最終話 星空の下で

「すごい……! 旧校舎の屋上に、こんな場所があるんだね……。」


 城戸あかりは思わず声を上げる。

星明かりの下、彼女は古いレンガが敷かれた床に革靴の音を鳴らしながら駆けると、木製の手すりにつかまって目の前の光景を見つめた。

彼女の視線の先には、夕闇の中に筑浦市の街の灯が広がっている。

空を見上げれば、満天の星空が彼女を包み込んでいた。


「図面では見たけど、こういう感じの場所だったんだね。」

制服姿に鞄を担いだ久遠が彼女に声をかけると、あかりは飛び跳ねるようにして手招きする。

「久遠君も早く来なよ!」

久遠は小さく笑うと、彼女の元へと歩いていった。


 城戸あかりと和泉久遠は、旧校舎の小さな屋上を訪れていた。

部活動正式承認を祝うお茶会の後、生徒会室で事務手続きを済ませた彼らは再び夜の旧校舎に戻ってきていたのだった。

「ごめんね。久遠君まで一緒に待たせちゃって。」

あかりは申し訳なさそうに彼に語りかける。

帰るのが遅くなってしまったあかりを彼女の祖母が車で迎えに来るということになり、それまで久遠も一緒に残ることにしたのだ。

最初はC教室にいた二人だったが、レポート作成中に知った旧校舎の屋上の話になり、行ってみようとその場所を訪れたのだった。


「結構遠くまで見えるんだね。」

あかりのすぐ隣に立つ久遠は、その蒼い瞳を遠く見える街の灯に向ける。

新誠学園は高台にあり、彼らのいる旧校舎屋上は他の校舎から外れた位置にあった。

そのため視界が大きく開けており、筑浦市の全景や、遠くには霞ヶ浦まで見渡すことができたのだ。


 教室ふたつ分ほどの広さの屋上は、長い歴史の中で簡易な庭園や休憩スペース、学校菜園などと役割を変えてきたこともあり、元は花壇だったレンガ囲いや木製のベンチが残されていた。

二人は少し高い場所に設置されたベンチに腰を掛けた。


「ここからもよく見えるね。何か飲み物でも持って来れば良かったかな。」

あかりの言葉に久遠が小さな笑みを見せると、彼は鞄から小さな缶入りのミルクティーを二本取り出し、彼女に手渡した。

「わあ、あったかい。」

「さっき自販機で買ってきたんだ。温かいのがあって良かったよ。」

「さすが久遠君。ふたりだけの二次会だね。」

あかりは肩ほどまでの柔らかな髪を揺らして微笑む。

二人は缶の紅茶で小さく乾杯すると、眼前に広がる星空と夜景を見ながら口をつけた。

温かな甘みが口の中に広がり、あかりはほっと息をつく。


(……。)

あかりは深いブラウンの大きな瞳を隣の久遠に向けた。

彼の優しげな横顔は星明かりに照らされ、深く蒼い瞳で夜空を見上げている。

あかりはその姿を見ながら、心の中でそっと呟いた。


光莉ひかりちゃん。やっぱり、私は恋をすることなんてないみたい。)


あかりは星空を映し込んだような街の灯に目を向けて小さく笑うと、そっとまぶたを閉じる。

ほんのわずかな間に、初めて彼と会ってから今日までのことが頭の中で思い起こされていた。


   ◇


 彼と初めて出会ったのは、学校からほど近い常闇坂とこやみざかだった。

突如現れた次元獣を打ち倒し、ディメンジョン・アーマーの頭部装甲を脱いだ私が見たのは、新誠学園の制服を着た蒼い瞳の少年だった。

巨大な敵に向かっていく勇敢な姿を見せた彼のことが瞼の裏に焼き付いていた矢先。

仲間達でC教室に彼を迎える話が出た時に、どうしてもその前に彼の姿が見てみたくて彼を招待する役を買って出たのだ。

彼を歓迎するお茶会で両手で握った彼の小さな手の感触を今でも覚えている。


(それから、久遠君は私達の仲間になってくれたんだよね……。)


 UNITTE筑浦研究所での日々。

C教室でのお茶会。

そして、機械の鎧を駆って次元獣に立ち向かう『調査活動』。

彼は窮地に立つ自分達の前に、白い鎧をまとって現れた。

その神々しいような白亜の姿と、その中から見せたいつもの控えめな笑顔が今でも胸に残っている。


 そして部活動、合宿……。

胸の中によぎるのは、二人で過ごすことが多かった羽衣島の日々だ。

夏の陽射しの中、二人並んで歩いたこと。

ヴァイオリンを奏でる彼の後ろ姿。

談話室で重ねた手。

そして、次元獣に対峙したあの夜。

彼と呼吸を合わせて共に見舞った一撃は、ふたつの機械の鎧がまるでひとつに感じられるほどの体験だった。


(それでもきっとそれは……。彼に抱く想いは、友情や敬意のようなものなんだと思う。きっとそうだよね。)


 私の胸の中にある、穏やかなで暖かな気持ち。

そして同時に起こっている、焦燥とも戸惑いとも知れない波立った感情。

それは、いつの間にか彼と積み重ねた少なくない時間が作ったもので、自分以外の誰かに抱く特別な想いとは違うのかも知れない。


 私のこの思いを、隣にいる久遠君は気がついていないだろう。

抑えきれない心が、胸の中でひとりでに溢れてくるようなこの気持ち。

幸せや嬉しさ。

寂しさや切なさ。

色々な感情をいつの間にか連れてくるこの気持ちを。


 そして彼はきっと知らないだろう。

初めて会った時から、私の心のどこかにいつも彼がいることを。

美しいものや楽しいことを見聞きする。

素敵な出来事に出会う。

そうして心を動かすたびに、和泉久遠だったらどう思うかと考えていることも。


 自分自身のわがままだということはわかっているのに、どうしても気持ちを抑えることができなくなっている自分に気がついてる。


星空は素敵だし、街の灯は美しい。

でも、私はその横顔を見つめていたい。

学校や部活動のことを話すのは楽しい。

でも、私は久遠君自身の話が聞きたい。

もっともっと、君のことが知りたい。


それなのになぜ、久遠君はいつもの優しげな表情で星空を見つめているのだろう。

隣にいる私は、こんなにも。

こんなにも、胸が高鳴っているのに。


(えっ……?)


思わず自分の胸に手を当てる。

胸の高鳴りがおさまらない。

頬が、胸の奥が、熱く感じる。

ただ、彼と一緒にいる。

それだけだというのに。


(嘘でしょ……)


 私のすぐ隣で、彼は星空を黙って眺めている。

いつもと変わらないその横顔をただ見つめているだけで、鼓動が早くなるのがわかる。

胸の奥で、暖かな気持ちと安らいだ心が、寂しさと苦しさと溶け合っているような不思議な気持ちになる。

今すぐにも逃げ出したいような心と、ずっとこのままでいたいという気持ちが、自分の中で交互に姿を現す。

それが何なのか、今ならはっきりと理解できた。


光莉ひかりちゃん……。こんなのってないよ……。)


まだ夏の始まりの頃に、級友の光莉が耳元で囁いた言葉が胸の中で繰り返される。


恋はね、するものじゃないの。

恋は、落ちるの。

自分でも気がつかないうちに、いつの間にかそうなっているのよ。


(……だって知らなかったもの……。こんなに……)


こんなに。

こんなにも突然に、その時が訪れるなんて。

胸に抱いていたこの想いにはっきりと気が付くその時が。


夜空では星が瞬いている。

夏から秋へと変わりゆく夜の空気が、頬を優しく撫でていく。


多分、忘れることはない。

星空の下で彼の横顔に感じているこの想い。

それが、恋なのだということを。

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