女神見習いのタルト店とひとりきりのお客様

宿花

女神見習いのタルト店とひとりきりのお客様

 あてもなく西の空を見上げながら、好きなだけ歩き続ける。人生にそんなゆとりある時間が、どれくらい訪れるだろうか。

 けれど、ここではそれが許されている。

 英雄として死んだ者に贈られるささやかな贅沢なんだろう。

 勇者クロッカスはあくびを噛み殺しながらそぞろ歩いていたが、白ポプラの木の下で、突然袖を強く引かれ立ち止まった。


「そこのお兄さん、お兄さんったら!」

「俺のこと?」

「そうよ、勇敢な戦士さん。エリュシオンに来た記念に、タルトはいかが? 真っ赤なザクロを煮詰めて作ったの。おいしいのよ」


 癖のない小麦色の髪に白い花を飾った少女が、手提げ籠を掲げてみせた。

 紫の瞳と揃いの色のドレスが、緑ばかりの草原の中で花のように咲いている。

 さすがはエリュシオン。生前にはお目にかかれなかったような美少女だ。なのに、どこか懐かしいような気もする。

 クロッカスは不思議な気分になりながらも、他の勇士たちに聞かされた忠告を思い出して言った。


「あんた、女神見習いのスミラックスだろ」

「――――! そうよ、あたしはスミラックス。あたしがわかるの?」

「『タルト売りのスミラックスには気をつけろ』。あんた、有名人だな。行く先々で教えられたぜ」

「そうよ、有名よ。悪い意味でね」


 女神見習いのスミラックスはペロッと舌を出す。


「そういうあなたは、勇者クロッカスね。地上ではたくさん活躍したって聞いてるわ」

「そりゃどーも」

「あたし、あなたにすっごく会いたかったの」

「どうしてだ? 俺くらいの戦働きをした奴なら、他にもゴロゴロしてるだろ」

「あなたが……あたしの推しだからよ。一番顔がいいんだもの」

「顔かよ……」


 どこの街に行っても、顔だけを見て寄ってくる女たちがいた。まさか死んでからも追いかけられるとは。それも見習い女神に。

 他の男たちには聞かせられないため息を吐いてから、クロッカスは手を振った。


「顔に用事なら他を当たってくれ。俺は散歩を満喫するのに忙しいんだ」

「待って待って。顔を見たかっただけじゃないのよ。あなたにタルトを食べてほしいの!」

「タルトを?」


 ぎっしりとタルトが詰まった籠からひとつを取り出すと、スミラックスはクロッカスに差し出してくる。

 そのタルトは実に美味しそうであった。ザクロのジャムは鮮やかにつやめいていて、ほんのり甘い匂いがする。

 しかしクロッカスは騙されない。


「エリュシオンで物を食えば、次の生を受けられなくなる。俺が知らないとでも思ったか?」

「思わないわ。でもね、そう悪いものじゃないのよ。ここはいいところでしょ」

「まあな。血生臭くもないし、空気も澄んでる。ガチャガチャ言って他人を殴るロクデナシもいないし、異教徒も攻めてこない」

「そうでしょ」

「けど退屈だな」


 自分が褒められているように頬を上気させていくスミラックスだったが、クロッカスの一言でしゅんとしおれた。

 クロッカスはうっと言葉に詰まる。

 この、感情表現の素直な女神見習いには威厳というものがなく、単なる村娘のようで邪険にしにくい。

 生前、重い盾と槍を持って、弓を引いて戦ってきたのは、こんなどこにでもいるような女子どものためじゃなかったか。

 クロッカスはきまずげに頬を掻いた。


「あんた、なんでそんなものを配り歩いてるんだ」

「だって、ここには人のために働いた戦士さんがたくさん来るじゃない。まだ怖い顔をしたままの人もいるわ。綺麗で美味しいものを食べて、くつろいでほしいわよ。それに――生まれ変わってまた戦いにいかなくたって、いいじゃないの。あなたたちはもう充分戦ったわ」

「それを聞いて、タルトを食う奴はいたのか」


 スミラックスは首を振った。


「だろうな」

「こんなに美味しいのに、だれも食べてくれないの。毎日毎日見向きもされない生地を焼いて、ジャムを煮て、あたしの腕は上がる一方よ」

「おいおい、難儀だな」


 生き生きと頬を膨らませるスミラックスを茶化すようにクロッカスは笑った。

 文句を言いながらも明るい女神は、きまぐれで振る舞いの真似事を始めたのだろう。じき飽きるはずさ。そう値踏みしたクロッカスの前で、ふっとスミラックスの目の端が翳った。


「その中でも、あなたが来たら特別美味しいタルトを食べてもらいたいってずっと思ってたのよ」

「推しだからか?」

「そうよ! これなんて、すごく綺麗にできたと思わない? お酒もきかせて、クロッカスの好きな味に仕上がったと思うの。美味しいわよ。まあ、あたしの舌を信じるならだけど」

「うまそうではあるけどな……」


 スミラックスが取り出したタルトは、正円形で均整がとれており、白ポプラのこもれびに宝石のように照らされている。

 クロッカスは、昔、幼馴染の少女が焼いたぼろぼろのタルトを食べたことを思い出した。

 まだ、結婚しようと話す前のことだ。葡萄を甘く煮たからいっしょに食べようと腕を引っ張られたが、持ち上げたタルト生地は固まりが甘く、持つ端から崩れていった。クロッカスはべしょべしょの顔をしながら謝る少女の前で、両手をジャムだらけにしながらいくつも頬張って見せた。

 あの娘の顔が、もう思い出せない。けれどあのときの笑顔のためなら、なんでもできると思った。

 その気持ちを思い出せば、転生くらい、諦めてもいいものかもしれない。

 クロッカスはザクロのタルトを摘まみ上げた。

 一口で頬張りきるのにいいサイズだ。頬の裏までみずみずしい甘酸っぱさが広がるだろう。

 クロッカスが大口を開けタルトを迎え入れようとすると、再びスミラックスに強く腕を引っ張られた。


「ちょ、ちょっと待って!」

「……なんだ。対価でもいるのか?」

「そうじゃないけど。それを食べちゃったら転生できなくなるのよ。クロッカスは生まれ変わりたいんでしょう?」

「まあ、そうだな。俺の霊魂プシュケーはまだ未熟で、救済されていない。だけど、食い物を粗末にするのも流儀に反する」

「それはすごくクロッカスらしいけど、あたしはすごく嬉しいけど、でも、あたし……こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないけど、クロッカスの邪魔をするつもりはないの。だからその、本当にこれを食べて、エリュシオンに永遠に留まってもいいって思えるようになってからで、いいのよ」


 スミラックスは慌ててクロッカスの手からタルトを取り上げようとした。

 だけど、クロッカスは食べる気になっていたのだ。

 返すまいと腕を上げたクロッカスの腕と、背伸びをしたスミラックスの指がもつれ合って、タルトが手からこぼれ落ちた。


「あっ」


 タルトを目で追うクロッカス。

 タルトが転がっていくあいだに、スミラックスは身を翻した。


「今回の輪廻じゃなくていいの。あたしはずっとここにいて、あなたのことを待ってるから」


 スミラックスの姿はみるみる遠くなっていく。花のように風に遊ぶドレスが、目の前から消えていった。




 取り残されたクロッカスは、納得がいかない。


「なんだ、それ。あんなべしょべしょな顔して」


 タルトは拾い上げた先から、ぼろぼろと崩れてしまった。屑の落ちた先に咲く紫の花を、クロッカスは指先で摘み取った。スミラックスを飾っていた白い花とよく似ている。

 クロッカスは西に合わせていた足先の向きを変えた。

 行く先々の英雄たちに、白い花を頭に飾った女神見習いの行き先を聞く。

 どこまで向かったのか、何人に尋ねても走り去った後だと教えられ、クロッカスの周りの景色はどんどん変わっていった。

 木々の色が変わり、水場が見当たるようになる。

 クロッカスは、水場で休んでいる戦士に声を掛けた。古めかしいが手の込んだ意匠の鎧に、かつての英雄だろうと見当をつける。そういえば、このあたりでは死にたての魂は見かけていない。

 英雄は歌うように答える。


「ああ。スミラックスだね。ついさっき跳ぶように駆けていったよ」

「そうか、恩に着る」

「君はクロッカスじゃないのかい?」

「そうだが」

「やっぱり。スミラックスがずっと待っていたクロッカスだ。残念だったね、結婚寸前で反対するなんて、どの神か知らないけどむごいことをするよ」

「どういうことだ?」


 たしかにクロッカスは結婚していないが、それは戦続きで相手に恵まれなかったからだ。

 クロッカスが幼馴染との結婚を阻止されたのは、もう朧気にしか思い出せないが、先日までの生よりもさらに昔、前世でのことになる。


「君、結婚の祝福が受けられなくて命を絶っただろう。スミラックスも後を追ったけど、君の転生が早くてここでは会えなかったと聞いているよ。憐れんだ女神の采配でせっかくふたりともエリュシオン送りにしてもらえたのにさ」

「俺の幼馴染なら……女神の見習いなんかじゃなく、ただの人間の娘のはずだ」

「ああ――彼女は見習いであって、女神じゃない。エリュシオンの水を飲んで転生の道を捨てた人間の娘だよ」

「なんだと?」

「転生して追いかけても同じ国に生まれ変われるかもわからないんだ、ここで待てばいいと女神に説得されたんだ。普段は女神の手で、清流のそばの白い花に姿を変えられて過ごしてる。君が来たら、今度こそ転生される前にとびきり美味しいタルトを食べてもらうんだって張り切ってたけど――あれ? まだ会えてない?」


 クロッカスは目を見開き、駆け出した。

 清らかな森を抜け、清流のせせらぎを辿って。

 小麦色の髪に白い花を飾った娘は、籠を切り株に乗せて傍らに座っていた。

 夕方の淡い陽射しの下で、寂しそうな目をしている。


「スミラックス」


 呼びかけると、スミラックスが慌てて涙を拭う仕草をしてから顔を上げた。


「クロッカス。どうして」

「やっぱりタルトが惜しくてな」

「本当に? ……でもこのタルトは……」

「昔は触っただけでぼろぼろこぼれ落ちてたのに、うまくなったな。味はどうだ? 俺好みに作ってくれたんだろ」

「思い出したの?」

「全部じゃないけどな。ずっと待たせて、ごめんな」


 おっ、これ、ジャムが硬めですっごいうまい。止める間もなく一口で頬張ったクロッカスが、口をいっぱいにしながらもごもごと褒める。ずっと待ち続けてきた言葉に熱くなった頬を、スミラックスは両手で覆い隠した。


「あたしこそ……あたしが追いかけるのが遅かったから、クロッカスと会えなかったんだもの」

「いや。俺が、お前が来るのを信じて待ってればよかったんだ」

「エリュシオンに呼んでもらえるなんて、あたしも予想してなかったもの。仕方ないわ」


 顔の半分を隠したままのスミラックスの頭に、クロッカスは紫の花を挿した。


「うん。よく似合う。昔のままだな」

「クロッカス……」

「今度こそ結婚しよう、スミラックス」

「生まれ変わらなくていいの? クロッカス」

「生まれ変わってもお前のタルトがないんじゃな。他のタルトも作れるんだろ? どれだけうまくなったか、食べ比べてみないとさ」


 切り株の上の籠からまたひとつタルトを取り出して、クロッカスが笑った。


「なにしろ、エリュシオン中で客は俺ひとりみたいだからな。退屈する暇もなさそうだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女神見習いのタルト店とひとりきりのお客様 宿花 @yomihana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ