第3話 プライド。
プライドが高いことが、悪いことだとは思わない。ただし、そのプライドには根拠になり得るような努力や結果が必要だとも思う。だから、私が本当に打ち込みたいと思ったことや、大切にしたいと思うようなことには、自分の持てる意欲や感情を注げるだけ注ぐ。それが私の存在証明でもあった。
時に、話は去年十二月まで遡る。
一話の冒頭で述べているように、私たちは一度、短期間ではあるが破局している。もともと十月頃から私たちの中は芳しいものではなかった。年末に向けてイベントや催し物が多く、すれ違いが続いた。奴から私への思いやりのある言動を求めて、わざと試すようなことを言ってみたりもした。ただ、そんなことが続けば、誰しも疲弊していくものだ。もうこのまま別れるのかもしれない、それでいいかもしれない。私はそんな風に思っていた。
しかし、十二月中旬頃、その言葉はあっけなく奴に告げられた。
『ごめん、なんか、もう好きじゃないかも』
『昨日までは普通だったじゃんって思うかもしれないけど、まだ好きかどうか確かめたかった』
『気持ちは変わらない、復縁する気も無い。でも、あんたのこと忘れないし、これからも良かったら仲良くしてね』
一方的にいきなり送られてきたメッセージ。画面の文字の向こう側にある感情を読み取ろうと必死になって何度も読み返した。前日までは本当にいつも通りだったし、なんならいつもよりベタベタしてきた。頭が真っ白になって、眠れなくて、働けなくて、ご飯も食べられなくなった。
あまりにも急すぎて受け入れられなかったので、もともと食事に行く予定だった一週間後までの猶予と、最後に食事に行くことで別れたことにしよう、と伝えた。私としては、その一週間で踏ん切りを付けたかったのだ。ろくに酒も飯も喉を通らない生活になって、初めて自分の気持ちがわかった。
もっとああすれば良かった、こうすれば良かった。
こんな風に伝えれば、お願いすれば、ちゃんと言ってれば。
考えれば考えるほど、頭の中は後悔ばかりでいっぱいになった。別れを切り出されたのが嫌だったからじゃない。私は精一杯やれていなかった。相手に察してほしくて、自分の不満や思ったことを素直に言わず、皮肉を言って試すことばかりした。奴は相当にアホだし鈍感なので、察することなどできるはずもない。その一週間は奴にラインしたりすることはせず、前日にお店の連絡だけして、当日は美容室とネイルサロンに行ってから会った。最後に記憶に残る姿は綺麗にしておきたかったから。努めて平常運転で接するために、直前に缶チューハイを一気飲みして、奴にもきついのを一本やると、同じようにその場で飲み干した。
最後だと思うと、上手く笑えないものだ。全く奴の顔を見ることができずに店に到着し、座敷で向かい合って座って初めて目が合うと、不意に泣きそうになり、思わず視線を知らして誤魔化した。私の努力は実を結んだらしく、いつも通りだね、と言われた。当たり前やん、と応えたとき、自分がどんな顔をしていたのかはわからない。ただ、酷く寂しい気持ちになったのを覚えている。
本当は、付き合っていたときの思い出話がしたかった。あれは楽しかったねとか、あのときは大変だった、とか。そうすれば、この感情も過去のものになって、いい思い出になるかもしれない。でも、相手の顔も見れないのにそんな話ができるわけもなく、普通に食事するだけで二時間が過ぎた。もう二軒目に飲み直しに行くような間柄でもない。午後十一時頃に、次の電車で帰る、と告げた。すると駅に向かおうとする私を呼び止めて、こんなことを言ってきた。
『…あんたはもう俺のこと嫌いかもしれんけど、やっぱり喋ったりご飯食べるのは、俺は楽しい。だから、友達として、これからも時々会ってくれん?』
泣きそうな顔だった。振ったのはお前だろ。何でお前がそんな顔するんだよ。
正直、引き留めてほしかった。自分が間違ってたって言って、もう一回やり直そうって、抱きしめてほしかった。でも、奴は白々しくも私を友達呼ばわりし、今後も都合良く利用しようとするのか。恋しいような気持ちと、怒りと、悲しさと、悔しさ、寂しさが全部ごちゃ混ぜになって、湧き出るように涙が流れた。
『それは無理だよ、友達なんて。だって私たち、友達だったことなんてないじゃん。最初からあんたも私も下心あって近づいたんだから』
涙を見られたくなくて、振り向かずに言った。せめて最後は強い女でいたかった。
『ラインはブロックするから。本当に必要な連絡があればインスタでしてきて。…友達として、なんて言って会おうとか言ってこないでよ』
あんたと別れても楽しそうに笑ってる私をストーリーで見ろ。新しい、お前よりかっこいい彼氏ができて、大切にされて幸せな私を見ろ。そんで、別れなきゃ良かったなって後悔して、思い出して寂しくなれ。どうせお前がこれから付き合うどんな女よりも、私はかわいくて、強くて、面白くて、理解してて、お前が好きだった。精々、逃がした魚は大きかったと悔しがるがいい。
奴は私に、『どうしてお前が俺のこと好きなのかわからない』と言った。
そんなの知るか。こっちが聞きたい。不真面目で、適当で、部屋は汚いし、特別な才能や財力がある訳でもない。でも、例えば、○○してくれるところが好き、と言ったとして、じゃあそれをしてくれなくなったら好きじゃなくなるのか?
条件のいい男なんて探せばキリが無い。出会いがないわけでもないし、ありがたいことにこんな私を好いてくれた人もいた。でも、そんなの関係なかった。私が大切だったのは、たった一人だったから。なぜかはわからない、これと挙げられる特徴があるわけでもない。でも私は、奴が不真面目で、適当で、部屋が汚くても、嫌いになんてならなかった。
一緒にいると楽しくて、安らぎがあって、どこまでも心を許せる。相手を大事にしたい、私も一緒に幸せになりたい。そんな感覚ではだめだろうか。人間のこの感情を細かく定義することなど、一体誰ができるだろう。
とはいえ、食事の翌日も未練たらたら、泣きはらした目で登校した私は散々友達に心配され、絶賛大不調でバイトを休み、ただ涙を流すだけの人形のように部屋に存在するだけだった。
奴から連絡があったのはその翌日。
『ごめん、話がある。今日の夜、バイト終わった後、そっちの家の前で待ってる。勝手でごめん』
やはりそれは復縁の申し出だった。復縁する気は無いって言ってたじゃないか、今更言われても困る、好きって気持ちも信用できない、と言いながらも、心の内では最高に嬉しくて喜んでいた。しかしこれも友達に相談して、これからちゃんと相手に向き合うという覚悟を決めるために、二、三日しっかり考えてから受け入れることにした。どっちにしろこのまま別れるのはあまりにも私にダメージがでかすぎたし、無理して離れることもない。むしろ、こういうことがあったからこそ私は自分の気持ちに気づいて反省したわけだし、これからは今度いつ振られても後悔しないように精一杯やってみようと思った。
奴もバイトに集中できず怒られてばかりで、一人でいるときに写真を見返したり、私が奴の部屋に置いていったものを見ては、どうしてあんなこと言ったんだろう、と後悔していたらしい。本当のところはどうかわからないが、本人に続ける意思があるならそれでよかった。
この一連の出来事があってから、私は本当によく頑張った。まず、不満や不安は包み隠さず伝えるようにして、具体的にこういうところが嫌で、こういう風に直してほしいと付け加えた。飲み会も連絡さえすれば後からグチグチ言うこともないし、同じ趣味を楽しめるように歩み寄った。もちろん私なりの愛情表現も欠かさない。これで他の女が良いとか、一人になりたいなんて言われたら、もう私にはどうすることもできないと思うくらい、やれることはやったつもりだ。
こんな風に、私の「プライド」は出来上がった。一人の人間に真摯に向き合って、同じように相手にも向き合ってもらえる。汚い自尊心かもしれない。打算ありきかもしれない。でも、奴といた時間や思い出は誰にも否定させない。それは間違いなく、私にとって得難く素晴らしいものだったから。
浮気されて私が悔しかったのは、奴が嘘をついていたことや裏切ったことだが、それと同じくらい許せなかったのは、この「プライド」を傷つけたこと。私は自他共に認めるプライドの高い女だ。奴は私のプライドを傷つけ、また自分の行為によって「浮気された女」に私の立場を貶めた。浮気されることが悪いことだと言いたいのではない。私と向き合おうとしない人間に心を許してしまったのだという悔しさが、私の自尊心を傷つけた。
強い女になりたかったのに、振り返ってみれば私は全然強くなかった。
ただ見栄っ張りで強情で、プライドばかりが高くて、そのくせ煩悩に弱い。
こうして文字に起こしていると、自分というものが客観視できて非常に良い。どうしようもない奴に惹かれてしまう私も、やはりどうしようもない奴なのだろう。
彼氏が浮気した。 たろうもも @aile_de_jeune_fille
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