ユニコーンと彼女の世界を

武内ゆり

ユニコーンと彼女の世界を

一羽のチョウが飛んでいます。ポピーにとまったと思ったら、今度は風に身をまかせて隣の菜の花に降り立ちました。細長いノズルで吸っているのは、蜜という幸せなのでしょう。そして気まぐれに飛んでいくのです。

 チョウにつられて視線を動かしてみると、遠くの方で、枝から枝へとリスが渡っているのが見えました。小鳥のさえずりがそこかしこに聞こえる、ここは森の中でした。

「ふふ」

マリーは楽しい気分で笑みをこぼしました。楽しい理由は、探すと見つけられるかもしれませんが、探すための理由を探す前に笑ったことを忘れるのですから、どうして悩む必要があるのでしょう?

 ふと耳を澄ませると、草根の動く音が聞こえました。知らない動物の足音でした。まもなくしてマリーの前に現れたのは、堂々とした白い馬でした。馬は頭に一本のツノが生えていて、そう、おとぎ話のユニコーンのような見た目をしていたのです。マリーは白い馬の純粋な瞳と優しい面ざしに心惹かれました。白い馬はマリーの近くへとゆっくり歩くと、足を折り曲げてしゃがみこみます。背中に乗せてくれるようでした。

「あら、いったいどこへ連れて行ってくれるというの」

マリーは誘惑には勝てませんでした。馬の背中に腰を下ろすと、馬は立ち上がり、またゆっくりと歩き始めました。マリーはドキドキしながら、いつもと少し違う景色を楽しみました。見上げると木にリスがいて、こちらの様子をうかがっていたり、駆け出したりしています。心地よい風が空の雲を運び、頬を撫で、葉っぱを揺らしていきます。

 馬は白金の建物の前に着くと、その周りをぐるぐると歩きはじめました。丸いお団子生地を少しつぶした形をしています。

「こんなところ、前にあったかしら」

マリーは不思議に思って、首を傾げました。建物の表面はツルツルしていて、人が住んでいるようには見えません。人じゃないとしたら、何が住んでいるのでしょう? マリーは想像をめぐらせました。きっと妖精の王様が住んでいるんだわ。こんなにも立派な建物なのですから。マリーはそう思いました。

王国の入り口は、突然現れました。建物から四角い扉が生まれ、上下に開かれたかと思うと、下の部分は地面へ伸びて、なだらかなスロープとなりました。そこから出てきた妖精の王様は、一風変わった服を着ていて、手には何かを持っているようでした。王様はマリーを見つけると、驚いたように見えました。

「いやあ、まいった、女の子を連れてくるとは」

でもすぐに、前からずっと知っているような親切さで、こう話しました。

「そのユニコーン、いいだろう。白毛の馬を基盤にして、これはどうするか悩んだんだけど、サイのツノの遺伝子組み換えさ。ちょうどうまい具合の配列を作るのが難しくてね。サラブレットみたいには早く走れなくて、そこが玉に瑕だけど、とにかく立派な馬だと思う」

王様の言葉は魔法の呪文のようでした。マリーはつややかな毛なみを優しく撫でながら、うっとりして、

「とても、美しいです……」

と伝えました。すると王様も喜びました。

「僕の好きなものを気に入ってくれてうれしいよ」

白馬は王様の前まで歩くと、人懐っこく彼に頭をあてました。王様は優しく馬の首回りを撫でていました。白い馬を本当に愛らしく思っているのが伝わってきて、マリーはこのひととき全てが、愛おしく思えるのでした。

 白い馬から降りると、マリーは王様の背が自分と同じくらいなのに気がつきました。王様は夜空のような瞳をしていて、その中に星々の神秘を閉じ込めているみたいです。髪は宝石のように光りながらほんのり浮いていて、よく見ると耳元に白い飾りがありました。

「遠いところに住んでいるわけじゃなさそうだね。この辺りに人はいるのかな?」

王様がそうお聞きになったので、マリーは素直に答えました。

「私たちの村が近くにあるんです。この森をこえた向こうに……ね、あなたはどちらの国からお越しになられましたか? 妖精の王様? ひょっとして、すごく偉い魔法使いなのかも」

「魔法使い?」

彼は目を丸くして、それから頭をかきはじめました。

「——とても中世的な響きだね。おかしいな、未来に来たはずなんだが……違う違う、僕は君と同じ人間だ」

「そうなのですか?」

「ちょっとこの車のエンジンが壊れちゃってね、どうしたもんだか……このあたりに大きな町はないのかい? 修理ができたらと思うんだけど」

大きな町、と聞いて、マリーは考えてみましたが、彼の求めているものではないような気がしました。

「近くには私たちの村だけです。四日か五日歩いたら、村よりももっと大きな町があります」

「そうか」

彼は腕を組んで、考え込みました。

「そこには、この車を直せそうな施設はありそうかな」

マリーも考えてみましたが、マリーはこうした車を見るのは初めてでした。町の人も、それほど変わらないと思いました。

「ありません。これは本当に車なんですか? 車って動くんでしょう? まるで家みたい」

「家でもあるよ」

と彼は答えました。それから心から困ったふうに、表情を緩めました。

「実際に一週間くらいは住んでいるんだし。……ああ、一周回って未開の場所に来ちゃったのかもしれないぞ。そしたらこのまま一生未開人だな。まあそれも悪くないか」

きっと魔法の国から訪れた彼は、この森で家に帰れずにいるのでしょう。マリーは彼のために何もできないのを、とてもつらく思いました。

「どうやって動くんですか」

車のことを尋ねると、彼はまた呪文のような言葉をいくつか話した後に、

「エルライト」

と、宝石の名前をあげました。

「動力源だ。知ってる?」

「知ってます」

マリーはさえずる小鳥の姿を見つけたときのように、明るい笑顔になりました。

「私の家にあるわ。ああでも」

思い出して、マリーは困ってしまいました。そのエルライトはマリーのお母さんの持ちものだったからです。マリーが再び「でも」と言いかけた言葉と、彼の「もし……」という言葉がぶつかって、しばらく二人は黙ってしまいました。

 彼はまだ少しためらっていましたが、それでも期待をかくしきれない様子で言いました。

「もし、もしでいいんだ、それを貸してくれることはできないだろうか」

「お貸しするのですか」

「ああ、絶対……絶対かはわからないけれど、でも高い確率で返せるはずだ。約束するよ。僕の職務にかけて」

「それなら、もしかしたら許してくれるかも」

「許す?」

「お母さんのペンダントなんです。とっても大切にしているから……いいえ、きっと大丈夫よ、私のお母さんは優しいもの」

事情を知って、彼は不安そうに眉を下げました。

「そんなに大切なものだったら……」

「いいえ、聞いてみましょ。私も迷子になって、家に帰れなくなってしまったことがあるの。そのときはすっごく、寂しい思いになったのよ」

ひとりぼっちというのはどんなに寂しいものでしょう。その苦しみを身にしみるほどマリーは知っていましたから、彼をここで一人にさせるのは、マリーにはできませんでした。

 マリーの家へ向かう途中、彼はどうしてこの森にいるのか、話してくれました。彼は水晶の街から来たというのです。いろんなものがひとりでに動いてキラキラと反射しあう、魔法の世界で暮らしていました。彼は未知というものを追い求めていました。小さなときから、知ることがとてつもない喜びだったと語るのでした。そんな魔法の世界にいた彼が、未知を求めて白金の車に乗って、マリーたちの世界に辿り着いたのです。マリーにとっては見慣れている森でも、彼にとっては未知なのでした。そのことで、マリーは不思議な気持ちになりました。

 それから彼は、そそり立つ木や飛び交う虫を見て、どんなふうに一生を送るのかを教えてくれました。マリーは大きい虫はあまり好きではありませんでしたが、森の中にこんなにたくさんの生き物がいたことを知って、驚きました。

「あれは……シマリスだね」

彼の指した方向に、小さな生き物が動いています。黒いしっぽを持った小さなリスが、そう遠くない地面から木に駆け上がるのが見えました。

「木の芽とか、どんぐりを食べる」

「そのくらいは知っていますよ」

マリーが返すと、彼の表情に微笑みが生まれました。

「最大6個のどんぐりを頬張ることができるから、巣穴に持ち帰って冬眠に備えておくんだ。あと地面にも埋めたりするんだけど、埋めたことを忘れたりもするね」

「忘れちゃうんですね」

「そう、そうしたら、新しい芽が出てくるんだ」

彼は本当に楽しそうに話を続けていました。それからふと、思い出したように、静かに呟きました。

「昔は生物学を専攻しようかと思ってた。でも夢を叶えるためには理工学系に進む必要があったんだ……だけど、僕はラッキーだったな」

そう言って、空を見上げました。マリーも黙って、同じ空を見ようとしました。マリーはこの森を何度も訪れていました。でも見慣れているのと、知っているのは違うんだと気づきました。そうすると、マリーが発見したことを喜んでくれているように、森の生きもの一つ一つがもっと色鮮やかに見えてきました。そしてこの森がもっと好きに思えてきました。

 やがて森を抜けると、緑の丘が見えました。村の集落も見えました。マリーの家は、その中で何の変哲もない一軒でした。

「どうしました?」

彼は立ち止まって見上げています。

「君はいつもここに住んでるのか」

彼は感慨深そうに見上げていました。マリーは少し頬を赤くして、

「そうですよ」

と言うと、そのまま中に入りました。

 お母さんは彼の話を聞いた後、

「そういうことでしたら」

と快くうなずきました。

「いいんですか」

「もともと私のものじゃないんですよ。私がマリーくらいの頃だったかしら、知らない人が家にやってきていただいたんです。もし望む人が出てきたら渡して欲しいって。最初はとても惜しかったんですけど、でも何年経っても十年経ってもそんな人いっこうに出てきませんもの、もうマリーの結婚祝いにでもプレゼントしようかと思っていたところなんです」

「そうでしたか、それならよかった」

彼は安心したようで、胸をなでおろしました。

「約束は守れそうだ。でももし変えられるなら、一つはちゃんと受け取ってもらうとして、二つあなたに差し上げたい。別のあなたになってしまうのが残念ですが」

「どういうことですか?」

「いえ、こっちの事情です」

と彼は後ろの髪をかきながら言いました。ペンダントは綺麗な箱の中にしまってありました。彼は受け取ると、深く感謝して、別れを告げました。

「またお会いしましょう」

お母さんのにこやかな挨拶に、彼も微笑んで返しました。

「ええ、ぜひ」

でも、彼の肩が少し震えているように見えて、マリーは心配になりました。

「帰り道はわかりますか?」

マリーがたずねると、

「大丈夫、覚えてるよ」

しっかりした返事だったので、きっと大丈夫と思いました。でも森の入り口までは見送ることにしました。

「ごめんね、このペンダント、君のものになったかもしれないのに」

「いいんですよ」

太陽が彼の横顔を照らしていました。彼はマリーの家を見ていたときのような、深く心を揺らしている様子で、

「君にあのユニコーンを贈るよ」

と言いました。

「連れて帰ったとしてもどうなるかわからないし、マリー、君がユニコーンを持っているという事実が欲しいんだ。ペンダントの代わりに」

マリーは彼の提案に驚きました。

「でも、ペンダントもいつか返すおつもりなんでしょう?」

「いつか——そうだよ。でも君が想定しているのとは、ずっと違った形になるかもしれない」

「それでもいいんですよ」

遠い遠い話になったとしても、彼のその思いやりで十分に思いました。それでもマリーは、胸が熱くなるのを感じました。

 森の入り口に立ったとき、マリーは伝えました。

「ここからまっすぐ歩くと、あの車に行けますよ」

「本当にありがとう」

「また会いましょうね」

「また……」

彼はおしまいまで言い終わらないうちに、背中を向けました。

「会おう」

森へと歩いていく彼を、マリーはしばらく見守っていました。マリーはずっと立っていましたが、彼は一度も振り返らずに奥へ奥へと、小さくなって行きました。

 次の日、マリーの家の前に、馬の鳴き声が聞こえてきました。様子を見に行くと、あのユニコーンがいました。

「あの人……」

マリーはそれより先は何も言わずに、馬に近づいて優しく肩を撫でました。ユニコーンは嬉しそうに目を細めました。

お母さんはユニコーンにびっくりです。

「あの人は魔法使い?」

マリーは首を振りながら、彼の星空をつめこんだ瞳を思い浮かべました。その瞳に向かって、マリーも微笑み返すのでした。

「わからない、でもとってもいい人よ……」

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