第二話 清少納言

 震える私の前で清少納言せいしょうなごんが爽やかに微笑んでいる。香壺こうごから立ち上る芳香にぴったりの、愛らしい女性だ。

 彼女がここにいるはずない。あやかしかとも疑ったが、物の怪とは思えない圧倒的な幸福感が彼女を包んでいる。冬の中でも決して折れない、温かな春の芽のようなぬくもりを感じた。

 彼女に比べて、急に自分が貧相に思えた。急に、負けたくない苛立たしい気持ちが胸を苦しくさせる。

清少納言せいしょうなごん、あなたには迷惑しているの。宮中であなたと比べられるのは本当に不愉快だわ」

 怒りを含んだ声が出た。

 漢文も間違いだらけで知識も浅い、上っ面ばかりきらきらしい清少納言せいしょうなごん。そんな女性に教養ある自分が翻弄されることが腹立たしい。

 それでも自分は彼女に負けてしまう。どうしても勝てない一点がある。

 わたしは宮中の人々が怖いのだ。

 はなやかな見かけと裏腹に、着飾ったどんな女御にょうご公家くげも心の内は違う。

 冷たい宮中で、真面目な自分は清少納言せいしょうなごんのように明るく振る舞えない。

 宮仕えを始めて数ヶ月。ずっと抑えていた感情が、雪崩を起こしそうだった。

清少納言せいしょうなごんはもっと気が利いていたとか、いきだったとか人が言うのよ。うんざりするわ。私は私で、あなたとは違うのに……!」

 宮仕えの腹立たしさが、一気に相手に向かったが、清少納言せいしょうなごんは動じなかった。

紫式部むらさきしきぶ、私は身近な幸せを大切にしていただけ。あなたはあなたの生き方をなさいな。私はそれを見たいわ」

 そして彼女は春の花が咲くように笑った。

「私達は、人に決められた通りになんか生きられないわ。そうじゃなくて?」

 はっと胸をつかれるような思いがした。

 私は人からどう思われるかばかり気になっていた。


 


 心がしびれて震えるような衝撃が走る。

「ああ」

 私は膝からくずおれるように陥落した。相手の胸に飛び込み清少納言せいしょうなごんに抱きつく。春の日差しのような香りがした。

清少納言せいしょうなごん、私を手放さないで」

 彼女を見上げる私の瞳は涙に濡れていた。広く冷たい宮中の中、ずっと心細かった。彼女は私の頭を手でなぜ、黒髪を手ですく。

「私の可愛い人」

 月の光が雲に陰るとき、彼女からの口づけが降ってきた。私は瞳を閉じて、それを受け入れる。腕の中に抱きしめられると、早い春の香りの中で、めまいがするような幸福感に包まれた。


 これが夢ならば、どうかこのままめないで……。


 そう願いながら、強く決意をした。

 私は宮中で生きる。ここでだって物語の続きを書いてみせる。そしていつか必ずあなたに会いにゆく。

 本当の清少納言あなたに……。




 京の宮中には呪いがかかっている。

 人を恋に堕とす香りの呪いが。

 あなたの香りはどんな殿方よりも私を狂わせる。


(完)

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平安恋香 紫式部は清少納言に恋をする 小梅あかり @Akari-K

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