No.69《シックス・ナイン》

羽川明

No.69 《シックス・ナイン》(読み切り短編版)

 ──これは、めちゃくちゃデカいおっぱいの話だ。



 空、大地、地平線。

 視界に映るすべてが、ただ一色に染まっている。

 世界大戦の只中、前線となった平原は”灰色”に支配されていた。


 侵攻するいくつもの無人機ドローン。その多脚が汚染された土をえぐり出す。

 砲身の伸びる長方形の箱から、関節の多い脚を放射状に生やしたその機械は、この時代の主戦力だ。


 資源や資金の潤沢な強豪きょうごう国がこぞって無人機ドローンの開発に着手。

 結果、戦場は無人化した。


 ──はずだった。


「──ウゥォォォーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!」


 獣のような野太い咆哮ほうこうはしかし、一人の巨漢が発したものだった。

 目、鼻、口、以外の顔を含む全身を黒いコンバットスーツで隠した異様な風貌ふうぼうだ。


 巨漢は飛行船のように肥大化した両腕で、大きな鉄の残骸ざんがいを放つ。

 巨大な岩のような残骸はその重量感からは考えられない速度でほぼ直線の軌跡を描いた。


 進行する無人機ドローンのうちの一機に命中。一瞬にして粉砕。

 関節の多い鋼鉄の脚が周囲に飛び散り、無人機ドローンは積み込まれた火薬により爆発、炎上した。


「いいぞぉ、すべて壊してしまえぇ!!」


 巨漢の背後にある塹壕ざんごうから、暗い迷彩柄の軍服を着込んだ眼鏡の男が顔を出す。


 無人機ドローンは未だ数え切れないほど闊歩かっぽしている。


 しかし二人に砲弾が命中することはない。

 彼らもそれを信じ切っており、巨漢に至っては塹壕ざんごうを利用することなく無防備に身体をさらしていた。


 なぜか。


 答えは単純だ。

 戦場に人間はほぼおらず、主役は無人機ドローン

 人間の指示も操縦も受けず完全な自律思考によって行動する無人機ドローンたちは対象を破壊することが最優先であり、死を恐れない。


 対戦車ミサイルや迫撃砲などの重武装を認識すれば当然排除する。

 しかし破壊行動をさまたげることができない丸腰の人間など、砲弾一発さえ使うのが惜しい。


 そのため思い切りの良い国ではプログラム上人間を攻撃しない無人機ドローンが開発されており、すでに実用化している。


 批判を受けるどころか、命を奪わぬ人道的な兵器として世界中から称賛された。


 当然だが一般人の生活する市街地への襲撃及び軍人の殲滅せんめつを目的とする場合このプログラムは使用されない。

 あくまでも市民が逃げ出しほぼ無人化した戦場においてだけ、このプログラムは適用される。


 このプログラムを搭載した無人機ドローン非殺傷型ノンリーサル無無人機ドローン──通称:《イノセンス》と呼ばれており、人的被害を最小限に抑えることができるため、国民や他国との信頼関係を重視する大国で広く使われている。


「そうだぁ、その調子だぁ、壊せ、壊せぇぇーーーッッ!!」


 非殺傷型イノセンスは異常に肥大化した膂力りょりょくのみをって金属片の塊を投擲とうてきする巨漢を脅威と認識することができない。

 金属片もふくらんだ腕も、本来武器ではないからだ。


 それこそが、巨漢の存在理由。


 自律思考システムの穴を突かれた非殺傷型イノセンスすべなく破壊されていき、みるみるその数を減らしていく。


 巨漢はスクラップになった非殺傷型イノセンスを他の非殺傷型イノセンスに投げつけるだけの単純作業を繰り返す。

 それだけで、短時間のうちに非殺傷型イノセンス以上の戦績を叩き出した。


 眼鏡の男は笑いが止まらない。

 彼は巨漢が生命倫理の域から外れた改造手術により洗脳されていることを知っている。


 無人機ドローンのように死を恐れず破壊するだけの殺戮マシンと化した改造人間であるこの巨漢の場合、まともに口を利くことができない。

 言いくるめる手間すらなく、自分の手柄に仕立て上げることができる。


 それが、眼鏡の思惑であった。



 どれほどの時間がたったのか、眼鏡はあえて確認しない。

 自分がいつからこの戦場にいて、いつ日常に帰れるのか。

 終わりの見えない過酷な前線において、眼鏡は正確な時間情報を封じることで精神の安寧を保っていた。


 メンタルコントロールのつもりなのだろうが、人間の体内時計は24時間ではない。


 つまるところ正確なわけがなく、さらには極限まで張り詰めた空気の中で、体感時間は何倍にも引き伸ばされている。

 彼の生活リズムは無自覚のうちに崩壊していた。


 習慣が狂えば精神も狂う。命こそ奪ってはいないが、人間性も道徳も、常人と比較することはもはやかなわない。


「あらかたいなくなったか」


 灰色の戦場からいくつもの黒い狼煙のろしが上がっていた。

 それは命を奪わない破壊兵器という矛盾した滑稽こっけい欺瞞ぎまんが、ついえていく合図だった。


「ん? 味方か?」


 眼鏡の目の色が変わる。

 巨漢と同じ黒いコンバットスーツを着込んだ一人の男が、ゆっくりとした足取りで歩いて来る。


 装備は何もない。

 遠目からは丸腰に見える。少なくともライフル以上の大きさの武器は持っていない。気配を隠そうともせず、デパートでも歩くような速度だ。


 巨漢と違って頭部は隠れていない。短く刈り上げたブロンズの髪まで剥き出しで、眼鏡が被っている軍用ヘルメットさえしていない。


 味方にしてもあまりにも無防備で、無警戒だ。

 眼鏡の戦場で研ぎ澄まされた勘が、男を危険だと訴える。


「止まれ!」


 眼鏡は拳銃を構えた。銃口がブロンズ髪の男に向けられる。


 男は素直に立ち止まった。

 顔色は変わっていない。その表情からこれと言った感情を読み取ることはできなかった。


「そのコンバットスーツ、祖国の物だな。味方か? 名乗れ」


「名前はない」


 ブロンズ髪の男は両手を下げたままだ。無抵抗の意志は示していない。この男には何かある。

 眼鏡は拳銃のトリガーに指をそえる。


「改造人間か?」


 巨漢の場合言葉をかいさず、理解するのがやっとだ。

 しかし洗脳を受けているとはいえ、改造人間は全員能力も役割も違う。心理の極地に至る話術によって相手を意のままに操る者もいる。


 ゆえに求められる目的に応じて洗脳の度合いも異なるのだ。


「そうだ。俺は改造人間、No.69ナンバーろくじゅうきゅう──《シックス・ナイン》だ」


「なんだと?」


 その瞬間、眼鏡の疑念は確信に変わる。

 No.69と名乗ったこの刈り上げたブロンズ髪の男は、得体の知れない諜報員ちょうほういんに違いない。


 眼鏡は顔には出さずに心を殺し、トリガーを引く。


「何っ!?」


 当たらなかった。けられたのではない。


 拳銃が一切脅威とならない非殺傷型イノセンスとの戦いが長期間に渡ったため、眼鏡の銃の腕が落ちていたのだ。


 舌打ちをして、眼鏡の男は構わず続け様に撃った。


 No.69は外れた一発目の時点ですでに走り出している。


 右へ左へ、規則性のない進路変更を繰り返しながら眼鏡に迫る。

 立ち止まった状態ですら外したのだ、動きの読めないその走りに狙いを定めることは不可能。

 放たれた銃弾はすべて離れた場所へ。短い悲鳴を上げて着弾する。


 両者の距離が着実に詰まっていく。


 あせった眼鏡は弾切れになるまで出鱈目でたらめに連射。

 すべて外れる。かすりもしない。


 トリガーを無意味に引き続けた。

 反動も炸裂音も無くなったことで、返って眼鏡は冷静になる。


「[アームド]! あの男はペテン師だっ。殺せぇ!!」


 そばに非殺傷型イノセンスの残骸はない。

 だが相手は丸腰。改造人間と自称したが、眼鏡にはそれが嘘だとわかっていた。


 しかし[アームド]と呼ばれた巨漢は従わなかった。


 洗脳されているが、だからこそ味方の識別は怠らない。No.69は祖国のコンバットスーツを着ており、武器も見当たらない。

 洗脳によって刻み込まれた機械的思考が、危険性はなく、味方の可能性が高いと結論づけたのだ。


「[アームド]ォォ! なぜ動かないっ!? 俺の言うことが聞けないのかぁ!?」


 眼鏡が尻を蹴ったが、巨漢は伊達だてではない。微動だにしなかった。


「[アームド]? その肥大化した両腕……やはりNo.33ナンバーさんじゅうさんか」


「改造人間は68体。失敗作はナンバリングされない。No.69なんて、あり得ないんだよっ!! [アームド]! 死にたいのか? 黙って俺に従ぇぇ!!」


 No.69がコンバットスーツのふところから銃を取り出す。旧世代に活躍したコルトガバメントだと思われた。


 武器を認識したことで洗脳された頭は再び思考する。

 No.69の視線の動き、表情、そして回避を重視した不規則な進路を辿る走り方。祖国の装備を身につけた敵であると断定された。


 [アームド]が動く。


 そのころには、No.69はすでに目前まで迫っていた。


「[アームド]、殺せぇ!!」


 [アームド]が巨大な右腕を振るった。空気を巻き込んで風を起こす。およそ人間の域ではない速度の拳がNo.69の顔面へ。


 眼鏡の視界から、No.69の姿が消えた。


「っ!?」


 次の瞬間、[アームド]の巨体が浮いた。

 No.69は消えたのではなかった。


 上半身をかがめて[アームド]のふところもぐり込み、高速で打ち出された右手の速度を利用、背負い投げに転じたのだ。


 超絶技巧とでも言うべき流れるような体術により、[アームド]は自身の膂力りょりょくで体勢を崩した。


 抵抗する間もなく地面に背中を強打、昏倒する。


 [アームド]の肺から押し出された空気が、声にならない悲鳴となった。

 No.69は[アームド]の頭部をおおうコンバットスーツを剥ぎ取り、その額を躊躇ちゅうちょなく撃った。


 冷酷無情。

 逡巡しゅんじゅんなど欠片かけらもない。


 No.33 [アームド]は呆気なく息を引き取る。即死だった。


 眼鏡はこの間No.69と[アームド]との命のやりとりに目を奪われていたが、それでも銃弾を再装填するだけの時間は十分にあった。


 No.69の頭蓋ずがいは目と鼻の先。

 この距離では外しようがない。


 刹那せつなのうちに火花が上がる。眼鏡の手から拳銃が弾き飛んだ。


「いっ、ああぁぁぁーーーーーーーーーーッッ!!??」


 遅れて、右手から燃えるような激痛が広がる。どろりとした血があふれ出して止まらない。


 No.69の持つ拳銃の口からかすかな白煙が上がっていた。撃たれたのだと、眼鏡はそこでようやく気づいた。


 非殺傷型イノセンスの脅威から逃れるため、眼鏡には他にろくな武器がない。腰にはコンバットナイフが刺さっていたが、動転のあまり頭から抜け落ちていた。


 ただ無様に尻餅をついて、後ずさることしかできない。


「驚いたよ。その動き、技術、目つき……本当に改造人間らしいな」


 眼鏡はあえて大袈裟な反応をして見せた。会話によって少しでも時間を稼ごうという苦肉の策だった。


 事実、No.69の身のこなしも技量も窺い知れる精神構造も、凡庸ぼんような軍人のそれではない。


 No.69の銀の瞳からは、相変わらず思考を読むことができない。

 軽蔑も憤怒も快楽も油断も、その虹彩の輝きにはない。


 No.69が眼鏡に銃口を向ける。至近距離からよく見ると、コルトガバメントとは細部が違う。


「その銃、まさか競技用か?」


 返答に興味などなかった。競技用とあおったのも、No.69の関心が少しでも逸れて一瞬の隙を作るため。


 No.69はしかし、目を逸らすことなく答える。


「これはセンチメーターマスター。お前の言う通り、射撃競技用の銃だ」


「はぁ?」


 眼鏡の男は驚愕きょうがくし、恐怖し、困惑して激昂げっこうする。


「ふざけるなぁ!! 競技用? 改造人間? No.69? その意味がわかってるのか!?」


 No.69は、ごくわずかかだがひるんだように見えた。眼鏡の男は好機と見てさらにたたける。


「いいか? 時代は無人機ドローンなんだよ。

 非殺傷型イノセンスの弱点を突いたところで、撃たれれば死ぬ改造人間なんか、最初から誰も期待しちゃいない!!

 改造人間はな、物資の供給を絶たれて劣勢に追い込まれた祖国が、希少金属レアメタルなしに量産できる戦力が欲しかっただけだ。

 他に選択肢が無かったんだよっ!

 祖国は滅びゆく運命にある。俺は[アームド]の戦績を餌に敵国へ寝返る腹積りだ。《シックス・ナイン》とか言ったな。俺とタッグを組まないか?」


 No.69は即答した。


「断る」


 眼鏡の男は狂乱する。もう演技ではなかった。

 一秒でも長く生きるための、悪あがきでしかない。


「馬鹿かっ! 非殺傷型イノセンスをいくら倒しても、改造人間をいくら殺しても、未来も運命も、何も変わらない!

 信じるべきは、祖国の仲間なんじゃないのか!?」


 No.69は、口元をかすかにゆがませる。わらっていた。


「何がおかしい?」


「俺には仲間なんていない。それに、未来? 運命、だと? そんなものどこにある。俺が信じるのは、


 ──


 眼鏡には、No.69の瞳が揺れ動いたように見えた。

 小さな閃光せんこうほとばしり、乾いた銃声が鳴り響く。


 眼鏡の死に顔は、絶望と失望に満ち満ちていた。


 No.69は、黒いコンバットスーツの胸の内ポケットから、色せた一枚の写真を取り出す。


「アリア。見ているか? 俺はお前を信じる。だから、お前も信じてくれ」


 短く切り揃えられた黒髪。凛とした美しい顔立ち。大きな胸。No.69と肩を組んだ若い女性が、セピア色の写真の中で笑っている。


 No.69は写真を胸の内ポケットに戻し、空を見上げた。

 太陽は、曇天どんてんに塗り潰されて見えない。


「……あと、67人か」


 No.69はセンチメーターマスターを背中側の腰のホルスターに戻し、再び歩き出した。


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