泳げないプール 最終話

 のどの渇きに気づいて、わたしは鞄からファンタオレンジを出す。キャップを開ける。シュ、とさっきよりも弱まった噴出音。ごくっと、一口。うん……炭酸もちょっと抜けてるし、だいぶぬるんじゃってるな。まあ、美味しいけど。キャップを閉めると、ファンタを鞄に戻す。

「沙希の推理、相変わらずお見事ね」

 茶目っけを混ぜて、凛が言う。

「うちらが二年のときの、『プールサイド花火事件』。迷宮入りになってもおかしくなかった、あの難解事件よ。それを、沙希がちょちょいと解いちゃったやつ。あのときの沙希のすごさを、今回も思い知らされちゃった。すごいよ、沙希」

 そう言い終えると、凛は片目をつぶる。綺麗なウインクだ。

「あんがと」

 ちょっと、砕けた感じで礼を言う。照れ隠しだ。それに、ちょちょい、は誇大かな。凛はときどき、わたしを過大評価するきらいがある。

 どことなくゆずちゃんも、は〜っと尊敬の目でわたしを見てくれているような気もする。わたしの思い上がりかな? じゃなかったら、嬉しいな。

「それじゃあ」

 と凛がまた腕を組む。もうさっきまでの茶目っけは抜けて、その表情は真剣そのものだ。

「沙希の推理したこと、報告しに行く? 職員室とか? ゆずちゃんの証言と、デジカメの写真もあるし……。話せば、わかってくれるんじゃないのかな」

「そうだねぇ……」

 わたしは悩んだ。どうするのが、正解か。最善の結果に行き着くための、最善の選択……。

 職員室で先生たちに報告するなら、話の都合上、ゆずちゃんがプールの水を抜いたことも話さなければならない。それは、なんとなく気が進まない。それに、

「結局のところ、いま長々と披露した推理は、どこまでいっても状況証拠でしかないのよ。盗撮魔の正体に関しても、ゆずちゃんを突き落とした犯人が藤田だっていうことに関しても、誰から見ても明らかな決定的な証拠は、どこにもない。だから、正直言って納得させるのは、難しいと思う」

「ううん。そうだよねぇ……」

 と、気難しく唸る凛。ゆずちゃんも、どこか不安げだ。

 何か、いい方法はないか……。

 と、そのとき、ある考えが思い浮かんだ。悪巧み、と言ってもいいかもしれない。

 そうだ。藤田は、また現れる。盗撮をしに、必ずまたやってくるはずだ。警察に通報されようと、新聞部に記事を書かれようと、藤田は今朝、また性懲りなくもなく現れた。どうやら、かなり執念深い性格らしい。

 賭けてもいい。藤田は、今回は失敗した。だから、そのリベンジに、また盗撮を決行しようとするはずだ。再びやってくる。間違いない。

 そこを、つつく。

 情けないことに、水泳部はいま、空中分解とまでは言わないまでも、けっこう危機的な状況にある。部内対立……。一年と二年の間の溝が、深まりつつある。

 でも、水泳部員たちの共通の敵、「盗撮魔」の正体が明らかになれば、部員たちの結束は、少しは固まるかもしれない。その仲は、少しは改善されるかもしれない。期待できる。上手くいけば、上手くいくかも。

 その目的のために、あえて泳がせて……逆に利用させてもらう。まあ、そもそもこれまで散々、水泳部の活動を妨害してきたわけだし、ゆずちゃんのことだって、プールに突き落とすなんて危険な真似をした。もう、躊躇する理由は、見つけられなかった。

 そしてそのためには、新聞部部長さんの協力が不可欠。

 じっと考え込んでいたことが、凛にはお見通しだったらしい。

「沙希、何考えてるの?」

 と興味ありげに訊かれる。わたしは、その質問には直接答えずに、二人に訊き返した。

「ねえ、二人とも。新聞部の部室って、どこにあるか知ってる?」

「印刷準備室です。南棟、一階にありますけど……」

 どこか戸惑いつつも、ゆずちゃんが答えてくれる。

「でも新聞部が、どうかしたんですか?」

 わたしはにやっと笑う。

「あなたのお姉さんに、会いに行くの」


   ◇


『7月31日(月)ハマコー新聞 号外

【速報】「水泳部を執拗に狙う盗撮魔の正体 ついに判明」

 7月31日、水泳部を盗撮のターゲットに選んでいた卑劣な人間の正体が、ついに明らかになった。それは驚くべきことに、浜野高校の三年男子だったのだ。彼の名前は諸々の都合上、Fと表記させてもらう。

 これまで追って報道してきたように、今月から、浜野高校の水泳部は正体不明の謎の盗撮魔により、二度盗撮の被害に遭っていた。一度目が4日、二度目が18日である。時間帯はどちらも6時代で、水泳部の部活動中であった。

 そして31日、犯人の正体を我々新聞部は突き止めることになる。

 水泳部はプールの水が抜かれていた件で、しばらく活動休止中であったが、30日に業者により給水され、31日から活動を再開することになった。水泳部の活動再開に伴い、これまで同部を執拗に狙い続けた盗撮魔が再び現れるのではないかという、水泳部OGで元部長の氷室沙希先輩のアイデアに従い、新聞部は記者を含めた部員数名で張り込みを敢行することにした。そしてその予想は、見事に的中することになる。

 張り込みの場所は、プールから道を挟んだ先にある、浜野北公園の植え込み。ここなら姿を隠すのに適しており、犯人が盗撮のスポットにするであろう、プールを囲むフェンス際の茂みをはっきりと視認できる。

 午後12時半頃、夏期講習を終えた氷室先輩、そのほかにも同じく水泳部OGの苅谷凛先輩、笹本涼二先輩と合流し、我々は監視を続けていた。

 そして待つことおよそ30分後、午後1時10分頃、Fが姿を現すことになる。Fはこれまでと同じように、茂みの中に身を隠すと、一眼レフカメラ構え、部活動中の水泳部を撮影し始めた。さすがに三度目とあってか、ずいぶんと落ち着いた様子で、手慣れたようでもあった。

 すぐに我々はFのもとまで駆け寄り、逃げ出せないように包囲した。Fは明らかにうろたえたものの、やがて観念したように、持っていた一眼レフを差し出した。

 カメラのメモリには、水泳部の盗撮写真が大量に残されていた。盗撮写真は31日のものだけでなく、4日と18日のものもあった。彼こそが水泳部を狙い続けてきた盗撮魔の正体であるという、決定的証拠である。

 問い詰めると、Fは渋々といったように白状した。これまで、盗撮した写真を他校の男子グループに売っていた、予想以上に需要があったため、調子に乗って盗撮行為を繰り返していたという。断じて、許すまじき行為である。また、ここでは詳述は控えるが、記者の妹に危害を加えたのも、ほかでもないこのFであった。

 氷室先輩と苅谷先輩は、このあと用事があるらしく、我々とはここで解散することとなった。笹本先輩も、「じゃあ俺も」とその場を立ち去っていった。

 その後、もちろん新聞部は、押さえた証拠と共にFを職員室に突き出した。

 今後、Fの処遇が具体的にどうなるかはわからない。だが、ひとつ確実にわかっていることは、ほぼもらうことが確定していたという指定校推薦は、まず間違いなく取り消されるだろうということである。(二年 新聞部部長 田中すず)』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

謎は氷みたいに解ける! 植木意志 @ishiueki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ