法の掛け方があったのだが、文明の発達で精霊との繋がりが薄くなったことで、この二百年の間に廃れてしまったという。

 私も詠唱をすれば、魔法をちゃんと使えるようになれるかもしれない。そんな閃きを得た私は、早速図書館の奥の棚、埃を被っていた詠唱の本を引っ張り出して、それらを必死に覚えた。


 効果は覿面てきめんだった。杖を振る前に、「数多なる時空を抜け、我に集え、さやけき風よ・フリーセス」と加えることで、やっと蝋燭の炎を消すことが出来た。それどころか、その先のカーテンまで揺らすことが出来たのだから、大金星だ。

 傍で見守っていてくれた母は、ちょっと大袈裟なくらいに手を叩いて喜んでくれた。「リゴ、すごいわ。詠唱が出来るようになるなんて」と、涙目で称える。ああ、ようやくお母さんを安心させることが出来たんだなと、ほっとした気持ちだった。


 当然、先生も含めて、周囲には詠唱をしている魔法使いは一人もいなかった。そこまでしないと魔法が使えないなんて······そんな心ない声が聞こえてきても、私はめげずに自分のやり方で魔法を習得していった。

 ただ、この二百年で魔法も大きく発達しているため、応じる詠唱の無い呪文もある。それは予習で把握して、昔の言葉を調べて、新たな詠唱を自分で考えていく。


 最初は失敗ばかりだったが、水を生み出すのならこの言葉を、増やすのが目的ならこんな言い回しを、と適応する古語をパズルのように組み立てる方法を編み出せば、あとは意外と楽だった。

 詠唱を小馬鹿にしていた先生も、さっきのは私が自作した詠唱文だとを知ると、素直に驚いた。そして、流石トードリィの娘だと、感心してくれた。


 一方、母はこの町の魔法学校の高等部の先生になっていた。教師の資格は、三年ほど勉強しないと取れないほどの難しいものだが、母は私が妊娠中の勉強で取得した。本当の天才というのは、こういう人のことだと思う。

 母は先生としても人気があると聞いた。授業を持っていない生徒からも、職員室の母のもとに質問をしに来るほどだとか。だが、やはりこんな小さい町の教師としてくすぶらせるのはもったいないという声も、絶えなかった。


 中等部最後の年、私は一念発起して、城下町の一流魔法学校に受験しようと決意した。理由は、早く独り立ちしたいからと、自分がトードリィの娘という証拠を見せたかったから。

 筆記試験は危なげなく通過した。最大の壁は、先生方の前で魔法を見せるという実践試験だ。「詠唱をしてはならない」というのが、試験の規則に載っていないのをしっかり確認して、私はそれに臨んだ。


 私が目指した創造魔法科の試験は、「六十分内に巨大な氷柱を作り出し、それを自分の好きな形の像に変える」というものだった。大昔は闘技場だった場所で、同じ受験生や先輩方、そして目の前で試験官が見守る中で、私の試験が始まった。

 氷柱を作り出すための詠唱は、二十分以上かかった。ただ、長い文章を暗唱する私を見つめる受験生たちは徐々にざわめきだし、先生方も怪訝そうな顔を見合わせた。


 しかし、その詠唱を終えた後に聳え立った氷柱は、本日の受験生が作った中で一番の高さ、屋根のない闘技場を超えるほどになっていた。……手応えがあったとはいえ、作った私の方が驚いてしまうほど。

 次に、三十分かけて、別の詠唱を行う。先程よりも長いけれど、もっとすごいことが起きるかもしれないという期待感が、周囲から寄せられている。その緊迫感に飲まれそうになりながらも、私は呪文を唱えた。


 巻き起こった炎は、氷柱を丸ごと包み込んだ。それが消えると同時に、円柱型だった氷柱は、二十本の薔薇が咲き誇る氷像に変化していた。その花びらには七匹の蝶が止まっている。

 歓声が沸き上がったことで、私は上手くいったのだと安心して、足から力が抜けてしまった。何度も練習してきたとはいえ、こんな大規模な魔法を一発で成功できるかどうかは、私にとって最大の賭けだったからだ。


 試験を終えて、結果が届くのを待つ間、ずっと悪い事ばかり考えてきた。試験の目標は達成できた。だけど、詠唱を使ったことが試験官の評価にどう影響を与えるのか……とても怖くなってしまう。

 半月後、試験結果が届いた。開いた封筒に書かれていたのは、「合格」の文字――私がこの結果を飲み込むよりも先に、一緒にそれを見ていた母が、先に大喜びで抱き着いてキスをして、やっと合格を実感した。


 余談だけど、入学の日時を伝達水晶を通して事務員さんから教えてもらっていた時に、私の母の話になった。事務員さんは、三十年以上この学園で働いているため、母のことも覚えていたのだった。

 試験の時に私が作った氷柱は、歴代で二番目の高さだった。では、一番高い氷柱はというと、同じ学科の同じ試験を受けた、今の私と同じ年の母によるものだという。どこまで行っても、この人には叶わないなと、苦笑してしまった。






   ***






 故郷を出発する日は、春のもやに包まれた朝だった。あちこちで桃の木が満開で、その濃ゆい香りが町中に立ち込めている。当たり前だったこの光景とも、しばらくお別れかと思うと、寂しさを抱く。

 だけど、そんな気持ちを吹き飛ばすくらいに、空中汽車のホームには私の見送りが集まっていた。全ての親戚、殆どの学友、学年の先生方まで駆けつけていて、ここまで大袈裟にしなくてもいいのにと、呆れてしまうほど。


 その列の一番前は、私の母……だったが、私に何か言いたい人たちが前へ前へと押し寄せるので、どんどん遠くの方へと流されてしまう。母は主張ははっきりするけれど、小柄なので、体力勝負になるとあっさり負けてしまった。

 見送られる方の私は、一人一人に手を握られて、激励を掛けられる度に、白々しい気持ちになっていくのを感じていた。「頑張って」「応援してるよ」と言っていたのと同じ口が、「あの子がトードリィの娘なんて」と呟いたのを、私は一生忘れない。


 そうこうしている間に、出発の汽笛が鳴った。他の乗客の邪魔になっているのではないかと恐縮しながら、汽車に乗り込み、ホームに面した席に座る。網棚にトランクを置こうとしたら、窓を激しく叩かれて、そちらへ目を向けた。

 窓のすぐ外にいたのは、母だった。びっくりして、窓を開けようとするが、慌てると上手くいかない。普通よりも時間がかかって、窓を上にあげた。


「リゴ! あっちでも元気でね! ……無理は絶対に、しないで」

「うん! 分かった!」


 お互いに、色々言いたいことがあった。けれど、周りの目が気になるのと、汽車がゆっくりと動き出したので、私と母の距離が開き出す。


「お母さん! いってきます!」

「いってらっしゃい!」


 電車は助走を始める。少しずつ高度を上げていって、ホームの人々が、豆粒ほどの大きさ、砂くらいの大きさへと変化していく。母の姿も、あっという間に靄にかすれて見えなくなった。

 窓から身を乗り出して、大きく手を振り続けていた私は、席に戻った。胸がいっぱいになったけれど、泣くほどではなかった。むしろ、母に大切なものを返してあげられたという安堵感が強い。


 ここから城下町までは、半日かかる。その間は、本を読もうと、トランクを開いた。魔法の専門書とは別に、数冊の小説も入れている。

 その中の一冊、詠唱を知るきっかけになった二百年前の小説を久しぶりに読み返そうと、手に取る。しかし、そこに見覚えのない紙が挟まっていた。小首をかしげながら出してみると、それは二つ折りにされた母からの手紙だった。




『リゴへ


 こうして、手紙という形でしか、本当の気持ちを伝えられなくてごめんなさい。

 ずっとじっくり話したかったけれど、あなたもわたしも忙しくて、それを言い訳にしていた部分もあったと思う。母と娘だというのに、わたしたちはお互いに恐縮している部分があったからね。


 まず、あなたに謝りたいことがあります。さっきも「ごめんなさい」って書いたけれど。

 あなたが我慢して幼稚園に行っていたのに、「辞めたい?」と聞かなくて、ごめんなさい。


 「幼稚園どう?」と聞いた時、あなたは「友達もいて、とても楽しい」とわたしを気を遣って、言っていたのですね。魔法を使えるのが当たり前だった自分にとって、あなたの辛さを想像することも出来なかった。なんてひどい母何だろうと、今は思います。

 おじいちゃんやおばあちゃんが、これから魔法の才能が開花していくだろうというの言葉を、素直に信じすぎたところもありました。こんなのは、あなたにとってはただの言い訳なんだろうけれど。


 だから、あなたが詠唱魔法を使えるようになった時は、きっとあなた以上に嬉しかった。リゴは私以上の天才よ! と、町中の人に自慢したいくらいに。

 時代はいつも進化していって、立ち止まったり戻ったりすることは決してない。わたしは、そう信じて、新しい魔法を生み出していったけれど、埋もれてしまったものをもう一度復活させるなんて発想はなかったから。いつでも、自分にない考えをする人は、素晴らしいと思えるわ、嫉妬しちゃうくらい。


 実はね、教師の仕事を続けながら、新しいことをしてみようと思っているの。それは、今の人々と精霊との関係を調べてみること。近いうちに、エルフの森に行って、そこの精霊をどう祀っているのか、どんな詠唱魔法があるのかを聞いて回りたいと計画中なのよ。

 これはもちろん、あなたの影響ね。今でも詠唱は効果があるんだとびっくりして、どうして人間に精霊が力を貸してくれるのだろうと気になってから、わたしもこっそり勉強していたの。


 ……ずっと、言えなかったことがもう一つ。貴女は、自分のせいでわたしが夢や目標を諦めたと思っているけれど、そんなことは全然無い。今までの人生で、私が後悔した瞬間なんて、一度もないんだから、胸を張って。

 そして、あなたはわたしの娘だからと、気負いすぎている部分があるけれど、そんなのは関係ない。確かに、詠唱魔法を復活させたのは素晴らしいことだけど、城下町に出て、魔法以外の何かもっと夢中になれるものを見つけたら、それに打ち込んでもいいからね。


 あなたはわたしの娘ではあるけれど、それ以上に、一人の人間なんだから、好きな道を好きなように歩きなさい。

 一番伝えたいことは、ただそれだけなんだから。頑張ってね。


         母より』




 ……母の本音の手紙は、鼻を啜りながら、途中から涙が滲みながら、やっと読み終えた。今更、母ともっと正面から話せばよかったと、深く後悔する。

 ふうと溜息をつくと、胸に色んな思い出が蘇ってきた。


 いつも笑っていて、私の失敗も怒らなかった母。叱るのは、私が危ないことをした時くらいで、八つ当たりは絶対にしなかった。

 私が壁をクレヨンで落書きした時も、一緒になって、私の手が届かない場所まで絵を描いていた。その後、壁を綺麗にする魔法を使った。あの瞬間が、私が初めて母の魔法を見た時だったと思う。


 私が、初めて詠唱による魔法を成功させた時も思い出した。大喜びしてくれたけれど、その後こう言ってくれた。

 「詠唱は、心の綺麗な人しか使えないの。よこしまな目的で使おうとしたら、精霊が手伝ってくれないからね」—―それが、詠唱の廃れた理由の一つであるらしいけれど、「心が綺麗」というのが、これ以上ない褒め言葉みたいで、嬉しかった。なのに、なんで忘れていたんだろう。


 私がずっと浴び続けてきたのは、「トードリィの娘なのに」という背徳を意識させるような言葉ばかりだった。それに惑わされて、母の真っ直ぐな優しさからも、目を逸らしていた。なんて馬鹿だったんだろう。

 一瞬、目の前に広がる光景があった。私と母が、深い森の中を歩いている。私は、真横にいる母に対して、後ろめたさを感じずに、一緒に笑っていた。


 だけど、私は母とあんな風に深い森の中を歩いたことはない。それなのに、強烈な思い出のように浮かんできて、なんだか不思議だった。

 もしかしたら、未来の記憶なのかもしれない。魔法使いの中には、予知魔法が得意な人もいる。私も、いつかの未来を一瞬、垣間見たのかも。


 そうだったら嬉しいなと、笑みが零れる。

 私が、周りの声に惑わされずに、母へ自分のうたを歌えるようになった日に、この夢は叶えられる。そう信じた。




















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