現代の魔女

栄三五

をつづのまじょ

窓の外からパタパタという音がしています。

雨が窓に当たる音です。昨日からずっと、降っています。


お母さんは、倒れたまま起きません。


朝起きたら、お母さんが廊下に倒れていました。

揺すっても起きなくて、隣の家にお祖母ちゃんを呼びに行きました。

お祖母ちゃんが呼んで来たお医者さんは、疲れが原因で眠っているだけだ。ゆっくり休めば治る、と言ってお薬を置いて帰っていきました。


自分の部屋でベッドに寝かされたお母さんは起きません。もうお昼です。

小学校をお休みして、お母さんの部屋で待っているけど、起きません。


雨続きでしばらく窓を閉めたままです。空気を入れ替えようと思って少しだけ窓を開けました。

すると、窓の隙間からカエルが入り込んできました。

カエルはぴょんぴょんと跳ねてお母さんが寝ているベッドの上で止まりました。


捕まえて外に逃がそうとカエルに手を伸ばします。


「このままだとお母さんはずっと寝たままだよ」


カエルから声が聞こえました。いえ、カエルがしゃべりました。


「キミのお母さんはに呪いをかけられたんだ。呪いを消さないと起きないよ」

「最後にはいなくなってしまうよ。


カエルがしゃべったのはびっくりです。

それに、お姉ちゃんが死んでしまったことを知っているのもびっくりです。

でも、カエルはもっとびっくりすることを言いました。

お母さんも、お姉ちゃんと同じようにいなくなってしまう、と。


「どうすれば呪いを消せるの?」


カエルには聞きたいことばかりだけど、まず聞かないといけないのはそれです。

カエルの目がギョロリと動きました。


?」


カエルが確認します。

当たり前です。僕は力強く頷きます。


すると、何かしゃべろうとしたのか、カエルの口が大きく開きました。

大きく開いた口の奥には黒々とした渦が広がっていて何も見えません。

カエルが言葉を発するのを待っていると、カエルの顎に当たる部分がまるで溶けたかのように落ちていきます。口の中の黒い渦がカエルの大きさの何倍にも広がっていき、周りを飲み込んでいきました。


とうとう部屋中が真っ暗になりました。

真っ暗になった部屋で、どこかからカエルの声が響きます。


「目の前に剣が落ちているだろう?」


いつのまにか僕の目の前に剣が落ちていました。

僕でも持てるような小さい剣です。


「キミはこれからその剣でお母さんにかけられた呪いを倒していくんだ。あれをご覧」


カエルがそう言うと、周囲の風景が変わりました。


家の近くの公園です。

お姉ちゃんがまだ生きていた時よく遊びに行きました。


お母さんはお姉ちゃんとまだ小さい僕の二人とを手をつないで公園を歩いています。

どこからか声が聞こえます。


『ほら、あの子じゃない?アイドルになったっていう…』『まだ小学生でしょ?自分で応募しないわよねぇ』『親の金儲けに使われてるんじゃないの?可哀そう』


小学4年生の時、お姉ちゃんは突然アイドルになると言い始めました。

勝手に申し込んで、オーディションを受けて、いつの間にか合格していました。


声が響いた後、僕の目の前に黒いが現れました。

半透明な煙みたいなの周りには、これも半透明な細かいとげみたいなものが付いています。


「あれがだよ。手に持っている剣で切りつけてごらん」


カエルの言う、はふわふわと浮いたままです。

近づいて、えいっ、と切りつけると、は空気に溶けて消えてしまいました。


「おめでとう。お母さんを蝕む呪いが一つ消えたよ。この剣で倒した魔女の ことばいは元々存在しなかったことになるんだ」


カエルは言います。


「さあ、次だよ」


ものすごい音がして耳を塞ぎました。

周りの景色は一面SNSのコメントで埋め尽くされています。

そして、コメントが出ては消える度、次々と、いろんな人の声が聴こえてきます。

聴こえる限りの全てが、全部、アイドルになったお姉ちゃんの悪口です。


小さいがたくさん、地面を埋め尽くすように現れました。

剣をめちゃくちゃに振り回します。

小さいが吹き飛ばされて煙になって消えていきます。

でも、そのたびに別の声が聴こえて、またが出てきます。

何回も、何回も、ずうっと剣を振り回し続けて、ようやく最後のが消えました。


あんなたくさんのことばいがお母さんにもお姉ちゃんにも、届いていたのでしょうか。

剣を振り回して疲れ切って座り込むと、風景が変わりました。


お母さんの部屋です。お父さんもいます。

二人とも喪服を着ています。


『なんで自殺なんて…。どうしてアイドルなんてやらせたんだ!まだ子供だったのに…。なんであののことをちゃんと見てやらなかったんだ!!』


お父さんの声です。この時はまだ一緒に住んでいました。


また、が出てきました。

さっきのより大きい。立ち上がって、剣で真っ二つにします。


が消えると、あたりが真っ暗になり、カチッ、と音がしました。

お姉ちゃんの声です。録音した音声みたいです。


『私がアイドルになろうと思ったのはね、アイドルになったらお父さんとお母さんが私のことを見てくれるようになると思ったから。弟ができて、二人とも私のこと見てくれなくなったから。でも、間違ってた。二人とも私のこと、ずっと見てくれていて、心配してくれていたのに。ごめんね、最後の最後まで気づけなくて。お父さん、お母さん、ありがとう。大好きだよ』


カチッ、という音がして音声が止まりました。

そのあと、すぐさまカチッという音がしてまた同じ音声が流れます。

音声が止まります。すぐに音声が流れます。

何度も、何度も、停止しては再生されます。


「ごめん、ごめんね、あなたのことちゃんと見てあげられなくてごめん。私が母親でごめんね………」


お姉ちゃんの声が小さくなって、お母さんの声が聞こえてきました。

声が震えています。お母さんは、泣きながらずっと謝り続けています。


が現れました。

とっても大きいです。

僕の身長よりずっとずっと大きい。切りつけて倒せるでしょうか?


このからは録音のお姉ちゃんの声が聞こえています。


いえ、そもそも、これは倒していいのでしょうか?お姉ちゃんの声なのに。

お姉ちゃんはお母さんに、大好き、って言ってるのに。


僕が迷っているうちに、が消え、部屋の様子が変わりました。

動いています。

これは、エレベーターです。

真っ暗な部屋が、エレベーターで下の階に行くときみたいに移動している感じがします。


「お願い」


お母さんが、僕の名前を呼びました。


「あなただけは、いなくならないで…」


チーンという音がして、周りが明るくなりました。うちの台所です。

お母さんが電子レンジでおかずを温めていました。

これは、昨日の出来事です。


「今なんて言ったの?」

「僕、大きくなったら俳優になりたい」


学校の劇で、僕は主役をやりました。

それがとても楽しくて、上手くできたので得意になっていたのです。


「ダメよ!絶対にダメ!!」


お母さんが凄い勢いで反対しました。

納得がいかなくて、お母さんと言い合いになりました。


『こんな家にいたくない!もう出て行』


言い切る前に、お母さんの表情を見てしまいました。

お母さんは、手を胸の前に握りしめて、眼を見開いていました。

手と、唇が震えています。


僕は最後まで言い切ることができずに、家を飛び出しました。

外は大雨です。

家の前の川からゴウゴウと水音がしています。


出てきたはいいけど、雨の勢いが思ったより強くて、少し後ずさりします。


傘、持ってません。

でも、今家には戻れない。

それに、スマホも持ったまま。

GPSがついているからどこに行ってもお母さんにバレます。


僕はスマホを河原の方に投げました。そして、隣の家、お祖母ちゃんの家の門を潜って、庭の物置に隠れました。


結局、お祖母ちゃんに見つかるまで、お祖母ちゃんの家の物置に隠れていました。

隠れている間、トタンの物置に雨粒が跳ねて、ずっと、パタパタと音がしていました。



今、僕の周りには、僕が隠れていた間の、お母さんが映っていました。

僕が隠れていた間、お母さんは。

僕のスマホを見つけて、河原でずっと僕を探していました。

雨の中、傘もささず、声を張り上げて、ずっと僕の名前を読んで河原を探し続けていました。




雨が、パタパタと降っています。

真っ暗でどこにあるかもわからない地面に、透明なとげが降っている音です。


とげは僕から出ています。

僕の周りでうようよ動いて、生まれてきたとげとげが上のほうに集まって、どんどん黒い空に昇っていきます。

そして、黒い空から透明なとげが降っています。



お母さんに呪いをかけたのは僕でした。


立ち昇るとげを切っても意味はありませんでした。

とげを纏っているを倒さなければ意味がないのです。


は僕から見えません。

僕自身がだから。


僕がお母さんに呪いをかけた魔女で、飲み込んだ呪いが僕のお腹の中にあるからです。


「おかあさん」


「心配かけてごめんなさい」


「僕、もっといい子にするから。もう、どこにも行ったりしないから。だから、戻ってきて」


僕は、自分のお腹に、剣を突き刺しました。




目を開けると、僕はベッドに突っ伏して寝ていました。後ろの窓から、太陽の光が差し込んでいます。

いつの間にか雨が止んだみたいです。


僕の頭の上に、手が置かれています。

頭の上にあった手は、僕の耳に触れ、頬を包むように滑りました。


お母さんの手はカサカサです。

いつも遅くまで働いて、毎日僕のためにご飯を作ってくれているから。


お母さんは怒りません。

僕のせいで呪われてしまったのに。


愛おしそうに、僕の頬を撫でています。


頬を撫でるお母さんの手に、雨粒が落ちて、パタパタと音がしました。

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現代の魔女 栄三五 @Satona369

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