邪妖精と弟子の末弟
ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中
悪魔に売ったもの
エリックにはクルトとヨルという自慢の兄がいる。
いや、正確には、いた。
ヨルは先日父親に熱湯をかけられ、偉大なる青の魔法使いの元で弟子をしている兄・クルトの元にエリックを送り届けた後、息を引き取ったから。
魔物が入り込まないようにと、ヨルの遺体は青の魔法使いの浄化の炎で焼かれた。
ヨルが焼かれた黒い煙は、遥か天空へと昇っていく。「ヨルは天へと召されたのよ」と青の魔法使いの召使い、リーナが教えてくれた。
残されたのは、やけに白い小さな骨の欠片だけ。
ヨルはエリックの救世主だ。永遠に続くと思っていた地獄の日々から、エリックと弟のデールを連れ出してくれたのだから。
七歳になっても殆ど口をきかないデールの手を握りながら、エリックは精一杯笑みを浮かべて天を指差す。
「ヨルはお空にお引越ししたんだって。元気でねって手を振ろうか」
「……死んじゃったんでしょ」
デールは抑揚のない声で呟いた。エリックは返す言葉を失い、ただ弟の小さな手を強く握るしかできなかった。
その日から二人は、青の魔法使いの城の居候となる。
弟を救い出せなかったことを、クルトは悔いているらしい。だけどヨルが死んだのはクルトのせいじゃない。間違いなくあの大酒飲みの父親のせいだ。
「兄ちゃん、元気だしてよ」
エリックとて、寂しかった。ヨルはクルトと違いすぐにカッとなって父親とぶつかってばかりいたが、弟たちには優しい兄だった。
優しい兄は、天にいればもう苦しむことはない。だから悲しむことはない。
エリックは自分にも兄弟にも言い聞かせ続けた。
いつかそれが自分たちの中で真実になればいいと願って。
城に住むようになり、リーナの手伝いをするようになってしばらく。
デールがいつも空を見ていることに気付いた。益々表情に乏しくなったデールが、その時ばかりは熱心に目を輝かしている。
「デール? 何を見てるんだ?」
エリックの問いに、デールは答えなかった。ふい、と目を逸し、考え込むように俯きがちになる。
頼りになるクルトは、何かを忘れるかのように魔法の訓練を朝から晩までしている。相談したくとも「魔法は危ないから近寄るな」と言われてしまい、取り付く島もない。
焦りがエリックの中に生まれた。何かが起きている。何かは分からないが、取り返しのつかない何かが起ころうとしている予感だけはあった。
そして、それは起きてしまった。
ある日の晩。
満月の光があまりにも眩しく、エリックは目を覚ました。隣を見ると、夜はぐっすりと寝て耳元で怒鳴ろうがケツを叩こうが起きないデールが、布団の中にいない。
エリックは嫌な予感を抑え切れず、急いで与えられた部屋を飛び出した。
どこだ。どこに行った。
城の中は暗くていつもならよく見えないが、今日は月明かりのお陰で辛うじて見える。
間に合え、間に合え――!
何にかも分からないまま、エリックは青の魔法使いの研究室へと走って向かった。
あそこにいる、そんな気がした。
裸足のまま廊下を駆け抜ける。すると普段はぴったりと閉じている研究室の扉が、子供ひとりが通れる程度に開いていた。やはりここだ。
エリックは扉に手を触れ、中を覗く。
「……ッ!」
淡い青の光が浮かぶ中、デールは部屋の中心に立っていた。
デールの正面には誰もいない。なのに、壁に映し出されているのはデールの影と、もうひとり分――大きな羽根と禍々しくうねる角を持つ男の影。
幼いデールが、何もない空間に向かって問う。
「本当に、君なら父さんをやっつけられる?」
エリックの目が見開かれた。
「僕のからだがあればいいの? そうしたらやっつけてくれる?」
ゾゾゾッ! と悪寒が身体を突き抜ける。駄目だ、あれはどう見たって悪魔じゃないか!
今すぐデールを助けなければ、そう思うのに、恐怖で身が竦んで身体が言うことを聞かない。
「――じゃあいいよ」
「……デール!」
身体が動いた! エリックは駆け出すと、驚いた顔でこちらを振り返るデールに手を伸ばした。
「エリック兄ちゃん。僕ね、この人に父さんをやっつけてもらうんだよ」
「駄目だ、それは悪魔だ! 悪魔と契約しちゃ駄目だ!」
壁に映し出されている影が、デールに覆い被さっていく。
「デール! 逃げろ!」
「あんな人、死んじゃえばいいんだ」
「デール!」
あと少しでデールに手が届くという直前で、衝撃がエリックの前面に襲いかかる!
「うあっ!」
弾き飛ばされ、床に身体を強打した。頭を打ってクラクラしながら、それでもエリックは必死で身体を起こす。
「約束だよ、羽根のお兄ちゃん」
影のデールが、悪魔の影に飲み込まれる。
「デール!」
デールの身体は、何も起こらずそのまま立っているだけだ。だけど、影が、影が。
――悪魔の影が消え、代わりにデールの影から角と羽根が生えてくる。
デールが、自分の手をゆっくりと握っては開いた。
「……モリの身体だ」
「デール……!?」
振り返ったデールは笑っており。
血で染めたような赤い舌が、ちらりと覗いた。
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