第一話 本の世界へ

 押し入れの中で埃をかぶったダンボール箱を開けると、古びた本が一冊、ひっそりと横たわっていた。


「……こんなの、あったっけ?」


 俺――倉津 紳(くらつ しん)は、自分の部屋で引っ越しの準備をしていた。高校卒業を機に、実家を出て一人暮らしを始めることになっている。片付けを進めるうちに、押し入れの奥から見つけたのが、この見覚えのない本だった。


 本の表紙には、金色の装飾が施されている。タイトルを読むと、『未だ続きのない物語』とあった。


「……見たことない本だなぁ」


 俺の父親は売れない推理小説家だった。生前はミステリーばかり書いていたのに、これは明らかにファンタジー小説だ。


 気になってページをめくると、独特の筆跡が目に飛び込んできた。


 ――魔人と人間の争いは、この二人によって幕を切って落とされた。


 これは後に長きに渡り語られる、英雄ハークライトの物語の序章である。


「……なんだ、これ」


 父さんがこんな話を書くなんて。何か心境の変化でもあったのか?


 ふと、指先が熱を持つような感覚に襲われた。


 その瞬間に、ページが強く光を放つ。


「……っ!!?」


 視界が一瞬にして真っ白になった。


 次に目を開けた時、俺は見知らぬ草原の中に立っていた。


「え……?」


 風が吹き抜ける。遠くには見たこともない山々がそびえ、木々が生茂る森が見える。


「……は?夢?」


 ベタとは思いつつも自分の頬を軽く叩いてみる。痛い。


「……いや、待て、どういうことだ?」


 混乱しながら周囲を見渡すが、見覚えのあるものは何一つない。


 とりあえず、じっとしていても仕方ない。俺は歩き出した。


 草むらを抜け、小川のほとりをたどる。水は澄んでいて、小魚が泳いでいるのが見えた。触れてみると、ひんやりと冷たく、現実感が増していく。


「……まずいな」


 太陽がゆっくりと傾き始めている。このまま夜を迎えたらどうなる? 街どころか、人の気配すら感じられない。


「帰れない……のか?」


 焦燥感が胸を締め付ける。


 やがて、遠くに村らしきものが見えた。人の声がかすかに聞こえる。何か情報を得られるかもしれない。


 俺は村の入り口まで進むと、一人の少女が井戸のそばで水を汲んでいるのが見えた。


 金髪の髪が陽光に輝き、青い瞳が涼しげに俺を見据える。


「あら、あなた誰?見ない顔ね!どこから来たの?」


 少女が、はっきりとした口調で尋ねてくる。


「えっと……俺は倉津 紳。気がついたら、ここにいて……。」


 俺が戸惑いながら答えると、彼女は小さく頷いた。


「まぁ!クラッシン?とても珍しい名前ね!私はアリア。この村に住んでるの。困ってるなら、とりあえず村長のところに案内してあげるわ!」


「村長……。」


 彼女の言葉を聞きながら、俺は改めてこの世界が現実であることを実感した。


「ここは……本の中の世界なのか?」


 俺の頭の中に、父が残した小説の内容がよぎる。


 戸惑いながらも、俺はアリアに続いて村の中へと足を踏み入れた。


 現実ではありえないはずの異世界の風景。しかし、足元の土の感触も、吹き抜ける風も、すべてが確かに "現実" だった。

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親父の遺した小説の世界に、モブとして転生したっぽい。 水二七 市松 @mizunaichimatu

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