呪詛

黒木露火

呪詛

 先の新月から四人死んだ。

 一人は蛇に噛まれた。畑の脇で倒れていた男の黒く腫れあがった脚に牙の跡が残っていた。

 一人は川に落ちた。流されながら沈んでいく子供を他の兄弟が見ていた。

 残りの二人は一緒になるのを反対された若い男と女。外れの森の同じ木に並んでくびれて揺れていた。


 大きくもない村である。老人や子どもはともかく、元気な若者や壮年の頑強な男が死ぬことはまずない。

 これはどういうことなのか。

 村の長がまじない婆を呼びつけたのは必然であった。

 老婆の祖母のまた祖母がこの村に嫁いだときに持ってきたという、占いに使う貝殻が簡素な木の卓に投げられる。遠い海の欠片がしゃらりと鳴った。

 結果はどうだと短気に迫る長を無視して、老婆は貝殻を子細に眺める。卦を見ているのだ。やがてふむりと息を漏らした。

 どうもよくない。もっと死ぬ。呪いかもしれんの。

 呟いてまた投げた。

 どこの馬鹿が。

 長が苦く呟く。

 この村の誰かだの。それしかわからん。

 やっと口を開いた老婆は言った。

 誰かが呪い方を間違ごうて悪霊が暴れとるか。

 それならお婆がなんとかできるだろう。

 長の死んだ父親から昔そんなことがあったと聞いていた。人を呪うのは簡単だが、一つ間違うと恐ろしいことになる。

 じゃが、今度は悪霊とは違うかもしれん。儀式の跡がない。

 まじないをするような場所は決まっている。長も辻や墓などを見回ってみたが異常には気づかなかった。

 ひょっとしたら呪うつもりもなく呪うてしまっとるのかもしれん。

 そんなことがあるのか。

 わしの婆さまの生まれた村にそんなのがおったそうな。止められんので殺したら収まったそうだがの。

 老婆は歯の抜けた口でふおと笑った。


 男は娘の奇行に悩まされていた。

 毎夜というのではないが、時刻は夜中と決まっている。むくりと起きあがった幼い娘は闇の中で甲高く長く叫ぶ。

 最初は男も飛び起きて様子を見ていたが、叫び終わると次には安らかに眠っている。今ではまたかと思うだけだ。

 涙を流すのでもない。恐れでも痛みでも悲しみの声でもない。娘はただ延々と叫ぶ。

 聞いているうちに、幼女というより成熟した女の忘我の声に聞こえて、男は下腹部がぞわめくような感覚を覚えた。懸命に娘の背中をさする妻に妙な後ろめたさを感じる。

 あんた、おかしいよ。

 妻がそう言ったとき、そういうわけで男はぎくりとした。

 あの娘、叫びながら真っ暗な中でぽっかり目を開いているのさ。

 この間はいつ叫んだか。

 二十日月だったよ。隣でお弔いがあった前の前の日さ。丁度隣の家のほうをすごい目で睨んでた。

 その前はいつだったか。

 満月の夜だった。そのときは川向こうを見ていたよ。

 その後にも弔いがあったな。川向こうで。

 最近の人死の多さは誰かが無自覚に呪いをかけているせいかもしれないという、長の話を男は思い出した。

 その夜、再び娘が叫んだ。男をひたと見つめて叫び続けた。唐突にそれは終わり、白目をむいて転がったかと思うと寝息をたてていた。男はそのまままんじりともせず夜を明かした。

 次の日、男は家から出なかった。その次の朝も。

 三日目の朝になって、男はやっと野良に出た。

 男は死ななかったし、他の誰も死ななかった。

 あれはやはりただの夜泣きだったのだ。呪いなどではない。



 ひどい雨の降り続いたある日、手伝いを頼みたいので子どもを貸してもらえまいかと、男の家に現れた老婆は娘の兄を指さして言った。

 老婆の崩れかけた暗い家には紙で封をされた壺が並び、壁に干からびた動植物が吊されている。用が終わった後、家中を珍しげに眺める少年に、老婆は礼にと壺から出した果実の蜂蜜漬けを振る舞った。

 近頃何か変わったことはないかい。

 蜜にまみれた果実は気が狂いそうに甘い。妹ばかり構う両親を面白く思っていなかった少年は口を滑らせた。

 妹が夜に変な声で叫ぶんだ。うるさくって眠れやしない。

 それはいつのことだい。教えてくれたらもっとあげるよ。

 人が死ぬ前の夜さ。いつもそうなんだ。

 ほう、不思議なこともあるもんだね。

 婆は空になった椀にたっぷりの蜜と果実をよそって少年の前に置いた。

 ゆっくり食べな。妹には内緒だよ。

 老婆は戸口を出て行った。少年は甘味を貪るのに夢中でそれに気がつかない。


 叩きつけるような雨を雨具で跳ね返し、武器になりそうな農具をもった村人たちが、明かりの消えた男の家の周りを囲んでいる。

 可哀想だが、娘は殺すしかない。逆えば家族もろとも。

 集まった村の男達は長の言葉に無言で頷いた。

 村の裏山では、降り続く雨で崖のあちこちから濁った水が溢れていた。その水音に地の底からの微かな地響きが交じる。土砂崩れの前兆であった。

 もうすぐこの山麓の村の全てが終わる。

 凶兆を告げる幼い娘の叫びが、闇夜の雨の中に長く艶めかしく響きはじめた。



〈了〉

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