第2話 笑う人②
黒持ちのことは隊員の間には広まっていったが、アイロが睨みを効かせたお陰か、市中に出回るほどには至らなかった。ハトバに石を投げた者はニオの陳情書の通り処分が下った。
ペルセウス機関は基本給の他に歩合制であり、この基本給が減らされる処分だった。
ニオはとうぜん、という顔をしながら小躍りしていた。
ハトバはなぜ彼女がここまで頑張るのか分からなかったが、カシドリはいつものことのようにニオを見ていた。
「明日、カシドリ休むんだな」
ふと壁に立てかけてある予定表を見て、カシドリの休みが書かれていることに気づく。
「ハトバも行く? 明日は養成学校の入学試験なんだよね」
ニオが言う。オペレーター用の椅子に座っていて、くるりと回った。
「養成学校?」
「ペルセウス機関員を育てるための学校ね。最弱のペルム級を倒せたら合格だから、簡単なもんよ」
「その簡単なことすら怖がるのがお前だろうが」
ジト目になって指摘するカシドリは、隊室の中央に設置されたソファに座っていた。実家の伝手で上等な代物である。ニオも椅子も、実は彼女に合わせて作られた特注品で座り心地が良い。
今部屋の中で立っているのは、ハトバだけだった。記憶がある限り座る機会が少ない人生で、その流れで座れていない。
「私はねー。怖いんだからしょうがない」
ニオは肩をそびやかした。カシドリは呆れて
「まったく。これでニオは、かなりの怖がりなんだ。前線に出られないからオペレーターになっているくせに、この通り態度が大きい。兄上の庇護下にあるからといって、厚顔無恥、鉄面皮、虎の威を借りる狐とはまさにニオのことだな」
ひどい言い様だった。しかし、ニオも負けていない。
「でもあたし上級オペレーターだから? ゴトランド級も対応可能なオペレーターだからー? 前回のでオルドビス級もイケると証明されたしー?」
「キビシス展開は、意外と技術が要るんだっけか?」
ハトバは、入隊するにあたって与えられた教科書を思い出した。ニオはうなずく。
「そうそう。逃がさないための速さはもちろん、編み込む技術が足りないとアルゴルの強さによっては結界破られちゃうし。それでいくと即席でオルドビス級にも耐えられる結界を編み込めた私は、なかなかのもんってことなのよ」
「自分で言うな」
「で、行く? せっかくだし、見に行かない? あたしも行きたーい」
カシドリは諌めた。
「俺はこの前の事件の子供のことで、見に行くんだ。そんな物見高く言うな」
「あー、あれ」
ニオは合点するとハトバに説明した。
「一般人のアルゴル討伐禁止令、今年になって、法整備されたじゃない? そのきっかけになった事件だよ」
「その事件のことなら、俺も気になるな。その禁止令のせいで、シキョウに、追手をかけると言われた」
「それシキョウから聞いた」
「あの時キビシスを展開したの、ニオだろ」
「分かっちゃった?」
「ニオで相当早くて、シキョウに近しいオペレーターとなると、ニオしか思いつかない」
ハトバはシキョウから勧誘を受ける際、逃げられないようにキビシスを展開されていた。
ハトバ自身は逃げられただろうが、キビシスはアルゴルを封じ込めるだけでなく、装着主の身体能力を向上させるタラリアの機能を底上げする。ペルセウス機関でも有数の、実力者となる本気。
「そもそもニオしか知らないだろうに」
カシドリがつぶやいた。
「じゃあ、明日は三人で行こっか。カシドリが嫌なら、私らは別で行くけど?」
ニオが背もたれから身体を仰向けにして訊ねる。
「なにかしでかさないか気が散ってしまうから、一緒に行く」
カシドリは慌てて答えた。嫌な意味で目立つ二人である。同じ場所に行くのなら、目の届くところに居てもらわなければ安心できなかった。
「あーそーですか」
ニオは嫌な顔をして、カシドリにあっかんべーの気持ちを込めて、舌を出した。
ハトバが聞くところによると、入学試験は年に四回行われるらしかった。昔は受験者が少なくても年に一回だったのに、現状に対する人員不足が深刻となって今の形になっているらしい。
試験内容は一律で、ペルム級を倒し規定の技量を見込めると合格だった。ペルム級なら日常的に見かけるアルゴルだから、ニオの言う通り傍目には簡単そうだ。
養成学校ではペルム級で入学し、次のカルボ級を倒せるようになったら、卒業試験に合格となる。そうしてデボン級を片付けられるようになって初めて、まともな戦力として数えられるのだ。
ペルセウス機関では、上からA級、B級、C級の三つの階級に分かれていた。カルボ級までがC級。デボン級がB級。ゴトランド級を倒せるようになるとA級である。オルドビス級はA級の中でも特別優れた実力者が担当し、S級または特別隊員と呼ばれていた。
ハトバは初めから試験もなく推薦でB級という特別待遇だったのだが、初陣での戦果で一気にS級に格上げされていた。
黒持ちに対する顰蹙もあったと言うが、アイロの鶴の一声で決まったらしい。
曰く、戦力を遊ばせる余裕がどこにあると。
規定により隊員が、階級より上のアルゴルと戦うことはない。隊長のハトバがB級のままだとゴトランド級以上のアルゴルが出ても出動命令を出せないことになる。
ハトバ隊には他部隊との勤務時間の兼ね合いがなく、ハトバの一存でいつでも出撃可能ではあるが、そうなると、すべてはハトバの意志一つということになる。アイロにとって、それは非効率的なことだった。
試験会場は、養成学校の広い運動場だった。観客席があったが、放送室だけでなく特別な会場としても使えるように閲覧室が別に用意されていて、ハトバたちは不用意な騒動を避けるため、そちらになった。
「ここって華族の連中が使う場所でね、つまりまあ、カシドリとシキョウの権力パワーってことですよ」
ニオは身を乗り出しながら言った。会場には、十人にも満たない受験者と三人の試験官がいた。
「上からだとまだ見えるが、下からだと見えにくいのか」
ハトバも覗き込んでつぶやく。その構造はブラインドカーテンに似ていた。部屋の中は特権階級の人間御用達だけあって、快適にされている。労せず下を見渡せるし、カメラも回せる。
固い地面、固い建造物まみれの生活だったハトバは、居心地の悪さを覚えた。
「……外の席に出たい」
まだ、ふかふかの布団も受け止め切れていないというのに。
後ろで、慣れたように座っていたカシドリが言った。
「人払いはしているから、それで我慢しろ」
「肩が凝りそう」
「自分に合ってないと、凝るよねー」
ニオは実感も強く同意した。
「あ、あの子ね。カシドリが助けたの」
最後に入場した受験者を、ニオは指差した。ハトバだけでなく、カシドリも立ち上がり、その受験者を見た。
「固まってる」
「目の前で学友を亡くしているからな。復讐に走る様子はなかったが、意志を継いだのか」
ハトバが言って、カシドリが答える。
その事件は、ペルセウス機関に憧れた一人の学童が、勇み足でアルゴルを退治しようとして起きていた。ペルム級は世間的には害虫程度の扱いだったが、子供には充分、脅威の存在である。或いは害虫程度に扱われていたのが、不幸の始まりだったのか。
華族のカシドリが助けたということもあって、事件の扱いは大々的なものとなり、悲劇は悲劇として嘆かれた。いまさらながら、なぜそんな事故は防げなかったのかと批判が上がり、今年になって法整備がなされた経緯だ。
「あまり良くなさそうだ」
「……うーん?」
ハトバのつぶやきに、ニオは小首をかしげた。
「どういう意味?」
ニオに尋ねられて、しかしハトバは答えられなかった。
「俺も分からない」
「直感?」
「……さぁ」
ハトバ本人は、皆目見当もつかなかったその直感は、事件となって現れるのだった。
円環の空・循環の海・破滅のオルドビス 葛鷲つるぎ @aves_kudzu
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