第3話 出題と答と真相と

 岸井はポケットから手帳を抜き取り、さらにページに挟んであった紙を手に持った。

「えー、殺人事件が起きたのはちょうど半年前。一月末の頃だ。現場の洋館があるのは、北国の一地方としておこう。気になるのなら、あとで検索でも何でもしてくれればいい。

 周辺は前日に降った雪で白く染まり、五センチ近く積もったそうだ。そして日付が代わった事件当日の午前七時頃。その館を所有する一家の一人娘が死体となって発見される。死因は、頸動脈の辺りをナイフですぱっと。ナイフはその場に落ちていたが、持ち主は不明。出所も量産品なので犯人特定の決め手にはなりそうにない。

 場所は館の敷地内で、ちょっとした藪になっていたため、遺体は隠れてしまっていたらしい。敷地は塀に囲まれ、その向こうも断崖等で人が簡単に移動できる環境になく、外部からの侵入者は考えられない。かといって、館からも難しかった。というのも遺体の周辺には、館から三十メートルほど続いた第一発見者――父親と兄の足跡を除くと、被害者自身の物しかなかったからだ。

 娘は前日の昼から館を出ており、いつ帰ってきたのか分からない。朝になって、一度戻った痕跡があることに気付いた父親と兄が探しに出て、見付けたとのことだ。死亡推定時刻は当日の午前一時から三時までの二時間。雪は前日の午後十時頃から当日の朝十時頃まで、ずっと止んでいた。――ここまでで質問は?」

「……とりあえず……被害者の足跡の様子を」

 ぼそっとした声だったが、しっかりとした意図を持って質問したらしかった。というのも、天乃探偵の目が死んでいないことを、鈴木はちゃんと見ていたから。

「おう、それなら今まさに言うところだった。精神的にどうにかなっていたのか、若干、ふらふらした、一定しない足取りでね。深さも一センチのところがあるかと思えば、三センチのところもあるという具合にまちまちだった。歩幅などから、走っていたのではない、つまり犯人に追われていたのでないことははっきりしている」

「深さ三センチ……。積雪五センチなのに、三センチというのが気になる……踏み潰されて圧縮されたとしても、二センチも変わるものなのか。念のために窺いますが、館から遺体のあった地点までの足跡は、新雪の上に付いた物だと、間違いなく断定できるのでしょうか」

「……いや、それは分からん。ただ、何箇所か計測されたポイントのいくつかでは、元々深さが三センチほどしかなかったのではないかと疑われる場所もあった」

 天乃探偵の目が輝いたように、鈴木には思えた。

「岸井さん。関係者の中に、それなりに大柄もしくは体力があって、ドローンを操縦するのがうまい人物がいるか、分かるだろうか?」

「ほう、何を閃いたか知らないが、その質問にすぐに答えるのは無理。俺達の管轄で起きた事件じゃないので。だが仮にそんな奴がいたとしたら、そいつが第一容疑者になる?」

「ああ。犯人は館の中で娘の意識を奪い、背負って現場に運んでからナイフで殺したんだ。足跡は通常よりも深いものがあちこちにできたはずだが、往復時になるべく踏み潰したのに加え、館に戻ってからドローンを放ち、館から遺体まで雪を吹き飛ばしながら飛行した。さらにドローン底部に、被害者の履き物を固定し、足跡を地面に残せる道具にした。この仕掛けなら足跡は残せるが、深さがまちまちになったのは、操縦者も気が急いていたんだろう」

「……ふむ。なかなかユニークな推理だった。これまでのリハビリでは、一番よかったように思う。真実を見抜いているかどうかの判定は、現時点ではしないし、できない。ただ、まあ、そうだな。回復の兆しが見られていることにしとくよ」

 岸井はちょっとだけ口元を緩めた。

「さあて、最初に断った通り、俺達現役の刑事は、のんびりしている暇がない。そろそろお暇させてもらいますよと」

 席を立った岸井は、鈴木にも立てと、目配せで知らせた。


「密かに調べてみたんですけど」」

 天乃宅から帰りの道すがら、運転手を務める鈴木は、助手席の岸井に疑問をぶつけることにした。

「岸井さんが話した北国の洋館での殺人事件、本当に発生してます?」

「……ふふ。気が付くのが意外と早いな」

「ということはやっぱり、作り話なんですか? 道理で検索してもヒットしないと思いましたよ」

「まあ許せ。おまえにまで種を割っていたら、もっと早くに天乃探偵に勘付かれる恐れがあった。敵を欺くにはまず味方からってやつさ」

「いえ、そんなのはいいんです。分からないのは、わざわざ嘘の事件をでっち上げた理由ですよ」

「そんなもの、決まっている。天乃に復活を促すためだ。天乃探偵向けで、天乃探偵が閃き易い真相を設定し、天乃探偵がこちらの用意した答に辿り着いたら万歳!ってわけだ」

「……」

 車は行きと同様、再び高速道路人入った。

「この嘘の事件の脚本家は誰ですか。まさか岸井さんじゃないでしょうね」

「俺なんだよな、それが。脇田さん亡き今、天乃探偵を一番知っているのは俺ってことになってるから、仕方ない。文学青年に戻ったつもりで必死に作った。おまえから見てどうだった? まずまずの出来映えだと自画自賛してたんだが」

「何と言いますか……謝ります」

「はあ? 何で」

「僕は今日の岸井さんがやけに冷たいなと感じてたんです。それがお芝居と分かった。それどころか、天乃探偵のために、自ら苦労して事件の考案までしたなんて。あなたは全然冷たくなんかありませんでした」

 道は渋滞の気配が出つつあったが、まさか車を止める訳にも行かず、ハンドルを握る鈴木は、目礼だけした。

 岸井は少し遅れて、反応を示した。

「あたぼうよ」


 終わり

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先輩刑事は冷たくて熱い 小石原淳 @koIshiara-Jun

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