後編
授業中、板書された数式をノートに書き写しながら、頭の片隅ではずっと美優のことを考えていた。
美優は今頃どうしているだろう?
あの優等生のことだもの。きっと今も真剣な顔で授業に聞き入っているに違いない。
ちょうど一年前の春、私は初めて美優と出会った。
「初めまして、相内美優です。よければ私と友達になってくれませんか?」
緊張しながら、こちらの様子をうかがうように声をかけてくれた美優。
「もちろん。私は白石瑠香。よろしくね」
あまりにいじらしくて、可愛くて。私は笑みを誘われ、二つ返事でOKした。
努力家で、友達思いで、聡明で、大人びていて、でも時おり見せる妙に子供っぽい一面も愛らしくて、容姿も美しくて、ふとした横顔もすごく綺麗で――。
私はすぐに美優の魅力のとりこになり、気づけばいつも一緒に過ごす仲になっていた。
けれども、定期試験の結果が廊下の壁に貼り出されているのを見るたびに……。
私は胸をかき乱されるような、ざらりとした、言いようのない気味の悪さに襲われた。
「すごいじゃない、瑠香。また名前が載っているわ」
「美優だって載ってるでしょ。しかも、私よりも上」
「うふふ、今回も私の勝ちね」
美優が混じりけのない無邪気な笑みを輝かせる。
「別に美優と比べてなんかないし。私は私のベストを尽くすだけ」
私は唇をわずかに尖らせ、そんな強がりを口にする。
けれども、本当は悔しくて、家に帰ると不甲斐ない自分に涙がこぼれた。
憧れの美優に早く追いつきたくて。
必死に頑張って。
寝る間も惜しんで勉強して。
時に具合を悪くして。
それでも美優には敵わないと思い知って。
もう美優のとなりに立つ資格なんて私にはないんじゃないかってくらい落ちこんで……。
ある冬の夜、しんしんと雪が降りしきる静かな世界で、私は心がポキリと折れる音を聞いた。
切磋琢磨はすばらしい。世の中が競争社会だってことも分かる。大学受験がそう甘くはないということも。
それでも――。
私は、美優とだけは、比べ合う関係でいたくはなかった。
美優は美優、私は私。『みんな違って、みんないい』私と美優の二人が過ごす世界は、そんな甘く優しい世界であってほしかった。
美優は私を「太陽」だと言ってくれたけど、それは違う。
美優は光、私は影。比べれば比べるほど、私は暗い影を濃くしていく。
だから、私は特進クラスを辞退したのだ。
ずっと私の心を占めてきた、大好きな女の子とこれ以上競わなくてすむように――。
〇
昼休み。
誰もいない生徒会室で一人お弁当を広げていると、
「やっぱりここにいた」
美優が姿を現した。
私を見つけるなりぱっと表情を明るくするところ、本当に可愛い。
……なんて、素直に言えるはずもないけど。
「私もここでお昼食べる」
「好きにすれば」
「じゃ、好きにさせてもらおっかな」
美優は私のとなりに座りこみ、パイプ椅子を私のほうへと寄せ直す。
「ちょっと近くない?」
「私に寂しい思いをさせた罰よ」
意外な言葉が返ってきて、私はハッとした。
――そっか。寂しい思いをしていたんだ。美優も、私も。
そんな当たり前の感情に、今さらながら思い至る。
私は美優と一緒にお弁当を食べながら、慎重にタイミングをはかり、ついに切り出した。
「……あのさ。昨日、美優、私に言ってくれたじゃない? あれ、今日じゃ駄目?」
「昨日? 私、瑠香に何か言ったっけ?」
「ほら、告白がどうとか」
言いながら、頬がカッと熱くなる。
美優が私を必要としてくれている以上に、ずっと私は美優を必要としている。
離れ離れになった今になって、ようやく本音に気づかされるなんて、ホントどうかしてる。
美優も昨日の発言を思い出したのか、顔がトマトみたいに真っ赤に色づいている。
それから、ニマニマと口元を緩めて、得意げな表情で私に迫ってきた。
「もしかして、瑠香も私がいなくて寂しくなっちゃった?」
「まあ、そんなとこ」
「これからもずっと私と一緒にいたい?」
「美優、顔近すぎ」
「だって、やっと想いが通じたと思ったら嬉しくて。……でも、今日は私から告白するの、やめよっかな」
「え?」
戸惑う私に、美優はとろけるような満面の笑みをこぼす。
「瑠香から告白して。そうしたら付き合ってあげる」
「はあ?」
美優は無邪気な少女のような笑みを浮かべて、私に甘い言葉を催促してくる。
私はますます顔が熱くなるのを感じて、恨めしそうに声を返す。
「美優って、案外そういうところあるよね」
「あら、お嫌い?」
「別に嫌いじゃないけど。ちょっと面倒くさい」
美優は春色に輝く頬をさらにほころばせ、楽しげに目を細める。
やれやれ。やっぱり美優には敵わない。
けれども、このまま美優に主導権を握られっぱなしは
私はあえて美優の望みに抵抗してみる。
「じゃ、いいや。今の忘れて」
「え? 告白してくれないの?」
「別に告白しなくても、きっと美優とはこれからもずっと一緒にいるだろうし。同じかなって」
「ぜんぜん同じじゃないから。じゃあ、私から告白するから、瑠香もして。それならいいでしょう?」
「えー」
「もう、面倒なのはどっちよ」
私たちは見つめ合い、クスクスと笑い合う。
私は美優に悟られないように、ポケットに忍ばせたお守りを制服の上からそっと撫でる。
指先に伝わる小さなお守りの確かな温もりに、私は悔しいほど満たされていた。
【完】
始業式 ~ 生徒会室、二人きり。 和希 @Sikuramen_P
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