第59話 金髪ギャルと夏期講習後のデート5~カラオケ~
茨田に耳元で
「デートでカラオケも悪くないかもよ?」
と囁かれ、俺はすぐさまカラオケ店に向かった。おおよそ全て疚しい気持ちだったのが、妹は「お兄ちゃんとカラオケ!」と嬉しがっていたのでさらに疚しくなって踊る胸を落ち着かせた。そんな俺を見て茨田は「ば~か」と意地悪に笑ってきて再発しそうになったが、妹がまた嫉妬の眼差しをするから抑えて、「お兄ちゃんはわざと騙されただけだ、賢いぞ」と弁明した。これは効果的なようで妹は怒りを鎮め、いや違う。
「お兄ちゃんは頭良くないよ?」
どうやらお兄ちゃんが馬鹿にされたから不機嫌になっていたわけじゃなかったようだ。俺は少し落ち込みながらも「早く行こ~」と飛び跳ねる妹の後ろをついて行った。茨田はそんな俺を慰めるようにもう一度「ば~か」とさらに笑って言ってきて俺は嬉しさのあまり「やったー!」と幼児退行してカラオケ店へ全力疾走した。
茨田はカラオケ店の派手な外装を訝しむと、さらに店前の看板を不満のあるような顔でじーっと見つめていた。何かおかしいのだろうか。カップル割-25%引きって書いてあるくらいで、特に変哲はない。
「やったねお兄ちゃん! お金が増えるよ!」
「おい馬鹿やめろ」
「確かにお兄ちゃんとは兄妹だけど血は繋がってないし、大丈夫、バレないよ」
我が妹はシメシメと笑って、コソコソと俺の耳にあてて言うが、カウンターにいる店員の女子大生らしきお姉さんが苦笑いしているところ、もうバレてるので意味はなくなってるぞ。あと茨田も俺と我が妹の顔をジロジロと見て訝しんでるぞ。
「理さぁ……」
「なんだ、俺が何をしたって言うんだ!」
「まずブラ外して下履いたら?」
「なんで着てないんだよ!」
少しふざけたので俺は改めて服を着た。気付いたら服を着ていないから目に見えない世界は怖いものだ。ともまぁ、残念ながら俺以外はみんな服を着ているのでAビデオみたいな妄想は控えていただきたい。俺が変態なら健全という事だ……ちゃんとしよう。なお、茨田は真っ白の服装ではなく、普通にほどけたボタンに開かれて鎖骨覗かせる涼しげな薄いワイシャツと、ちょっと短いスカートからは可憐な太ももが見え隠れする学生服だと確認しておく。
「茨田、さっきから看板を睨んでるけどどうしたんだ?」
俺が紳士にそう訊くと茨田は何かスイッチが入ったのか、目も口もニヤニヤして
「いや別に? カップル割って書いてあったから誤解されないかなってさ~?」
と言ってきた。堪らず俺はそっぽを向いて破裂しそうだった服を押さえつけた。が、ぷくぷくと頬を膨らまして怒っている妹と目が合って困った。また喧嘩が始まってしまう、どうにかしてくれと受付のお姉さんに助けの視線を送るも、あははとドナルドのポーズ。何この異世界?? 店員は嬉しくなったのか?
「うわ!」
「お兄ちゃん来て! 店員さん、私たちカップルです!」
「ええ? お兄ちゃんって今」
「事実婚でもカップルです!!」
ドナルドJD店員は絶句。小声で「それ適応されたら割引き放題だよ、ヤバッ」と聞こえてきた。茨田は俺と妹の後ろから「何その理論?」と困惑の顔を向けてくる。確かに。いや、でもカップルって今の時代血が繋がってても許されるのでは? いやダメか。
「えっと(めんどくさいし)、じゃあ一時間半で三名様、3000円プラスカップル割でいいですか?」
「はい!!」
だいたい一か月前のどこかの誰かもビックリの満面の笑みを店員に見せつけつつ、妹は早々と鍵を受け取り、俺が料金を払うのを待った。妹のその姿勢はどこか昔々に飼っていた子犬の尻尾振って餌を待つ様子に似ていた。そのあまりの可愛さと懐かしさに財布から取り出した千円札三枚を妹の口へ刺し込もうとしてしまったが、正気に戻ってドナルドJD店員に渡した。
「あ、足りませんね」
「ああそうですか。じゃあお釣りはいいです」
「ああ、申し訳ありません、料金がです」
「そうですか、いくらですか……うん?」
「えっと3000+4000×0.25でしたから、1000円ですね」
「いや待って、なんで増えてるんです?」
「あはは、だってマイナス25%引きですから」
汚い。あまりの詐欺広告に「あらー!」と裏声かいて転んでしまった。マイナス引きってそんなのありなのかよ。こんなの払うわけないだろ、馬鹿にしてんのか――――と断ろうと思った。が、妹の今だキラキラと目を輝かしてお兄ちゃんを待つ姿に、妹の夢を叶えるためならと一心不乱になって750円をカウンターに叩きつけた!
「安い!!」
「いや理、おかしいでしょ」
冷静な茨田のツッコミを無視して俺は妹と事実カップルとしてカラオケルームへ向かう。妹は冷めた顔していた茨田にベーッと舌出すと、甘えて俺の腕に抱きついてきた。夢ではなく執念だったのか、さすが我が妹恐ろしい。冷戦はとっくに始まっていたか。
なお茨田はやれやれと大人の対応を見せつつ「はいこれ」と俺に千円渡してきた。けどもまぁ、こうは言いたくはないが「4000×0.25だったから半分でもあと500円足りない」と正直にすると「は?」とまた訝しんだ。
「わかった、ここは彼氏の俺が奢ろう」
「いや、いい。払う」
ちょっと普通に傷ついた。泣きそう。泣きそうになっている俺を「アハハハハ」とあざ笑う高い声が遠くから聞こえる。あの店員め。あとでビックマック食べに行こ。永久機関?
カラオケルームは賑わっていた。どこかにあったかなかったか知らないサングラス、アフロ、チョビ髭、変声機、金属探知機、チェンソーなどのパーティグッズを振り回しながら俺と妹、茨田は――――茨田はなぜかちょっと引いた様子だ。
「どうしたカモンベイベー?」
「いや、え、理って陽キャだったっけ? ていうか陽キャよりも馬鹿なんですけど」
「あ、すまん。ちょっとはしゃぎ過ぎた」
あまりに羽目を外し過ぎて恥ずかしく、俺は辞世の句を読みながらポテトをまるで兎が人参棒を食べるようにピキピキと食べた。
「お兄ちゃんはお腹が減るとこんな感じだもんね」
「いや、違うが」
「え~?」
まさか俺がアフロを被って妹と一緒に金属探知機をぶんぶん回すとかそんな狂った人間なわけがあるまい。わかったら我が妹、そのタンバリンみたいに振っているチェンソーを机に置きなさない。危ないだろう。
「うわ~理がこんなやつだって知らなかったわ~」
「茨田、違う。違うんだ! これは勢いで!」
「お兄ちゃんは好きな子の前では度々おかしくなる性格だよ」
妹は胸を張って勝ち誇るように茨田に教えた。それでも意地が足りないと思ったのか、妹はチョビ髭をつけて「えっへん!」ともう一回胸を張った。いや、そんなに変わらんのだが。
「そうなんだ? え、あたしのこと好きってこと?」
茨田はまたニヤニヤとして俺に投げかける。俺が若干そわそわしている間に、その細い指でポテトを掴んで俺の口へ刺し込んできた。こんなのはさすがに屈辱――知らん、俺の身体は勝手に「ご主人様!」とペットになった気持ちでまた兎のようにポテトを齧っていった。すでに調教済みである。
「ほらほらもう一本~」
「調子乗んなゲボ女」
「は? だれがゲボだって、ぶっ○ろすぞクソガキ!」
おっと俺が兎になっている間に冷戦が激化し始めた。これはひとまず二人を落ち着かせなければ、よしここは俺が一つカラオケして二人の注意をこちらに向けよう。
「あ、あ、はい。うえっ」
「そのチューニングどうにかなんないの?」
「あ、はい」
さて俺は陰キャ。陰キャがカラオケに行くことはほとんどないので歌える曲もほとんど無い――――はずだが、最近は天音の影響か否か、ちょっとだけ歌ってもみたりしていたりもしたりもする。といかたまに天音が「この問題解けなかったら歌歌ってね」となかなか鬼畜な罰ゲームをするから、歌う機会が爆増した。そのおかげとはいいたくないが、歌うことの抵抗は若干弱くなって、やや堂々と好きな曲を歌えるようになった。
「どんわなびーあめりかんいでおっと~♪」
「理……やっぱ下手」
「ぐふっ!!」
さっきまでは妹と一緒に盛り上がってたからわからなかったけど、え、俺下手だったの? 天音は毎回「あはは、上手上手」って言ってパチパチ拍手してくれたぞ――――いや待て、たまたまこの曲が苦手なだけで別の曲なら!
「あいむのっとお~け~♪」
「お兄ちゃん……ごめんね」
「ぐふっ!!」
妹になぜか謝られた。凄い心配そうな顔された。え、俺やっぱり下手だったのか。天音は毎回「上手、上手、練習したらもっと上手くなるよ」って言って笑ってくれたぞ――――いやちがう、だいたい苦笑いだったわ。
「もう俺、きかんしゃトーマスしか歌わない。てれれれ~てれれ~」
「あれなんか幼児退行してる?」
「お兄ちゃん、歌詞無いよ。毒武器あるよ?」
胃が痛くなったので、妹から六本の矢を受け取り、とりあえずここはトイレへ逃げることにした。昔々、中学の文化祭の打ち上げでカラオケ行った時もこうやってトイレに籠って自分の番になると逃げてたのを便座に座って思い出す。ここのカラオケのトイレは綺麗だな。
そう狭いタイルの天井を眺めた後、どうにか乗り切るしかないと、”覚悟”を決めて矢を胸に突き刺した。
「うおおおおおおおおおおお!」
そしてカラオケルームに戻るとあら不思議、妹と一緒に歌ってたらまたアフロ被ってチェンソー振り回してました。我ながら人間は恐ろしい。そしてラップやロックは偉大だった。
「これが合法的なトビ方か!」
「お兄ちゃん、これがうぇかぴぽだよ!」
興奮する兄妹とその一方茨田は少し超えて温度差があった。ストローからクリームソーダを飲んで俺たちをやや呆れたように見ていた。
「なんか知らない曲ばっか、意味わかんない歌詞ばっか」
「いやクリーピーナッツは知ってるだろ」
「そっちかって思ったわ」
「これだからミーハー女は」
得意気にする妹のせいで茨田は不機嫌になってクリームソーダが一気に啜られ無くなった。ドンと机にコップをぶつけて茨田はマイクを持った。
「次あたしの番、歌わせてもらうから!」
「あ、すいませーん。レバニラ炒め届けに来ました」
「頼んでないわ!! 帰れ!!」
「アハハ! すいませんでした!」
ドナルドJD店員が帰っていった。このタイミングで来てショックなはずなのに嬉しそうにまた高笑いして帰っていったところ、やっぱりカラオケって怖い。
それから茨田は気合いのこもった歌を歌う。と思ったらミセスの青春ソングだったり、髭ダンのバラードだったり、YOASOBIのちょっと切ない歌だったり、あとちょっと昔のアイドルの曲とか――――THE・無難。茨田はやっぱりギャルだった。
「あと普通に歌うまい」
「なんか悔しい」
さっきまで盛り上がっていた兄妹も茨田の歌うバラードに心休まり、俺はまた陰キャカラオケ黒歴史病が再発しそうになった。バラードってほんとにうまい人しか歌えない奴じゃん。
「はい、理」
「え?」
歌い終わると茨田は俺にマイクを渡してきた。もう歌う気力がないのだが。これから部屋の角で縮こまろうとしていたのだが。そう受け取ろうとせず俯く俺の口にマイクが刺し込まれる。
「いやポテトじゃなくてマイク!」
俺は無理やり押し付けられるマイクで口を漱ぎながらも茨田を見ると、耳を赤くしてそっぽ向いていた。なるほど、茨田、マイクポテトに気づいてない。
「ちょ、ちょっとしんみりし過ぎたから歌えば?」
「いや、ボボボボじゃなくてマイググググ!」
「え、ポテト食べたい? なんであたしが食べさせなきゃいけない――――あ、ごめん」
マイクの味はちょっとだけ甘かった。ちょうどクリームソーダみたいな――――ってことは!!ちょっと胸が高鳴ってきたので俺は満を持してマイクを担いでアフロとチェンソーを装着、パネルを動かす――――ん? なんかタッチパッドに青い穴開いてる? まぁいいか。よし、ここは最高な曲を歌って茨田にいいとこ見せてやるぞ。
「むむむぅ……一応私が彼女なのに」
「我が妹、あれをやるぞ。見ているがいい」
「むむ!!」
妹の締まった様子を見て茨田も少し期待してくれているようだ。散々下手だといわれた俺だが、ここ一番、今のテンションなら最高の歌唱ができる気がする。そして選曲もこの大一番、これでキメる。
そうしてモニターにMVが映った途端に爆音のイントロが流れた。やはり俺が歌うのはロック。しかし今回は一味違う。
「ビー--ビー--ビ--、あんどのっとはーど!!」
「何言ってるかわかんねぇ……」
「ビー--!!」
ほとんどピー音が入るような歌詞、芸術的すぎるMV。あまりのこのハイセンスに茨田も固まっている。加えて俺の歌唱力もあるか。あるのか? よし、次もマリリンマンソンでいこう。次は1996を歌おう。
「よし、じゃあ検索っと」
「はいはい、交代交代! 次、妹」
「え、もう一曲くらい聞きたいんじゃないのか?」
「そんなわけないでしょ。あたしはミーハーだから」
「これだからミーハー女は」
「もうそれでいいから交代して」
そこまで懇願されたら仕方がない。
と今度は妹が歌ったのだが、さすが我が妹八十八ヵ所巡礼を歌ゐ始めた。たびたび俺にアイコンタクトしながら妹は金属探知機を振り回す。
「ああ、やっぱダメだったわ」
陽キャ陰キャというが、所詮は数の話ではなかろうか。茨田はこのサイケデリックホラーハードロック兄妹に囲まれてまるで中学文化祭打ち上げでの理のように黙っている。ポップソングもその場の好き嫌いでしかないのではないか。とはいえ攻めすぎた選曲ばかりでは友情関係も崩壊しそうである。
「はい、もういいわ。こうなったらあたしも自分の好きな曲ばっか歌うから」
「あ、すいません。イカ二貫届けに来ました」
「頼んでないわよ!」
「アハハ! すいませんでした!」
カラオケに寿司なんてあったのか。あとイカ二貫ってちょっとネタが古くないか。音声認識機能でモニターには勝手に当時のヒットソングが表示された。こんな機能があったのか。やっぱり古いな。
「ゆーあーたいあーど!!」
妹がそう叫ぶとドナルドJDはカウンターへ送還されました。
それからは鬱憤が貯まっていたのか、茨田もなかなかの激しい曲を歌って部屋は大盛り上がり。みんなでチェインソーを振り回して努力未来ビューティフル米津をした。そしたらドナルドJDがゴミ収集車で突入してきて、俺たちはぶっ飛ばされた。
やがて陰キャは朽ち果てる。本気になった茨田の体力は底なしだった。茨田は色々と歌い続ける。普段はとても静かな陰キャはこういうときについていけず、だんだんとテンションも保てなくなってきて、気怠くなってきた。俺、なんでカラオケにいるの? カラオケ怖い。
「ピピピピ」
「あ、電話だ」
「ピピピピ」
「……どうしよう」
「ピピピピ!」
「怖い!!」
「ピピピピピ!!!」
「やっぱ出れない」
「はよ出ろや!!」
人見知りを発動させていたら茨田にマイクお墨付きの大音量の怒号を飛ばされ、肩が瞬間的に天井へ飛び出すほどにびっくりした。そのあまり反射的に俺は受話器を取ってしまった。
「もしもし……?」
「そろそろ時間です。延長なさいますか」
「えっと、うっと、おっと……」
ガビガビと肩を震わせつつその判断を茨田に仰ぐ。茨田は何故か笑いをこらえて「ヤクザと電話してんの?」と俺に返した。そうじゃないのはわかっているのだけど、どうしても知らない人と話そうとすると緊張するのが性なのだ。一方で妹は「お兄ちゃん頑張れ!」と期待を込めて応援するような眼差しを俺に向けている。ちょっとだけ勇気出たかも。
「よし、寿司五百人前で」
「ええ? いえ、延長するかどうか」
「いいから寿司持ってこい!!!」
バタン。受話器を叩きつけて戻し、俺は妹と茨田のほうへ振り返る。まるで地球を滅亡させる隕石を爆破して家族の下へ戻ってきた英雄のような顔つきで。
「理アホなの?」
「五百人前も食べられないよ」
あ、やってしまった。
やはり苦手過ぎるものはどうしても苦手過ぎるので、次からは二人に任せよう。そう反省しつつ、俺は再び座って地蔵のごとく固まった。固まってギョロリと茨田の歌う姿を見えていた。
「理、さっきから怖いんだけど」
「……」
「お兄ちゃん、タンバリン振ろう?」
「フリフリ」
「真顔で振られてもやっぱ怖いんだけど」
トントントン――茨田の引きにさらに怖気て石になっていたら俺の代わりにドアが泣き喚きました。泣きたいのはこっちのほうだ、ラフメイカー冗談じゃない。そう思いながらも妹が扉を開け、入ってくる店員をギョロリと見て繕う。茨田と妹でもない他人にこのような態度を取っては驚かせてしまうだろうと心の中では申し訳なく思っていた――――が、驚いていたのはこっちのほうだった。
「よいしょっと。お待たせしました。お寿司五百人前……は無理でしたので、マグロ一匹持ってきました。今から捌いて握りますから好きに食べてくださいね」
机を覆い隠したのは取れたてピチピチのマグロ一匹。また女店員も大きな包丁を持ってやる気満々の様子――――あれ? マグロに気を取られて気付かなかったけど、この店員?
「久しぶりだね、浦嶋君」
どうして俺の名前を知っているのか。カラオケで名前書いたときもフカヒレタレ太郎って偽名を使ったのに。俺はその衝撃と共にすぐに机に置かれたマグロ一匹からその透明感のある綺麗な腕を辿って――こちらへ風に吹かれてやってきた、暖かい香りから向日葵の花を見つけるように――やわらかく微笑む霞京子と目が合った。
なんでここにいるのか。どうしてこうも優しい顔をするのか。でもこんな心臓を撃ち抜くような驚きと暖かく包み込むような疑問は、どうしても吸い込まれてしまう彼女の魅力に一瞬で薄く霞んでいった。まるで時間が止まったように俺は彼女をずっと見ていた。
「なんか見つめ合ってるけど、あの綺麗な店員さん、知り合いなの?」
「なんで霞京子がここにいんの? いや、答えなくていいわ。さっさとそれ置いて帰れよ。ってマグロ!? でも帰れよ」
「ふふ」
茨田は眉間にしわを寄せかなり怒っている。バチバチに霞京子を威圧してさっさと部屋から出てけと脅している。そこまでの気迫をぶつけられながらもやはり霞京子は学校で見る時とは変わらず、いや学校の時よりも一段と余裕がある気品だ。あと――――可愛い。普段はあまり笑わない固い感じなのに、ここでは接客だからか柔らかい彼女がここにあって、もう堪らない。いや、可愛いだけじゃない。
「ねぇ、お兄ちゃん?」
妹は知らない。他の部屋の客も知らない。今この空間ではきっと俺が一番彼女のことを知っている。この絶世の美少女のことを知っているのは俺だけ。この特別感、そして霞京子も俺のことを知っているような――疑似的な秘密の関係がここにあって心が擽られてしまう。頬の輪郭が蕩けてしまいそうだ。
「あたしも知ってんだけど」
「じゃあ捌くね、浦嶋君」
「あ、うん。うん? 捌く? あ、捌くのか」
霞京子に夢中になっていてマグロのこと忘れてた。霞京子は腕をまくると手際よくマグロに刃物を入れていく。さすが霞京子、マグロだって捌ける。うん、なんでマグロがあるんだ? まぁいいか。
「これが大トロ、中トロ、トロです」と慣れた様子で紹介すると、俺と妹はもちろん茨田もギャル魂を刺激されてたのか一緒に拍手していた。してから茨田は「違う!」と恥ずかしげにツッコんだ。
「握っていくけれどどれがいい?」
「じーっ」
一方で妹もまだ不信感はあるようだ。先程はあまりの解体ショーに魅了されて忘れていたようだが、ハッと思い出して改めて霞京子を睨んでいる。内心はお兄ちゃんに近づく女だと警戒しているに違いない。でも涎が垂れているぞ。
「妹さん、どれにする?」
「え、えっと」
「遠慮しなくていいからね」
そんな妹に霞京子は優しく声を掛ける。すると妹の涎が引いては戻ってとまるでヨーヨーのように揺らぎ始めた。あの小動物の威嚇するような目もだんだんと和らいでいく。おい、それでいいのか我が妹。俺は厳しい目を若干向ける。妹も気付いてハッと持ち直すだが――――
「はい、これどうぞ」
「わーい! 大トロだー! もぐもぐ――――美味しい!!」
「もっと食べていいからね」
「やったー!」
はい。妹はお兄ちゃんよりも食べ物のほうが大事なようです。別に霞京子だからいいけど、ちょっと幻滅してしまうぞ我が妹。
「はい、浦嶋君もほら」
「わーい! 大トロだー! もぐもぐ――――美味しい!!」
「沢山あるからね」
「うっひゃー!!」
許そう。寛容でないのならきっとそれはお兄ちゃんじゃない。あと普通に美味しすぎる寿司が悪い。責任を取るべきなのは漁業関係者と寿司。俺は悪くない。
「あんたら、ちゃんとしなよ」
「ちゃんとしたら寿司が食べられなくなるのならもう適当でいい!」
「寿司が悪いんだー!」
ちょっと離れたところで注意する茨田も気にせず椀子そばのごとく俺と妹は寿司を食らう。霞京子は「どんどん食べて」と微笑みながら高速で寿司を握って出す。そのスピードはきっとギリギリ見逃さないくらい手刀くらい。
「妹さん、ほら頬にお米がついてるよ」
「え?」
霞京子は優しくそう言って妹の頬についてた米粒を取った。妹はとても驚いた様子で口を開けたまま霞京子の顔を見て固まった。それで霞京子が「どうしたの?」とまた微笑むと妹は赤らんで目を逸らし、静かに寿司を食べなおした。なんかちょっと羨ましい。俺も米粒つけちゃおうかな。よし、付けよう。
「あ、浦嶋君もついてるよ。とってあげる」
「ホッホッ!」
やった。霞京子の柔らかな人差し指が俺の頬へ、頬も嬉しくなってホッフホッフと踊り始めてる。意思と無関係に動くなんて反乱だが、今だけは許そう。というか俺も踊りたい。
だんだんと近づく霞京子の人差し指は、今まで触れたことのない神秘。麗しい妖精と手を繋ぐような幻想的な瞬間。あの霞京子とこんな風にしてもらえるなんて――――俺は明日死ぬのか?
「すいません、注文が多くて、手伝ってくれると助かります」
「あ」
麗しい妖精は死んだ。スナイパーライフルの容赦ない弾丸の一言が射抜いたのだ。霞京子はその悪魔の囁きに抗うことなく可憐なままお淑やかなままに指をしまって、色々と片付けを始めた。
「ごめんね。もう少し浦嶋君と遊びたかったけど、戻らないと」
「いや、気にしなくても」
過ぎ去ろうとする夢に俺は常識的にふるまうが、内心の葛藤は凄まじいもので、半ば現実への憎悪と若干の妹への羨ましさに悶えていた。あと茨田のちょっとだけ嬉しそうにニヤニヤするのにイラっときた。
「じゃあまたね」
「あ、うん」
「お姉ちゃん、またね~」
「うん、茨田さんも」
「さっさと帰れよ」
「辛辣クソババア」
「こ○すぞ、クソガキ」
霞京子は解体包丁とマグロの骨を担いで部屋を去っていった。そのドアが閉まる一瞬、彼女と目があった気がした――――いや、気のせいか。
茨田は大きく欠伸をすると
「なんかもう疲れたし、帰らない?」
といって、マイクやタンバリンなどを片付け始めた。問い掛けたくせに帰る気満々なところはさすが茨田であるが、正直帰りたいので俺もチェンソーをしまった。なお妹はだいぶ騒いだり食べたのですっかり寝てしまった。涎を垂らして「お肉はA8がいい~」なんて寝言を言っている。
そんなお肉は多分ない。と、起こすのも面倒なので妹をおんぶする。
「あ、肩に涎が」
「ほんと子供っぽいな、お前の妹」
えいえい、とここぞとばかりに茨田は妹の柔らかい頬を突いたり抓ったりして遊ぶ。あまり弄っても起きてしまうからと俺が少し止めると茨田は「じゃあこの辺で勘弁しとくか」と最後に妹の鼻だけ突いてやめた。が、その時に鼻水がついてふざけんなと勝手に不機嫌になった。
「やっぱA9~」
「ねえよ」
長い長い一日が終る。外に出るとすでに烏が夕暮れへ鳴いていた。セミも少し静かになって町路には部活終わりの学生らがわいわいと自転車を押していたり、仕事終わりのサラリーマンが涼しい風に夏を香るように帰路を辿っていた。
俺は妹を背負ったまま、茨田と静かに道を歩く。およそ二週間くらいの夏期講習、なんだかんだ一緒に帰っていた。この道も今日で終わり。ちょっとだけ寂しい気もする――――のは俺だけのようだ。隣りからはクスクスと笑い声が。
「うわ、理、なに白けた顔してんの? え~もしかして寂しいの?」
また意地悪に俺を弄ぶ眼差しを向ける。そんなことをされるとちょっとムズムズしてきちゃうぞい。
思わず地面に寝転がって懇願しそうになった。妹がいるからなんとか堪えた。こうなるとふざけて答えるのも無理なので、素直に答えてみるよりない。
「正直、寂しい。もっと茨田とデートしたかったな」
「……お、おう」
何か苦いものを食べたような気持ち悪そうな顔をされた。気まずい。距離感って大事。本音と建て前って大事。俺は陰キャ。あとは引きこもってゲームするだけ。よし、今のことは無かったことにしよう。話題をとりあえず変えよう。でも何にもないな。俺には何にもないな。
気負いしつつ地面に網目状の地響きが立ってできたような床に俯いて歩いていると、夕焼け模様の橙色に少しばかり顔の色を隠して茨田は言った。
「だ、だったらさ~また、どっかいく? 今度は二人きりで」
声もまた裏返えって、少し震えていた。らしくない茨田の声に反応が遅れて、俺は改めてその顔に目を向けた。聞き間違いだったかと、けどちょうど薄雲の日陰に入って、茨田がじーっとちょっとだけ頬を赤くして照れたように俺を見ていたのがわかった。
また何か弄んでくれるに違いない。俺は再び地面に寝転びたくなったけど、いや、その瞳はいつもの意味ありげなものとは異なった、普通の少女の素直な気持ち――――つまり嘘じゃない。これは来てるのか? 来てるんだ! 俺は意気込んだ。勇気をもって答えた。
「じゃあジャパンスネークセンターで―――-」
「嘘嘘、冗談に決まってるでしょ。あれ、もしかして本気にした? てかあたし、ヘビ苦手だから無理だわ」
真面目な顔に煽られたのか、茨田は笑って誤魔化す。俺の前々からの思案、JFCは笑い飛ばされうねうねと空風に舞い上がると雲をかき乱した。陰は霞み、蜜柑色の光がまた照らした。けども今は隠しきれないほどに茨田はまじまじと俺を見つめている。飾っただけの言葉はむしろ綺麗に彼女を映し出して、俺の心を掴んで離さない。あれ、もうここで終っても――――
「痛い!」
鈍重な一撃が後頭部に。回らぬ首をどうにか回し、確認すれば林檎のように頬を膨らます妹の顔があった。わずかに白い頬からは嫉妬ゆえの味気なさが見て取れた。せっかくいい雰囲気だったのに、と少し睨んだら今度は涙目でポカポカされた。痛い痛い、が、これはもう堪らない。妹の健気な姿にお兄ちゃんはもう堪らない。
「お兄ちゃんのばか~!」
「むふむふふ……」
「なんで笑ってんの?」
「茨田、妹って最高だぜ」
「何言ってんの? キモ」
「オババはデストロイ~」
「だれがオババだって!」
「お兄ちゃん怖~い」
「我が妹、ご褒美だぞ」
「もう、下ろして」
「はい」
それから夕日の肌を溶けた冷凍ミカンの水滴がなぞるように滴って、それが月の輪をなぞる前に茨田と別れた。帰り際もずっと妹と茨田は喧嘩をして止まず、烏も呆れて吠えていたが、俺は烏にお前はわかってないぞと逆にアホと罵ったら頭をドシドシと突かれたのは置いておいて、どうにも今年の夏は賑やかだなと、ぷくぷくする妹と家に帰りました。
「ぷくぷく」
「もうちょっと夏期講習あってもよかったな」
「ぶぐぶぐ!!」
――あとがき――
気付いたらめっちゃ長くなってた。あれ、もう十一月? そんな馬鹿な。
なんだかんだ勢いで書いている節があるので、今回もそんな感じで。ちゃんと起承転結でやってきたいなと思ってるんですが、とりあえずこのメンバーでショッピングモール行かせたらどうなんだろ?っていう実験感覚と好奇心でやっちゃいました。だから起しか計画されてないのでした。
次回はふざけた回をやろうかと思います。今年の夏にあったあの話題をちょっとだけ絡めて。できなかったら夏祭りします。
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