先輩刑事は冷たくて熱い

小石原淳

第1話 先輩刑事

 天乃才人あまのさいとは名探偵である。ただし、現在休養中。

 かつては、警察が苦戦した無差別殺人を解決に導いたり、迷宮入りしていた一家皆殺し事件に真相の光を当てたり、誘拐犯とされた女の冤罪を晴らしたりと、八面六臂の活躍を見せ、名探偵の名をほしいままにしていた。

 ところが四年前の冬、山荘で起きた殺人事件を契機に自信を喪失し、自宅に籠もりがちになってしまった。依頼を受けることもなくなり、顔馴染みの脇田わきた刑事がお知恵拝借とばかりに相談を持ち掛けても、途中で放り出してしまう。

 その脇田警部補が亡くなったことで、代わって天乃才人担当者にされたのが、やはり警部補の岸井玲二きしいれいじだった。

 岸井の部下である鈴木正すずきしょうは、今日初めて岸井に同行し、天乃探偵の元を訪れるとあって、多少興奮していた。

「岸井さんは、天乃探偵と一緒に仕事をされたこと、あるんでしたよね」

「ああ。その腐れ縁で、こんな面倒な役割を押し付けられた」

 助手席で仏頂面のまま、前を睨むような顔付きの岸井。ハンドルを握る鈴木は意外に感じていた。

「面倒ですか? 僕は凄く名誉に感じましたけど」

「鈴木、おまえは名探偵にどんなイメージを抱いてる?」

「それはもちろん、難事件を快刀乱麻を断つが如く、ばったばったと解き明かしていく……違うんですか?」

「ああ、まあ、違っちゃいない。快刀乱麻云々てのは言いすぎだが、難しい事件を次から次に解決に向かわせやがったと思う」

 いちいち棘のある物言いの先輩に、鈴木はこれは訳ありだなと推測した。ストレートにぶつけてみる。

「岸井さんは天乃探偵との間で、何かあったんですか。捜査の過程で衝突したりとか、手柄を持って行かれたりとか」

「ふん。それくらいなら茶飯事さ。まあ、厳密に言えば、常に正しかったのは天乃の方。意見の衝突で間違えていたのは俺達、手柄は持って行かれたのではなく、正当な評価を受けたってだけだ」

「でしたらそんな毛嫌いしなくても、認めていいのでは」

 車は高速を下り、一般道に入った。

「能力を認めてなかったんじゃないぞ。俺が気に食わなかったのは、奴の存在が警察にマイナスに作用するってことだ」

「どういう意味でしょう?」

「分からんか。名探偵と言ったって、一般人の素人だ。そんな人間が、警察も苦戦する事件を次から次へと解き明かしてみろ。こっちへの風当たりが厳しくなるのは分かるだろ」

「それはまあ」

「税金ドロボーだの警察解体だの、うるせえんだよ。名探偵がたとえ百人いたって、警察全体の代わりは務まらない」

「それはそういう見方をする一部の人達がよくないのであって、天乃探偵のせいではないのでは」

「そうだよ。だが、そんな状況を解決する簡単な方法がある。天乃が警察に入ればいい。捜査に際立って有益である特殊な技能を持った人物として、採用可能だ。いざとなったら、特別顧問でも何でもいいから肩書きを用意したらいいさ。そのことを俺は前に、天乃に直に言ったんだ」

「あ、そうだったんですか」

 信号のある交差点を左に折れ、住宅街に入る。ここからは速度を落とし、より慎重な運転に努める。

「だが、あいつは断りやがった。警察のような組織に縛られるのは嫌だとぬかして」

「興奮しすぎですよ、岸井さん」

「知るか。おまえが思い出させるからだ。あいつは俺だけでなく、脇田さんが頭を下げて打診したのまで断ったんだ。まったく、俺達の気遣いや苦労も知らずに、あっさりと」

「――あ、あそこでしょうか」

 気詰まりな車内の空気を早く振り払いたくなった鈴木は、まだやや距離はあるが、天乃才人の自宅らしき建物を指差した。

「ああ、そうだ」

 岸井はぶっきらぼうに答えた。

「しっかり覚えとけよ。次の担当はおまえになるかもしれないしな」


 独身男の独り暮らしと聞いていたが、家の中はきれいに片付いていた。生活感の乏しさが気にならないでもない。が、天才的な探偵能力を誇る人物の住まいであれば、これくらいはむしろ普通にあって欲しいと思える。

 鈴木は手土産の入った紙袋を最終確認し、玄関から上がった。

「あの、家の人が出て来てませんが、いいんですか」

「いいんだ。事前に連絡を入れて、了解を得ている。おまえ、さっきのインターフォンでのやり取り、見てなかったのか」

「見てましたが、まるで忍者のやり取りで」

 インターフォン越しに「市場で針と糸を買って来た訳は?」と問い掛けられ、「古典的密室を作るため」という返事をすると、「どうぞ上がってください」と言われた。冗談なのか本気なのかよく分からない符丁だ。

 廊下を奥まで行き、右手の部屋のドアを岸井がノックしようとしたが、ドアが半開きなので互いがよく見えた。

「――やあ、岸井警部補」

 大きな書架の前に立ち、重たげな本を開いていた男が言った。すぐに本を棚に戻すと、些か覇気に欠ける幽鬼のような足取りで、近寄ってきた。「そちらは?」と鈴木の方を見やる。

「日本で一、二を争う数の鈴木に、正しいと書いてすずきしょうだ。俺の下っ端だ」

「初めまして、鈴木正です」

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