泳げないプール 第25話

 そう感心する凛は、腕を組み替えると、げんなりしたように一言。

「ていうか藤田くん、色々と最悪」

 見ると、ゆずちゃんの方は別に怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもなかった。ショックを受けているようでも、恨んでいるようでもない。むしろ、疑問が解消されて晴れ晴れとした顔をしている。見かけによらず、気丈なのかもしれない。Tシャツの、『NO MORE CRY』のロゴが目に入る。ゆずちゃんは少し首を傾げると、薄く笑った。

「わたしも、自分で言うのもなんですが、かなり、おっちょこちょいな性格で……。その盗撮魔の、藤田って人も、そういう感じの人なんですか?」

 まさに、そこだった。わたしが藤田を疑った部分は、まだ他にもある。それが、ちょうどいまゆずちゃんが指摘した部分。ここで、さっきの「藤田は、本当は何を見ていたのか」というわたしの疑問と合流するのだ。

 言うなれば、些細な違和感。普通なら特に気にも留めない。たとえ留めたとしても、すぐに忘れてしまうような、ほんの些細な……。

「うん、そのことなんだけどさ……」

 視線を、ゆずちゃんから凛に移す。

「凛、覚えてる? いまから一時間前、この掲示板の前にいる藤田が、わたしたちに話しかけられたときの様子」

「え」

 凛はこめかみに指を当て、考えるようにした。そしてすぐに、

「あ」

 とつぶやき。

「びっくりしてたね。それも、ちょっとびっくりしすぎなくらい、びっくりしてた」

「でしょでしょ?」

 あのとき藤田は、凛に背後から声をかけられて、不自然なくらい驚いていた。肩を跳ねさせて、弾かれたように振り返っていた。あれはちょっと、普通の驚きようじゃない。強面の先生とかならまだしも、凛に話しかけられて普通、あんか感じになるだろうか。

 それもわたしの知る限り、藤田の性格は落ち着いている。ちょっとやそっとのことじゃ、動揺したりしないような、大人びた余裕みたいものがある。凛も同じ印象だったらしく、

「藤田くんってさ、いつも冷静で、落ち着きのあるイメージがあるじゃない? どんなことでも、取り乱したりしないような。だからさ、あのとき一瞬だけ、あれ? って思ったんだよね」

「ね、わたしも」

 そう。わたしも凛も、藤田のことをそういうやつだと思ってた。だから、あの反応は少し意外だった。

 凛と、同じイメージを共有できていたことに安心していると、肩をすくめて、凛は皮肉っぽく言い添える。

「ま、その印象はいまでは、百八十度変わっちゃってるんですけどね」

 それはわたしも同じ。

 だとしても、やっぱり普段の藤田は、落ち着き払った性格だ。少なくとも、教室ではそれで通っている。

 そんな藤田が、あの驚き方。何か、後ろめたいことがあるんじゃないかと考えるのが、自然じゃないか。あれは、ゆずちゃんに撮られてあの表情になったのと、同じ理屈だ。要するに、

「藤田は、あとから気づいたのよ。

 ゆずちゃんをプールに突き落としてからしばらくして、あれは、新聞部の田中すずではなかったんじゃないかって。自分は、根本的な間違いをしたんじゃないかって。そういう可能性に行き着いた。

 だって考えてみれば、おかしい点は色々とある。どうして田中すずの周りには、スケッチブックや、絵の具、パレットやバケツといった画材道具があったんだって。彼女は新聞部だ。そんな物をプールで使う必要がない。もしかして、僕はとんでもない思い違いをしたのでは——藤田はそう思ったかもしれない。

 もしかしすると藤田は、現場のプールに戻って、実際に確かめにも行ったかもね。行ってみるとそこには、絵の具の塗料で汚れたプール。それを目にした藤田は、絶句したと思う。

 そして、自分の間違いを確認するためなのか、この、いまわたしたちのいる掲示板の前に移動する。たぶん、大慌てで。そして、見つけた。見つけてしまった。二つの、よく似た名前を」

 

 わたしは目の前の、美術部の展覧会お知らせのポスターと、新聞部の七月号の記事に、されぞれ視線を動かす。両者は隣り合わせで貼られている。その隙間は、ほとんどない。埋もれている。

 そもそも、この掲示板には、隙間を作れるような充分なスペースがない。ありとあらゆる部活—— 運動部や文化部が、スペースを取り合い、自分たちの活動を宣言しまくっている。

 先月やったはずの、生徒会選挙の告知ポスターも、なぜかまだ貼ってあった。女子の方が色々と強いこの学校では、今年も生徒会長と副会長に選ばれたのは、どっちも女子だった。男子も一人くらい、立候補してたっけ。まあ、いいや。

 いま注目すべきは、美術部のポスターと、新聞部の月刊記事。

 向かって左のポスターには、「二年 美術部部長 田中ゆず」と記載があり、その右隣の記事には、「二年 新聞部部長 田中すず」とある。二人の姉妹、双子の名前。

 藤田は、これを見つけてしまった。凛もゆずちゃんも、ポスターと記事に、視線をきょろきょろとさせている。ずばりわたしは言う。

「藤田は、これを見て悟ったのよ。自分が突き落としたのは、田中すずとよく似た双子だったんだって。盗撮事件とは、まったく関係のない美術部部長を、水中に落としてしまった。藤田は、ついに理解した。

 そんな茫然としているところに、不意に凛から声をかけられることになる。そりゃ、あの藤田があんな驚き方をしても、仕方ないんじゃないかな」

 すると、ぐおむ、と凛の変な唸り声。というより、呻き声? とにかく謎の擬音を発した凛は、ぽつんと感想を漏らした。

「そっか……。つまり、美術部の展覧会に興味があったなんて、嘘だったんだ……。あれは、その場しのぎの、即席の言い訳」

「うん。そうなるね」

 言いたいことは、これでぜんぶ言った。推理は、これで終わり。ああ、めっちゃ喋った。噛まずに言えた。我ながら、頑張ったんじゃないかしら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る