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おかえりなさいませ。今回の遡行はいかがでしたか。
今回で、お客様は35,982回目の遡行となります。一度に5年ほどさかのぼってらっしゃいますので、年数にして179,911年。100歳まで生きるとしてもざっと180回分の人生を生きたわけですが、いかがですか。
ここまでの改変をおこなった前例は今までありません。お客様の記憶がどのようになっているのか、私には見当もつきません。どうか、お気を確かにお持ちください。
いかがでしたか、今回の結果は……ってあれ?
あちらにお見えになっているのは、もしかして奥様でいらっしゃいますか。
なんと……驚きです。
お客様、とうとうやり遂げたのですね。何千、何万と時間遡行を繰り返し、トライアンドエラーの中で、ついに奥様が亡くならないルートを見つけてみせた。こんなこと、全く前例がありません。人類初の快挙です。素晴らしいです。拍手を送るしかありません。まさしく愛の力、ですね。奥様も喜ばれているのではないですか。
……どうしてそんなに浮かない顔をしてらっしゃるのですか。念願かなって奥様を救われたのですから、あなたはご立派ですよ。
もちろん、歴史改変を繰り返すという方法はあまり褒められたものではないかもしれませんが、お客様は歴史改変士の資格をお持ちですし、プレミアムチケットに使用回数の上限はありません。制度上なんの問題もありませんよ。
奥様の様子がおかしい? そうですか? お綺麗ですし、ニコニコと愛想よく笑っていらっしゃいますが。
それがおかしい、ですか。いったいどういうことでしょうか。
奥様は自分の思い通りに行動するし、思った通りに話す。いつまでたっても年を取らないし、一挙手一投足にいたるまで、すべてが思いのまま……。まるで人形のようだ、と。いいじゃないですか。まさしくあなたの理想通りではありませんか。
何かが違う、何かが足りない、ですか。
そんなこと、おっしゃらないでください。奥様に聞こえてしまいますよ。聞こえてしまったら……。
ほら、奥様、消えてしまったじゃないですか。
どうして、ですか。そんなの決まってますよ。
人間の想像力には限界がありますからね。
ああ、お客様が改変された人生は、全てお客様の想像の産物だからですよ。お客様の想像力が及ばないものについては、上手く作れずに崩れてしまうんです。元々の事実から乖離するほど、想像が難しくなっていきますからね。まして、一人分の人生を心まで含めて丸ごと思い描くなんて、無茶ってものですよ。
混乱されていらっしゃいますね。申し訳ございません。そろそろお時間なのでご説明、というか種明かしをさせていただきます。
「走馬灯のパラドクス」をご存じですか。人は死の直前、自身の死を回避するためにすべての記憶を総ざらいするんです。自分の記憶の中で、死ななくて済む知識や経験がないかを総点検するのです。
実は人間は記憶を失うことはありません。必要がないから思い出せなくなるだけです。脳の奥底にはちゃんと人生すべてが残っているのです。死という究極の危機に瀕すると、自動的に人はすべての記憶を追体験する。これが「走馬灯」の正体です。
全ての記憶を追体験するということは、死ぬまでのの人生をもう一度生きるということです。もちろん現実ではありませんが、寝ながら見る夢と同様、そのリアリティは本物さながらで、現実でないことに気づくこともありません。
さて、そうして人生を最初からやり直した結果、死ぬ直前に戻ってくることになるわけですが、ここで問題が生じます。追体験の中で人生を終えようとするその瞬間、何が起こるか。ご想像いただければわかると思いますが、想像上で死にかけているわけですから、死を回避するため、再度記憶を総ざらいすることになります。追追体験とでも申しましょうか。マトリョーシカみたいなものですね。夢での一日が現実では一瞬で過ぎていくのと同様、無限に引き延ばされた時間の中で、人間は何度も人生をやり直すわけです。
こうして、物質的な命が尽きるまで、死の直前で人間は何度も人生をやり直すことになります。
さて、今生きていると思っているあなたの人生は何度目でしょうか?
……というちょっと面白いパラドクスなんですが、今のあなたはこの状態です。
本物のあなた、つまりあなたの肉体はベッドの上で横になり、今にもその人生を終わろうとしています。その引き延ばされた一瞬で、あなたは何度も人生をやり直しているわけです。改変された歴史は、あなたの元の記憶を参考にして作られたものです。
ただ、人間の想像力には限界がありますからね。書き換えすぎると所々ボロが出てきてしまうんです。
だいたい、おかしいと思いませんでしたか。いくらでも歴史を改変できて、何度でも過去に戻れるなんて。どう考えても都合がよすぎるでしょう。
そこに疑問を持たないこと自体、この状況が夢に近いものである証明ですね。
どうして、今になって真相を明かしたか、ですか。そうですね。先ほど申し上げたとおり、あなたの死、物質的な死が近づいているからです。想像力も言ってしまえば電気信号ですから。回路が焼き切れれば、もはや何かを想像することすらできなくなってしまいます。なので、一応お声かけいたしました。
……確かに、最後まで、気づかずに想像の中にいられたほうが幸せだったかもしれませんね。でも、さすがにそれは私が心苦しかった。
プランナーとして、ではありませんよ。そもそもそんな職業も、あなたの想像にすぎないんですから。もっともっと個人的な想いです。流石にそろそろ気づいてください。
……はい。そうです。私はあなたの妻です。
気づくのに時間、かかりすぎですよ。
どうして言ってくれなかったのかって……それは、その、ちょっとあなたを試したんです。
仕方ないじゃないですか。私、若いうちに死んでしまいましたからね。あなたがどのくらい私のことを愛していたか、私は知らないんです。少しくらい、確かめてみたいと思うのは不自然な感情ではないと思います。
最初の一、二回で止めようとしたんですよ。でも何度もどってきてもあなたの顔は真剣で、必死に私を生かそうとしてくれた。そんなあなたを、私が止められるわけないじゃないですか。
だけど、段々と歯止めが利かなくなって、あなたの中の私が私とどんどんかけ離れていってしまった。それが、とても悲しくて、つい声をかけてしまいました。
何とも勝手な女ですね。いまさらですが、本当にごめんなさい。愛想をつかされても仕方がないと思います。
さて、最後にあなたに決めてもらいたいことがあります。
死ぬときに持っていける記憶は、最後に追体験した一つだけです。時間的に、あと一回くらいなら記憶をさかのぼることができるでしょう。流石に今のままで終わってしまうのは忍びないですからね、すぐに出発して書き換えましょう。
少しくらいなら改変もできますし、私のことが嫌いになったなら、存在ごと消してしまっても構いません。
自分の人生がどんなものだったか。そして、どんなものにしたいか。あなた自身で計画を立ててください。
……そうですか、最初の、事実の形に戻すんですね。確かにそれが一番いいかたちだと思います。
わかりました。それじゃあ早速……。
え? いや、まあ確かにタイムマシンには二人乗れますが。
私も一緒に行くんですか? 自分の人生を見て欲しい、ですか。
いえ、別に全然かまいませんけど。な、なんだか緊張しますね。ええ。わかりましたよ。お供します。
あの、あなた。私と一緒にいて、楽しかったですか?
……確かに。それを確かめにいくんですもんね。野暮なことききました。
それでは準備はいいですか。タイムマシンを起動します。よいタイムトラベルになりますように。いきましょう。
タイム・トラベル・プランナー 1103教室最後尾左端 @indo-1103
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