中編

 始業式の帰り、私は神社に立ち寄った。

 最寄り駅からほど近い、商店街のなかにたたずむ神社で、けっして大きくはないけれど地元の人たちがよく参拝に訪れる、憩いの場所だった。


「美優、喜んでくれるかな」


 私は社務所でお守りを買った。鳥の絵柄があしらわれた、ピンクの可愛いお守りだ。


 それにしても、まさか美優が泣き出すなんて。

 いつも落ち着いていて、取り乱す姿なんてほとんど見せたことのない、あの美優が。


 もちろん、私だって美優と同じクラスになれないのは寂しい。

 でも、特進クラスに行かないと決めたのは私自身だから。美優と離れるのもやむを得ないと割り切ってもいる。


 でも、美優は違う。私が黙って勝手に大きな決断をしたことを、ひどい裏切りだと感じている。


 どうしてひと言も相談してくれなかったの? なぜそんな大事なことを今まで教えてくれなかったの? ――美優は私と別れた今もそんな問いを心の中でくり返し、一人悶々としているかもしれない。


「…………」


 想像したらリアルにありえる話に思えてきて、怖くなってきた。


 放課後の生徒会室で美優から向けられた、あの真剣な眼差しを思い出す。

 熱っぽくて切なげで、懇願するような美優の憂いを帯びた眼差しが、今も頭から離れない。


――あの時、私はどう答えるのが正解だったんだろう? 


 美優に必要とされるのは素直に嬉しい。

 でも、美優の『愛してる』と私の『愛してる』は、きっと違う。

 重さも、熱量も、真剣度も、何もかも、太陽と月の大きさくらいまるで違う。


――私はこれから美優とどう接していけばいいんだろう? 


「……って、答えが出ない問いをくり返しているのは、私も同じか」


 私は肩をすくめ、夕暮れ色に染まった神社を後にした。




 〇




「はい、これ」


 翌朝。

 私は美優を呼び出すと、まだ誰も来ていない特別教室の隅で、昨日買ったお守りを手渡した。

 美優が受け取ったお守りを不思議そうに眺め回す。


「どうしたの、これ?」


「美優、昨日すごく落ちこんでいたから。これで元気になってほしいなって」

美優が意外そうに目を見開き、表情を和らげると、ため息交じりに声をもらす。


「もう、瑠香ったら。よ」


「どういうこと?」


「なんでもないわ、こっちの話。それより、ありがとう。大切にする」


 美優はニコッと微笑み、さらにうかがうように問いかける。


「これってつまり、私のことが好きってこと?」


「え? あー、うん。好き好き」


「本当に? 私、勘違いするからね」


 美優が悪戯っぽい笑みをこぼす。

 まあ、これでよかったのかな。美優本来の明るい笑顔が戻ってきたみたいだし。


 すると、美優は何を思ったのか、黙って腕を伸ばしてきたかと思うと、いきなり私の右手を握ってきた。


「美優?」


 ふいに訪れた柔らかい手の感触に戸惑いながら、私もおずおずと美優の手を握り返す。

 卵を割らないようにそっと手の先でつまむような、ほとんど力を入れない繊細さで。


「瑠香は本当に優しい。あの時もそうだった」


「あの時って?」


「私が生徒会に立候補したくても勇気がなくてできずにいた時、誰よりも背中を押してくれたのは瑠香だった。壇上で立候補演説をする直前、緊張で倒れそうになっている私の手をこうして握って励ましてくれたのも瑠香だった」


「あれは、美優の手が震えていたから」


「おかげで私は生徒会の書記に当選できた。みんな瑠香のおかげよ。……でも、まさか瑠香まで会計に立候補するとは思わなかったな」


「なんとなくね。どうせ暇だったし」


 短く答える私。

 すると、美優はさらに一歩前へと踏み出して、私の顔をのぞきこんできた。


「な、何?」


「本当は、私のこと、心配してくれたんでしょう?」


「どうだろ。忘れちゃった」


「正直に言って。今は瑠香の本音が聞きたい」


「……まあ、ちょっとは心配だったかも」


 私は頬に微熱を感じながら、思わず顔をそらす。

 すると美優は満足したようにクスッと笑い、手を離すと、今度は腕を回して私に抱きついてきた。


「ありがとう、瑠香。私、これからもずっと瑠香に甘えながら生きていくわ」


「なんの宣言よ」


 ちょうど特別教室を訪れた女の子が、寄り添う私たちを目撃するなり、何かを察して申し訳なさそうに去っていく。


 もう、美優のせいで絶対誤解されたし。




 〇 



 

 美優と別れ、一人廊下を進んでいく。

 そして、教室に入ろうとして、私はふと足を止めた。

 クラスメイトの話し声に、不穏な響きを感じたのだ。


「ねえ、あの子、どうして一般クラスに来たんだろうね。頭いいんでしょう?」


「推薦狙っているからじゃない? 一般クラスのほうがテストが簡単だし、点数がよければ評定も上がるでしょう」


「なるほどねー。でも、だとしたら、私たちのこと馬鹿にしてない? こっちに来るなって感じ」


 彼女たちが私のことを話しているのは明白だった。


 嫌な方向に誤解されていると知って、たちまち胸が苦しくなる。私が一般クラスに来たのは、なにも大学の推薦が欲しいからじゃない。


 私は衝動的に逃げ出したくなった。

 私の存在を望まないクラスメイトと、私の存在を必要としてくれる美優。一緒にいて心地いいのがどちらかなんて、比べるまでもない。


 けれども、美優との別れを選んだのは私自身だから。

 私はなんとか踏みとどまり、とっさに制服のポケットに手を差し入れた。


 中に入っていたのは、さっき美優に手渡したのと同じ、お揃いのお守りだった。

 実は、昨日、私は密かにお守りを二つ買っていたのだ。一つは美優へのプレゼントとして。そして、もう一つは自分用に。


 私が同じお守りを持っていることを美優は知らない。

 神社でふと思いついた、ほんの出来心。

 けれども、美優とお揃いのお守りを手に入れて、私の心は妙に満たされていた。


 私だけが秘密を知っているという意地の悪い優越感も、多少はあったかもしれない。

 しかし、それ以上に、美優と同じものを持っているというだけで美優の存在を常に身近に感じられることが、私にとって何よりも救いだった。


 ……こんなこと、美優には絶対に言えないけど。


 私はお守りを握りしめ、何食わぬ顔で教室へと入っていく。

 そして、自分の席に座ると鞄から教材とノートを取り出すと、イヤホンを耳に突っこみ、黙々と授業の予習をはじめた。


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