第10話 ガストロノミア会談
絶景でありながら、どこか見覚えのあるこの景色に故郷を懐かしみながら、楽しんでいると、テーブルの真ん中の黒い球からまたスクリーンが表示される。
すると、ベニの前にある真っ白のテーブルに黒い線が現れ、それが綺麗な真円を描いた。そして一瞬の瞬きの内にそこには先程のスクリーンで見た食事が写真通りの形で並んでいた。
「いやいや、どこから出てきたんですか」
「それはキッチンからですが」
と、惚けたように言うパリスは困惑しているベニの様子を楽しんでいるようで、それに気付いたベニは冷静を装って、「駆動装置ですね?」と尋ねる。
「ははは、すいません。そうです。世にも珍しい物質転移の駆動装置を、この店は所持しているのです。他のほとんどの店は人間が給仕として働いていますが、この店は映画の雰囲気を損なわないためにということで、なるべく従業員と客の接近を避けるようにしているのです」
「物質転移? 物を人の手を使わずに、一瞬で移動させることが出来るってことですか?」
「ものだけではありませんよ。人だって可能です」
「え!? それはどのくらいの距離を?」
「基本的にはその距離は無限とも言われていますが、それにはそれなりの膨大なエネルギーをしようするので、最大距離と言うのは測ったことがありませんね」
ベニは不帰の森からこのエルドピアに来るまでに使った機馬車のことを思い出した。駆動装置の電源部分に手をかざすことで、人の生命エネルギーを消費して長距離の移動を簡易化させる。一人の力だけで、数名の人間と多くの荷物を軽々と運ぶことが出来るが、その分、力を使った男はかなり疲弊していたように見えた。その移動を一瞬で行うどころか、どんな距離でも可能と考えると、一度でどのくらいの生命エネルギーを消費するか測り知れない。それこそ生命エネルギーというものが何が明確には判断できないが、命を司るエネルギーとすれば、使い切れば死が待っているのだろうか。そう考えると最大距離を測ったことがないことも理解できる。
「でもそれが全て過去の遺物と考えると少し怖いですね」
と、腹の底がその食い物を寄越せと鳴いていると言うのに、目の前にある芳醇な香りを醸している未知な料理には手が出難い。
「いただきましょうか」
そう話して、目玉焼きパンと空賊船シチューを食べ始めた。毒身を指せたわけではないが、パリスが料理を食べたのをみて安心したのか、ベニも目玉焼きパンに手を伸ばす。
「パン単体だと味気ないうえに、そのままかじりつくのはいささか意地汚いところがあるのですが、あえてこのパンはそのままかじりつき、上にのっている目玉焼きを先に平らげてしまうのがツウというものです」
「は、はぁ。動物の卵……」
ベニはパリスの言う通り、皿の上にのった目玉焼きパンを手に取り、かじりつく。すると表面はさくっと、中はふわっとした食感と、小麦の香り、それに合わせて感じたことのない食感が口に広がる。これが卵というものかと認識したベニは、その奇妙な口当たりに吐き出したくなるが、それは観測者の立場として間違えていると思い、パリスがやってみせたように、その目玉焼きをパンの上から引きずるように、口の中へと運び入れ、しっかりと咀嚼する。白い部分は奇妙な食感であったが、黄色い部分を噛み潰すとぶちゅっと中から液体が溢れ始める。その部分がとても濃厚で味わい深いコクを有しており、口がいっぱいであると言うのに、残りのパンにもかぶりつき、パンと卵のハーモニーを楽しむ。
卵の黄身がぱさぱさしているパンへ沁み込み、小麦の香りを引き立たせるとともに、目玉焼きにかかっていたであろう調味料によって、ほのかな塩味でより食欲が書きたてられる。
未知の料理を目の前にして口いっぱいのそれを頬張るベニはいつも礼法の試験は落第だった。
「これ滅茶苦茶うまいですね!」
そういうベニにパリスは続く。
「鶏卵は有史以前から多くの獣が栄養源として食していたと言います。卵殻と言う殻に囲われていながらも、その中で勝手に鶏が育つのは、先程の目玉焼きの黄色い部分のほとんどが成長のために使われる栄養分で構成されているからです。その栄養バランスの完璧さから卵は完全食とまで言われています」
「完全食……。でもこれ一つで一つの命と考えるとやはり罪悪感がありますね」
「魚という生物の卵の場合、ひとさじで数十から数百と言う量を食すことになりますので、命一つと考えるとそちらの方が残虐な食かもしれませんね」
次にベニが手を付けたのは空賊船シチューだ。シチューの見た目はほとんどベニの言っていた野菜のポトフと変わりないが、匂いが明らかに違うのと、茶色い固形物がそのシチューにはしっかりと存在しており、その存在感たるや、これが動物の死骸からはぎ取った肉を料理したものであると言うのは想像に容易い。
しかし野菜のみで構成された煮込み料理であるベニにとってなじみ深いポトフとは違い、このシチューと称される料理からは、直接的に胃袋を鷲掴みされているかのような、食欲と言うものをはっきりと体内で認識させられたうえで刺激されているかのような芳醇な匂いが立ち上り、鼻孔を突き抜けていた。
いくら樹人族として植物の恩恵を得ているベニだとしてもルーツをたどれば、目の前に座るパリスと同じ地上の人類であり、遺伝子の奥底に眠っていた肉を求める感覚が、長年植物性の栄養のみを取り続けてきた肉体の節々から感じる。それは唾液となって止めどなく口内で溢れ、ベニはこの料理を目の前にして数度、ごくりと喉を鳴らした。
パリスがしているように、隣に置かれたさじをその肉をすくいあげて、口の中に放り込む。
野菜の旨味を感じながらも、それとは比べ物にならないほどの味わいと、感じたこともない食感にベニは咀嚼を一度止めてしまう。まるでトマトに齧り付いた時のように一度噛み締めるだけで、肉からはじゅわりと汁が溢れ出し、シチューから感じた食欲そのものがこの肉由来の物であったと言うことを理解する。
一瞬にしてそれを平らげてしまったベニは満腹でありながらも、未だあのシチューの余韻の中にあった。
その余韻を断つように、今一度白いテーブルの上に黒い線が浮き上がり、同じく真っ白な白い茶器とその中に入った黒い液体と、小さな茶色い物体が現れる。
黒い液体の方はコーヒーだと認識できたベニだが、その隣に添えられている茶色い何かは判断することが出来なかった。
「コーヒーと、プティフール。まあお茶請けと言ったところでしょうか。食後のコーヒーの付け合わせです」
「すいません、何か夢中になりすぎてしまって」
「いえいえ、地上の食事を楽しんでいただけて何よりです。あなた方が肉を食せる――好むのもわかっていたので」
パリスは先程まで話すことに関して、全てに気を遣う計算高い会話を行っていたと言うのに、食事で気が緩んだのか、そう零した。その言葉はベニも今はなすべきではない失言であると認識できた。
そしてベニは少なからず木城の人々の移住先の開拓者と言う名目で派遣されている人間である以上、馬鹿ではない。いや寧ろ数百人と言う選抜を潜り抜けてきたエリートだ。だからその一言でパリスが対応している客人は一人ではない――ベニが初めてではないということを理解する。
自分以外に地上の人間と接触した樹人族がいる。かつて師殺しで木城を追放された兄と慕った一人の青年。いや十年も経った今ではもう青年ではなく壮年となっているだろう。
「カブトはどこにいるんですか」
「いや、これは私の手違いで。お話を最後までとっておくつもりだったのですが。まあ彼もしっかりと観測者としての役目を終えてからとおっしゃられていたので、愛と金の街も見てからということで」
カブトは生きている。パラシュートも無しでどのようにあの追放を生き残ったのかベニの頭ではまだ理解できなかったが、確かに彼は生きていた。それだけで十分この観測には意味がある。
「そうか、そうですか……。彼は生きているんですね」
喜びか、怒りか、震える手を堪えながら俯くベニに、パリスは続ける。
「彼もあなたとお会いするのを楽しみにしていましたよ」
その言葉と同時に、長年心の奥底に封じてきた何かが弾ける音がした。そしてベニの瞳が揺れ、胸の中に溜め込んできた感情が一気に噴き出す。心臓が痛むほどの喜びと、再びカブトに会えるという期待が彼を圧倒した。言葉を失い、会ったばかりの他人の前でベニの瞳からはただ大粒の涙が彼の頬を伝った。
ある程度落ち着いてから一つの謝罪の後にベニはその口を開く。
「でもなぜ」
とそこまで言葉を紡ぎ、自らの中にある様々な疑問が全て同時に口から出そうになり、言葉が詰まる。
「本来はカブト様の話の前にするつもりだったのですが、あなたをもてなす理由は、端的に言えば、あなた、ひいては樹人族の方々に、この国へ移住してほしいのです」
「移住? 唯一ノ木を捨てろってことですか?」
「捨てるも何も、唯一ノ木は死にかけているのでしょう? そして新天地を求めてこの地を訪れた。そして私たちはここに住んで欲しい。ともに利点しかないではないですか」
「それこそなぜ俺達をここに住まわせたいんですか? 人口を増やしたいのなら外に追い出した彼らを中に入れればいいのに」
「彼らはこんなにも簡単な入国条件すら満たせない、いわば劣等種」
「劣等種……」
「ベニ様、今我ら人類は滅びの一途を辿っているのですよ」
先程まで美味しい食事を摂っていたと言うのに、パリスの口から出たのは人類の存亡について。それに驚きを隠せず言葉を発さないベニにパリスは続ける。
「今の人類は遺伝子の画一化が進んでしまったいるのです。」
「イデンシの画一化?」
「この世界にはあとどれくらいの人類が残っているかはわかりませんが、数が限られているのは確かでしょう。そしてより優秀な遺伝子を残しつつ、生き残った人類の心の支えを目指したのがこの国、エルドピアです。しかしそれでも限度がある」
戦争で負った人類の傷を癒すためと聞いていたが、数が少なくなった人類だからこそ、優秀な遺伝子の選抜が必要であり、それを行っていたのがエルドピアだったということをベニは理解する。その言葉を聞いて、入国条件を満たせなかったものたちへの酷い扱いにも、心の底からではないものの納得はできた。
しかし勝手な基準で優劣を決め、そして劣等と決め付けたものたちの命を軽んじるこの国の指針には少しの怒りを覚える。
「座学で多少学びました。人間が番になるのは、個としての弱点を減らしつつ、人間という種を未来へ残すためだって」
しかし木城と地上では文化や考え方も大きく違うのだろうと、自らを無理に納得させ、まずは対話をと、冷静を装いパリスとの会話を続ける。
「そうです。人類に限らずこの世界に生きとし生けるものには全て遺伝子という生命の設計図なるものが体内に宿っています。それには過去の先祖の記憶や、性交で創り上げられた受精卵が、どのように身体を象っていけばいいのかという指針などが刻まれているのです。そして生物は全てにおいて不完全であるが故に、最優を目指し、自らの遺伝子とは異なる遺伝子を交尾で掛け合わせることで、より強い個体を残そうとする」
「でも人類の数は限られている」
「そう、だから本来全く異なる遺伝子が掛け合わさることが理想だと言うのに、近しい遺伝子の掛け合わせしか行われないために、遺伝子が画一化していき、多くの肉体に障害が出やすくなる」
パリスの深刻そうな顔に、これが急を要する事態であることを認識したベニは、姿勢を正す。その反面ただの観測者に過ぎない自分には、何の権限もないために巨大すぎる問題を目の前にしての底知れぬ恐怖と、どうしようもできない困惑が同時に渦巻いている。
「酷いんですか?」
「遺物にも近い遠い過去の医学書を用いて、最近やっと確立されつつある医療分野であるので、未だわからないことも多いのですが、ここ最近の世代の子供たちは、発育が遅かったり、寧ろ出生率が全体的に下がっている傾向があります。そして丁度先日、立て続けに三人、四肢に欠損の有る子供が生まれました。それこそ入国条件の満たしていない人間を利用したり、他の土地にいるかもしれない人類を探したりと、手は尽くしたのですが、好転せず、このような状況が続くのであれば、地上の人類が今後どうなっていくのか、寧ろ絶滅も近いかもしれません」
「だから俺達をこの国に招き入れようってことなんですね?」
「はい。全く交流のなかった種族との交配により、遺伝子の多様性を確保する。これが一番の理由ではあるのですが何よりもその相手にはあなた方樹人族が正しいと考えています」
パリスの目はまるで獲物を目の前にした獣のようにぎらぎらと輝いているように見えたベニは、その視線に一瞬尻込みをする。
「な、なんで?」
「先の大戦で世界が滅びたのはもう五百年以上も前の話になります。そしてその当時唯一ノ木へ逃げ延びられた人類の数はそう多くはない。だというのに、あなた方樹人族は今の今までその種を生き永らえさせてきた。それこそ遺伝子の画一化で、滅びてもおかしくないというのに。こんなにも広大な土地で繁殖しうる地上の人間は、それによって滅びかけていると言うのに、なぜあなた方樹人族は私たちよりも少ない人数で、五百年もその遺伝子を紡ぎ続けてこられたのか。どこからか現れたその植物の恩恵は、その遺伝子の画一化に対する防御策のようになっていると私は考えます。今後世界で人類がまた栄華を取り戻すために、私はあなた達の遺伝子が欲しい!」
熱の入ったパリスの言葉にベニは息を呑む。一観測者に過ぎない自分に突然投げられた地上の人類の問題に、ベニは何も言葉を言い返すことが出来なかった。
木城の空論 ―観測者― 九詰文登/クランチ @crunch
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