エピローグ 「夜の女王 III」

 天を突くような山々に囲まれた荒涼とした大地に、『黒い森』と呼ばれる森林地帯がある。

鬱蒼うっそうとした森の中には、その地を治める領主の古い屋敷があった。

蔦の這う建物内の長い廊下にひっそりと存在する古い扉。

扉の前では、黒い髪にすみれ色の瞳を持つ少女が首を傾げていた。

「開かない……?」

地下室へと続く扉の錠前にもう一度鍵を挿したオフィーリアは、小さくため息をついた。

「エミリア、鍵を替えたのかな。明日お父様が帰ってくる前に、夜の女王の頭部装甲を調整しておきたかったのだがな……。」

古い木製扉の前で独り言を呟く彼女。

その時、炊事場から出てきた銀髪のメイド長は、その様子を見て慌てて声をかける。

「オフィーリア様……!」

「おお、エミリア。ちょうど良かった。地下室のことなんだがな……」

彼女の弾んだ声を遮るように、廊下に低く太い声が響く。

「地下室で何をするつもりだ。オフィーリア。」

その声を聞いたオフィーリアは表情を凍らせる。

振り向いた先には、彼女の父親が外套をまとったまま立っていた。

白い毛が混じった口髭を蓄え、娘を冷たく見おろす瞳は窓の外に広がる荒涼とした風景を連想させた。

「……お父様、いつお戻りに……。」

「まだあのようなもので遊んでいるのか。」

「そのようなことは……! それに、王家より下賜かしされた『夜の女王』をあのようなものとは……。」

オフィーリアの言葉を一顧だにせず、彼はひと言で切り捨てる。

「その禍々まがまがしさ故に押し付けられたものを、下賜とは言わぬ。」

「お父様……。」

「どれだけ当家に泥を塗るつもりか。移り気な領民どもにもてはやされ、舞い上がっているのではあるまいな。」

オフィーリアは心の中を切り裂かれたような思いでいた。

素朴なれど働き者の民達が敬意を込めて『黒い森の姫君』と呼ぶ、機械の鎧を駆る自分自身に誇りを感じていたからだ。

「都の王宮では何と噂されているか知っておるのか。」

オフィーリアは無言で首を振る。

「夜魔の忌み子だ。」

父親が吐き捨てるように告げたその言葉に、オフィーリアの顔は蒼白になる。

「禍々しい鎧に囚われ、怪しげなやからと共に無益な復讐の刃を研ぐ、凶状持ちの娘とな。」

「……そのようなこと……お信じになられるのですか!!」

「この私が何も知らぬとでも思っておるのか!!」

父親の怒声が廊下全体に響く。

中央から追われた身とはいえ、かつては『王家のつち』とまで称された偉丈夫である彼は、怒りの形相で娘を見下ろしている。

「オフィーリア。お前がエリザベータと共にあの悍ましき連中と何をしているのか、この私が知らぬとでも思ったか。忌々いまいましい過去の亡霊を、導師などと呼び担ぎ出すあの連中と……!」

父親は苦々しい表情と共に語気を強める。

オフィーリアは、青ざめた顔でエミリアの顔を見た。

「……まさか……。」

目を落とし、口をつぐんでいる彼女の見慣れない曇り顔を見て、オフィーリアは唇を噛み締める。

彼女を見おろす父親は、怒りの形相を崩すことなく口を開いた。

「王家との縁談を失い、このような不毛の地に追いやられ……。少しでもお前のなぐさめになればと、あの鎧についてはこれまで黙ってきたのだ。あのような禍々しい姿で領民達の前に姿をさらし、黒い森の姫君などとおだてられることにもな。だが、お前達が陰でしていることが明るみになれば、今度こそ家名を失うこととなろう。もはや看過できぬ!」

オフィーリアは何も言うことができず、下を向いている。

「エミリア、例の話を早める。支度を進めておけ。」

「旦那様……!」

「お父様、それは……?」

「南西領の当主が妻君を病で失って数年経つ。先日ようやく縁談の話がついた。来月にはここを発て。」

「……お父様……。」

オフィーリアは突然の話に二の句を告げずにいた。

「寛大なお方だ。凶状持ちの娘でも一向に構わんとのことだ。王家に近い方でもある。エリザベータもかえって喜ぶであろう。」

「……なぜ急にそのようなことを……!」

「自分のしたことがまだわからんのか!!」

父親は右手の拳で壁を殴りつける。

「地上世界への干渉は、今や王宮では禁忌だ。六年前、王家の第四王子……お前の婚約者であったジークフリード王子は地上と関わったことが原因でその命を失った。そのことを忘れたわけではあるまい。」

「……!」

「次は都を追われるだけでは済まされぬ。そのようなことがわからぬ年ではなかろう。」

「……しかし、お母様は……。」

「エリザベートは療養院に送る。婚礼の日まで会うことは許さぬ。」

オフィーリアは俯き、全身を震わせながら必死に声を絞り出す。

「……そんな……。私は南西の領地などには参りませぬ……。私は……。私には……。」

「今のお前にそれを選ぶ権利など無い。」

父親はそう言い捨てて踵を返すと、廊下を歩き去っていく。

よろめいたオフィーリアを、駆け寄ったエミリアが支えようとその小さな肩に触れる。

「……触るな!!」

そう叫んでエミリアの手を振り払ったオフィーリアは、すべての力を失ったように膝をつく。

「…………ジーク様……」

彼女は掠れる声で呟くと、崩れ落ちるようにして廊下に倒れ込んだ。


……遠くでエミリアの呼ぶ声が聞こえる。

そう心配するな、エミリア。

今迎えに来てくれる。

蒼く優しい瞳の、我が良人が。


   ◇


 オフィーリアが目覚めたのは、寝室のベッドの上だった。

彼女は跳ね起きて自らの身体を確かめる。

小さな身体には、いつもの寝夜着を身につけている。

そして腕についた小さな擦りむき傷には、丁寧に包帯が巻いてあった。

彼女はエミリアを振り払い、廊下に倒れ込んだ自分自身の姿を思い出していた。

(夢では無かったのか……)

オフィーリアは小さくため息をつく。

傍のテーブルには、保存容器に入ったパンと焼き菓子が置かれていた。

彼女は昼から何も口に入れていないことに気が付く。

「……エミリアに謝らなければならないな……。」

容器の蓋に手をかけたその時、オフィーリアは自室の扉がわずかに開いたことに気が付いた。

扉の隙間からは、薄く灯りが溢れている。

「……エミリアか?」

彼女の呼びかけに返事はない。

オフィーリアは手近にあったローブを羽織ると、廊下に出た。

消灯された廊下は闇に沈んでいたが、階下に向かって小さな灯りが動いていくことに気がついた。

彼女は音を立てないように忍び足で階下に降りていく。

気が付くと、彼女は地下室へと続く扉の前に立っていた。

(鍵が開いている……)

扉を開き、階下へと降りていく。

階段は屋敷の下に広がる地下室へと続いている。

古くは戦に備えた隠し砦としても使われていたという、地下洞を利用して作られた広い空間であった。

オフィーリアは石造りの長い階段を降りていく。

薄い寝夜着とローブしか纏っていない彼女の身を、地下の冷気が包む。

彼女は自分の身を抱きすくめるように、細い両腕を身体に回した。

階段の降りた先には地下に作られた広い場所があり、その中央には棺を思わせる黒い構造物が鎮座していた。

鎧衣アルマと呼ばれる機械の鎧を収めるための、いわばメンテナンスラックである。

保護扉を閉じられた金属の棺と、湿った冷気の漂うその場所は、地下墓地を連想させた。


「よくぞ参られました。」


(……!)

部屋に響いた低いしわがれ声に、オフィーリアが身を固くする。

「……その声……。まさか、導師様……!」

彼女に応え、再び地下室に声が響き渡る。

「左様です、オフィーリア殿。夜の女王に備わる次元水晶を通して話をさせていただいております。」

オフィーリアは片膝をついて礼をとる。

「導師様。おひさしゅうございます。」

「此度のこと、御母上より伺っております。おいたわしや、黒き森の姫君。」

「……全ては家名を守るため。一族の者として、覚悟はできております。」

首を垂れたまま力なく口にするオフィーリア。

その時、彼女の耳に聞き慣れた声が届いた。

「何の覚悟か。地上人共への復讐を成し遂げることもできず、望まぬ相手に嫁ぐことか?」

オフィーリアは驚いて棺を見上げる。

閉ざされた金属製の保護扉が開いていき、棺の中から漆黒の鎧が姿を現した。

鎧姿の貴人を模した優雅なシルエットが闇に浮かぶ。

胸部装甲の中央には、人魂を思わせるような紫色の淡い光が揺らめいていた。

「夜の女王が……。なぜ……。」

次の瞬間、鎧の影からランプの炎が揺らめき、紫色のローブを纏った女性が姿を現した。

「……お母様!」

オフィーリアの前に姿を見せたのは、彼女の母親であるエリザベータであった。

病魔に痩せ細った顔と、地獄の炎を思わせるような怒りに満ちた瞳を、揺らめくランプの光が照らしだしている。

石畳の上を素足で音もなく近づく彼女は、娘の眼前に立つと静かに口を開いた。

「その覚悟と命、我らが家名とお前の良人おっとの名誉に捧げる腹積りはあるか。我が娘よ。」

「お母様……?」

エリザベータは表情を変えることなく、娘に語りかける。

「かつてお前の良人が身につけていた王家の鎧衣『白騎士』。今は地上にあることがわかっておる。」

「……‼︎ 何ということ……。地上人共に奪われたのですか……⁉︎」

オフィーリアの問いに、エリザベータが答える。

「もっと悍ましきこと……。王宮に巣食う臆病者共は、保身のために白騎士を地上人共との取引に使ったのだ。」

「……!」

「我らが送り込んだ鎧装兵をほふったのは、白騎士を模して地上人供が作り出した我らが鎧衣アルマの紛い物だということがわかっておる。そして……。あまつことか、白騎士そのものが幾度となく立ちはだかったというではないか。」

「何ということ……!」

オフィーリアは小さな拳を握りしめる。

「王家に殉じたそなたの良人おっとの名誉を汚す所業、到底許すことはできぬ。そうであろう、我が娘よ。」

「……はい。許すことは……できませぬ。」

「それでこそ我が娘。のう、導師様。」

「まさに。地上人共の所業。このままではジークフリード王子の魂も、地獄の炎で焼かれるより苦しまれましょうな。」

地下室に響くふたつの声の前に、闇の底へひとり残されたようなオフィーリアは力なく呟く。

「……しかし……。我々が長きに渡り準備した鎧装兵の多くは失われました。先般、地上に提供した技術により蘇った二体の鎧装兵も、奴らに打ち倒されたと伺っております。」

「左様にございます、姫君。我々に残された力は多くはございませぬ。」

導師の言葉に頷いたエリザベートは進み出ると、傍に佇んでいる漆黒の鎧に細い腕を捧げるようにして口を開いた。

「だが、ひと振りの短剣と未来を憂う志あらば、憎き我らが敵の心臓にも届くことであろう。いざとなれば、この残り少なき我が命に替えてでも……」

「おやめください! お母様!」

オフィーリアの叫びが闇の底に響き、やがて消えていく。

「私が……。母上より受け継いだこの『夜の女王』で、白騎士を騙る不埒者の首を取り、我が良人の墓前に捧げます。」

「よくぞ申した、我が娘よ。」

エリザベートは、片手に持った立体映像装置を操作する。

彼女の手には、白い輝きをみせる小さな水晶が浮かび上がった。

「……これは……。」

「白騎士が持つ『白の次元水晶』でございます。姫君。」

「白の……次元水晶……。」

「六年前に封印された次元の扉ディメンジョン・ゲートを再び開く鍵のひとつである。地上にある『黒の次元水晶』と『白の次元水晶』、そして夜の女王が持つ『紫の次元水晶』。この三つを我らが手にしたその時……。」

エリザベートは美しい口元を引き攣らせるように狂気の笑みを見せる。


「再び我らが地上を蹂躙するのです。十五年前のように。」


オフィーリアは、母親が見せるその歪んだ恍惚を浮かべた表情に背筋が凍るのを感じていた。

「しかし、王家は……。」

彼女の言葉をすり潰すように、導師の声が響く。

「王家の心ある者は気づいております。もはやエリシュオン王国だけでこれだけの民を養うことは叶いますまい。白の次元水晶を取り戻し、十五年前のように地上に侵攻すること。それだけが我々が生き残る唯一の道なのです。」

「唯一の道……。」

「その通りぞ。これこそが我らがエリュシオンを守る道、ひいては王家のためとなろう。第四王子であったそなたの良人も、さぞ誇りに思うであろうな。」

「我が良人の誇りに……。」

オフィーリアは立ち上がり、彼女の前に立つ黒い鎧を見つめる。

「わかりました。地上に赴いて、不埒者を討ち取り、白の次元水晶を我が仇から引き摺り出してくれましょう。」

「おお、よくぞ申した。我が愛しき娘よ……。」

エリザベートはオフィーリアを抱きしめる。

オフィーリアは黙って彼女の胸に顔を埋めた。

二人の様子を闇でほくそ笑むように、導師の声が響き渡る。

「勇敢なる黒い森の姫君よ。北の廃墟に残る『大聖堂』に向かうがよい。紫の次元水晶とそなたの持つ力をもってすれば、聖堂の地下に隠された次元の扉が夜の女王を地上へと導くであろう。」

「承知いたしました。導師様。」

エリザベートはその痩せ細った手で、娘の艶やかな黒い髪をそっと撫でながら囁く。

「我が娘よ。そなたの駆る夜の女王が、戦乙女ヴァルキリーのごとく鎧装兵の軍団を導き、地上を蹂躙する日を夢見ておるぞ。」

オフィーリアは彼女の胸に顔を埋めると、小さく頷いた。


   ◇


 屋敷の外に駆け出したエミリアは、息を切らしながら空を見上げる。

「オフィーリア様!」

次の瞬間、館の裏手に広がる針葉樹の森から、黒い影が夜空に飛び出していくのが見えた。

「遅かった……!」

彼女は遠ざかるその姿に向かって叫ぶ。

「いけません……! オフィーリア様!」

彼女の渾身の叫びは届くことなく闇に吸い込まれていく。

背中に巨大な翼を広げた夜の女王は、新月の夜空へと飛び去っていった。

立ち尽くすエミリアの後方から蹄の音が近づいてくる。

「エミリア殿、どうなされた!」

「クランツ卿! ギルベルト卿! オフィーリア様が……!」

かつてオフィーリアの従者を務めた馬上の二人は、遠ざかっていく黒い鎧を見上げる。

「行き先はおそらく北の大聖堂であろう。何ということを……。」

「王都の兄君にお知らせするのだ、エミリア殿。我々は姫様を追う!」


   ◇


 黒い鎧に身を包んだオフィーリアは、背中に広げた黒い羽根をはためかせると、北の方角へと進路を向ける。

胸には紫色の輝きが強く宿っていた。

「エミリアはもう眠っているであろうな……。旅立つ前に謝りたかった……。」

振りかえると、遠い闇の中には母やエミリアと過ごした屋敷、そして領民達が暮らす家々の灯りがうっすらと見える。

「だが、必ず戻る。我が祖国と家名、母のために。そして我が良人おっとの名誉のために。」

彼女はふと空を見上げる。

月の無いその夜は、空を埋めつくような星々がひときわ強く輝いている。

彼女にとってそれは、まるで自分が星の海を漂っているように思えていた。

その中でもひときわ大きな白い輝きを見せる星が目に映った時、オフィーリアはふと呟く。

「あの星……。そうだ、思い出した。わし座のアルタイルだ……。」

菫色の大きな瞳が星々の輝きを捉えると、オフィーリアはいつしか柔らかな幼顔に戻っていた。

「ジーク様が教えてくれたな。遠き国では、わし座のアルタイルと、こと座のベガにまつわるお伽噺とぎばなしがあるという。夫婦となった星同士が、一年にたった一度だけ天に橋がかかるその日に会うことができるのだと……。フフ、誰が考えたか知らぬが、何とも不可思議な話だな。」

そう言って微笑んだ彼女の目に涙が滲む。

「何年に一度であって構わない。もう一度……お会いしたかった……。」

涙の粒で滲んだ頭部装甲内のモニターに、北の大聖堂を示す座標が点滅する。

漆黒の鎧は背中の翼を大きくはためかせると、白い頂の山々に囲まれた北の廃墟を目指して星々を切り裂くようにして飛ぶ。

やがてその姿は、星群の瞬く夜空へと消えていった。

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追憶のアステリズム 中条優希 @yk_nkj

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