5食 プエルトリカンの息子のこんがりした遺骨

 崖には大波が荒立っており、その崖に近い一軒家に、兄弟は住んでいました。すみません、イメージ背景に『ブラック・ジャック』をパクってしまいました…。筆者はビジュアル的イメージが貧困で、ほとほと困っています。


とある風の強い日、診療所のドアがノックされました。

「こんな日に、誰だろう? 予約はないと思ったが…」

 と兄は思い、プエルトリカンの少年がドアを開けました。見ると、車椅子の女性でした。

「私は脳疾患の後遺症で片麻痺になりました。コ・メディカル[ 医師と協同して医療を行う医療専門職種の総称。 実はコメディカル(co-medical)とは、外国語ではなく和製英語。”co-“は「ともに」の意味を持つ接頭辞であり、コ・メディカルは医師とともに医療(medical)に携わるという意味合いが含まれている。日本でも海外でも、病人はいつか健康になることを信じて治療やリハビリに専念する、医師にとって「善い患者」だが、体力気力生きる力がどんどん減り、やがて必ず誰でも死んでいく。その状況を見てコ・メディカルは充分わかっているのに、新規患者に対し「薬を飲んで治療したらいつか必ず元気になります。あなたたちもそう信じています!」と信者を洗脳し、今日雨だったらいつかは晴れるという天気予報の役割しか果たしていない偽善者である。]は『リハビリすればきっと回復する!』と善意で言って、発症から十数年になりますが、ずっと車椅子のままです」

「はあ。それで、ご要望は何でしょう?」

「動かない手脚は不要です。切断してください。片麻痺は、常に半身という酔っ払いを抱えてるような感じで、不快なんです。重い荷物はもう持ちたくないんです」

 兄はしばらく考え、弟と相談しました。

「弟よ。ヒトの手脚はどう調理する?」

「兄者。煮るも焼くのもいいが、一人前では多すぎる」

「残りは滅菌処理して、患者さんに持ち帰ってもらおう」


「お待たせしてすみません。食べるのは腕ですか、脚ですか?」

「どっちが美味しく食べられます?」

「人それぞれですが、わたしは脚がいいと思います」

「脚ですか。でも、どうして?」

「ずっと前から、ふくらはぎ[ ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ(Witold Gombrowicz, 1904~1969年)は、ポーランド出身の小説家・劇作家。代表作『フェルディドゥルケ(2004)』は、「ふくらはぎ! ふうらはぎ!」が連発した異色の作品。作者は性的で破廉恥な発言をしようとしたみたいだが、「ふくらはぎ=ヒラメ筋」の連想のせいで筆者は食欲に傾いた。]の筋肉が美味しそうだなと思っておりました。勉強するうちに、ふくらはぎはヒラメ筋という名前だったので、ますます美味しそうに思えてきました」

「私も前からふくらはぎは美味しそうだなと思っていました。私も脚がいいです」

「ヒラメ筋のムニエルですね。かしこまりました」



 去年の三月の半ば、プエルトリカンの少年が、突然痙攣して高熱が出ました。

「これは、もしかしてもしかすると、もしかかもしれない…!」

「兄者、話が見えない」

「クロイツェルト・ヤコブ病、通称BSEだ。あいつめ、患者の肉や臓物を盗み喰いやがって」

「やっぱり話が見えない」

「プリオンだよ。タンパク質からなる感染性因子のことだ。ミスフォールド[ ミスフォールディング(misfolding)ともいう。たんぱく質が折りたたまれる過程で特定の立体構造をとらず、生体内で正しい機能や役割を果たせなくなること。またその状態。これが原因となって引き起こされる疾患はフォールディング病と総称される。]したタンパク質がその構造を正常の構造のタンパク質に伝えることによって伝播する。他の感染性因子と異なり、DNAやRNAといった核酸は含まれていない。狂牛病やクロイツフェルト・ヤコブ病など伝達性海綿状脳症の原因となり、これらの病気はプリオン病と呼ばれている。脳などの神経組織の構造に影響を及ぼす極めて進行が速い疾患として知られており、治療法が確立していない致死性の疾患だ」

「ええっ?! やっぱり何度読んでも全然話が見えないよ! 僕、バカかもしれない」

「人間の肉や臓物を食べると、プリオン病[ プリオン病は、現在のところ治療法がなく、最終的には死に至る、まれな進行性の脳(およびまれに他の臓器)の変性疾患であり、プリオンと呼ばれるタンパク質が異常な形態に変化することで発生する。

プリオンが発見されるまでは、クロイツフェルト-ヤコブ病などの海綿状脳症はウイルスが原因と考えられていた。プリオンはウイルスよりはるかに小さく、また、遺伝物質をまったくもたないため、ウイルスでも細菌でもなく、生きているどの細胞とも異なる。

プリオン病では細胞性プリオンタンパク質(PrPC)と呼ばれる正常なタンパク質が変形して(異常な形に折りたたまれ)、異常なプリオンになる。この異常タンパク質分子は、スクレイピープリオンタンパク質(PrPSc)(または異常プリオン)と呼ばれる。(スクレイピーとは、最初にヒツジで見つかったプリオン病の名前)。スクレイピーはヒツジのプリオン病で、病気のヒツジが自分の体を木や柵柱などにこすりつけて(scrape[スクレイプ])羊毛をちぎるような動作をするため、この名前がつけられている。この病気にかかったヒツジでは、ほかにも奇妙な行動がみられ、最終的には死に至る。

新しく形成された異常プリオンの一部は、脳内の酵素で分解されず、徐々に蓄積していく。異常プリオンは、近くにある別の正常なプリオン(PrPC)を異常プリオンに変化させ、この現象が連鎖的に続く。そして異常プリオンが一定の数に達すると、プリオン病を発症する。異常プリオンが正常なPrPCに戻ることは決してない。]という難病にかかるかもしれないんだ。弟、しっかり在庫確認しないと」

「兄者、でももう遅すぎるよ! 治療法がないんでしょ? ハニー・ビー(少年のこと)が死んでしまう!」


 そのとき、夫婦が急いで駆け込みました。

「先生、もうすぐ生まれそうです!」

「…奥さん、その腹は? あまり膨らんでいないようですが…」

「超早産[ 2021年、超早産で生まれて無事に育った赤ちゃんの世界記録としてギネス認定された男児がいる。米ミネソタ州ミネアポリスの病院で予定日より131日早く生まれた。母親の合併症により、妊娠21週を過ぎた直後の超早産だった。出生時の体重はわずか337.4グラム。大人の片手に乗るほど小さな身体である。両親は事前のカウンセリングで生存率0%と告げられていた。「最初の2~3週間が大変厳しいことは分かっていたが、そこを乗り切れば助かると思った」と担当のステーシー・カーン医師。]なんです! 助けてください!」


 子どもは死産でした。妊娠二二週目。胎児の大きさはヤクルトの半分くらいだったようです。

「どうします? ご自分のお子さん、どうやって食べますか?」

「…二人とも食欲がないんです。焼いてお骨にしてください」


 胎児を焼いて約一時間経ちました。焼きあがったのは、ほんの少しのお骨でした。夫婦は泣きながら、お骨をぽりぽり食べました。


 少年も死んで、焼いたらお骨になりました。二人はお骨をぽりぽり食べながら、ぐららあがあ、ぐららあがあ、と大声で泣きました[ もし、この話に解説をつけることになったら、いささか無粋になると思い、トルストイ『生命について』を引用する。生命の原理を考えることを通して復活の信仰を語る『ヨハネよる福音書』を書いたヨハネについて、トルストイはこう書く。

「わたしは、言い伝えに従って、耄碌してしまった使徒ヨハネの姿を思い浮かべてみる。言い伝えによれば、彼は、兄弟ちよ、互いに愛し合いなさい、としか語らなかったと言う。ほとんどからだのきかない百歳の老人が、目に涙をにじませ、歯のない口で、これだけのことしか口にしないのだ。互いに愛し合いなさい、と。このような人間のうちには、動物としての生存はほとんど見られない――それはもう世界に対する新たな関係、つまり、人間の肉体的な生存という器にはもはや納まりきらない、新たな生命の存在によって食いつくされているのである」

 続いて、これを引用した小泉義之氏の著書の締めくくりを引用する。無粋の押しつけである。

「願わくはその新たな生命が、病人と動物にも降りてくるように、願わくは、その日のために、痛みに苦しみ治療に苦しむ肉体が、架け橋となるように、願わくは、科学技術と学問と思想が、この願いに相応しい力を持てるように、そして、「気長にやるから」と筆談ながらも、その「気長」より先に死んでしまった人間の願いが、無にならぬように」(小泉義之『病いの哲学』)。]。どっとはらい。

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山猫兄弟 コンタ @Quonta

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