遺伝子で繋がれない私たちは

りつりん

遺伝子で繋がれない私たちは

 私、瑠々と、私の恋人である璃々。

 私たちは日ごとに体の使わない部位を決めている。

 今日、私は右手を使えない。

 今日、璃々は左目を使えない。

「はい、瑠々、あーん」

 昼休み。

 私と机を挟んで反対側に座る璃々が、箸で摘まんだ卵焼きを私の口に運んできた。

「ん」

 私もそれに応じて口を小さく開ける。

 私の口はそこまで大きくない。

 加えてそこまで大きく開けることもできない。

「おいしい。やっぱり璃々の作る卵焼きは絶品ね」

「ふふ。ありがと。瑠々にそこまで喜んでもらえると朝早く起きた甲斐があるってものだわ」

 でも私の口の大きさを把握している璃々はもちろん卵焼きを適当な大きさにして口に運んでくれる。

 その優しさも相まって彼女の作った卵焼きは一層に美味しく感じる。

 味付けも私好みの塩味強め、硬め、ネギ入りなのも加点要素。

「右手が使えない日は幸せ。璃々からこうしていっぱいの愛をもらえるんだもの」

「私はさすがに目が見えないのは不便かな。もちろん瑠々が左側に引っ付いて歩いたりしてくれるからそれはそれで嬉しいんだけど、どうしても瑠々の姿を見れない時間が長いからそこは不満」

 璃々は言って、唇を尖らせる。

 窓から入り込む夏の日差しが彼女の唇でふるんと跳ねる。

 私はその唇を見て微かに頬を緩める。

「いいじゃない、明日は私が右目使えないんだし」

「まあそれはそうだけど」

「ん」

 卵焼きを咀嚼し喉を通した私は次のおかずを要求する。

「はいはい」

 私たちは日ごとに体の使わない部位を決めている。

 これから先、どれほど私たちの心が深く繋がったとしても、一般的な男女と同じように遺伝子で繋がることはない。 

 できない。

 私たちはそれが悔しかった。

 これほど愛を与えあっているのに生物学的な理由で私たちは愛の結晶を産み落とすことができない。

 適当に愛し合ったとしても、男女であるなら容易に遺伝子で繋がることができる。

 でも私たちにはそれができない。

 遺伝子で繋がることができない。

 そうであるからこそ、私たちは自分たちの体を分かつことで、分身となることで心を互いの体に宿すことに決めた。

 そう、誓い合った。 

 そうすることで心と関係はより一層深く満たされていった。

 笑顔も増えた。

 互いの体になることでこれまで満たされていなかった心の隙間が気持ちがいいほどに満たされていった。

 このままこの幸せが続いていく。

 二人で作り出した幸せの形が続いていく。

 そう信じて疑わなかった。

 なのに、璃々がある日突然体を分かつことを止めた。

「どうして止めるの?」

 私の涙は璃々の体に落ちる。

 なのに璃々は私を無視をする。

 とても冷たく無視をする。

「璃々、置いていかないで」

 私は私を無視する璃々の頬を撫でる。

 既に熱を失った頬から伝わる冷たさが璃々を失ったことを実感させる。

 二人で体を分かつと決めてから数十年。

 私たちは一日も欠かすことなく互いの一部であり続けた。

 しかし老いはそんな私たちの時間を容赦なく奪っていった。

 残された私はただただ死した璃々を見つめることしかできなかった。

 そして璃々が灰へと変わった日。

 私は数十年ぶりに一人で自身の体の全てを動かした。

「ああ……」

 その瞬間、気づく。

 私の細部に璃々が宿っていることに。

 幾度も璃々に委ねた体は璃々のように動いている。

 私の箸をもつ指、体を支える足、少しだけぼやけ始めた視界。

 その全てに璃々がいた。

 私は頬を伝う涙を拭うことなく卵焼きを口に運ぶ。

 その大きさに、その味に、その中身に、璃々の愛が溶け込んでいた。

 私は残り短い人生を全うする。

 遺伝子で繋がれなかった私たちは、死によってようやく一つになれたのだから。

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遺伝子で繋がれない私たちは りつりん @shibarakufutsuka

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