28作品目「アルプス一万尺 決勝戦」
連坂唯音
アルプス一万尺 決勝戦 その1
アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを さぁ 踊りましょ
体育館に流れる軽快な歌。ステージの中央にラジカセが置かれている。
そしてラジカセの前に座る二人の少女。彼女たちはラジカセから流れる歌のリズムに合わせて、手を重ねあったり、拍手をしたりする。二人の顔には汗が滲み、互いの目線は相手の目に照準を合わせ、決して瞬きをしない。口を固く結び、時に歯を食いしばる。二人から飛び出た赤い飛沫が床に斑点を作る。
昨日見た夢 でっかいちいさい夢だよ のみがリュックしょって 富士登山
一週間前のことだ。
岩渕は四時間目の「理科」を終え、黒板消しを黒板に滑らせる。クラス名簿を片手に教室を出る。数ヶ月前に感じていた新学期特有の初々しさは、秋を迎えた小学生たちからはとっくに消えていた。とくにこの六年二組は、クラス全員が馴染むのに時間はあまりかからなかった気がする。
職員室のドアを開きかけた時だった。
「岩渕先生。ななみちゃんと、しほちゃんが校舎のうらでケンカしてます」
廊下を走りながら呼び止めたのは、岩渕が担任しているクラスの学級委員の男子だ。
「ななみとしほがか。とりあえず向かおう、連れてってくれ」
岩渕は早歩きで学級委員のあとを追った。
「先生はやく。やばいことになってます。血が」
「流血か。ほんとうか。それはいけない」
学級委員を追い越して、校舎の外へでた。
岩渕が現場に着くと、女子の群がりができていた。なにやら騒いでいる。
割りこんで入っていくと、確かに血を流している生徒が二人いた。
破れかけた黒いバンドTシャツを手でつまみながら、鼻の血を手の甲で拭くななみ。くしゃくしゃになった髪を、櫛で丁寧に梳かしながら唇の血をハンカチで拭くしほ。二人は掴みあいをしていたようで、ところどころ服の糸がもつれている。
「ふたりとも、大丈夫か」
岩渕は二人のけがの様子を確認した。ななみは、鼻血を流しているだけで他に外傷はない。血も止まっている。しほの方も、唇が少し切れているだけだった。なにも返事はしなかったが、熱を帯びた表情で鼻息が荒かった。
岩渕は立ち上がって、ざわめきあう女子たちへ体を向けた。
「みんなとりあえず教室に戻ってくれないか。あとは先生に任せてほしい。みんながななみとしほのケンカを止めてくれたんだろ。ありがとう。詳しい事情は、あとで一人一人から簡単に聞かせてもらうよ。ひとまず、俺が二人を保健室につれていくから」
「はーい」
女子たちが、岩渕の後方をちらちらみながら立ち去る。岩渕は二人を保健室へ連れて行った。道中、二人は一度も言葉を交わすこともなくただ視線を逸らし続けていた。「なにがあったんだ」と言っても、二人は「ふん」としか答えなかった。
その日の放課後、二人の母親が学校に駆けつけ、互いに謝罪をした。ななみとしほは相変わらず互いの顔を見ようともしない。ただぶっきらぼうに「ごめんなさい」と一言だけ発した。岩渕は保護者による面倒事が起こるのではないかと、内心穏やかではなかった。しかし、どちらの母親も穏便に事態に接していた。どうやら娘同士のいざこざが過去に何度かあったらしく、半ば呆れ気味でもあった。
ケンカの理由は判然としなかった。ケンカに駆け付けた生徒によれば、恋愛がらみのトラブルだったらしい。解決したのかどうかは分からず、岩渕は二人に厳重に注意するだけだった。
来週に控える学校行事「アルプス一万尺大会」にむけての準備を進めなけらばならない岩渕は、翌日にはトラブルのことなど忘れていた。
しかしその日の放課後、ななみとしほはすっかり暗くなった校舎裏で再びを顔を合わせていた。
「ねえ、もうケンカやめようよ」ななみが切り出した。
「やめるかやめないかはあんた次第でしょ。あたしが最初に祐樹くんに告ったんだし。あんたがあとから、祐樹くんに告白したから面倒なことになったんでしょ」
しほは地面に落ちた枯れ葉を音を立てて踏みつぶした。
「そんなこと知らねーよ。私の方があんたよりも早く好きになったんだし」
「そんなこと、てめーが決めたことだろ。勝手に決めつけんな」
「あー、しほちゃん、やっぱりケンカしようとしてるー。うけるー。私とそんなに戦いたいのー?」
ななみは掴んでいた木の枝を折って嘲笑った。
「私はね、猿みたいにカッとして手がでるようなタイプじゃないのよ。あんたと違って」
それを聞いたしほも嘲笑する。
「あんたは猿以下ね。あんたの脳みその肉、全部”皮肉”になっているわ。この世の生き物じゃないわ」
「ま、こんなんじゃいつまでたってもラチが明かない。だから私とあんたのどちらが祐樹くんをボーイフレンドにすることができるか、正式な戦いで決めることにした。何か分かる」
「まさか、来週開かれる『アルプス一万尺大会』で? うそでしょ。あんなので私たちの勝敗を決めるつもり? お遊戯会でしょ」
「そう。あんたと殴り合っても誰かにとめられるし、お母さんが心配しちゃうからね。だからアルプス一万尺の速さを競うという、安全で公正な勝敗を決めれる大会は私たちにぴったりじゃない」
「あんた、ふざけてるの」
「大会は全員強制参加。いやでも土俵に立たせられる。あんたがこの勝負に乗るかどうか自由だけど、私はこの大会優勝させてもらう。あんたが決勝戦まで勝ち上がったら当然私と戦うことになるだろうね。もし私が負けたら、あんた、祐樹くんにお付き合いを申し込みなさい。私は邪魔したりしないから。これで、どう? 文句ないでしょ」
ななみがそう言うと、しほはため息をついた。
「あんたの提案に乗っかるのはなんか気に入らないけど、言い出したからには覚悟してね。その人を見下すような目、卵黄を箸で割るみたいに私がつぶしてあげる。楽しみにしておいてね」
「じゃあ、これで決まりってことで」
「ええ。ではまた来週」
「ばあい」
二人は別方向へ歩き出して、夕闇に姿を消した。
つづく。
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