あなたの為に歌いたい
清野勝寛
本文
あなたの為に歌いたい
人生は後悔の連続だ。後になってからでないと、物事の本質を理解出来ない。いやいや、そんなわけがないだろ、俺、私は一度も間違ったことなどない。最高にハッピーだぜなんていう人間がいたとして、それはきっと、まだ気が付いていないのだ、己の恥ずかしい行いに。
「つまらないことばかりだ、本当に」
妖精が俺に言葉を投げつける。俺は自分に言い聞かせる。全ては嘘、幻の類なのだと。
「あぁ、そうか。そうなんだね。残念、凄く、残念だ」
溜め息混じりに妖精の声が聞こえて、それからぴゅう、と1Kの部屋の中を生ぬるい風が吹き抜けて、ついには妖精にまで見放されてしまったと理解した。
「……お前まで、俺を離れていくんだな」
だから別にそれがどうというわけでもないけれど。結局のところお前は、自分の永遠と続く退屈を、俺で少しでも満たそうとしていただけだ。自己中心的な生き物。生き物であったかすら、今となってはもう判断のしようがないが。
世界の一部みたいな、そんな存在であるお前の退屈を埋めるには、俺は少し力不足だ。はじめから分かっていたことだ。いつか来ると分かっていた別れが、今唐突に訪れただけのこと。
部屋の温度が少し下がったような気がした。丁度良い。これから夏が始まるのだから。
「うぅ……うう……」
歌が歌えなくなってから、どれくらい経っただろう。自己中心的な自分の思想を、信念を、正しく理解して欲しかった。叫んで、叫んで、叫んだ結果、俺の喉は潰れ、声を発することが出来なくなった。良く、ここで死んでもいいと思えるような生き方をしたい、みたいなきれいごとをほざくミュージシャンがいるが、そいつらは結局のところ、死ぬことはない。彼は必死だが、限界を超えることはない。限界を超えた者は、きっとこの世に留まっていないのだ。つまり、今の自分こそがミュージシャンとして最もあるべき死の姿であると言える。
何も出来なくなってからも延々と続く日々はまさしく地獄そのもの。毎日毎日、歌を歌おうと、声を出そうとしても、掠れた呻き声が漏れるばかり。あの日から毎日、声を出してみる。別に可能性とか奇跡とか、そんな青臭いもの信じているわけではないが、朝起きて、万が一声が出るようになっていたら、損をするじゃないか。なんだよ、声出るじゃないかと、何年も経ってから気付くような間抜けなことはしたくない。だから俺は、毎日声を出す。
「お前、うるさいなぁ」
ある時、直ぐ耳元でそんな声が聞こえてきた。驚いて振り向くと、そこには妖精がいた。人ではない何か。姿が見えるわけではないが、そいつが存在しているだろう箇所がぼんやりと滲んでいた。
「なんだ、何が、どういう」
「うるさいんだよ、お前。毎日毎日下手くそな歌。近所迷惑だろうが」
理解が追いついていないが、納得のいかない声に苛立ち、俺は立ち上がってそいつに怒りをぶつけた
「そんなでけぇ声出しちゃいねぇよ。ここは俺の家だ、どっかよそで眠ってろ」
「なんだと。人間風情が、調子に乗るなよ」
そんなやりとりをしていてふと、下手くそな歌というところが気になった。
「お前、俺の歌が聞こえるのか」
「おぉそうだよ、歌の練習してから出直せボケ」
声にならない呻き声の筈なのに、そいつは俺がどんな風に声を出して、歌を歌おうとしているか理解していた。
「なぁ、聞いてくれよ、俺の歌。本当はもう少しちゃんと歌えるんだ」
「なんだよ急に、こっちは眠いって言ってるだろ」
「頼むよ」
滲んでいる方向に頭を下げる。声は最初渋っていたが、俺がいつまでも折れないでいると観念したのか、一曲だけだぞと許してくれた。
「うぅ、うぅ、うぅ……!!」
俺は歌った。力の限り歌った。誰かの為になったらと願った歌。当たり障りのない言葉を並べただけの歌。だがそれこそが、誰もが本当に求めている歌なんだと信じ続ける歌。
「なんだよ、ちゃんとした歌が歌えるんじゃねぇか」
俺が歌い終わると、そいつの声色はずいぶん柔らかいものに変わっていた。
それから妖精は毎日俺の所に来て、俺の歌を聞いていった。俺はまた、生きるのが少し楽しくなった。
ある時、いつも通り歌っていると、玄関が思い切り殴られた。驚いて飛び上がっていると、外から怒号が聞こえる。
「うるせぇんだよお前!! 毎日毎日……!! 出てこい、ぶっ殺してやる!!」
隣室の住人から苦情が来たのだ。嬉しくて、楽し過ぎて、俺は忘れていたのだ。本当に声が元に戻ったわけではないのだと。
「おいやべえぞ、謝った方がいいんじゃないか」
ガンガンと扉が叩かれている。ボロ家の扉は今にもはじけ飛んで、隣人が襲い掛かってきそうだ。
けれど、俺にはどうすることも出来ない。俺は声が出せないんだ。お前としか、お前にしか俺の声は届かないんだ。
そして、扉はぶち破られ、小太りの男が現れた。男の手には、金属バットが握られている。
俺は直ぐに頭を床に擦り付け、土下座した。声が出なくても、これで謝罪の意が伝われば。けれど、結局何も伝えることが出来なかった。数秒と待たず、俺の頭に衝撃が走る。金属バットで殴られたのだと、薄れていく意識の中で理解した。
妖精が何かを叫んでいる。けれども、それを聞き取ることは出来なかった。
目覚めると、俺はまた地獄の淵にいた。妖精のせいで、俺は勘違いしていたのだ。
騒ぎを聞いて通報してくれた人がいたのか、俺は病室のベッドで、横になっていた。体が動かない。そりゃ頭を思い切りやられたらこうなるか。
1か月ほどの入院生活を終えて、俺はまた、歌うのをやめた。
妖精は変わらず俺に接してきて、また俺に歌をせがむ。
「なぁ久しぶりに一曲歌ってくれよ。小さい声でそっと歌えや今度は大丈夫さ」
「いや、俺はもう、歌えない」
「何言ってんだよ、ちょっと怒られただけだろう?」
「そもそも、俺は歌えるようになんてなっていなかったんだ」
「こっちには聞こえているよ。だから大丈夫だって」
「もしかしたら、俺は頭がおかしいのかもしれない。よく考えたら、おかしいんだよ、だって姿の見えない何かに向かって歌った気になっているなんて。どうして幻聴を疑わなかったんだろう。現実から目を逸らしてしまっていたんだ」
「なんだよ、俺はここにいるって」
「やめろ、話しかけないでくれ」
「頼むよ、歌ってくれ。俺、お前の歌が好きなんだよ」
「いい加減にしろ、はやく俺の頭の中から出ていけ」
※
静かだ。時折聞こえる電車の音、カーテンから差し込む眩しい光。カーテンを開けて外を見ると、昨日は雨でも降ったのか、濡れそぼった雑草が暖かい風に揺れて輝いている。
「本当は、本当は、俺だって」
草露がこぼれ落ちるのと、俺の頬から雫が溢れるのと。
どちらが先だっただろうか。
あなたの為に歌いたい 清野勝寛 @seino_katsuhiro
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