気球、そしてメル・ギブソン

黒周ダイスケ

それもまたメル・ギブソン

 ある日、日本の空に奇妙なものが出現した。


 奇妙なアレ。

 奇妙な“アレ”としか言いようがないのは、実際にそういうものだからだ。


 俺には白い気球にしか見えない。

 けれどクラスメイトの一人は恐ろしい肉塊に見えるというし、母親はハート型のお菓子に見えるという。つまりそれは、人によってまったく違うものが見える謎の未確認飛行物体だった。


 近所に住む幼馴染みの彼女は、人の顔に見えるという。

 誰に似ているのかと訊ねたら「若い頃のメル・ギブソン」と答えた。


 それは日本全国、どこからでも見えた。座標は特定できず、実際にどこにあるかも分からず、しかし確かにそこにある。


 まるで蜃気楼のように、“アレ”ずっと空に浮いていた。


―――


 白い気球。どれだけじっと見つめても、少なくとも俺にはそうとしか見えない。


 ともかく、その“気球”が出現して二週間くらいした頃のある日、下校中の俺の前に、いきなり黒服の男が現れた。


「お前はアレがただの白い気球に見えるんだな?」

 奴はそう言って、俺を強引に拉致した。その時は別に隠すようなことでもないと思っていたから、周りの人間にはよく話していた。男はそれをどこからか聞きつけたらしい。真っ黒なミニバンに乗せられ、目隠しをされ、そうして連れられたのは、あの白い気球と同じくらい無機質な会議室だった。


 そこにいたのは、俺と同じように困惑した表情の若い男女が数人。

 俺達の共通点はただ一つ。“アレがただの白い気球に見えること”。


 黒服の男は言う。


「お前らには“アレ”を落とすために働いてもらう」


―――


 黒服の男曰く、アレは見る人間の深層を映すのだという。

 それが恐ろしいものであれ、愛しいものであれ。


 だから“ただの白い気球”に見えるというのはきわめて珍しく――おそらく“アレ”の影響を受けていない人間なのだろう、と。俺達はそういう存在らしい。


―――


 どうして彼女は“アレがメル・ギブソンに見える”なんて言ったんだ?


―――


 その日はあっけなく解放されたが、その後も何度となく俺達は強引に“会議室”へ連れてこられ、講義を受けさせられた。

 何度目かのミーティングの時、黒服の男はあの物体についてさらに続けた。アレは我々の頭上に居座り続け、見る者によって姿を変え、そして魅入らせる……一種の精神汚染装置だと。だからその正体を見抜いている人間は貴重なのだと。


 一人の“同期”が黒服に問う。

「あなたはアレが何に見えるんですか?」


 男は答える。

「ピンク色の、極太のディルドだ」


 こうして“俺達には白い気球にしか見えないアレ”を落とすための訓練が始まった。


―――


 ますます疑念が沸く。

 彼女は一体何を考えていたのだのだろう。


 ある日それとなく聞いてみたところ「マッドマックスなんて観たこともない」とあいつは言った。


 そんな俺の悩みなどお構いなしに訓練は続く。戦闘機の搭乗に備えるための過酷な耐G訓練を受けながら、それでも俺は幼馴染のことを考えていた。


 あいつはどうして俺に嘘をついた?

 一度だって、俺の前でメル・ギブソンの話なんかしたことなどなかった。


 あの白い気球は人の深層を写す。彼女にとってはそれがメル・ギブソンだった。若い頃のメル・ギブソンとはいつのメル・ギブソンなのか。マッドマックスなんて観たこともない? ロカタンスキー以外でそんなことがあり得るとでも? 確実に、彼女は俺に嘘をついている。


―――


 他の人間にもさらに聞いた。

 バイクのスパークプラグ。シロノワール。ピエロ。ディルド。バットマン。生首。ディルド。母親。ゴッホの“ひまわり”。ディルド。電車。タロイモ。


 まるで人の心の奥を覗き見たような罪悪感に苛まれた。多少は同じものもあったが、人々の“深層にあるもの”はバラバラだ。もちろん、事実を告げることは固く禁止されている。だから俺は何も言わない。


 けれど――あいつのことだけは気になる。

 教えて欲しい。隠し事なんてしないで、教えて欲しかった。どうしてメル・ギブソンなんだ? リーサル・ウェポンは観たのか? 観たとしたら、どこまで観た?

 そもそもマッドマックスを観ていないはずがない。では2は? サンダードームまで観たのか? ロカタンスキーがトム・ハーディに変わった時にどう思った?


 何も分からない。彼女は答えてくれない。


―――


 さらに訓練は続く。

 そうしている間にも、日に日にあの飛行物体に魅入られる人間は増えていく。“アレ”の正体も、みんな薄々勘付いてきたようだ。

 そうなってからは早かった。あっという間に社会は崩れはじめた。

 本当はアレが何に見えているか……なんて、観ている本人にしか分からない。もしかしたら嘘をついているかもしれないのだ。俺だけではない。誰もがそう思っている。“自分の深層を映すもの”に何が映っているかなんて、普通はそんな本音を他人に明かすことなどないのだ。あの黒服の男も、もしかしたら見えているのはディルドではないのかもしれなくもっと禍々しい何かかもしれない。そうして人間同士が、次々と疑心暗鬼に陥っていく。いよいよ経済も立ちゆかなくなってきた。


 あいつは今でもアレがメル・ギブソンに見えているのだろうか。エクスペンダブルズに出てきたのは2だったか3だったか? ファットマン(邦題:クリスマスウォーズ)は? リーサル・ウェポンの続きは出ると思うか?


 あいつは答えてくれない。

 俺はもう彼女の顔をまともに見られない。彼女もまた俺を見ていない。


 ずっと気球ばかり見ている。


―――


 それからどれくらいの時間が過ぎただろうか。


 “アレ”はまだおれ達の頭上にいる。それが憎くて仕方がない。初めは白い気球に見えると言っていた同期も、次々と脱落していった。もう“アレ”は気球ではなく■■■に見えてしまったのだと。だからもう墜とすことなどできないと。一人、二人、三人と抜け――いよいよ任務を負うのは俺だけになってしまった。


 だんたんすべてがメル・ギブソンに見えてきた。

 すべてが憎くて仕方がない。あいつは気球ばかり見ている。


 みんな気球ばかり見ている。

 横にいる友人、家族、同僚――人間同士ではなく、上にある気球ばかりを。


 墜とさなければならない。“アレ”を。一刻も早く。

 例えすべての人類に恨まれようとも。


―――


 撃墜のためのF-22に乗り込む刹那。


 おれはキャノピーに映る自分の顔を見た。

 それもまたメル・ギブソンだった。


―――


 そして数年後。









 今日もメル・ギブソンはまだ空中に浮いている。

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気球、そしてメル・ギブソン 黒周ダイスケ @xrossing

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