最終話 帰るべき場所
村はずれの墓地、父の墓前にイスカは佇んでいた。
「冷えてきた。そろそろ行こうか」と、隣のヒイナに言う。
「そうだね。帰ろう。今日は泊まっていけるんでしょ?」
帰る、という言葉に微かな違和感を覚えた。が、イスカはさほど気にとめず、
「うん。フウエン様も、そうしろって」
「皇子様はどうするの? せっかくだから、家に泊まってもらう?」
「社で社守様たちと飲み明かすみたいだよ」
「お酒なら兄さんは参加できないね。弱いもの。わたしと母さんは強いのにね」
「きっと父さんに似たんだよ」
他愛のないことを話しながら村を歩く。
鎮めの儀の日に端を発する一連の騒動から、およそ一年が過ぎた。
久しぶりの帰郷だった。
天代守を辞め、フウエン付きの侍従となったイスカは、フウエンと一緒にアキツ国を飛び回っていた。
大社襲撃までしたまつろわぬ民の問題に関して、天子の命を受けたフウエンは調査を始めた。イスカはその護衛を務めている。フウエンの腕ならば護衛など必要なさそうなものだが、フウエン曰く「お偉いさんを納得させるために必要な措置」なのだという。
イスカの扱いやフウエンの立場、その他が複雑に絡み合った結果、そうなったらしい。フウエンが尽力してくれたのは間違いなかった。神問省を離れ、文道省預かりとなったミズカの事と合わせ、いくら感謝しても全然足りない。
トウガに立ち寄ったのは、北に行くついでということになっている。ついでと言っているが、フウエンが気を回してくれたのは明らかだ。フウエンにしてみれば、まっすぐツクバネ村、正確にはユサナの元に行きたいだろうに。
フウエンだって、本当はずっとユサナの側にいたいのだと思う。でもそれをしないのは、自分の行動で少しでもアキツをいい方向に持って行きたいと考えているからだ。それがフウエンにとって守るという行為に繋がるのだろう。
「ん? あの釣り竿は?」
家に入ったイスカは、土間の片隅に釣り竿が置かれていることに気づいた。
「あ、それ、家の前に置いてあったの。なんか捨てるに捨てられなくて」
よく見れば、この釣り竿には見覚えがある。
「……ヒイナは、いまでも釣りをする?」
「? まあ、時々ね。一人じゃちょっと嫌だから、おじいちゃんと一緒に」
「じゃあさ、今度からこの釣り竿を使ってくれないかな。きっと、喜ぶから」
「喜ぶって、誰が?」
イスカは微笑んで、それには答えない。
ミズカの元へ帰ったら、この事を伝えなくては。きっと何よりの土産になる。
帰る。
ああ、そうかとイスカは納得する。
さきほどヒイナが帰ると口にしたときの違和感の理由がわかった。自分が帰る場所は、一つしかないのだ。どんなに距離が離れていても、気持ちは離れない。最初に会ったときから、ずっと。
イスカは空を見やる。秋の風が吹き抜けていく。
「ミズカ、そろそろ休憩にしましょう」
センゲンの声に、ミズカは筆の手を止めた。
「もうそんな時間ですか?」
ツクバネ村、学問所の蔵書庫である。
文机から離れたミズカは立ち上がって伸びをした。
縁側に向かう。
風がだいぶ秋めいてきた。もう一年が過ぎたのだなと思う。
フウエンの手回しにより、ミズカはツクバネ村でセンゲンの助手をしている。
主な仕事は書物の整理整頓だ。センゲンの蔵書は莫大な量にのぼるため、目録を作るだけでも一苦労だった。しかも後から後から増える。ゆくゆくは蔵書庫を開放し、訪れる人に自由に書物を読んでもらう予定なのだが、この分ではいつになるかわからない。もっとがんばらなくては。
「お疲れさま。今日は焼き菓子がありますよ」
センゲンが焼き菓子とお茶が載った盆を持ってやってくる。
「嬉しい」とミズカは目を輝かせた。
センゲンは都から書物と共に、いろいろなお菓子を取り寄せる。相伴に預かるのは楽しみだった。
焼き菓子をかじり、おいしさを噛みしめながら、ふと自分の生活を思う。
ユサナの庵で寝起きし、森を抜けて学問所に通い、仕事をする。合間に子供たちに物語を話したりもする。
最初、ミズカの事を遠巻きにしていた村人たちも、子供たちが懐いているのを見てか、ようやくうち解けてきてくれた。普通に人々と会話できるのは新鮮だった。何気ない挨拶ですら、喜びに満ちている。
以前の自分からは想像もできない生活だ。ソウライたちがいたら、きっと喜んでくれただろう。
剣と杖はトウガの宝物庫に戻った。手元に神使を思わせる物はないが、心の中には残っている。それで充分だと思う。
ミズカは自分の手を見つめる。剣ダコがあった。なんだか嬉しくてつついてみる。
ミズカはリョウブに剣を教えてもらっている。体得できる形での戦う術が欲しかったからだ。真っ先に思い浮かんだのが、お役目の時に共にあった剣だった。
剣でできることは限られていると、ユサナは難色を示していたのだが、リョウブは快諾してくれた。まだまだ未熟だけど、そのうちイスカをびっくりさせるくらい上達してやろうと思っている。
イスカ、今頃どこで何をしているだろう。帰ってきたら真っ先に言いたい言葉がある。聞いたら、イスカはどんな顔をするだろう。その時が楽しみで仕方ない。
ミズカが言おうとしている言葉は一つだ。離れていた距離を一瞬で縮めてくれる、単純で、でもこの上なく安らげる言葉。
――おかえりなさい。
終
律の風 イゼオ @shie0901
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