3. 蛍の舞う村で
翌朝午前8時
「おはようございます」
佐野さんは、サックスカラーのシャツワンピース姿でやって来た。
爽やかで愛らしい。
昨日よりもカジュアル感が増し、素の彼女を見れた気がして、胸の奥が温かくなった。
「こんなに朝早くから来て頂いて申し訳ないです。あの花は、この時間が最も美しいですから」
「とんでもありません。お願いしたのは私ですから。こちらこそ貴重なお休みなのに」
実は今回の婚活イベントはパーティーで終わりではなかった。
カップリングが成功した組には2日目がある。
『お散歩デート』と銘打たれたそれは、村のオススメスポットを散歩して更に仲良くなってもらおうというものだった。
元々数合わせ要員として参加していたのだから、2日目なんて無いと思ったのだが、もしいい場所があれば教えて欲しいと彼女は言った。
「今の時期だと月見公園の蓮が綺麗なんです」
社交辞令を真に受けた俺はそう答えてしまい、今に至る。
里山に囲まれた月見池は、一面蓮の花で覆われている。
「わぁ、綺麗。睡蓮とは趣が違いますね。美しいのに迫力もあって本当に見事です。私、生まれて初めて見ました」
佐野さんは顔を輝かせている。
早起きさせて申し訳無かったが、その甲斐があったと感じてもらえただろうか。
「蓮の花は早朝に開いて、お昼頃には閉じてしまうんです。花も4日位で散ってしまうので、咲いているのを見るチャンスはごく少ないんですよ」
「なるほど、ここで見れたという事は私はとても運が良いんですね」
「ええ」
鮮やかな緑の丸い葉の間から花茎をスッと伸ばし、乳白色の花びらの先端をほんのり桃色に染めて咲く大輪の花々は美しい。
「本当に素敵。……あ、カエル! 可愛い」
佐野さんはスマホを取り出すとパチリと撮った。
「か、可愛いですか?」
「あら、中村さんはカエル、お嫌いですか?」
「なんというか、苦手です。実は若い頃『ヒキガエルみたい』と言われて女性に嫌われたんですよ。目が死んでるって…… だから俺にとってカエルはトラウマというか呪いみたいなものです」
俺は冗談に聞こえるようにおどけて言った。
「カエルの目、愛らしいと思うんですけれど。それに中村さんの目も、少しミステリアスだけれど優しい目で素敵ですよ」
彼女が微笑む。
「褒め上手ですね」
「ええ、秘書一級は伊達じゃありません」
なんともコミカルに言うから俺は笑ってしまった。
清々しい青空、瑞々しい花々、深い緑の蓮の葉。愉しげな佐野さん。
良い。
蓮を堪能した後は、昨日のレストランのテラスで、ノンアルコールのモヒートを飲んで喉を潤した。
「とても良いものを見せて頂きました。ありがとうございます」
こちらこそと思ったがそれは秘密だ。
「この村の魅力が少しでも伝わったなら、ご案内した甲斐があります」
俺はお手本のような言葉で応えた。
快い風が吹き抜け、遠くで鳶が歌う。
「いい村ですね。もっと素敵な場所が沢山あるのでしょう。他のオススメも中村さんに教えて欲しい位です」
「そうですね、この時期だと丁度蛍が飛び始めていますよ。お時間が許せばそちらもご案内したかったのですが……」
微笑みを返す佐野さんと別れるのが少し寂しい感じた俺は、余計なひと言を発してしまった。
女性に対し夜に出かけようなんて、失礼だったのではないだろうか。
俺は内心大慌てで、脳をフル回転させフォローの言葉を探した。
しかし、佐野さんの瞳が輝いた。
「わ、凄い。蛍が見れるんですか⁈ あの……私、ツアーとは別に動いていて。帰るのは明日なんです」
えっ?
***
風の無い新月の夜。
俺たちは地元民しか知らない蛍の出現スポットで、その時を待っていた。
人生初のデートの後に、直ぐ2回目があるなんて信じられない。
いやいや、調子に乗ってはいけない。
彼女にとって俺は頂戴良い観光ガイドに過ぎないのだから。
たわいもない話をして過ごしていたのだが、この日に限って蛍は中々現れなかった。
少し蒸す夜に、むさ苦しい男と居させてしまっているのに、これで蛍が出て来なかったらどうしよう。
「おかしいな、出てこないですね。条件は最高のはずなんですが……本当にすみません」
「自然のものなんですから、中村さんが謝る理由は無いですよ」
「いやでも、俺なんかに付き合って頂いたのに、お見せできなかったら申し訳なくて」
「中村さん。『なんか』って。そんな言い方良くないですよ」
「…… すみません。『カエル』の俺は女性とは縁が無いって思っていたものですから。ついネガティブになってしまうというか、今の状況が信じ難いというか」
何を言っているんだ俺は。
こんなこと言ったら佐野さんを困らせるだけだろうが。
「すみません、わ、忘れてください」
クワックワックワッ……
カエルの声が響く。
「私、本当はカップリングシートに、誰の名前も入れるつもりは無かったんです。でも、入力しまいました。ひとりだけ」
「え、あ、俺もそうですけれど。でも、どうして、俺なんかに興味?…… あ、すみません。でも……」
俺は何処かに平常心を落としてしまったようだ。
挙動不審に陥っていると、彼女はふっと動いた。
その唇が俺の頬に触れた。
熱が広がる。
「ごめんなさい。中村さんがあまりにも可愛く見えてしまって。…… 呪いは解けましたか?」
呆然とする俺の目の前を小さな金色の光が点滅しながら通り過ぎていった。
「はい」
蛍って奴は、舞台演出ができるのだろうか?
その一匹が合図を出したかのように、あちこちでふわふわ光が飛び交い始めた。
呪いが解けたというよりも、今この瞬間俺はより強力な魔法をかけられたような気分になった。
「中村さん。私、この村に住んでみたいと思い始めたんです」
彼女はさりげなく言った。
そんなセリフ、こんな時に聞いたら俺は盛大に勘違いする。
ヒキガエルと言われた俺に奇跡がおきたと。
この蛍が舞う村で君と一緒に……と。
蛍の舞う村で 碧月 葉 @momobeko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます