第38話 兄たち+ノイズ

「あのひとはね、もう長くないんだ。近頃、めっきり食が細くなったし、しきりに背中を痛がるようになった」

「川端は病気なのかい」

「多分ね」

 ヒラメンティウスは、鼻をすすりながら答えます。

「よくわからないけど、ダザイさんを探してる。あんたに渡したいものでもあるのかな。それとも、最後に手合わせ願いたいんだろうか」

 川端は、私への特攻を持っているのです。そんな男が、最後に願うこととは何でしょうか?

 私には、これしか考えられません。

「きっと、僕を殺したいのさ」

 私の三番目の兄は、死に際にノートや手紙を破り捨てるよう頼んできました。まだ息があるうちに、過去の恥や、因縁を処理したいと考えるのは、人として当然の感覚だと思うのです。つまり私は、川端にとっての恥ずかしい手紙なのでしょう。何度もたてついてきた、生意気な後輩。生き恥そのもの。それを処分しないことには、死んでも死にきれないに決まっているのです。

 あるいは、私に何かを託すとか、そういう、綺麗な死に方を予定しているのかもしれませんが、そんなのは駄目なのです。

 それは、ずるい。

 人として私を上回ったまま、勝ち逃げすることになってしまう。あの男を心から悔しがらせるまでは、決して死なせるわけにはいかないのです。私を認める前に逝くだなんて、誰が許すものか。死ぬな、川端。……まさか、今のが私の本音? いいえ、そんなはずがないのです。

「川端の居場所を教えてくれるね?」

 ヒラメンティウスは、観念した顔で頷きました。

「あんたに引き合わせるのは、魔王様の願いでもあるしな、……。この町の地下に、抜け道があるんだ。何年も前に廃棄された下水道なんだが、実は魔王領に繋がっている。入り口は、バアの横にあるマンホール。草で覆われているから、わかりにくいかもしれない。でも、よーく目を凝らせば見つけられるはずだ。へっ? 面倒だから草を焼き払う? トミエさんって、ほんと過激な意見しか出さないよな。でも、その方が手っ取り早いかもしれない。地下道を通って、ひたすら東に向かえば、そのうち魔王様と会えるだろう」

 あとはもう、善は急げでした。

 慌ててバアに戻ると、ハツコに火を吹かせて、邪魔な草木を焼いてもらいました。

 すると、ヒラメンティウスの言っていた通り、レンガ造りの階段が現れたので、駆け足で下りていきます。

「待ってくださいってば」

 トミエは、息を切らしながら、懸命に追いかけて来ました。足の長さ、というより足の構造が違うので、私が本気で走ると、多大な負担をかけてしまうのですが、今は気をまわしている余裕が無いのでした。

「どうしたんですか、急に走ったりして」

「急ぎもするさ。僕が手を下す前に、病死なんかされたらたまらない」

「ご自分で魔王を仕留めたいから、急いでると?」

「当たり前さ。僕の新作を読ませて、参った、これはどう見ても芥川賞だ、と言わせてやりたいのだ。僕は人一倍、復讐心の強い男だからね。それからも毎日毎日、新作を読ませ、芸術論を吹っかけ、ときには将棋を挑んだりもして、ねちねちと報復してやるのだ」

「それ、死ぬまで喧嘩友達をやりたいって宣言ですよね?」

「妙な言い換えはやめたまえ。とにかく、病で勝ち逃げするなど、許せないのだ。いっそのこと治してやろうかと思っている」

 やがて私の体力が尽き、さっきとは打って変わって、トミエに引きずられる形となりました。

「重いです! もうハツコに乗ってください」

「すまないね」

 四十手前で、肺病を患っている男というのは、こうも疲れやすいのです。

「少し走っただけでこれだよ。いやになるねえ」

「ご無理をなさらないように。病人に運動は厳禁デース」

 そのまま、ハツコに揺られながら移動していると、だんだん呼吸も落ち着いてきたものですから、生来の沈黙ぎらいもあって、他愛のない雑談を振ったりしているうちに、ふいにトミエが話題を切り替え、

「そういえば、勇者様にはお兄さんがいらっしゃるんですよね?」

「おやおや? 僕の一族に興味があるのかい? 困るなあ、語ると長くなってしまうのだが」

「めちゃくちゃ嬉しそうなんですけど。話したくてしょうがないって顔なんですけど」

 そうなのです。私は、実家や兄の話をするのが、大好きなのです。

 家柄を誇りたい、という見栄坊な気持と、兄を慕う気持が、止まらなくなるのです。

「僕には、三人の兄がいてね。皆、目鼻立ちが整っていて、しかも僕をたっぷりと甘やかしてくれたのだから、素晴らしいひとたちだったよ。お金はくれるし、逮捕されそうになったら、警察に圧力をかけて起訴猶予に持ち込んでくれるし」

「弟かわいさでおかしくなってるように聞こえるんですが、それ、世間的にも立派なひとだったんですか?」

「失礼な。誰がどう見ても立派な人物だよ。長兄は、最年少で県会議員を務めたお方だ。青森の近衛公と呼ばれ、たいへんな人気があったのだ。地元の人間は、誰もが彼を尊敬している」

「凄い方なんですねえ。……他のお兄さん達は?」

「次兄は、僕と一番顔が似ているのだが、真面目に経理を務めていた。三番目の兄は、線の細い、綺麗な顔をしていたのだが、早くに亡くなってしまってね。皮肉屋でぶっきらぼうだけど、いつもユーモアを忘れなかった。死ぬ寸前まで、周りを楽しませようとしていたんだよ。僕はあのひとの最期を思い出すと、今でも鼻がつんとなるのだ。何せ、自分で看取ったからね、……」

「勇者様、気付いてました?」

 トミエは真剣な顔で言います。

「お兄さんの話をしている時と、魔王の話をしている時、同じ表情になってますよ」

 この人魚は何を主張したいのでしょうか。私には、トミエの心が、さっぱりわからないのでした。

 そして、それ以上に、自分の心がわからないのでした。

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