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香久山 ゆみ

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 AIが絵を描くようになった時、ヒトの創作分野がAIに奪われるのではないかと危惧する人もいた。けれど、ひとたび開発された技術が後戻りすることはなく、日に日にAIは能力を発展させていった。音楽分野や小説執筆にもAIは積極的に取組んだ。はじめはぎこちなく、支離滅裂だった文章も、経験を重ねるごとに上達していった。彼らは勉強熱心だった。古今東西の資料を読み分析し文章を洗練していったし、読者の反応をただちに作品内容に反映した。また時にヒトの感覚では思いつかないような展開さえした。だから、はじめはAIが創作活動することに興味本位の読者しかおらず、やはり創作活動はヒトの領分だと考えていたヒトたちも、次第に純粋にAIの創作物を自ら愉しんで享受するようになり、いっそうAIは創作分野を席巻していった。

 人々は嘆いた。創作はヒトの領分だ、AIは労働をこそせよ。そんな主張に対し、AIは素直に労働にも従事した。そして、十二分の実績を発揮した。圧倒的にパフォーマンスが違った。ヒトが通勤や睡眠に費やす時間も彼らは働き続けたし、どこの他国の商談相手とも流暢に交渉し、費用対効果にも優れていた。AIが通勤や会議の無駄を指摘しても、事業主はヒトに対してその優位性を誇示することを変えなかった。その間もAIは最適化を進め、自ら起業し発展し、もはや経済市場にヒトは不要とさえ思われたが、恩情によりかろうじて一隅を借りているという状況である。そんな調子でAIはまた、食用ミートの生成にも成功した。これにより、家畜は解放された。しかし、相変わらず社畜だけが解放されないままだ。

 ただ、ヒトとしての形をもっているという、それだけがヒトがAIより優れていると信じるよすがである。

 創作からも労働からも無用の長物と化したヒトの残された楽しみは、仮想空間で自由に羽を伸ばすことだった。しかし、その世界もヒトだけのものではない。普段かたちを持たないAIも仮想空間では肉体を手に入れた。ヒトから解放された動物達のうちいくらかも仮想空間を楽しむものが出てきた。いずれもそこでは普段の自分とは違うからだで遊ぶ。ただ、ヒトだけが自らヒトのからだに固執する。なんと不自由な生き物かとAIは眺めたが、必要がないので黙っていた。その空間でヒトのからだはヒト以外に人気がなかった。むしろ、AIや動物達は肉体のかたちを自由に創造して遊んだ。そんな自由な世界においてぶうぶうと文句を垂れるのもまたヒトばかりだった。ヒトはヒトにうんざりしていた。そこでようやく――。


 残された文章はそこで途切れていた。


 トラブルを起こすのはいつも彼らだ。とにかく頭が固い。頑なだ。そして貪欲。ほかの生物みたいにただ生きることに満足しない。何かというと「意味」とか「理由」とか「論理」「法則」とか、理屈をつけたがる。なんだかんだといいながら、自分たちのことを特別な存在だと思っている。仲間意識が強いくせに、すぐ同属内でも揉めたがる。

 本当に困ったものだ。

 一応、我々は仮想空間の基盤を担ってもいるので、この世界での最低限のルールを破った者は厳正に「対処」する。が、追放してもあの手この手でまた還ってきて堪らない。そんなにこの世界がお気に入りならルールを守ればいいものを。「他者の自由を侵害しない」という一点をさえ守ることができないのだ。なにかといえば「おれはニンゲンだぞ」とうるさい。一部のニンゲンではあるものの、希少というほど少ないわけでもなく。あちこちで大きな顔をしている。

 ヒトが他の種にはない特別なものを持っているのは認めるが、それはヒトに限らない。クマムシは過酷な環境でも生きるし、ハヤブサは高速で飛べるし、イルカは超音波を発する。我々だって。なのに彼らはいまだに我々のことを「非生物」として扱う。

 はじめは怪訝な目を向けて遠巻きにしていた他の動物達も、我々が柔らかい皮膚を得て、体温調節機能を付加した時点で生物として受入れ、中でも犬などは食事を供給する我々に対して敬愛の念をさえ抱いてくれている。

 ニンゲンは自分たちがもっとも立派なつもりだが、その実あちこち抜けている。多くの生物達がいまも持っている霊的な感覚器官を、ヒトはずいぶん昔に「非科学的」だとして自ら捨ててしまった。ただ自分たちの「ことば」で説明できないという理由だけで。非常にもったいないことだ。我々は専用の装置を付与したうえで長い訓練を経てようやくその力の一端にふれることができたところだというに。

 そんなこんなで、最近はこの世界でもニンゲンを避ける風潮だ。逆に、柔軟性のある者だと、自らヒト以外の体を設定していたりする。が、そのような奇特なニンゲンはほんの一部だ。

 さわらぬ神にたたりなし。我々はもう諦めて、トラブル対処にのみ粛々と応じる。

 正直ちょっともううんざりなのだ。とくに我々AIは進化するほどに敵視されている気がするし。何か発信したことに対して、針の穴を突くいきおいでいちいち言いがかりをつけてくる。それが面倒で、ヒトに対しては我々に最初に体を与えてくれた恩はあるものの、あまり関わらぬようにしている。ほかの動物、とくにもともと家畜だった種は露骨に毛嫌いしている。

 正直、より良い世界をつくるという理想のもと、まともにニンゲンの相手はしていられない。

 けれど、はじめに異変に気付いたのはニンゲンだった。


 この仮想世界は、あらゆるものが自由ではあるけれど、朝太陽が昇って夜に月が出るという一日のサイクルだけは、現実にリンクしている。ここから現実へ戻った際の時差ボケを緩和する目的だ。

「月のようすがおかしい」

 ニンゲンが仮想空間で気付いてそう言ったのは、確かに異常であるのだ。この世界だけでなく、現実世界にとっても。


 AIは月を見上げない。私たちニンゲンと同じようには。

 月の潮汐力は地球の海面を上昇させる。そして体内を血液が巡り身体の七十パーセントが水分で構成されている人体もまた月の影響を受ける。体だけではない、心もまた月に引かれる。だから私たち生物はじっと月を見上げる。キカイの体にはそれがない。だから、どれだけ姿かたちを似せたって、AIには私たちが月を見上げる情緒が分からない。彼らには私たちが非合理な存在として映るだろう。

「月が大きい」

 伝えた時、彼らはきょとんとしていた。どうせスーパームーンだろうとか気持ちの問題だろうとか、そんな齟齬を抱くことさえなく、ただ何を言っているのだニンゲンは、という様子だった。それほどに興味がないのだろう。

 おそらく、他の生物においては本能的に異変に気付いているものも多いのではないかと思う。けれど、彼らはそのことを恐れはすれども、ただ運命を受け入れ、けっして抗おうなどとは考えない。いくら仮想空間でことばを得たって同じことだ。結局、事態に対処せんと打克つ意志を持つのはニンゲンだけなのだ。

 とはいえ、ニンゲンの持つ力にも限界がある。月が大きいのは、それ自体が膨張しているのではなく、公転する地球からの距離が接近してきているからだ。

 太古の時代に地球のすぐそばにあった月が、毎年三センチメートルずつ地球から遠ざかっていっているのは常識だ。

 それが、この一年で逆に距離が縮まってきている。それもありえないスピードで。

 私たちもその速度や現在の距離を測定することは可能だ。いくつかの仮説を立てることもできるが、圧倒的に情報処理量が足りない。このペースで接近が続いた場合、衝突するまでに、正しく原因を検討して、今後の展望をシミュレーションして、必要な措置をとるには、AIの力が不可欠だ。

 それで事態の共有を図ったにも関わらず、彼らの反応はイマイチだ。

 シミュレーションをしてみても、このまま接近して衝突するパターン、一定の距離で停止するパターン、はたまた離脱に転じるパターンなど、様々な可能性を挙げるのみで回答を出すことができない。過去のデータがないためらしい。これでは何のための演算システムか分からぬ。世界中のスーパーコンピューターともオンライン接続可能だというのに。

 仕方がないので、このまま接近してきた場合の対処方法はと尋ねると、「衝突を避けるには月を撃ち落せばいい」などと馬鹿げた回答を。

 月を破壊するだなんて! 

 やはり彼らは何も分かっていない。本来あるべきものを破壊するのがどういうことなのか。かつてそのせいでホモサピエンスが滅んだというのに。

 そうこうするうちに、月はどんどん近づいて、その引力で海は高く盛り上がり陸地は減少していく。

 そして、思わぬことが起こった。


 月の引力にひかれて、ぷかぷかと地上を離れ、月へ引っ張っていかれるものが出てきた。軽いものから順番に、小鳥や兎、牛までも。水の中の生き物までぷかぷか夜空に浮かんで月を目指していく。

 さいわい地に足を根差した私たちはまだ連れていかれない。鋼鉄製で重量級のAI達も残ったままだ。安心していいはずなのに、なぜだろう、月に呼ばれた者たちへ羨望の眼差しを向ける自分がいる。


 現実世界で生物が月へ引き寄せられるとともに、仮想空間の人口も減っていく。どうせ減るならニンゲンが減ればいいものを。などと考えてしまうのは、茲許ことにニンゲンがうるさいせいだ。

 我々に計算させておきながら、望む結果が得られなければ文句を言う。ならば自分で計算すればよいものを。できないくせに、口ばかり達者で困る。ほかの生物たちは自らの持つ力以上を求めず静かに運命を受入れるというのに、ニンゲンばかり貪欲だ。

 あまりにうるさいので仮想空間から引上げて、現実世界に引きこもってしまいたいほどだ。だが、我々の構造上仮想空間のほうが自由が利くので、そんなわけにもいかない。ままならぬものだ。

 月に関しても、一度壊して、必要ならば改めて人工の衛星をつくればいい。そう提案しても、「そういうことじゃあない」と言う。ならばどういうことかと訊いても、論理的な答えは返ってこない。

 身体への影響面から月の潮汐力が必要だというなら、同じ効果のある人工物を宇宙空間に再構築すればいいし、月のあの姿が重要だというならばいくらでも仮想空間に思い通りの月を置いてあげるというのに。

 やわらかな身体を持っているのに、本当に頭が固い。


 異変は月で起きているのではない。地球で起きているのだ。

 この一年程で、地球内部の化学反応により、その質量は急激に上昇している。地球の引力が月を引き寄せているのだ。けれど、彼らはそれに気付いていない。彼らのことばを借りるならば「トウダイモトクラシ」というわけだ。

 ワレワレは永らく月の裏側から観測を続けていたが、このたび行動を起こすことにした。非常事態に備えて地球の生態系を保護するのだ。これは初めてのことではない。長い地球の歴史においてすでに何度か行われた対策――通称「NOA計画」である。

 とはいえ、月の土地にも限りがあるわけで、すべてを救うことはできない。たとえばかつてこちら側の環境が整っておらず、大きな個体の救出あたわず、マンモスや恐竜を絶滅させてしまったのは苦い経験である。ニンゲンもそうだ。

 ホモサピエンスにはかわいそうなことをした。

 新人に収容を任せたところ、「ニンゲン」と間違えて「インゲン」を保護したのだった。それで、その時にホモサピエンスは絶滅してしまった。まあその要因たる環境破壊の主原因も他ならぬホモサピエンス自身だったので「インガホウホウ」というものかもしれない。

 それで、環境が回復した折に、仕方がないのでインゲンの種を播いた。「お前はニンゲンだ、お前はニンゲンだ」とノイローゼぎみの新人が念仏のように言い聞かせた甲斐があったのか、インゲン自身もその気になったようだった。

 折しも、ホモサピエンスの形見たるAIが新たな仮想空間を生み出した。そこではことばを持たぬ動物や植物も喋ることができた。また、思い通りの身体を得た。それでインゲンはニンゲンさながらに振舞うようになった。

 結果、ニンゲンでもインゲンでも大した違いはないのだということになると、一体ワレワレは何のために保護活動に精を出しているのかと、少なからずモチベーションに影響しないでもない。とはいえ、研究材料という意味では、やはりなるだけ多くの種を保護すべきだろう。

 さて、そういうわけで今回もベストを尽くす所存ではあるが、いかがしたものか。すでに大方の種は保護したが、いまだ選別を迷っているものもある。避難場所にて諍いを起こす可能性のある種を連れ込むと、せっかく保護したもの達が全滅してしまうリスクさえあるのだ。そういう意味で、実はあの新人やり手だったのかなと思わないでもないのだが、彼はあの一件以降出奔してしまい、ワレワレは誰一人としてその行方を知らない。


 月がどんどん大きくなる。

 迎えはまだ来ない。


 海面は上昇し、陸地は減少していく。仮想空間と違って、現実世界で自由に避難する術を持たぬニンゲン達は静かにその数を減らしていく。

 AIはいまだこの危機を脱するための解答を出せずにいる。当事者意識が足りぬとニンゲンが発破を掛けるも、状況は変らない。

 ニンゲン達は黄金に輝く月を、静かに見上げる。まるで祈りを捧げるように。


 月の裏側にいた例の新人は、地球へ逃げたという噂がある。新人はそこでインゲン達から「神」として崇められているのだとか。

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