泳げないプール 第24話
二人は、わたしが次に何を言うかを待っている。どこか息を詰めて、見守るように。
気づくと、左肩にかけている鞄の位置がずれてきていた。かけ直し、んんっと、二度小さく咳払い。話す準備が整ったわたしは、話し始める。
「いい? 順を追って話すね。
今朝、正確には八時頃、盗撮魔である藤田は、プールにやってきた——一眼レフのカメラを持って。目的は、三回目の盗撮。夏休みに入ってからは初めての犯行ね。
ターゲットは、もちろんうちらの後輩。盗撮をしようと、住宅街の方からそっと忍び寄る。フェンスの外からプールを覗き込んでみると……水泳部は、いなかった。それも当たり前。だって夏休み中、水泳部の練習は、お昼からなんだもん。藤田は、そのことを知らなかったみたいね。間違って、朝に来ちゃった。
そして、水泳部の代わりにそこにいたのが、田中ゆずちゃん。あなただよ」
そう名指しされて、ゆずちゃんは少しびくっとなる。小さな肩が、一瞬だけひゅっと縮み上がったようだった。ちょっと声色が冷たかったかな? 気をつけよ。
「そのとき、ちょうどゆずちゃんは、デジカメをプールに向けて写真を撮っていた。プールを引き上げたあと、撮った写真を見ながら、美術室で続きを描くためにね。その写真の中、プールの後ろには、住宅街が写っている。
つまりゆずちゃんは、藤田のいる方向を撮っていた。
事実、二枚目の写真には、藤田がばっちり写ってるわけだし。そのことが、盗撮魔である藤田には、タイミングが悪かった。まずかった。だって偶然にも、フェンスからプールを覗き込んだ瞬間に、自分の姿がパシャリと撮られたわけだから」
藤田からすれば、プールに水泳部がいないとわかれば、目的はどうやっても達成できない。諦めて、すぐに踵を返そうとするはず。今日みたいな猛暑日に、いつ来るかわからない水泳部をじりじりと辛抱強く待ち続けるとも思えない。
だから、藤田がゆずちゃんに撮られたのは、プールを覗き込んだ瞬間に限られる。だからこそ、藤田にとってそれは不運だった。
そして本当に問題なのは、ここから。ゆずちゃんがプールに突き落とされてしまった、根本の原因。
「撮られた瞬間、藤田は、大きな勘違いをしてしまったの。自分を撮影したその人物は、田中すずだと——盗撮事件の犯人を突き止めるために、張り込み中の新聞部部長だと、ね。ゆずちゃんのことを、そう勘違いしたの」
二人とも、これでもかっていうくらい、大きく目を見開いた。言葉を失うほど、相当驚いているようだ。わたしが言いたいことが、わかったらしい。
一方のわたしは、途中で言い間違えたり、噛んだりしないように気をつけながら、話を続ける。この状況、噛むのはちょっとかっこ悪い。
「学年は一個下だけど、すずちゃんのことを、藤田は知ってたのね。梢いわく、校内じゃけっこう有名人らしいし」
まあ、わたしと凛は知らなかったものの、
「藤田は、すずちゃんのことを知っていた。知っていたからこそ、そんな勘違いをしてしまった。だってゆずちゃんとお姉さんは、ちょっと見分けがつきづらいほど、とてもよく似てるから」
実のおばあちゃんも見間違えるくらいに、ね。心の中でそっと付け足す。ゆずちゃんは、微妙な笑顔になっている。
「繰り返すけど、藤田はゆずちゃんのことを、お姉さんさんのすずちゃんだと思い込んだ。
さらに藤田が知っていたのは、すずちゃんのその見た目だけじゃなかった。誰かれ構わず、見境なく写真を撮るその性格や、新聞部として、盗撮事件について取材に取り組んでいるその近況なんかも——知っていた。
まあ、藤田は盗撮魔なんだから、新聞部がどう報じたりしてるのかチェックするのは、自然なことかもね。記事には、新聞部は引き続き取材を重ねる、とまで宣言してある。藤田は、そのことも把握していたんだと思う。だから彼の中で、カチリと自然に辻褄が合ってしまった。
盗撮魔である自分を、新聞部部長がロックオンし、現場で待ち構えていた、と。そしてまんまと、運悪く自分は激写されてしまった——盗撮魔の正体を暴く、大スクープ写真をね。そういうふうに、藤田には偶然、解釈できてしまった」
ちょっと言葉を空ける。
「でも、藤田がゆずちゃんとすずちゃんとを間違えるのも、無理はないよ。二人は本当によく似てるから。
顔は一緒。髪型もほぼ一緒。メガネは二人ともかけてる。しかもフェンスを挟んで、ちょっと距離も離れてる。そして追い討ちをかけるように、すずちゃんがいつも持ち歩いているであろうデジカメを、ゆずちゃんも同じく持っていた——それを、自分に向けた状態でね。それも連写。ゆずちゃんは十枚、同じ構図の写真を撮っているからね。
一方で、すずちゃんには、ためらいなく他人を、無断で撮影する癖がある。そう自信を持って断言できるのは、一時間前に、わたしと凛が体験済みだから。
藤田は一瞬にして、田中すずに撮られた、と思った。きっと藤田には、すずちゃんの存在が強烈だったんだよ。実際、梢や日向にもそうみたいだし。そのせいで藤田は、よく考えもせずに、田中すずに盗撮事件の証拠写真を撮られた、とそんな思い込みに囚われてしまったの。
ただ、さすがにこれだけの条件が重なれば、藤田が勝手にそう勘違いしてしまうのも、納得はできるってもんね」
言ってしまえば、ミステリーでいうところの「双子のトリック」のような状況に、皮肉にも藤田は自分の勘違いで、勝手に陥ってしまったわけだ。本来、これって犯人側が仕掛けるものなんだけどね。犯人側が、引っかかっちゃった。
「だから写真を撮られた藤田は、あんな、お化けを目撃したときみたいな、ひどく驚いた顔をしていたのよ。あの表情には、絶望も混じっていたかもしれない——撮られてしまった、と。盗撮犯が自分であることが、バレてしまったって。この世の終わりだとも思ったかもしれない。
でも、藤田は考えた。そしてすぐに、実行に移すことに決めた……」
「そうか……」
ここで、それまで口をつぐんでいた凛が、腕組みしながら言った。どこか、思い詰めたような面持ちだ。凛の言葉は続く。
「それで、証拠写真を撮られたと勘違いした藤田くんは、カメラの水没を狙った。だから、ゆずちゃんを——すずちゃんだと思い込んたゆずちゃんを、一緒にプールに突き落としたのね」
「そゆこと」
話の山場は越えて、ちょっとひと安心。思わず軽い調子で答えてしまう。いや、まだ話は終わってない。調子に乗るな、わたし。心を改めて、
「あのとき、デジカメはゆずちゃんの首にかかっていた。藤田は、ゆずちゃんごと、それをプールに落とそうと企てた。
だけど、カメラは水没することはなかった。ゆずちゃんのデジカメは、防水式だったからね」
そう。おかげでわたしたちは、いまにも真相にたどり着こうとしつつある。わたしは先を言う。
「あのとき、ゆずちゃんを突き落とす動機があった人間は、もはや盗撮魔である藤田以外には考えられないよ。そう考えれば、すべてが、矛盾なく符号するの。
そして、ゆずちゃんを突き落としたのが藤田なら、逆に考えていけば……自然と、盗撮魔が藤田であるという結論に、こうして行き当たるってわけ」
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