森のこどもたち

長々川背香香背男

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 わたしはその日、数学研究所の帰りにラスベガスのとなりの縦長の本屋に寄って漫画雑誌を読みたかったのだが、所長に居残りを命じられたために断念し、まっすぐ自宅へ帰るために自転車に乗っていた。

いつもなら夕方の五時に数学研究所を出るのだが、その日はなんと六時半までわたしは研究所に居続けなければならなかった。

 所長はわたしにだけ数枚余分にプリントをやらせ、コダマ氏とタイラ氏はいつもどおりの五時に研究所を出ていったにも関わらず、わたしは所長の子供のピアス氏が帰って来てもなお、プリントの残りと向き合わなければならなかった。

ピアス氏は左耳にピアスの穴をあけた大学生で所長と話すときの言葉づかいが乱暴なのでわたしはピアス氏が苦手だった。

だから研究室として使われているキッチンにピアス氏がやってくると、わたしはじっとプリントを見てピアス氏の方をなるべく見ないようにした。

 所長は夕方になると研究室のエアコンを消して窓を開けたので、わたしは脇の下や手のひらにジトっと汗をかいていた。

冷蔵庫が開く音がしたのでチラリとそちらを見ると、ピアス氏がオレンジジュースを取り出して容器に口をつけて飲むところだった。開け放しの冷蔵庫の灯りの前で、ピアス氏の喉のでっぱりがゴクリゴクリと動いているのが見えた。わたしは家で容器から直接飲み物を飲もうとして、いつも母の人に小言を言われていたので、ピアス氏が所長に小言を言われるのではと考えたが、やはり所長はピアス氏に向かって「コップを使いなさいよ」と言ったので驚いた。

 考えが本当になってやってきたような感覚だった。

 実はそういうことはそれまでにも何度かあったが、その時ほどピタリと考えと現実が当てはまることはなかったので、わたしはおっかなくなってプリントの続きを読んで考えをそこに置き去りにしようとした。

置き去りとはつまりそれ以上先のことを考えないようにすることだ。

なぜならそれ以上先のことを考えて、そのことがまたピタリと現実と当てはまってしまえば、わたしはもっと恐ろしくなって、あーっと声を上げてしまうかもしれない。

よその人の前でわたしがあーっと声を上げることをすり替えられた父の人と母の人は極端に嫌った。

特にすり替えられた父の人は、わたしが声を上げることがあればすぐにわたしをぶったし、すり替えられた父の人や母の人のいない時にも、わたしがあーっと声を上げれば、よその人からおかしな人を見る目で見られることになるので、わたしは考えを置き去りにする必要があったのだ。


 わたしがプリントを見たまま固まっていると、所長はいつもそうするようにわたしの後ろまでやって来て、肩越しに色ペンでメモ書きをしながら数学の仕組みをカイセツしてくれた。

しかし最初のころはなんとか理解できていたカイセツも、もうその頃にはちんぷんかんぷんで、所長がやさしくカイセツをしてくれるたびに、わたしは所長に対して申し訳ない気持ちを抱くようになっていた。

だからもうその頃には、わたしは数学研究所に通うのがかなりオックウになっていたのだが、それを言えばすり替えられた父の人は、それはわたしの怠け癖だと決めつけ、ぶってくるに違いなかったし、なによりラスベガスのとなりの書店は数学研究所のついでがなければ、わざわざ足を運ぶには距離がありすぎたので、わたしは数学研究所をやめたいとは言い出さなかった。


 そのようにしてその日、わたしは午後の六時半に数学研究所をあとにした。いつも自転車をとめている研究所のガレージに下りていくと、ピアス氏のものらしいタイヤが太くてハンドルがUの形をした大きな自転車がわたしの自転車に覆い被さるみたいに倒れかかっていた。

わたしはイヤな気持ちになってピアス氏の自転車をどけ、自分の自転車を引っ張り出した。

そんなふうにイヤな気持ちになったときには、ラスベガスの書店に行って、それから雑木林に寄って帰るのが一番の解決なのだが、研究所を出る間際に所長が母の人に電話をかけ、わたしがこれから研究所をあとにすることを伝えてしまったので、家に着くのが遅くなればフシンに思われるかもしれないと考えあきらめたのだ。

しかし帰り道の最初の坂を登るところまでは、わたしはラスベガスの書店に後ろ髪を引かれる思いだった。ラスベガスの書店は漫画本の品揃えがジュウジツしていて、何人もの大人が並んで立ち読みをしていても、店員の男性は小言を言ったりせず見て見ぬふりをしていたし、店員の男性も入り口のレジの機械の横に座って自分用の雑誌を読んだりしていた。

そのうえコダマ氏とタイラ氏をのぞけば、このあたりは同じ中学の仲間のうろつかない地域だったので、わたしはいつも研究所をすこし遅れて出て、コダマ氏とタイラ氏がラスベガスとは反対の方へ曲がったのを確認しさえすれば、あとは好きなだけ漫画雑誌を読むことができたのだ。

しかしやはり母の人にフシンに思われるのはまずいし、なにより先に研究所を出たコダマ氏とタイラ氏が、今日はなにかの都合でラスベガスの方面をうろついている可能性も否定できないので、わたしはラスベガスとは反対の方向(つまり家の方向)にハンドルを切って、ラスベガスの書店に行きたい気持ちを置き去りにしようと、思い切りペダルをこいだ。

 わたしが、わたしの自転車のブレーキの異常に気がついたのは、父の人がまだすり替えられる前の父の人だった頃よく連れて行ってもらった古道具店の前に差し掛かったときだった。

歩行者用の信号が赤に変わるのが見えたので、わたしはスピードをゆるめようとブレーキをかけた。しかしレバーにはいつものような重みがなく、そのままカチっといってハンドルのにぎりにくっついてしまった。わたしは慌ててズックの底で地面を擦って自転車を止めようと試みたが、道はゆるく下っていて、スピードが出ていた自転車はなかなか止まってくれなかった。

わたしは思わずあーっと声を上げ、車道と逆側のブロック塀の方へ思い切りハンドルを切った。前のタイヤがズズズッとブロック塀をずっていき、それから体ごと壁に寄りかかるみたいな格好になってようやく自転車は止まった。

わたしはブロック塀に体を預けたまま動けないでいた。壁と擦れた膝がセミの鳴くみたいにジンジンとして、チラチラとした光の点が目の中を泳いでいた。それから急に、わたしはよその人におかしな人を見る目で見られているのではないかとおっかなくなってあたりを見回した。しかし近くによその人の姿はなかったし、よく見ればそのために信号のある道路にも車は走っていなかった。

わたしはホッとしたが、すぐにホッとしている場合ではないと思った。数学研究所に着くまでは正常だったわたしの自転車のブレーキがなぜこのようなことになってしまったのか、その原因を解明する必要があったからだ。

わたしは自転車からおりてスタンドを立て、状態を観察してみた。ブレーキのレバーを何度か引いてみると、ブレーキの線が両方とも切れてしまっていることがわかった。さらに観察すると、ブレーキの線は二本とも刃物を使ったようにまっすぐに切断されていた。

わたしにはすぐに、それがコダマ氏とタイラ氏の仕業だということがわかった。

コダマ氏が命令をして、タイラ氏がワイヤーを切ったのだ。


 コダマ氏は数学研究所でも中学でも、先生や所長の前ではわたしに話しかけて良い人を演じていたが、そのような目上の人がいない場面では、仲間たちにわたしの悪口を言いふらしていて、そのせいでわたしは中学でも数学研究所でもコダマ氏の話しかけてくるとき以外はひとりで黙っているしかない状態がもう半年以上のあいだ続いていた。

 中学では体育の時間を終えて教室に戻ると、わたしの制服にだけ妙な匂いのする液体がかけられていたり、林間学校では仲良しのふりをして話しかけてきて道をはずれた茂みに生えているというキノコを取りに行かされ、そのあいだにコダマ氏も班の仲間たちも先に行ってしまって、わたしは置き去りにされてしまったりした。

中学の先生はまったくの役立たずで、コダマ氏たちから置き去りにされて一番最後を歩いていたわたしを見つけると、一人で集団から離れたと言って私を怒鳴ったし、学校でもわたしがコダマ氏とその仲間たちからイヤがらせを受けているということはあきらかだったにも関わらず何も手を打とうとはしなかった。


 タイラ氏に関して言えば彼は重要な人物ではなかった。

重要になろうという気持ちさえ持っていない人物のようにわたしには思えた。

タイラ氏は入学してすぐの頃からコダマ氏に支配されていて、言われるままに音楽CDやゲームソフトを買っていたし、それを長いあいだコダマ氏に貸し出していた。

わたしはコダマ氏のイヤがらせについて許せないという気持ちを常に抱いていたが、なぜだかそれ以上にタイラ氏のことが許せないと思った。自転車を引っ張りながらわたしはずっとタイラ氏に対する復讐について考えていた。

日が暮れると駐車場にバイクに乗ったチンピラが集まってくるシャトーの前をおっかなびっくり通り過ぎているとき、突然わたしはタイラ氏への復讐のために、鹿の角の柄のついた小さなナイフを使おうとひらめいた。

 鹿の角の柄のナイフは、すり替えられる前の父の人がわたしにプレゼントでくれたものだった。

すり替えられる前の父の人はハンティングが趣味で、わたしにもハンティングに必要な装備を買ってくれて、その使い方を教えてくれた。

すり替えられる前の父の人がそのようにわたしを扱うことに母の人はときおり小言を言ったりもしたが、週末に一緒に山歩きに出かけると、手際よくハンティングの装備を扱って見せてわたしを驚かせた。

 わたしは一度だけ中学校でそのようなハンティングの知識を披露したことがあった。家庭科の調理実習の時間に、班の仲間が持ってきた缶詰のプルタブがちぎれてしまったときだった。班の仲間たちが開かなくなった缶詰を見て途方に暮れているとき、わたしは備え付けの調理器具の中に缶切りがあるのを見つけ、それを使って缶を開けてみせた。

班のなかまは缶の口が開いて行くのを見て感心したようにわーと言ったが、コダマ氏の方を気にしてすぐに黙り、それどころかわたしを、おかしな人を見るような目で見た。

まだおかしな人を見る目で見られることに慣れていなかったわたしはショックを受け、それ以来ハンティングの知識を人前で披露することは控えるようになった。

 すり替えられる前の父の人はナイフの使い方についてもレクチャーしてくれたが、それは果物の皮をむいたりロープを思う通りの長さに切ったりといった内容に限られておりわたしがナイフを手にするたびに決して人に向けてはならないと繰り返した。

しかし父の人はすり替えられてしまい、すり替えられた父の人も母の人もすり替えられる前のようにはわたしをかまってくれなくなった今、わたしはコダマ氏とタイラ氏のこうしたイヤがらせから、わたし自身の身を守らなければならなかった。

だからわたしは、自宅に戻ったら勉強机の一番深い引き出しに隠してある鹿の角の柄のナイフを取り出して手入れをし、翌日それを学校に持って行こうと決心した。

そのようなすべての考えは、いま思えば森のひとたちにそそのかされて生まれたものだった。

 その頃、森のひとたちはまだ森のこどもたちだったはずで、今ほど大きな声でわたしにあーしろこーしろと命令をしてくるわけではなかったが、わたしは小さな頃に、すり替えられる前の父の人と行ったキャンプで、河原の石と石のあいだで木の枝にギタイしていたナナフシに驚いて石で潰してしまったとき以外には、何かを傷つけたいと考えたことがそれまでになかったのだから、傷つけたいという思いが生まれたこと自体が、森のひとたちにそそのかされたせいだったと考えなければツジツマが合わなかった。

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