生きたい青年と死にたくない少女
里予木一
第1話:僕と来い
「君が、噂のテロリストか」
炎の中に佇む、一人の少女。その手には血に濡れた二振りの短剣。そして、周囲には倒れ伏す兵士たち。
「――邪魔をしないでください」
少女は、炎に煽られ揺れる癖の強い黒髪を気にも留めず、虚ろな目でこちらを見た。
「僕も危険なことはしたくないんだけどね。一応この町を守らなきゃならない立場でさ。通すわけにはいかないんだ」
エレンは言いながら、腰に下げたサーベルを抜いた。彼の周囲には部下である兵士が何人かいたが、手を出さないようにと指示を出す。
「じゃあ……死んで!」
驚異的な速さで、一気にエレンの懐へと少女は踏み込んできた。よく見ると、うっすら全身が赤く光っている。
「――限界突破の魔術か。テロリストのよく使わせる手だ」
肉体の限界を超えての活動を可能とする術式だが、使い過ぎれば肉体と精神に異常をきたす。普通の騎士や魔術士ならまず使わない。使うのは少女のような使い捨ての道具だけだ。
「黙れっ!」
間髪入れず、短剣での斬撃がエレンを襲う。防戦一方ではあるが、彼はすべてを防ぎきっていた。それだけ元の技量に差があるということだ。そもそも、少女とエレンは体格も違う。エレンは細身ではあるが、成人男性の平均程度の身長はある。一方少女は、小柄で華奢、という表現が当てはまる体躯だった。
「あまり使わないほうがいい。――僕は良く知っているけど、身体に悪いよ?」
「うるさい、うるさいうるさいっ!」
この魔術の使用中は、感情面にも悪影響が出る。このまま続ければ、少女が無事でいられる保証はない。
――仕方がないな、やりたくはないんだけど。
エレンは、周囲の兵士たちに気づかれない程度に抑えつつ、自らも『限界突破』を使う。
突然加速したエレンの動きに、少女は全くついていけていない。そのままエレンは、少女の鳩尾にサーベルの柄を突き入れ、昏倒させた。
「誰かこの子、牢屋に運んでおいて。残りは消火活動の手伝いを」
兵士たちに指示を出し、エレンは仮初の屋敷に戻る。――自身が影武者を務める、貴族の跡取りへ、状況を報告するために。
◆◇◆◇◆◇
自身と同じ顔をした青年に簡単な報告を済ませた後、エレンは牢屋へと向かっていた。あの少女のことが、なんとなく気になったのだ。
「やあ、さっきの子、いる?」
「え、エレンさん! は、はいおりますが、これからその、尋問をしようかと」
「あーそれ、僕が代わるからいいよ。あと一応――変なことしたら、どうなるかわかってるね?」
明らかに焦った態度で頷く牢屋番の兵士。若い少女のテロリストに、良からぬことを企んだのだろう。再度視線で釘を刺しつつ、少女が捕らえられている牢屋の鍵と、少女が持っていた荷物を受け取り、その場所へ向かう。
少女は、両手両足を拘束され、口も塞がれていた。魔術の発動を防ぐためだろう。エレンは無造作に鍵を開けると、少女に近づき、口元を自由にした。
「……何の用」
「やあ、ちょっと話がしたくてね。……君、名前は?」
無言。仕方なくエレンは少女の持ち物を探る。短剣、お金、いくつかの薬品、それから――一冊のノート。
「――それに、触らないでください」
「どれどれ?」
少女を無視して、エレンはノートの頁をめくる。そこに描かれていたのは――予想に反し、美しい風景だった。テロリストという肩書には似つかわしくない、精緻で、美しく、どこか寂しい景色たち。エレンは、その絵に心を打たれた。
「――上手だね」
「黙ってください」
ノートを閉じ、エレンは少女を正面から眺める。癖のある、肩口までの黒髪。同じく黒い瞳。十五歳前後だろうか。細く、小柄だ。栄養状態はあまり良くないように見える。
「もう一度聞くけど、名前は?」
「……レノア」
「ありがとう。レノア、僕はエレン」
「知ってますよ。――偽物野郎、ですよね?」
嘲るように、レノアは言う。
「エレン=クレイス。クレイス家の跡取り息子。その、影武者。なんだったらここで大声出してみんなに知らせてもいいんですけど?」
「驚いた。テロリストの情報網も侮れないね」
クレイス家の跡取りは、騎士としてこの町を守る役割を経験する慣例だった。だが跡取り息子のエレンは武芸が苦手で、この役割を拒否。結果として、武芸に秀でた『彼』が、影武者として選ばれた。体格が近ければ、顔は魔術で変えられる。そのため今は、エレン本人と全く同じ顔をしている。
「大声を出したければそうするといい。テロリストの言葉なんて誰も信じないよ。……それより、本当なら僕は君を尋問なり拷問なりして、情報を聞き出さないとならないんだけどね」
少女の目に微かな怯えが宿る。やはり、精神的肉体的な未熟さが見て取れた。それだけ、テロリストに人員がいないのだろう。
「まぁ既に、他のテロリストから情報は聞き出してるらしいからさ、わざわざ女の子いたぶる趣味もないし、今日のところはこれで退散するよ」
一方的にそう告げて、エレンは牢屋を出ていく。特に口を塞ぐことはしなかった。手足の拘束も牢屋も、基本的には魔術を防ぐ力を持っているからあえて警戒するほどではないと思ったからだ。──苦しそうな少女の様子に、憐れみを覚えたのも事実ではあるけれど。
レノアはこちらと目も合わさず、牢屋の窓を見つめていた。
◆◇◆◇◆◇
それから数日、エレンは時間を見つけてはレノアの元を訪れていた。最初は目も合わせてくれない状況だったが、少しずつ、簡単な受け答えはしてくれるようになっていった。
とりわけ、レノアの過去のことを聞いた時、口は重かった。だが、話し始めると、堰を切ったような勢いで言葉が溢れてきた。それだけ、色々な想いを抱えているのだろう。
「――私は、ずっと住むところもなく、毎日盗みやゴミ漁りをして生きてきました。そんな子供がたくさんいる場所でしたから」
「ある日、怪しい連中が来て、衣食住を保証するから、一緒に来いと言ったんです。限界だった私たちは、疑いつつもついていきました。――馬鹿みたいですよね。衣食住は保証されていても、命は保証されていなかったのに」
自嘲の笑みを浮かべて、レノアは言った。
「一緒にいた子供たちは一人を残してみんな訓練や実験で死にました。ずっと一緒にいた子も……最近任務に行って、帰ってきませんでした。何も残すことなく、ただ、死んでいく。――私たちはいったい、何のために生まれたの……?」
エレンは、何も言わず、少女の手を取って、自らの手を重ねた。
◆◇◆◇◆◇
「では、特に真新しい情報はないと?」
騎士団の上司にレノアの尋問結果を報告する。実際は雑談しかしていないので当然ではあるが。
「ええ、他のテロリストどもと同じです。これ以上尋問しても仕方ないと思いますよ」
「そうか……まぁいいだろう。あんな小娘が重要情報を持っているとも思えないし、どうせ、明日までの命だ」
「明日? ……処刑ですか?」
「見せしめと警告だよ。今回のテロリストどもは揃って年若い未熟な連中ばかりだったからな。自分たちの末路を見れば、思いとどまる連中もいるかもしれない」
「それは――」
──彼女たちも、被害者だろうに。
呟きは虚空にかき消えた。所詮は偽物の戯言だ。ある程度の立場の人間は、エレンの正体を知っている。彼が何を言ったところで、誰も取り合ってなどくれない。
「明日はお前が少女を連れて来い」
──似たもの同士、お似合いだろう。という言葉が、聞こえた気がした。エレンも元々貧民街の出身で、一つ道が違えば、彼らのようなテロリストになっていたかもしれない。
「わかりました。彼女は僕が連れて行きますよ」
◆◇◆◇◆◇
「あれ、エレンさんまた来たんですか?」
上司への報告の後、エレンは再び牢屋を訪れていた。──少女に、どうしても伝えたいことがあったからだ。
「ちょっと追加で確認したいことがあってね……あぁ、もしかしたら少しうるさいかもしれないから、ちょっと出ててもらっていいかな?」
「へへ、なんだそういうことですか。わかりました、ごゆっくり」
兵士は勝手に勘違いして出て行った。牢屋は幾つもあり、レノアが収容されているのは奧になる。エレンは足音を殺して、レノアの牢へ向かった。
──声が、聞こえる。啜り泣くような、声が。
「死にたくないよぉ……いやだよ……」
声の出所を探るまでもなかった。
エレンは、いつものように鍵を開け、涙を流すレノアを抱きしめた。
「――レノア、君は、明日殺される」
びくり、と少女は震えた。
「僕が、ここから出してやる。だから――僕と来い」
「……何、を?」
エレンは、自らの行動と言葉に驚いていた。いつものように放っておけばいい。自分が生き残るために、こんな行為は何の得にもならない。
なのに、なぜだろう。少女を救いたいという気持ちで溢れていた。いつからだろう。――少女の嗚咽を聞いたときか。過去の話を聞いたときか、いや、それはきっとあの絵を見たときだ。一人の少女の、微かな願いを、目にしたとき。
「あの絵の景色を見に――一緒に行こう」
少女の見た、尊い夢を、叶えに行こう。
◆◇◆◇◆◇
エレンは、レノアを連れ、牢を出た。外の兵士を気絶させ、人目につかないように、馬を盗み、少女を乗せて、走り出す。既に荷造りはしてあった。
「なんで、こんなバカなこと……」
レノアはまだ、半信半疑のようだ。
「そうだね、僕もそう思う。でもさ、こんな未来があっても、いいと思うんだ」
ずっと、苦しんできた。自分を殺して、生きてきた。そんな二人が、少しばかり自由に生きる道を、どうか。
「まずはこの顔にかかった魔術を解かないとなぁ」
「あ、顔違うんでしたっけ……」
「そう。あ、君、この顔好きだった? だったらそのままにしておこうかな」
「――嫌い、軽薄で、胡散臭い」
「ひどい言われようだ」
笑いながら、夜明けの道を走る。
「――綺麗、ですね」
朝日に照らされた景色は、今までと全く違って見えた。
「そうだね。でもきっと、これが当たり前になる」
「……そういえば、あなたの本当の名前は? エレンは貴族の名前でしょう?」
「ああ、そうだね――君も、もしかしたらその名前、コードネームとかじゃないのかな?」
「はい。だから、あなたが本当の名前を教えてくれたら、私も教えてあげます」
「いいよ。じゃあ同時に言おうか」
二人が同時に口を開いて、笑いあった。
『――――』
今までの、偽物だった日々は終わり。本当の名前で、青年と少女は、生きていく。
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水星の魔女の20話を見て衝動的に書いた作品でした。
もし彼らの物語をもっと見たいと思った方がいましたら、星やハート、コメントを頂けると嬉しいです。
生きたい青年と死にたくない少女 里予木一 @shitosama
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