第2話 リハビリ探偵

 お辞儀をする鈴木に、天乃は片手を差し出してきた。握手しながら、

「初めまして、天乃才人です。鈴木さんのことは何とお呼びすれば? 鈴木刑事?」

 プロ野球選手を思い浮かべるからその呼び方はやめとけと、諸先輩からはよく言われるのだが、鈴木本人は気にしていない、というかプロ野球についてよく知らないのだが。

「何でもいいです。あの、これ、お好きだと聞いて」

 袋に入った菓子を差し出す。天乃探偵は両手で受け取り、中身をちらと覗いた。

「ああ、これは嬉しいな。どうもありあがとう。ところで今日は何用で?」

「月一の恒例のやつでさぁ」

 岸井が言った。

「日の感覚もなくなりかけかいな? 前回からだいたい一月経ったんですよ、天乃名探偵?」

「言われてみればそのくらいか。分かりました。書斎に移動しましょう」

 廊下を挟んで反対側の部屋に移った。最初の部屋に比べると、書架は一つしかなく、代わりに大きめの机がでんとスペースを取っていた。

 その机のサイドの面を天乃探偵が何やらいじると、その面がぱかっと外れ、弧を描く風にして外へ広がり出た。椅子のようだ。反対側でも同じようにして、椅子が姿を現す。

「適当に座って。ああ、悪いがお茶は出ないので」

 菓子を紙袋ごと机の陰に置きながら、天乃探偵は言った。鈴木達が座るのを待って、次の言葉を発した。

「岸井警部補、今日はどんな事件なんだろう?」

「ああっと、今日は少々荒療治でもかまわないと言われてるので、昔のことを蒸し返させてもらいましょうか」

「昔のこと?」

 岸井の言葉に、天乃探偵の目にわずかながら警戒の色が浮かぶ。

「そう、あんたが大きなミスを犯した、雪の山荘事件を軽くおさらいして、それから本日の事件と行きましょう」

「うぅ……嫌とは言えないのだろうね」

「嫌と言われたら、私らは帰るだけで」

 小さくお手上げのポーズを取る岸井。天乃は不承不承といった体で頷き、話を促した。

「では早速。――雪の山荘事件、あれは四年前の一月だった。女主人の誕生パーティに呼ばれたあなたは、御多分に漏れず、殺人事件に遭遇する。一人目の被害者は女主人の年の離れた妹で、状況から女主人と見間違われて殺されたと思われた。二人目は屋敷のメイド頭で、雪の原っぱで死んでいた。いわゆる雪の密室、足跡なき殺人だったが、これに対しあなたは近くにある村の設備、逆バンジーの仕掛けを利した巨大な人間パチンコによる放擲殺人だと判断した。そして問題の三つ目。これまた近くにある池が凍り、そこにバラバラに切断された女主人の遺体が氷詰めの状態になっていた」

「ああ……その先も言うのかい」

 皆までは口にしないが、哀願するような目を向ける天乃探偵。鈴木は内心、気の毒に感じていた。一方、上司の岸井は冷たい口調で言い放つ。

「言わなきゃ意味がないのでね。あなたは一連の殺人事件を、女主人の犯行だと推理した一件目の殺人はいかにも女主人に間違われて妹が殺されたような状況だったが、その状況を故意に作れるのは女主人だけである。二つ目の事件で、冬場閉鎖されている施設の鍵を偽造できるのは、かつてフィギュア造型師として働いた経験のある女主人だけである。そして三つ目、女主人のバラバラ遺体は実は精巧に作られたマネキン。犯行現場を無闇にいじってはならないという心理を利用して、氷に閉じ込めることで、作り物であることがばれるのをしばらく防げるという狙いだとした」

「ああ……」

「そしてあなたは警察の到着を待たずして、池の氷を破壊し、女主人のマネキンを取り出そうとした。ところが……それは作り物の人形なんかではなく、正真正銘、女主人の切断された遺体だった。推理は大外れに終わった」

「仕方がなかったんだ。もしマネキンのトリックが使われていたとしたら、それは犯人が逃走時間を稼ぐためだ。一刻も早く、氷の中にあるのはマネキンだと示す必要があったんだ。それに、女主人の亡き夫の職業が、マネキン人形師だったのも大きい。妻にそっくりのマネキン人形を残していてもおかしくない。そして女主人はそのマネキンを用いてトリックを実行したのだと、勝手な絵を描いてしまった。うう、思い返すだけでも顔から火が出そうだが、それだけなんだ」

「それだけじゃあないでしょう。後に我々警察で捕まえた真犯人の男は、あなたのことを揶揄していた。小説や漫画、クイズに出て来たトリックをそのまま使ったように見せ掛けて、裏をかいただけなのに、まんまと引っ掛かるなんてとんだ迷探偵だ、と」

「もうよそうじゃないか。やめてくれ。もうたくさんだ」

 耳を両手で塞ぐ探偵の天乃。いや、元探偵と言わなければないかもしれない。そんな風に鈴木は思った。それだけ今の天乃才人からは哀れさを感じる。

(岸井さんも、過去の鬱憤を晴らすみたいに……そこまでこき下ろさなくても。僕らを熱く指導することはあっても、ここまで冷淡な人だったなんて)

 先輩に対する多少の非難と、伝説の名探偵に対する憐れみ、そしてほんの少しの失望を感じながら、若い鈴木には見守るしかできないでいた。

「この話はここらでやめてもいい。だが、もうたくさんでは済まないんだな。これからが本題だ。今日のお題ってやつさ」

「無理だ。こんな精神状態で、まともに解けるはずがない!」

「いいから聞けよ。解けなかったら解けなかったでいい。それが今の天乃才人の実力だ」

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