第9話 食の街ガストロノミア
王城から出ると、その門の前にはエルドピアに来るまでの機馬車より一回り小さい機馬車が用意されており、パリスと似たような服を着た男がその荷台の扉を開ける。先の機馬車より小さいからこそ、その中も小さくなっている。
それよりもベニが気になったのは、パリスに似た服を着た男たちを怯えているかのように国民が見ているのだ。
「周りの人たちが少し怯えている様に見えますけど」
「それは私たちがエルドピアの治安維持部隊だからでしょう。私たちの権力は、先ほど説明した政治的な権力とは異なり、国家の絶対順守の法を守る立場にあります」
「絶対順守の法?」
「簡単に三つです」
一つ、常に国民は管理局にて正式発行される滞在券を所持すること。
二つ、何人たりとも他人の財産を侵してはならない。
三つ、有事、平時問わず、治安維持部隊の指示に必ず従うこと。
「娯楽国家代表と治安維持部隊この二種類の権力によって、この国家は運営されていますが、治安維持部隊はこの国の中で唯一武装が許可されています。それは先ほどの通り」
パリスの顔を見て、ベニは自らの手で屠った男の顔を思い出す。
常に国民は管理局にて正式発行される滞在券を所持すること。有事、平時問わず、治安維持部隊の指示に必ず従うこと。この二つを違反した彼は処刑されるに至ったのだろう。
「ってことはこの武器は」
ベニはそう言ってパリスの腰に提げられている駆動装置を指さす。
「はい、基本的にエルドピア内では武器の携帯は禁止されています。治安維持部隊は指定の隊服を支給されていますが、何よりも武器を所持している。これが治安維持部隊であるという一番の証明になるでしょう」
「じゃあ俺は」
と、ベニは自分の腰に提げている剣に目を落とす。
「ベニ様は木城からの使者として客人としてお迎えさせていただいております。そして何よりもエルドピアと木城の国際的なかかわりは無に等しい。敵でもなければ味方でもない以上、ベニ様の武器を取り上げることは逆に信用を損なう行為だと認識しています」
「自分たちの立ち位置をわきまえているからこそっていうことですか。でも国と国のかかわりが無に等しいからって、敵や味方という発想になるのですか?」
ベニは自らに芽生えた単純な質問をパリスに投げかける。木城と言う特異な環境で発展した国は、国という括りではなく、世界に等しかった。もちろん各個人でのいざこざはあれど、樹人族全体の見ている方向、目指している方向は繁栄と平和であり、それ以上でも以下でもない。
それに対しエルドピアを代表とする地上の国々の歴史は、全て争いの歴史だった。思想の似た者たちで集団を作り、自らの思想を正当化し、拡大していくために、別の思想を持つ集団を滅ぼしていく。結果地上は戦火に包まれ滅びの一途を辿った。
そして唯一残ったとされている国であるエルドピアも、その国内では武力による争いは明確になくとも、競争という形で多くの人間が笑い、泣いている。
国の歴史ではなく、人の歴史が争いの歴史なのかもしれない。
「それが当たり前なのですよ」
その言葉を吐いたパリスの顔は憂いているようにも見えたが、表情が読めない以上、それも皆が望むパリスを演じたうえでの表情なのだろう。
「さあ、つきましたね」
パリスの言葉を聞いたベニは、パリスとの会話に集中しすぎて周囲の景色を見ていなかったことを思い出す。
既に機馬車から外に出たパリスを追いかける形で、ベニも外に出るとそこにはエルドピアに入ってきた時の門よりかは大きくはないが、それなりに目を見張る大きさだ。
「あれ、ここはまだ管理区画ですよね?」
「はい。管理区画はこの国の入り口として、かつて存在していた国々の景観を平均化したオーソドックスな見た目となっていますが、ここからは各店主が工夫に工夫を重ねた異世界が広がっています。その扉をベニ様に開けていただこうかと思いまして」
粋な計らいにふと顔が綻んだベニはその門へと近づくと、ぐぐぐと重苦しい音を鳴らしながら門がゆっくりと開いていく。
たった数センチ門が空いただけで、直接胃を鷲掴みされたような芳醇な食べ物の匂いが暴風とも見紛う勢いでベニを包み込んだ。
ベニが知っている食事と言うのは野菜をメインとした菜食料理のみ。スパイスや野菜から取れる出汁の香りは十分知っていたが、それでは説明の出来ない強烈な芳香が鼻だけでなく全身に感覚として広がっていく。
そして完全に開き切った扉からその姿を見せた食の街は言葉通り豪華絢爛、見たことのない建造物が目を通して衝撃を齎す。
「改めまして、この世界にかつて存在した食事が全て存在しうる街。時刻は十七時を回ったところ。レストランの数々は店を開き始めている時間です。食の饗宴に胸を、いや腹を躍らせましょう。食の街ガストロノミア開店です」
ベニの目に入ってきたのはやはり景観の違いだろう。管理区画はパリスが言っていたように、石材と言う目新しい建材が使われていた以外は、ここに比べると言葉通り平均的、悪く言えばパッとしない印象であった。金のかける場所の違いというか、手にかける場所の違いなのだろう。
先ほどパリスから説明されたように、食の街の建物と言うのは、区画ごとに大きく見た目が変わっている。あれは各店主が自らの店に則った様相にしているからだ。
「ベニ様は木城からこの地上で降りてくる際に、大地を目にしましたでしょうか」
「はい、見たこともないほどの広大な」
「あの大地というのは、大陸と呼ばれ、この世界にはこの広大な大地が六つ存在しています。その大陸を隔てるは海と呼ばれる全てが塩水で構成された広大な水場です。かつての時代にはその海と呼ばれる巨大な湖を様々な手段を使って渡ることが出来たのですが、やはりその巨大さが故に大陸は各々で独自の文化発展を遂げていきました。そういった大陸で培われた文化や歴史が今は一つの街に集約してしまうほどの規模になってしまいました。ですが、その独自の文化を持った店々が立ち並ぶこの街、一年三百六十五日では楽しみ切ることが出来ないでしょう」
「大陸、海、文化……」
パリスの語る世界の真実が広大すぎるが故に、ベニはその全容を理解しきることは出来ないが、この街が世界各地に散らばっていた文化や歴史を今も尚紡ぎ続ける最後の鳥であると言うことは十全に理解できた。
「特に食文化と言うのは、各大陸で様相が全く異なります。海が近ければ魚という海に住む動物の肉を、平原に多くの動物が生息していればその肉を、土が豊かであれば農作物を、森が深ければ果実や虫を。その種類も一つや二つではなく、数百、数千。もちろんこの土地では取ることの出来る食材と言うのは限られていますが、それらを自らの育った国の食文化に合うように各々が工夫を凝らしています」
「動物の肉? 死んだ動物の肉を食べるんですか?」
ベニは不帰の森で殺した黒皮の獣のことを思い出す。レストランで使われている肉があの獣の肉ではないだろうが、身体からどす黒い血液を垂れ流しながらぐったりと地面に項垂れている獣の死骸を思い出してしまった以上、その肉という料理自体に好感を持つことが出来ない。
「野菜しか食べたことのない人はそういうでしょうね。ですがこの世界の中で多くの人間が口にしています。しかもかなりの人間が一番好きな食べ物で肉料理を上げるほどです。もちろん無理強いはしませんが、一度食べてみることをお勧めします」
「そ、そうですね。まあ気が向いたら」
ベニはそのやり取りの後に、入りたい店を見つけるために、きょろきょろと辺りを見回すが、どの店でどんな食事を提供されているかわからない以上、選びようがない。
「もし迷ってしまうようでしたら、私のおすすめのお店にご案内しましょう。高級店から軽いカフェのようなものまで多く存在しますが、いきなり格式高く、ルールの厳しい店に言っても堅苦しいと思うので、ある程度気軽に行けて、バラエティに富んだお店に」
「パリスさんのおすすめですか。それは興味がありますね」
そしてパリスの案内の元、そのオススメと呼ばれる店へ足を運ぶ。その道中も目を見張る店が多く存在しており、ベニの首はまるで首の座っていない赤子のようにあっちこっちへと迷走した。
木城で見慣れたような建造物もあれば、石材で作り上げられた建造物ももちろんあり、全てがガラス張りになっている店すらもあった。
どの店も店主の工夫が凝らされており、通りの端から一つ一つ全ての店に入っていきたい気持ちを抑えながらベニはパリスの後を追う。
「ここはシネマ倶楽部。かつてこの世界に存在した映画という見世物を基にしたレストラン。今となっては世界樹の力によって様々な幻の力が実現できるようになりましたが、昔の人間にはそんな力がなかったと言います。しかしそれを人間は想像と言う力で、娯楽として楽しんでいた。その過去の人間の想像の産物。それを楽しめるのがここシネマ倶楽部です」
店の入り口には額に嵌められた絵がいくつか並んでおり、ガラス張りの窓口のようなところに受付だろうか、人間が三人ほど並んでいた。そこでパリスは、その窓口で「大人二名」と告げる。「二名様ですね」という言葉と同時に手のひらに収まる程度のチケットを二枚、手渡した。
「お好きな劇場へ」
そのチケットを受け取ったパリスは、受付右手側にある店の入り口から店の中へと入る。
するとそこには一本の広い廊下に六つほどの部屋への入り口が互い違いに並んでいた。その入り口には、店先でみた額縁に入れられている絵が提げられている。
「受付で見たい映画のチケットを買い、その映画が上映される劇場に入り、指定された座席に座り、約二時間ほどの作品を見る。かつて存在した映画館と言うのはそういうシステムだったのですが、このシネマ倶楽部では二か月から三か月ごとにテーマとする映画を四から五本設定し、その映画にちなんだ食事を提供すると言うレストランになっています。その映画も別料金を支払えばここで鑑賞することも出来る。私はこの旧時代の遺物とも言える映画に目がなくてですね」
「舞台とは違うのですか? 木城でも舞台観劇という娯楽はありました。でも役者の演技とかがちぐはぐだったり、美術の造形が不可思議で、俺はあんまり好きになれなかったんですけど」
「舞台は舞台でいい味がありますけどね。映画とは全くの別物と言っていいでしょう。舞台は観客を目の前にして一発本番で行うものですが、映画はカメラと言う機械を使って、様々な角度から役者を撮影。んーっとその瞬間を切り取って絵のように保存する機械があったんですよ。それを何枚も何枚も連続でスクリーンという無地の壁に投影することで、まるで画面の中で人がそこに本当に生きている世界があるかのような体験が出来るのです。また舞台では演出できない爆発や動きなどもCGというコンピューターを使った……失礼、話過ぎましたね」
「いえいえ、そんな話す人だとは思わなかったので、もっと話してください。お互いを知りあうためには対話が必要です。何も言わないと伝わらない――」
ふと、その言葉を言った時、ベニはかつて自身に何も言ってくれなかった最愛の友の顔を思い出した。
「ベニ様?」
どんな表情をしていたのだろうか。しかしあのパリスを心配させたのは確かなのだろう。
「あ、いや。大丈夫です。で、今日はどこの劇場に?」
「ちょうど私の好きな映画をテーマにした劇場があるので、そこに行きましょうか」
「パリスさんの好きな映画?」
「はい」
その劇場はこの廊下の一番奥のようで、なんだかパリスの足取りも軽いような気がする。ベニも寡黙なパリスと少し仲良くなれたような気がして、ワクワクした気持ちで後をついていく。
劇場の番号は六番。そこに掛けられている絵には炭鉱夫のような少年と、光る首飾りを提げた少女が描かれている。不思議な点と言えば、その少女は空を飛んでいるのか落ちているのか、宙に浮いた状態で描かれていた。
「今の私たちは世界樹からの力を借り受けて、この世界を構築しましたが、この映画の世界の人たちは風の力で技術を発展させたと言う設定になっています。そしてこのポスターに描かれている少女が提げている首飾りは飛行石と言い、風の力で建造物すらも浮き上がらせることに成功した栄華を極めた時代の過去の遺物で、それを手がかりに今も空のどこかに浮かんでいるとされている天空の城をこの少年と目指すという話なんです」
「過去の遺物と天空の城。なんだか俺たちの世界に似ていますね」
「SFの父と呼ばれた作家は『人間が想像できることは、人間が必ず実現できる』という言葉を後世に残したようです。仕組みや形は違えど、過去の想像の産物が現実にあると考えるとわくわくしませんか」
「俺らが想像する未来も俺たちが見られないかもしれないけど、実現する可能性があるってことですもんね。といっても、既にこの街だけで想像をこえたものばかりで、未来なんて想像もつかないんですが」
「そうですね。想像するのはタダですから。まあまずは未来より今を深く知ってもらうところから始めるとしましょう」
パリスの言葉に合わせ劇場に入ると、一番最初に目に入るのは草原だった。草原と言っても、無限に広がっているような草原ではなく、遠くの方に切れ目が見えた。草原は大きな岩のブロックのようなものの上に敷かれているような形で、それがいくつか重なって大地を形成しているようだ。そしてその切れ目まで歩いていくと目下には広大な空が広がっている。
まるで木城の世界の端から地上を見たかのような景色だ。またもう一つ目に入るのは切れ目の反対側に聳え立つ巨大な城砦だ。上部は森林が広がっており、その周囲を天空を貫かんとしているかのような塔が建っている。まるで自然と人工が複雑に絡み合っているかのような異色な浮遊都市――恐らく先程パリスが説明していた天空の城なのだろう。
「映画をモチーフにした食事をって言っていましたけど、これは……」
そう言いかけたベニを爽やかな天空の風が包み込む。
「はい、映画の舞台を再現した場所で食事を摂ることが出来るのです」
どういう技術がどのような形で使われているかまったくわからないが、その劇場内の空間には確かに草原が生き、本物の風がベニの髪をなびかせていた。
「これが過去の遺物、駆動装置の力です。あなたに見せたこの武器とは違い、人を楽しませる使い方も。まあここは劇場の体を成しているレストランなので、食事を」
パリスがその草原を歩いていくと、先程まで見えていなかった椅子とテーブルが現れる。真っ白なクロスのかけられたテーブルと尻が痛くならないようにクッションの張られた椅子は、この景色を前にすると異様な異物感があるが、しかしその異物感が逆に不可思議に心を躍らせる。
「では注文を」
と、パリスがテーブルの真ん中に埋め込まれた黒い球体のようなものに手をかざすとそこからヴォンという音と共に空中に画像が現れる。それは恐らくこのテーブルの中心にある黒い球から発せられた光が特定の位置に集まり、空中に形を成しているため、実際には触れることができないにもかかわらず、まるでそこに実体が存在するかのように見えた。
そこには文字といくらかの画像が描かれいる。この文字列は恐らく料理名なのであろうが、ベニにその文字を読むことが出来ない。しかしパリスが行っている様にその文字に触れてみると、料理の詳細な画像が現れ、文字が読めなくともどんなそれがどんな料理であるかを理解できた。
ベニの対面に座るパリスも難なくそれを見ているのをみるに、この空中に浮かぶスクリーンは一方向からではなく双方向から見ても文字が反転しないようになっているのだろう。
「何か食べたいものなどはありますか?」
いくらか文字を表示させていたのを確認してからパリスはそうベニに尋ねた。
「えっとこのパンの上になにかのっているやつと、このトマトソースのポトフのような煮込み料理を」
「目玉焼きパンと空賊船シチューですね」
「目玉焼き!? 空賊船?」
「ああ、もちろんレストランの景観だけでなく、料理もこの映画にちなんだものが提供されているんです。目玉焼きパンは鶏という三大家畜肉として挙げられる家畜が産む卵というもので、動物が新しい生命を育むための小さな構造物ですね。外側は硬い殻で覆われていて、中には栄養が詰まった液体と、ゆくゆく動物に成長する部分が含まれています。殻の内側には、透明な液体と黄色やオレンジ色をした丸い部分があり、人々はこれを食べ物としても利用しているのです。そしてその卵を割り、そのまま焼いたものが目玉の形に似ていることから目玉焼きと。それをパンに乗せたものですね。そして空賊船は登場人物たちがこの天空城に辿り着くために利用した巨大な乗り物のことで、その中で振舞われた野菜や肉で構成された煮込み料理をシチューと言うのです」
「パンと煮込み料理だから食べ合わせとしては問題ないですよね? でも肉と将来動物になる卵か……。地上の文化を否定するわけじゃないですが、それを食すのは罪悪感を覚えますね」
ベニの暗くなった表情を見てパリスは真剣な顔で続ける。
「それでよいのです。その罪悪感が大きければ大きいほど、食材への感謝が深まります。もちろん中には思想として動物が可哀想だからと肉食を断ち、ベニ様のように野菜のみの食生活で暮らす人間もいますが、私たちは樹人族のように野菜のみで栄養が補完できる身体をしていないので、健康的に良いとは言い切れません。でも何事に関しても先入観を捨てて一度挑戦してみるということは大切だと思いますよ」
「そ、そうですね。お互いのことを知ることは必要ですし」
「はい。ではそれで注文いたしますね」
パリスはその空中に浮かんだスクリーンを操作し、注文を済ませたようだ。
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