第39話 代用長兄

 国境の長い地下道を抜けるとそこは魔王領だった。以前の私なら、これじゃ川端の作品じゃないか、と憤っているところですが、その川端がもうじき亡くなるかもしれないと思うと、何とも言えない虚しさを覚えるのでした。

 宿敵に死なれるのは、肉親に死なれるのと同じくらい寂しいことです。

 私は、人間の感情というのは、個人の胸にしまっておくには、いささか大きすぎると考えています。ときには、その重さで潰れてしまう者さえいます。ですから、それが愛情であるなら、家族や愛人にお裾分けしなければなりませんし、憎しみであっても、誰かにぶつけなければなりません。そして、それもできないならば、芸術作品に昇華して、広く世間に公開し、不特定多数の人間に抱え込んでもらう必要があるのです。

 私は、生まれつき好悪の激しい性質ですから、恋人も論敵も作品も、人より多く作ることになりました。その全てが私にとって必要不可欠であり、どれ一つとして手放すわけにはいかないのです。

 つまり、私にとっての川端は、怒りの炎を擦り付ける、使い勝手のいい灰皿なのです。ええ、川端など、物扱いが相応しい。そもそもあいつは、人間らしい心があるのかどうかすら、定かではないのですから。まったくあの男ときたら、昔から噛み合わない相手なのでした。私にどれほど罵倒されても、事務的な返事を寄こしてくるばかりで、まるで響いているように見えない。この男は喜怒哀楽が無いのだろうか、と薄気味悪いものを感じていると、にやっと笑いかけてきたりする。夢川利一ゆめかわりいちなる男にサインをあげましたか? と尋ねると、気さくに答えてくれる。突然、私の作品を持ち上げたりもする。甚だ奇怪な、妖怪めいた男。そうさ、あいつは小説の妖怪なんだ。だったら、死んだら駄目じゃないか。風貌に合わせて、千年万年と生きればいいのだ。私と一緒に、ずっと文学論をぶつけ合おうよ、川端。お前という灰皿がなければ、私は自分自身を燃やしてしまいそうだ。

 とまあ、こんな風に、長ったらしい泣き言を垂れ流していると、トミエは涙を浮かべ、

「勇者様は、優しく包み込んでくれる愛人と、包容力のあるお兄ちゃんがいなきゃ、生きていけないひとなんだ」

 と、的確な人物評を口にしました。

「その通りかもしれない。僕は、立派な兄達に、甘やされて育った人間だから、女に甘えるのと同じくらい、年長の男にも頼らないと、落ち着かないのだ。そしてこの世界では、僕以上の能力を持つ男は、川端しかいない」

「潔い開き直りだと思います。ブロマンスとかじゃなくて、兄の代理品となる依存対象が欲しい。本当に、それだけの理由で魔王を助けるのですね」

「うむ」

 もう川端からすれば通り魔みたいなものかもしれませんが、他に相応しい人物が見つからない以上、あいつには代用長兄になってもらいます。戦時中、米の代わりに嫌々スイトンを食べる家庭が続出しましたが、あれに似ている気がします。兄不足の緊急事態であれば、強くて年上で金を持っている男なら、割と誰でもいいのです。

「できれば、芥川先生が良かったんだがね。ああ、あのひとがいてくれたならなあ」

「たまに名前が出ますけど、誰なんですか、そのアクタガワさんって」

「僕の憧れのひとだよ」

「自殺した文豪とかですか?」

「なぜわかったのかね」

「いやあなんとなく……もしかして、その人の真似とかしてました?」

「なぜわかるのかね」

「勇者様は、時々言動が芝居臭い時がありますからネー。ひょっとしたらこれは、脳内のヒーローに自分を近づけているからじゃないか、と感じることがありまして」

「トミエは鋭いねえ」

 この娘、まさか妊娠してるんじゃないだろうな、と過去の経験から勘繰ってしまいます。妻も、子供を孕んでいる時は、何かと鋭くなったので、女の勘がもっとも研ぎ澄まされるのは、妊娠中だと思っています。しかし、卵生の人魚に懐妊などあるはずがないし、何より心当たりもない、と考え直しました。子早い私であっても、そこだけは安心なのです。

「君が人魚で本当によかったよ。人間だったら、また私生児が増えていたからね」

「?」

 急に何を言ってるんだ? な顔をしながら、トミエはあたりを見回します。

「気付いてますか?」

「わかっている。酒が切れたようだね。どこかの村で買い足さねば」

「いえ、そっちじゃなくて。ていうか会話中に飲んでたんですか。少しは控えてくださいね。感じませんか、この視線。私達、見られてるみたいですよ」

「何にだい」

「わかりません」

 ここは既に、魔王領。敵地なのですから、侵入者をどう迎えるかなど、決まっています。

「どうせ、襲ってくるんだろう。構やしないさ、僕の魔法で追っ払えばいい。それよりも、問題は酒だよ」

「頼もしいんだか、情けないんだか、……」

 トミエが呆れような声を出したところで、視界の端を、細長いものが掠めました。

 そこからの連携は、見事なものでした。ハツコは足を止め、炎を吹く準備に入ります。トミエは銛を構え、即座に防御体制に移ります。私はというと、酒瓶を逆さまにし、最後の一滴を舐める作業に没頭していました。

 三者三様の反応でしたが、皆が己の役割を瞬時に理解し、隙の無い陣形を作り上げたのでした。私の存在そのものが隙なのでは? と抗議の声が上がりそうですが、私を守るために、ハツコとトミエがいつも以上のやる気を出しているので、これはこれで効果的なのです。この戦法を、ひも男の陣と名付けたいと思います。

「ヘイ、ハツコ! 勇者様が酒瓶をしゃぶってる間、背中は任せましたよ!」

「わん!」

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太宰治、異世界転生して勇者になる ~チートの多い生涯を送って来ました~【WEB版】 高橋弘 @takahashi166

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