アルプス一万尺 決勝戦 その2(完)

 一週間後の金曜日。体育館の中央に六年生が体育座りをして床に列を作っていた。

 ステージに立つ岩渕に全員の視線が向けられている。

「これから『アルプス一万尺大会・六年生の部』をはじめます。午後になって眠いかもしれないけど、集まってくれてありがとう。朝の集会にも言ったけど、もう一度ルールの確認をしておきましょう」

 しほとななみは二列挟んだ場所にいた。目は岩渕を見ているが、岩渕がジョークを挟んでも表情を動かすことは一切なかった。

「ルールはいたってシンプルです。二人一組になってアルプス一万尺の歌に合わせて決められた型の手遊びをしてください。先に振り付けを間違えた方が負けとなります。歌はラジカセから流れますが、童謡を声に出して歌ってもかまいません。ただし、周りに迷惑をかけない程度の音量でお願いします」

 生徒たちの一部に、岩渕の話をよそにして振り付けを練習しあう者が散見しはじはめた。岩渕は声のする方へちらりと目を動かし、間をあけてから喋り出した。

「トーナメント方式で大会を進めていきます。クラス対抗ではなく、個人での戦いになりますので、優勝できるのは一人です。対戦相手の確認については、トーナメント表が貼られたホワイトボードを後ろに見えるロビーに用意してあるので、見ておいてください。各自の対戦場所も記載してあるので、場所を覚えたら用意した体育マットに座っておいてくださいね。開始時刻になったら、先生がお知らせしますね」

 岩渕の説明が終わると、生徒たちは列を崩し後方へ向かった。


 対戦開始の合図が鳴った。多くの生徒たちは相手との手遊びを楽しんでいた。音楽 に合わせて手を交わす。ラジカセから流れる『アルプス一万尺』の歌は次第にテンポが上がっていく。捌ききれなかった生徒は、そこで負けが決まる。音楽の開始と同時に対戦を始めるので、一分もすれば大多数は勝敗がついている状況になる。


 三十分足らずで決勝戦となった。勝ち残ったのは、ななみとしほだ。

 二人はステージ上に上がり、向かい合わせに座る。

「よろしく」

「よろしく」

 司会の岩渕が合図を出す。岩渕の心臓は早鐘を打っていた。問題児の二人が決勝まで残るのは、彼女たちの決意めいたものを感じる。もっとも、その決意がなんのか検討もつかない。


アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さぁ 踊りましょ


 曲が流れた。二人は手を合わせ、リズムに合わせて決められた動きをくりかえす。


アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さぁ 踊りましょ


 歌が一周し、振り出しに戻る。リズム間隔が狭くなり、手の動きもそれに伴い加速する。


アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さぁ 踊りましょ


 曲が三週目に入った。激しく腕を躍らせるが、首から上は全く動じない。ななみとしほは互いに見つめあい、無表情なまま振り付けをこなす。


 曲が停止した。テープが終了したのだ。岩渕が再生ボタンをすかさず押そうと駆け寄る。しかし、


昨日見た夢 でっかいちいさい夢だよ のみがリュックしょって 富士登山


 音楽が止まったのに、二人は歌いだした。目にもとまらぬ速さで掌を押し合い続けていた。困惑した様子の岩渕は、舞台袖に後ずさりする。


岩魚釣る子に 山路を聞けば 雲のかなたを 竿で指す


 さらに二人は歌い続ける。こめかみから汗が一筋、流れ落ちた。舞台袖に引っ込んだ岩渕は、ななみとしほの強張った表情に見入っている。

「ねえ、先生。あの二人、アルプス一万尺の続きの歌詞を歌っているど、ありなの?」

 隣にいたクラスの学級委員が話しかける。岩渕は一瞬反応が遅れ、聞き返す。

「なにが、ありだって?」

「ルールのこと。みんな、一番目の歌詞で手合わせしてたでしょ。2番目以降の歌詞で競うのって、ルール違反じゃないのってこと」


お花畑で 昼寝をすれば 蝶々が飛んできて キスをする


「この童謡に、続きの歌詞なんてあったのか………。あいつら、本気なのか」岩渕も汗をかき始めた。ポロシャツの脇下に汗がアメーバのように黒く広がっている。

「先生。ルール違反じゃないのってつってんだよ」学級委員が肘で脇をどついた。

「あ、ああ。いや、ルール違反じゃないよ。というよりも、ルール決めの時点では、歌詞のことなんて全く頭になかったよ。まあ、替え歌でもなんでもいいんだけどさ………」


雪渓光るよ 雷鳥いずこに エーデルヴァイス そこかしこ


 ななみの顔には滴が浮く。しほの手を打ち合う度に、汗が床へ散る。

 しほも、にじみ出た手汗で掌同士の接触が滑らないように、ひじのしたに手を移動させた瞬間に、スカートで汗をぬぐう。


一万尺に テントを張れば 星のランプに 手が届く


 体育館に響く音は、音楽と手の弾きあう空気の破裂音だけだった。口を閉じ目の前の傾向をひたすらみつめる他の六年生たちは、何かに射抜かれたようにその場で棒立するだけだ。


キャンプサイトに カッコウ鳴いて 霧の中から 朝が来る


 心なしか、彼女たちの歌うスピードが速くなった。聞きとれないほど早口で歌いながら、空を切るように手を打ち出す。


染めてやりたや あの娘の袖を お花畑の 花模様


 その時、赤い飛沫が床に斑点を描き始めた。ななみとしほの間から、飛ばされている。ななみが歯を食いしばっていることに岩渕は気づく。

「先生。しほちゃんたちからなんか飛んでいるよ………。もしかして血………?」

「もしかしてじゃない………。また………流血だ。噓だと言ってくれ………まずい」

 岩渕が足を踏み出し、ステージ中央へ向かう。

「岩渕! くるんじゃねえっ」


蝶々でさえも 二匹でいるのに なぜに僕だけ 一人ぽち


 どすの聞いた声がした。ななみかしほのどちらかが言ったのだ。どちらも言ったのかもしれない。岩渕は足を止めた。


トントン拍子に 話が進み キスする時に 目が覚めた


「今、私たちの対戦を止めたら、てめえをぶっとばすっ」

 ななみの声だ。岩渕は彼女の言葉から殺意を感じた。

「今、私たちは決着をつけているのっ。じゃましないで」

 今度は背を向けたしほが言った。

「お前らの周辺に赤い斑点が飛び散っているぞっ。血だろっ?」


山のこだまは 帰ってくるけど 僕のラブレター 返ってこない


 岩渕の言葉に会場がざわつく。

「ケンカは許されないことだっ。悪いが俺は止めさせてもらう」

 ななみが視線を逸らして、近づいてきた岩渕をにらむ。顔はまるで般若だ。

「殺す」歌詞に紛れて、そんな言葉が聞えた。

 岩渕はしほの肩に両手を置こうとする。

「岩渕っ」

 舞台袖から叫び声がした。学級委員だ。岩渕は手を止めた。

「岩渕先生。ななみちゃんとしほちゃんは今、大事な勝負をしているんです。ルールで暴力はいけないと、確かに先生は言っていました。しかし、彼女たちがしているのは決闘なんです。血を流したくて、遊んでいるんじゃないんですっ」


キャンプファイヤーで センチになって 可愛いあのこの 夢を見る


 一歩下がって岩渕は二人を交互に目をやる。よくみると、血は彼女たちの手のひらから飛んでいた。お互いに爪をたてて、皮膚に食い込ませているのだ。


お花畑で 昼寝をすれば 可愛いあのこの 夢を見る


 血がしほの顔に飛び散る。ななみの髪も赤く染まる。学級委員が岩渕の手を引く。「先生。下がって。彼女たちは本気なの」

「なにに。どうしてあそこまでして………」

「男の先生にはわからないでしょうね。乙女の気持ちなんて」

「乙女か………。わからないな………」

 岩渕はななみとしほ、そして学級委員に気おされて力なく舞台袖に下がった。


夢で見るよじャ ほれよが浅い ほんとに好きなら 眠られぬ


 びしゃ。びしゃ。びしゃ。

液体が床に飛び散る音。二人は意にかえすことなく、歌いつづける。


槍の頭で 小キジを撃てば 高瀬と梓と 泣き別れ


 数分が経過して、その瞬間は起こった。二人の撃ち合いのもとへ学級委員が走りだした。

「もう………二人ともやめてっ」

 学級委員は間に飛び込み、体でそれを遮った。

 不意の出来事に、ななみとしほは突き出した手を止められず、学級委員の喉に爪を刺し込んだ。鋭い手刀に対して、鈍い音がした。みかんの果肉に爪を刺し込んだような生々しい音。


まめで逢いましょ また来年も 山で桜の 咲く………

「いやっ」

「きゃっっあぁぁ」


 岩渕が駆け寄り、学級委員を抱き起す。

「祐樹っ」

 岩渕は学級委員の傷を確認する。浅かった。

「いやああああ、祐樹くんっ」

 しほが泣き出す。ななみは失神した。

「祐樹。しっかりしろ。傷は浅いっ。………くそ、まずい喉が圧迫されているのか………」

 学級委員が岩渕の顔に手を伸ばす。しほは、駆け寄った生徒に舞台袖まで連れられた。

「………彼女たちが喧嘩しているのは、………僕が原因なんです。彼女たちは、僕をどちらが先に恋人にできるか争っていて………。それで、決着をつけるために、今日の大会を利用して………。ごめんなさい………」

 岩渕は近くにいた生徒に、保健室に行って保健師を呼ぶように指示を出した。

「祐樹。その話はあとで聞こう。今はとにかく──」

「………だめです先生。僕はもう来週には学校をやめるんです。先生も知っているでしょ。………彼女たちはそのことを知らずに、僕に好意を持ってくれた。臆病にも伝えられない僕は、彼女たちに無関心を装うようになった。いや、実際に無関心であろうとした。でも、こんな事態になるなんて。………とても見ていられなかった。学校を去る僕に血を流すなんて………。もうすぐで僕はいなくなるし、もう先生とちゃんと話す機会なんて僕にはない。だからここで先生に伝えておかなくてはなりません。彼女たちに、僕が転校をすることを伝えてください。僕からは伝えられない。………もう喧嘩をせずに、仲良くしてほしいって………。」

 岩渕は学級委員を抱きかかえたまま、体育館の外に出た。

「わかった。祐樹。………話してくれてありがとう。必ず伝えるよ」

 祐樹の顔は安らかな顔して目を閉じた。




 二年後。

 求人所へ足を運ぶ岩渕は、たまたま地元の中学校の前を通った。岩渕が務めていた小学校の近くにあった場所だ。

 ふと、校庭を遠くからのぞくと、サッカーをしている中学生が数人いた。昼休みの時間だろう。

 そのなかに、点を決めて抱きあっている女子学生がいた。

ななみとしほだった。




おわり。



 

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28作品目「アルプス一万尺 決勝戦」 連坂唯音 @renzaka2023yuine

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