第7話 娯楽国家エルドピア
そんな言葉を投げかけられたベニは目を丸くした。様々なものが未知である世界に、巨大な音とともに煙を吐き出す何か、そしてボロボロの植物で作られた衣服とは違う装束を身に纏っているからか、言語も恐らくその装束の中に収められている肉体もほぼ同じであろうに、まるで違う生命体と話しているかのような錯覚を覚えた。
しかしベニに対して深々と頭を下げる男を見て、敵意がないことに気付いたベニはゆっくりとその剣を鞘へ納める。未知の相手に対して武器を下げるのは危険だということはわかっているが、ベニは徒手空拳にも精通していたので剣がなくともある程度戦うことが出来た。しかし剣をしまったのは格闘戦に自信があったからではない。
恐らく自らの文明より圧倒的に発達した技術を持っているのと、相手からしてもベニは未知の存在だと言うのに、武器らしい武器を持たず、目の前で頭を下げているという事実に多大な恐怖感を覚えたからであった。武器らしい武器を持たずと言っても、腰に提げている見たことのない恐らく金属で作られたであろう筒が彼らの武器なのだろう。あれがどのような挙動をして、どのような威力を誇るのかわからないベニからすると下手に敵意を向ける方が危ういだろう。
そう判断したことと、その筒をベニが警戒していることに相手も気付いたようで、頭を上げた男は微笑みながら続ける。
「流石、異文化を目の前にしてこれが脅威だと気付くのは、この不帰の森を抜けてきただけある」
その瞬間後ろの茂みががさがさと音を鳴らし始め、ベニはその音に気付くと同時に、森の奥から明確な敵意が近づいてきていることを悟る。
「せっかくです。これに気付いたあなたの審美眼に免じてこれの威力をお見せしましょう」
腰のホルダーから筒状のそれを引き抜いた男は音のする方向にそれを向ける。
「駆動装置起動――」
『認証――確認』
そんな言葉に合わせ、筒状の何かは内部からじんわりと光が溢れ始める。そして茂みから黒皮の獣が現れた瞬間、男は筒状の何かの取っ手部分に取り付けられていた出っ張りを人差し指で引いた。
凄まじい発光と共に、筒から飛び出た何かは黒皮の獣の頭部を簡単に破砕する。ベニはその黒皮の獣の見た目から、その筒がこの一瞬で黒皮の獣を絶命させたことが分かった。ベニも黒皮の獣を打倒すことは出来る。しかしそれは光剛生を使ったうえでの話であり、素の力で戦うとしたらかなりの苦戦を強いられるだろう。それをたったの一撃で。
「そ、それは」
「駆動装置。かつてこの世界を滅ぼしかけた人類の負の遺産です。あなたの剣では到底太刀打ちできる代物ではありませんが、この世界に多く流通しているものではありませんので」
ベニはその言葉に男が、ベニに対して敬意を示していながらも心を許しているわけではないこと、そしてベニの命を間接的にでも握っていると脅しにかかっていることを理解した。
「そう言ってもらえて安心しました。地上の人間がそんなものを全員持っていたと考えたらぞっとする」
「ははは」
男の渇いた笑いの後に少しの静寂が流れ、男が再度口を開く。
「詳しい話は中で」
そう言って指を指したのはあの何かの荷台だった。
「機馬車も初めてですよね」
そして男は機馬車と称した乗り物を操作していたであろう男を指差して続ける。
「彼の生命エネルギーを機械に流し込むことで、動力炉を動かし、その動力炉がギアを回して車輪を回転させる。それに引っ張ってもらいキャラバンの長距離移動を一人の力だけで行えるようにする駆動装置の端くれ、疑似駆動装置です」
「駆動装置ってさっきの?」
「あれはもう既に私たちの力では作り上げることの出来ない
男に誘導されるまま、荷台に乗り込んだベニは、男と向かい合うように座席へ座る。仰々しい機械を見せられた割には、荷台に備えられた座席は木製で狭く硬いものだった。
「出せ」
男のその言葉と同時に、機馬車と呼ばれる機械に乗っていた別の男は透明な板に手を添えることで、機馬車を起動する。先程男が取り出して扱っていた駆動装置のように、機馬車はその複雑な機構からじんわりと温かな光を滲み出し、その機構を動かし始めた。全く以てその事象をベニは理解できなかったが、音がほとんどしないことになぜか違和感を覚えた。
機馬車は方向を不帰の森から、真逆の方向に向き、ゆっくりと走り始める。たまに石を踏むのかがたんと大きく荷台は揺れたが、そこまで不愉快なものではなかった。
「では改めまして、私パリスと申します」
座りながらも改めて礼をしたパリスと名乗った男に合わせ、ベニも自らの名を名乗る。
「ベニです」
名乗ったものの、パリスが何の目的で彼を機馬車に乗せたかわからない以上、漠然とした不安が募った。
パリスはそのベニの不安を察知したかのように、少し笑って話を続ける。
「大丈夫、こちらとしてはあなたをどうこうしようと言うつもりは毛頭ありません。木上の人々とのこれからの交流の先駆けとして、まず地上がどのような姿になっているのか、それを知ってもらうために、我が国を案内しようと思いまして」
「国を案内?」
「木上からの使者。いえ、地上の観測者と言った方が正しいですか?」
ベニは観測者という言葉に少し身体を震わせた。観測者と言う言葉自体は一般的に扱われているからこそ、ただパリスが偶然その言葉を扱ったとも思えるが、「地上の観測者」というフレーズがあまりにも聞きなじみのある言葉だったが故に、パリスに対し妙な親近感が湧いたと同時に、妙な違和感を覚える。なんだか不穏な空気を察したベニはその違和感を悟らせないように、語気を変えずに言葉を返す。
「どちらでもいいですけど、ベニと呼んでいただければと」
「わかりました。ではベニ様と」
未だ畏まった態度を続けるパリスに申し訳なさを覚えながらもベニは「俺はちょっとそういうのが苦手なのでパリスさんでいいですか?」と尋ねる。
「敬称はいらないですが、そちらの方が気安いというのであればそちらでも」
と、ここでふと笑みを零したパリスのその笑みが、作り笑みだとベニはなんとなくそう思った。
「国の説明につきましては、実際についてからの方が説明しやすくわかりやすいところもあると思うので、詳細については後ほど。それこそ長旅で疲れていると思いますから、是非到着までおくつろぎください」
パリスはそう言うと、懐に忍ばせていた書物を取り出し、それを開く。
「私も失礼」
恐らくベニに気を遣って、先にくつろぎ始めたパリスを横目に、ベニは座席から少し横に移動して、窓の外を眺めた。
眼前から遥か遠くへ続く土の大地は、無限とも思えるほどの大きさで、自らの小ささをより強く感じさせた。木城にいた時は手狭に感じていた世界はやはり自分が思っていたものよりも大きく、果てしなかった。何より上に見える空に違和感を覚えた。
耳を劈くようなとても大きな音で、驚き目を覚ましたベニは、自分が眠りこけていたことに気付き、咄嗟に辺りを見回す。どのくらい時間が経ったのだろうか。機馬車の揺れに身を任せていたどころか、座席に横になる形で眠りこけていたのと、その椅子の硬さによって、身体の節々が痛んでいることをみるに、かなり長時間眠っていたのだろう。
「おはようございます。これは汽笛というものです。事前にお伝えしておけばよかったですね。国の門への出入りをスムーズにするために汽笛を鳴らすことで門の開閉を指示しているのですよ」
と、告げるパリスの言葉よりもベニは機馬車が通っているであろう街道の辺りには、酷い見た目をした人間がちらほらと項垂れるように座っているのだ。
「あの人たちは?」
「街外れですね」
「街外れ?」
「私たちの国エルドピア、通称娯楽国家はどんな人間、怪物、ましてや獣ですら入国の制限を行っていません」
パリスの顔は全く笑ったりしていないことから、本気で言っていると言うことがわかった。
「たった一つの条件を満たすことが出来れば」
その言葉の後、パリスはニヤリと笑う。
「条件?」
「入国料です。その入国料を支払える者、支払える見込みのある者以外は入国を拒否され、彼らのような街外れとなります」
ベニはパリスの演説とも見紛う言葉に呆気に取られ、その言葉をただ聞くことしかできなかった。
それと同時にギギギという大きな音がなり始め、機馬車は一つ大きく揺れる。
先ほどパリスが言っていた門を潜ったのであろう。娯楽国家エルドピアに入国した瞬間、辺りに立ち込めていた野原の青臭さや、土臭さは一気に失せ、まるで女が焚く香のような匂いが鼻をつき始め、暗くなり始めていた世界で絢爛豪華な光が街の家々を照らしている。
「戦争に荒廃した世界を再建するには人の心の豊かさが必要です。疲弊した彼らに必要なのは明日への希望でも、未来への道標でもなく、その瞬間を心の底から楽しむことの出来る娯楽。見込み有りとされたものは、この国で金を稼ぎ、この国で金を使う。物資の限られた木城では成しえなかったでしょう多くの刺激と快楽を!」
パリスの言葉と同時に開けられた機馬車の扉からは、今まで見たことのない光が溢れ出している。そこから身を出したベニは、見たことのない人の作り上げた文明を目の前にして、その胸がどんどんと鼓動を早めていくのを感じる。
艶やかな衣に身を包んだ女、酒に肉と大笑いする男。道を行く人々の顔、全てに笑みが浮かんでおり、この国に生きる人々の幸福を理解しながらも、狂気すら感じる。
「ようこそいらっしゃいました。地上の観測者ベニ様。一生忘れられない喜びを、あなたにご提供させていただきましょう。これが我らの国、娯楽国家エルドピアです!」
両手を広げ、歓迎を示すパリスの顔には、先程までの彼からは想像も出来ない笑顔が浮かんでいた。
狂気的な笑みから一変、再度無愛想な表情へと戻ったパリスはまずこの街のメインストリートを案内すると告げ、歩き始めようとする。
それに対しベニは大きく閉じられた門を目の前に、その口を閉じられないでいた。
木城ではありとあらゆるものが植物に由来していたこともあり、木材自体の色違いはあれど、茶色という色を大きくかけ離れた建材はほとんど存在していなかった。しかしエルドピアの建造物はもちろん各所に木材は散見されるが、ほとんどがベニの目にしたことのない素材であった。
「あぁ木城にはないものばかりですよね」
まるでベニの頭の中を見透かしているかのようにパリスは、ベニの目線からベニの考えていることを言い当てて見せた。
「ここに来るまでにいくらか見たでしょう。そして木城にも少量ではあるでしょうが、存在していたはずです。あれは石材。石、岩石。この大地を主に構成する物質です」
「あれが石? あんな大量のものが全て?」
木城でも石材と言うのはいくらか存在していた。しかしそれは先の大戦で木城へ逃げた人々が有していた数少ない貴重な資源であり、摩耗によって石製品、鉄製品はかつての面影などほとんど残っていない。
それこそベニが与えられた剣に使われた玉鋼は土地が貴重な木城の一等地にゆうに十棟を超える豪邸を立てられるレベルの代物だ。木城での貴重な剣もこの街では歴史のあるただの古ぼけた金属塊に過ぎないということだ。
「そうです。あなた方が住んでいた木城では生産できず消費するしかなかった地下資源です。生活用品から建材、装飾品、武器までもありとあらゆるものに使用しています」
「やめろ! 今日勝てば滞在費を払える! だから、くそっ!」
パリスとの会話を遮るかのように聞こえてきた声は、通りの奥からだった。街の警備隊であろう恰好をした者たちが数名走って来るその前に、小汚い男が走ってこちらに向かってきている。
「違法滞在者に権利はありません。そうだ」
と、パリスは不敵に笑い、腰に提げていた駆動装置と言われる代物をベニに手渡す。
「彼に向けて、その引き金を引くだけ。先ほど見たでしょう?」
「え、彼を撃つんですか?」
「はい、最高の娯楽を皆さんが楽しむために必要なものは、最高のエンターテイメントと、徹底した秩序です。エルドピアに無法者は必要ない。駆動装置起動――
パリスの音声入力と同時にベニの構えていた駆動装置から違法滞在者に向かって、光り輝く弾丸が弾き出された。
その弾丸はこちらへ向かってきていた男に命中したと同時にその上半身を簡単に吹き飛ばして見せる。まるで一瞬自らの上半身が失われたことに気付いていないかのように数歩走った下半身はそのまま地面に倒れ込み、半分の血液を流し始める。
「あ、えっ」
自分の行い――軌道を行ったのはパリスだが――を信じられないベニは驚きその駆動装置を落とし、二歩後ずさりする。
「見事な腕前です」
ベニの耳元でささやかれたパリスの顔には笑みが浮かんでいるよウにも見える。
――この街では人の命が軽く扱われる。彼らの定めた条件を満たさない限り。
それを認識したベニは固唾を飲み、駆動装置を拾い上げ、「すいません」と言いながらパリスにそれを返した。
「いえいえ、こちらこそ。この街のルールというか文化というものを身を持って体験するのが一番かと思いまして」
ベニは木城にて様々な訓練を行ってきたが、人の死を目の当たりにしたのはほとんど初めてと言ってよかった。その震える手を抑えながら、前を歩いていくパリスの後を追っていく。
メインストリートを抜けた先にある大きな建造物へと、ベニは案内された。そこが娯楽国家エルドピアの中心であり、その体は所謂王城を成している。全てが木材で構成されている木城とは違い、石材と鋼材で作り上げられた王城は温かみはなく、無骨で冷徹さを感じさせるが、それと同時にその巨大さや荘厳さから異様なほどの威圧感を放っていた。
ベニはその荘厳な建物に目を奪われ、その歩を止める。もちろん石材で作られた建物を見るのは本日が初めてであるが、門を越えてからずぅっと絶えることなく見続けていたために見慣れつつあったが、この建物はその慣れを吹き飛ばしてしまうほどに、ベニの心を奪っていた。
「この建物はこの国の象徴として作られていますから、そのような反応をしていただけるととても嬉しく思います」
「いや、これ凄すぎて何と言っていいのやら」
「もちろんそれは外観だけではないですよ」
そう言ってパリスの案内に従い、建物の中に入ったベニは今一度感嘆の声を漏らす。
外観はまさにベニのイメージ通りの城という様相であったが、その中は装飾が施されていたりするわけではなく、無骨でシンプルな見た目だ。
王城の中は、木城のような国王や貴族の居所ではなく、この国家の事務手続きを行う役所のようになっており、その扉は常に開放されていて、エルドピアの国民であろう者たちが多く出入りしていた。
大きな門を潜ると大広間があり、そこには一メートル×一.五メートルほどの板が並んでおり、人々はその板に触れて何かしているようだった。
「あれはモニター。入り口の門で入国審査を通過できたものは、門番から一日滞在券を受け取れます。そしてそれ以上の滞在を望むものはここで大金を支払い、滞在期間を延長します。支払えないものはまあもう言わなくともおわかりでしょう」
ベニは先ほど自らの手で撃ち殺した男のことを思い出す。この国では金が全てだ。しかし外に文明はないに等しい。
――じゃあどこで金を稼ぐ?
そう尋ねたベニにパリスは続ける。
「そんなものここで稼げばいいのです」
「ここで?」
「はい。ここだと騒がしいので場所を移しましょう。そこで詳しく」
パリスの案内で通されたのは広い部屋に大きな机が並ぶ会議室のようなところだった。
「ではまずこの国について話すとしましょう」
「娯楽国家と言ってましたよね?」
「はい、ベニ様は娯楽と言うと何を思い浮かべますか?」
「木城ではボードゲームや、賭け事、果実酒などが娯楽として流行っていたかな。まあ流行っていたと言うか、ここと比べるとそれくらいしかやることがないっていう感じですけど」
「賭け事、酒、いい答えですね。この国では広大な土地を主に四つの区画――街に分けて運営しています」
パリスはこの街の地図であろう紙を机の上に広げる。
巨大な円の下側には先程ベニが通ってきたであろう門が描かれており、その区画は小さく四角く区切られている。
「この小さな四角い部分が今ベニ様のいる様々な事務手続きを行う基本区画」
その周りには三つ綺麗に等分された扇形が描かれている。その基本区画を取り囲むように存在している区画をパリスが指を指す。
「そしてこの区画はこの国が運営している巨大カジノがある金の街。この国最大の金が動き、一銭でも金があれば入ることが出来る唯一の区画。多くのものがこの街で笑い、泣きを見てきました」
パリスは東側にある区画を指さして続ける。
「次のこの区画はかつて栄華を極めた世界各国の一流料理人が集まる食の街。あらゆる食事に、あらゆる酒。肉、魚、虫、野菜、果物。この世の全ての料理が集まっていると言っても過言ではありません」
そして最後の区画へ指を指す。
「そして人間最大の欲求が渦巻く愛の街。女も男も体一つで大富豪に成り上がれる夢の街です。ここの魅力については言わずもがなでしょう」
「でもこんな国をどうやって?」
「運営の仕方ですか? 金の街は国家主導ですが、その他食と愛の街ではでは一人の人間を代表として店舗を運営し、毎年一番の売り上げを区画内のみで競い合います。そしてその年一番の売り上げを上げた店の代表がその区画の実権を握り、所謂政治を行うのです。各区画の税収、公共施設の維持、各店舗への土地の割り当て等。そして十年に一度、全国民によって一番の満足度を得られた区画への投票を行います。その投票で選ばれた区画で過去十年間、最大の利益を上げた店の代表が娯楽国家の当主として向こう十年の実権を、そしてその者の店の運営に関わる者全ての滞在費を十年分免除及び、金の街で出た利益の三割を獲得するという仕組みになっています。多くの人間はこの滞在費欲しさに金を求め、そして店舗代表は当主になるためにその店の売り上げを求め、各区画代表はエルドピアの当主になり滞在費免除を得るために、各区画の満足度向上に努めます」
この話のうちベニがどれだけ理解できたかは別として、この国が大戦後その運営方法で続いてきたことは事実だ。そしてその地図を丸めながらパリスは「先程のこの秩序然り、この目で見ていただくことが一番でしょうから、まずは腹ごしらえ、食の街から見ていくとしましょう」と告げる。
「なんでこんなに?」
「それについては後ほど」
これほどまでに自らをもてなそうとするパリスに疑念を抱いたベニはそれをそのまま口にしたが、パリスは表情を変えないまま、ベニを置いて部屋を後にした。
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