女子高校生はなぜ短歌を詠むのか(2)

 「かわいいあい」の文字を後ろから削っていく。

 すると、「かわい」のところで、予測変換に「かわいさ余って憎さ百倍」と出た。

 あんまりだ!

 愛に「憎さ百倍」なんてことはありえない!

 愛はかわいいから。

 かわいい愛を憎むなんてあり得ない。


 あり得ないかわいい愛を憎むなど一瞬だってあるはずもない

 あり得ないかわいい愛を憎むなんて一パーセントもあるはずもない


 いや。

 「憎む」なんてネガティブな感情の文字は最初から入れないほうがいい。

 もっとポジティブに行こう。

 かわいさ余って「憎さ」百倍、だからいけないのだ。

 「憎さ」に何か代入してみる。

 理系女子なのだから。


 愛らしいかわいい愛のかわいさがかわいさ余ってかわいさ百倍


 百倍、ったって、常用じょうよう対数たいすうにすれば「2」だ。

 たいしたことはない。


 足りないよ常用対数2ぐらいでは無限大だよ愛のかわいさ


 ……って。

 「無限大」で、ときめかない。「無限大」を、「ふーん、無限大」とかしか感じなくなってしまうのは、理系の損なところだね。

 「無限大」に「発散はっさん」してしまうとそこで計算が終わるし、式の途中に「無限大」が出て来ても計算結果はたいした数ではない、とかもふつうだから。

 うーん。

 理系がさがさ女子が考えることって、こんなのだからなぁ。

 それより、と、ふと千枝美は思いついた。


 愛らしいかわいい愛のかわいさがかわいさ余って愛が百倍

 愛らしいかわいい愛のかわいさが愛が余ってかわいさ百倍


 いや。

 愛が「余る」と困る。

 愛は「余すところなく」存在しないといけない。


 この世には余すところなく愛があり愛みちあふれ愛らしい愛


 愛。

 愛。

 この世に愛がいっぱいいたらどうだろう?

 千枝美ちえみはそれでも困らない。

 愛だって、性格がおっとりしてるから、ほかに自分と同じ愛がいても嫉妬しっとしたりはしないだろう。

 だったら。


 愛らしいかわいい愛がいっぱいで愛が余ってかわいさ百倍


 いや。


 愛らしいかわいい愛がいっぱいでかわいさ余って愛が百倍


 それもいいけど、「愛らしくかわいい」というのはどうだろう。

 「愛らしくてかわいい」のか、「かわいい」のあり方が「愛らしい」のか。

 だとしたら、「愛らしくかわいい愛は愛らしい」という言いかたができる。

 愛の人数も。

 まあ、常用対数2ぐらいでちょうどかな。

 千にしても常用対数が3、一万にしても4で、たいして変わらないから。


 愛のかわいさと愛らしさを短歌にしようとやってみる。

 ことばを探し、音数を整え。

 それだけで愛への愛しさの気もちが高まって行く。

 もしかして、短歌を作るのって、そのためじゃないの?

 恋の短歌、怒りの短歌、悲しみの短歌、一つのことばでは言い表せない感情をうたった短歌……。

 感情が大きくなって、その感情と自分が向き合う。

 それが、短歌ならば。

 千枝美は、決めた。


 【科学部】


 愛らしくかわいい愛は愛らしいかわいさ余って愛が百倍


 千枝美 


 (おわり)

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十番歌あわせ! ― 明珠女学館第一高校 八重垣会 vs 古典文芸部 清瀬 六朗 @r_kiyose

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