第9話 基礎魔術

 次の日、ジョン・ソンの予想通りルナール以外の三人も杖作りを完成させ、最初に熟さなければならない課題は終わった。


 これからの講義は杖が必須である。

 座学では理論を知り、術式を試すために杖を使う。

 実習では身に付けた魔術を扱うために杖を使う。


「――では、今日から基礎魔術を教えることになる、準三級魔術師のヒルデブラントだ。紅の塔に所属している」


 別室にてヒルデブラントによる基礎魔術講座が始まる。

 準三級は、四級から三級に昇級する者が一時的に所属する階級であり、数ヶ月の審査を経て昇級手続きが行われる。


 壇上に立つ彼は、少なくとも数ヶ月以内には三級魔術師になるのだ。

 よっぽどの事が無い限り取り消されることは無いため、三級とほぼ同じ扱いをされることが多い。


「さて、ここにいる時点で基礎魔術については理論、或いは感覚で理解しているだろう。今更何を、と思うのも無理はない」


 そんな彼が担当するのは基礎魔術……魔術師ならできて当然の、誰でも知っているような分野だ。


「だが基礎は大事だ。これが無くては何も出来んし、あやふやでは魔術が破綻する。例えば、この魔術はどんな術式が使われている?」


 ヒルデブラントが杖を振り空中に魔術陣を描いた。

 複雑な魔術陣を即座に描くには卓越した魔力操作技術か、蒼の魔術師が得意とする保存魔術が必要になる。


 描かれた魔術陣を読み解こうと四人は目を凝らすが、複雑に絡み合った紋様と魔力の色は前衛的芸術にしか見えない。


「……汎用とはいえ上位魔術の一つだからな。読み取れないのも無理はない。噛み砕いて説明すると、この魔術には転化、発火、延焼、圧縮、放出、展開が含まれている。極めて単純な基礎魔術だな」


 魔術陣を分解して六つの紋様に分けたが、それでもまだ複雑だ。

 しかし、その内の一つを更に分解すると、同じ紋様がサイズを変えて重なっていたことが分かる。


「これはかさねと飛ばれる技術だ。基礎の延長線上にある技術であり、各色が扱う独自の魔術にも使われている。他にも鏡像反転やら立体魔術陣やら挙げればキリがないが……さて、魔術学園ではどこまで基礎として扱われると思う?」


 答える者はいない。

 誰もそんな基準は知らないし、ルナールのように感覚で魔術を扱ってきた者は、魔術が段階で区別されていることすら知らなかったからだ。


 貴族家、もしくは金のある商家出身なら最低限の知識は持っていただろう。一般的な魔術は初級、中級、上級、と格付けされていることを。


「答えは汎用魔術に使われる全て、だ。この累ねも、鏡像反転やら立体魔術陣やら含め、汎用魔術に使われる全ての技術が、ここでは出来て当然の基礎として扱われる。一般的な格付けは当てはまらないと思え。この基礎が出来なければ単位は取れないぞ」


 ♢


 その日、ルナールは基礎魔術を修めることが出来なかった。

 鏡像反転は既に《鏡像展開ミラーリング》を使えていたため修得できたが、それ以外は手応えが得られなかったのだ。


「その様子だと、何も修得できなかったみたいね」

「……クラリスは累ねとか出来るの?」

「基礎だもの、出来るわよ。というか、出来ないと単位取れないし……」


 杖を使って空中に汎用上級魔術陣を描いたのをみて、ルナールは改めて『これが基礎なのか』と実感する。


「ルナールは私以上に魔力があるから、ちょっと魔力制御が難しいかもね」


 そういってクラリスは魔術陣を消す。

 維持するだけで魔力が消費されるのもあるが、魔力制御に思考を割かなければならないので疲れるのだ。


「単純な魔術ならそこまで制御に気を遣わなくてもいいんだけどね。複雑な魔術陣は繊細な魔力操作が必要だし、それに加えて魔力制御もあるから余計に疲れるのよ」

「疲れる……」

「脳が疲弊するのよ。理論上の話だけど、限界を超えて酷使すると脳が沸騰するそうよ」


 ルナールが魔力制御に手こずる理由はここにある。魔力操作と魔力制御は似ているようで違う技術なのだ。


 魔力操作は体外の魔力を意識的に操作し、魔力制御は体内魔力を意識的に制御する技術である。どちらも維持するのにある程度の集中力を要求されるうえ、同時に使うとなれば負担も大きい。


「クラリスはどうやって身に付けたの……?」

「努力よ。朝起きて寝るまでの間、食事と休憩以外はこれの練習に費やしたわ。おかげで何度も気絶したわ」


 遠い目で自嘲するクラリスだが、その努力は並大抵のものではない。

 ルナールも魔術師であるため、それがどれほど辛く厳しいものか理解できた。


(普通は気絶するぐらい魔力を使えない。そのまえに頭が痛くなるし、魔力を使い切ったら数日は寝込むし)


 幼い頃に一度、興味本位で魔力を全て消費したルナールは熱を出して寝込んだことがある。

 倦怠感と頭痛と眩暈と熱で散々な数日だったため、それ以来ルナールは魔力を使い切らないようにしている。


「あとは……コツを掴むことね。まずは片方ずつ練習するといいわ」

「……どっちを優先した方がいい?」

「ルナールはまず魔力制御からね。今の半分ぐらいまで抑えられるぐらいにならないと、魔力操作と同時になんて無理よ」


 それからルナールはコツを教わりながら魔力制御の練習をした。

 講義でもやり方は教わるが、同年代のクラリスから教わった方が感覚的に分かりやすかったからだ。


(……ほんと、才能だけはずば抜けて高いのよね。魔術師は魔力の多寡で才能を測れるっていうけど。瞬間的、継続的に生み出される魔力は刻まれた回路に左右されるって学説が最有力だったかしら)


 回路は遺伝するものであり、その数を増やすことはとても難しい。魔術師の多くはより良い回路が子孫に受け継がれるように、結婚相手を吟味すると言われるほどだ。

 クラリスの実家もそうして興ったものであり、彼女の両親もまた魔術師である。


(お父様は私に塔の君主になれと仰ったけど、回路一本増やすことに心血注いだ結果が辺境出身の子どもに負けてるって知ったら、どう思うのかしらね……)


 自身に刻まれた回路はお世辞にも多いとは言えず、質も最上とは言い難いことは理解している。

 それでも何代も掛けて才能を継がされた身だからこそ、目の前の才能に多少の嫉妬を覚えるのだ。


(私が学園を卒業する頃にはルナールのことも噂になってるでしょうし、どうせあれこれ指示を出してくるのでしょうね。従う気は毛頭無いけど)


 いずれ実家から下されるだろう命令を想像し、辟易したクラリスは忘れるように頭を振るう。

 もう戻るつもりは無いのだから。


「どうしたの?」

「別に、なんでもないわ」

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やる気のない魔女は怠惰で自堕落な生活を送りたい こ〜りん @Slime_Colin

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